[5] 強行渡河

 プリピャチ沼沢地より南方では、南方軍集団が8月初旬に実施したウマーニ包囲戦により、南西部正面軍と南部正面軍の境界線が完全に空白地帯となっていた。南方軍集団の先鋒を担う第1装甲集団は退却する南部正面軍を追撃しつつ、ドニエプル河下流の湾曲部に向かって進撃していた。

 8月5日、第1装甲集団司令官クライスト上級大将は麾下の装甲部隊に対してそれぞれ到達目標を指示した。すなわちドニエプル河の重要な渡河点であるクレメンチュグ、鉄鉱石の産出地クリヴォイ・ローグ、造船業が盛んなニコラーエフである。

 8月13日、第14装甲軍団は第9装甲師団と第25自動車化歩兵師団でクリヴォイ・ローグを占領した。その3日後にはドニエプロペトロフスク南方のサポロジェを対岸に望むドニエプル河の河畔に到達した。

 8月16日、ウマーニ包囲戦を終了した第48装甲軍団の第16装甲師団がニコラーエフに突入した。市内の造船場で建造中だった戦艦「ソヴィエツキー・ウクライナ」をはじめとする巡洋艦1隻、駆逐艦4隻、潜水艦2隻を鹵獲することに成功していた。

 着実に戦果を上げていた第14・第48装甲軍団に対して、第3装甲軍団は同月6日にクレメンチュグに到達したものの、東岸へ渡る重要な橋脚はすべてソ連軍によって破壊されていた。ドニエプル河東岸に足がかりを得たい第3装甲軍団長マッケンゼン大将は攻撃の矛先を工業都市ドニエプロペトロフスクへと差し向けた。

 8月22日、第3装甲軍団の第13装甲師団とSS自動車化歩兵師団「ヴィーキンク」(シュタイナー大将)はドニエプロペトロフスクに対する総攻撃を開始した。3日間に渡る市街戦の末にようやく同市のドニエプル河西岸地域を制圧することに成功したが、東岸へと渡る2本の橋梁はソ連軍によってすでに破壊されていた。第3装甲軍団は急ごしらえの筏橋で対岸に小規模な橋頭堡を築くのが精一杯だった。

 南部正面軍は8月13日から19日にかけて、ウマーニの包囲を離脱した第18軍とベッサラビアから退却を続ける第9軍の残存部隊をドニエプル河東岸に収容することに成功していた。ウマーニ包囲戦で消滅した第6軍は新たに再編され、第6軍司令官には第48狙撃軍団長マリノフスキー少将が昇格し、ドニエプロペトロフスク西方に配置された。

 ドニエプル河西岸一帯を占領することに成功した南方軍集団であったが、敵情と航空偵察から得られた情報を子細に検討した南方軍集団司令官ルントシュテット元帥はソ連軍の防衛態勢に致命的な「死角」が存在することに気付いた。

 南西部正面軍と南部正面軍の境界線に位置するクレメンチュグ周辺は、南西部正面軍の第38軍(リャブイシェフ中将)と南部正面軍の第6軍(マリノフスキー少将)が隣り合っていた。しかし、第38軍は2個狙撃師団しか配属されておらず、第6軍は部隊の集結が完了していなかった。

 このとき、ルントシュテットの脳裏にある大胆な作戦が浮かんでいた。もしこの手薄なクレメンチュグの橋頭堡から第1装甲集団を突進させ、いま南下中の第2装甲集団と手を結べば、南西部正面軍の大兵力を一網打尽に出来るのはないか。停滞しつつある自軍の戦況を劇的に変えるかもしれない包囲殲滅戦の考えに興奮しつつ、ルントシュテットは第1装甲集団に後続する第17軍に対してクレメンチュグにおける橋頭堡の構築を厳命した。

 8月20日、第17軍の第52軍団(ブリーゼン少将)はクレメンチュグを対岸に望むドニエプル河の西岸に到達した。第52軍団はその西翼を進む第11軍団と連携して、ドニエプル河の強行渡河作戦の立案を進めつつ、突撃舟艇や架橋資材をかき集めた。

 8月31日、砲兵の支援を受けた第52軍団の第97軽歩兵師団(フレッター=ピコ少将)と第100軽歩兵師団(ザンネ少将)が防備の手薄なクレメンチュグの東方で橋頭堡を確保することに成功した。第11軍団も続いてドニエプル河を渡った。

 9月8日、第17軍はクレメンチュグの市街地を制圧した。

 クレメンチュグ東方でドニエプル河が破られたという報告は、ただちに南西部正面軍司令部に届けられた。防衛計画を根本から揺るがす事態に直面して、キルポノスとその上官であるブジョンヌイは大きなショックを受けた。約70万人の兵員を擁するソ連軍は今まさに「地獄の大釜」に閉じ込められようとしていたのである。

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