[3] 誤算

 キルポノスとその上官である南西戦域司令官ブジョンヌイ元帥は、予備兵力をほとんど使い果たした現状ではキエフ突出部を長期に渡って維持できる見込みは少ないと考えていた。南北に出現した敵部隊による包囲を避けるためにも拠点防御から撤退に移るべきである。ブジョンヌイはその認識を繰り返し「最高司令部」に訴えていた。

 スターリンはブジョンヌイの見解に対し、ブリャンスク正面軍による第2装甲集団の反撃が成功すれば、キエフ突出部の保持は可能であると考えていた。そのため、悲観的な報告ばかりを送ってくるブジョンヌイに気分を害したスターリンはジューコフと相談した上、彼の更迭を決意した。

 8月25日、「最高司令部」は西部正面軍・ブリャンスク正面軍・予備正面軍に対してスモレンスクの奪回とその周辺で中央軍集団への反撃計画の実施を命じた。

 この計画では西部正面軍がスモレンスクの北東に構える第9軍に向かって攻撃を続けている間に、予備正面軍はエリニャ突出部を挟撃し、ブリャンスク正面軍は南から第2装甲集団に対して反撃を加えるという内容だった。

 9月2日、ブリャンスク正面軍は予定通り第2装甲集団に対する反攻を開始した。だが攻撃の直前になって、「最高司令部」がエレメンコに対して、全く別々の方向への攻撃を命じた。そのため兵力を集中できず、途端にこの反撃は失敗に終わってしまった。

 9月7日、クレメンチュグで橋頭堡を確保した南方軍集団司令部では同軍集団司令部を訪れたハルダー参謀総長がキエフ突出部の包囲作戦を正式に命じる「訓令第8号」をルントシュテットに示した。

「今なおドニエプル河中流およびデスナ河下流に布陣する敵兵力を、クレメンチュグ、ネジンおよびコノトプの各周辺地域より行う両翼包囲によって包囲・殲滅せよ」

 9月10日、第1装甲集団司令官クライスト上級大将は「訓令第8号」に基づいて第48装甲軍団に対してドニエプル河東岸のクレメンチュグ橋頭堡に向かうよう命じた。

 同日の夜、第38軍によるクレメンチュグ橋頭堡への反撃が2日遅れで開始された。第34騎兵師団(グレチコ大佐)が第17軍の陣地を果敢に突破した。前線を多少なりとも押し返すことには成功したが、橋頭堡を粉砕することは達成できなかった。

 クレメンチュグから約300キロ北方に位置するロムヌィでは、ブリャンスク正面軍の反撃をしのいだ第2装甲集団の第24装甲軍団が、キエフ突出部の背後に位置する交通の要衝ロムヌィを占領した。

 防衛線を引き裂かれた第40軍の兵力は第10戦車師団(セミョンチェンコ少将)に所属する戦車20両だけとなってしまった。第40軍司令官ポドラス少将は次のような報告をモスクワに送った。

「予備兵力を使い果たしたので、グデーリアンを止める術はありません」

 第3装甲師団長モーデル中将が麾下の将兵たちに対して、今後の攻勢について説明を行った。その計画は南方から進撃してくる第1装甲集団の先鋒と合流してブジョンヌイ指揮下のソ連軍を包囲するという内容だった。この計画案を聞かされた兵士たちの士気は新たな作戦目標を得て高揚した。

 9月12日、第48装甲軍団の先鋒を担う第16装甲師団は晩夏の豪雨が止んだ頃、工兵が架橋した16トン耐重橋を渡ってドニエプル河を渡った。第16装甲師団はクレメンチュグからさらに北へ向けて攻撃を開始し、12時間に渡り70キロもの悪路を前進した。ドニエプロペトロフスクからドニエプル河を渡った第14装甲軍団の第9装甲師団もこれに続いた。

 9月13日、第24装甲軍団の第3装甲師団がロフヴィツァを占領した。第48装甲軍団の第16装甲師団は激しい市街戦の末にルブヌィを奪取した。しかし、両者の間にはまだ50キロの間隙が開いていた。

 9月14日、第24装甲軍団司令部は第3装甲師団に対し、南への威力偵察を行うよう命じた。夕闇が迫る中、第3装甲師団の先遣隊は第16装甲師団に所属する工兵部隊とルブヌィでと合流することに成功した。キエフから東方200キロの地点だった。第3装甲師団司令部の無線が鳴った。

「1941年9月14日18時20分。第1・第2装甲集団、会合す」

 第1装甲集団と第2装甲集団によるキエフの大包囲環は、陸軍総司令部が「訓令第8号」を発令してからわずか1週間で完成したが、包囲環の東壁にはまだ数多くの「綻び」が存在していた。

 南西部正面軍の諸部隊はデスナ河からドニエプル河に至るキエフ北西の正面で第2軍・第6軍によって拘束され続けており、包囲環を脱出する時間の猶予はほとんど残されていなかった。

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