[3] 突破口の拡大

 6月末、南西部正面軍はルーツク=ドゥブノ一帯で、第1装甲集団に対する大規模な反撃を実施したが、失敗に終わってしまった。この結果を受けて、南西部正面軍司令官キルポノス大将は全部隊に対して撤退と再編を命じた。

 6月30日、南西部正面軍はモスクワの「総司令部」から新たな指令を受けた。その内容は旧国境線に設けられた「スターリン・ライン」まで撤退せよというものだった。

「スターリン・ライン」とは、1928年から段階的に構築されていたソ連西部の国境陣地帯のことであった。正面幅50~150キロ、縦深30~50キロからなる「設堡地帯」に、機関銃座や対戦車砲、回転砲塔などを地形に応じて組み合わせた複合陣地が、フィンランドから黒海に至る後方地帯に設置されていた。

 キルポノスはこの命令に従い、プリピャチ沼沢地のコロステニからノヴォグラド・ヴォルインスキー、シュペトフカに至る線で新防衛戦を形成しようと試みた。しかし、ルーツク=ドゥブノから敗走した機械化軍団群は未だ混乱状態にあり、十分な防衛線を構築できるような余裕は無かった。そこで、キルポノスは後方から人員をかき集めて機動集団を編成し、応急処置のような形で防衛線を作り上げた。

 第1装甲集団の両翼では、第6軍と第17軍に所属する歩兵師団が掩護しながら、湿地と山岳が広がる地形を東方へと突進していた。

 北翼では、第6軍の第17軍団(キーニッツ大将)が第5軍を掃討しながら、7月7日にはロブノ北方のサルヌィを占領して第1装甲集団の側面をほぼ確保した。

 南翼では、第17軍が6月末にようやくソ連国境線を突破し、退却する第6軍(ムズィチェンコ中将)の第6狙撃軍団(アレクセーエフ少将)と第26軍(コステンコ中将)の第8狙撃軍団(スネゴフ少将)をドニエストル河下流に向かって追撃していた。

 6月29日、第17軍の第1山岳師団(ランツ少将)と第71歩兵師団(ハルトマン少将)が、第6軍に所属する第4機械化軍団(ヴラソフ少将)が守る旧ポーランドの都市リヴォフに攻撃を開始した。弱体化していた第4機械化軍団にはなす術もなく、翌30日にはリヴォフを放棄した。第4機械化軍団は第26軍とともに退却に転じた。

 前線の最南端では、カルパチア山脈で国境に面していた「中立国」ハンガリーがソ連に対する軍事行動に乗り出していた。

 6月27日、バルドシ首相はハンガリー北東部のカッシャウを「ソ連軍の爆撃機3機が空襲した」ことに対する報復処置を行うという内容の演説と共に、ソ連に対する宣戦布告を行った。

 ハンガリーは1940年に日独伊三国同盟に加盟するなど、ドイツ寄りの姿勢を示していたものの、国家元首のホルティはヒトラーにあまり好意を抱いていなかった。しかし、ドイツ軍が緒戦の数日間で大きな戦果を上げたことにより、隣国のルーマニアが対ソ戦に参入すると表明した。この状況を受けて、バルドシ首相をはじめとする右派は「ドイツがルーマニアに対して好意的な感情を持つことは、ハンガリーにとって不利になるではないか」との懸念を示した。ハンガリーはルーマニアと幾度となく領土問題で対立してきた歴史的な背景もあり、ホルティは対ソ宣戦布告を行うとする国会の決議を追認せざるを得なくなった。

 7月9日、南方軍集団の指揮下に置かれたハンガリー陸軍の機動軍団(ソンバテルイ中将)がソ連軍に対する軍事行動を開始した。

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