[2] 動員
ドイツ陸軍参謀本部は6月21日の時点で、東方外国軍課の情報に基づいてソ連軍の兵力の算定を行っていた。その算定では、ソ連軍の兵力は狙撃師団171個(実際の約75%)と騎兵師団25個半(約196%)、機械化旅団37個(約30%)と推測されていた。
この数字が示す通り、ドイツ軍の情報分析官たちはソ連軍の機械化状況を著しく過小評価していた。戦車部隊は「軍団」や「師団」ではなく「旅団」単位で運用・編成されていると考えていた。
装備する戦車については、スペイン内戦時に遭遇したT26軽戦車やBT5およびBT7快速戦車、そして演習時に使用されるT28やT35については確認していたが、新型のT34やKV1やKV2の存在をまったく把握していなかった。そのため、緒戦時にドイツ軍がこれらの新型戦車に遭遇した時には大きな動揺が走った。
しかし、ドイツ軍が犯した最大の誤りはソ連軍が粉砕された部隊を再編成して、無から新たに兵力を生成する能力を見落としていた点にあった。7月初旬に「独ソ戦」はもう勝利したと考えていた陸軍参謀総長ハルダー上級大将は、8月11日付けの日記に自分の見解の誤りを認めている。
「全ての状況が、我々が巨人ロシアを過小評価してきたことをますます明らかにしてきている。ソ連の師団は我が方の基準に適った装備を持っていないし、その戦術指揮はかなりお粗末なものである。だが彼らはそこにあり、たとえその1ダースが粉砕されたとしても、彼らは直ちに別の1ダースを配備する」
国防人民委員会(国防省)は開戦と同時に、新たな野戦軍を段階的に創設する作業を開始した。参謀本部は当面の作戦に対処することに精一杯になってしまい、7月23日に新兵力の生成は人民委員会と各軍管区に委託された。戦場になっていない軍管区では基幹部隊に予備兵役を充当し、かつ現存の現役兵部隊を拡充するための組織を設立した。
こうして6月中に530万人の予備兵役が招集され、これによってその後の動員が成功した。7月中には新編の13個、8月中には14個、9月には1個、10月には4個軍が形成された。この動員組織が抱えていた兵力は11月から12月にかけてモスクワを防衛するためにさらに8個軍を提供できるようになり、これに東部の軍管区から移動してきた現役兵部隊と合流した。
モスクワやレニングラードなどの大都市では、その都市の共産党委員会が主導して人民義勇兵師団を作り上げた。多くの市民が7月3日にラジオで放送されたスターリンの演説を聞いて志願し、1941年12月まで10個師団が形成された。しかし、これらの師団は兵士としてのスタミナと訓練に欠けていた。人民義勇兵師団には後に工兵隊、通信隊、衛生隊が組み込まれ、正規の狙撃師団として改編されていった。
ソ連軍は1941年12月までにドイツ軍が算定した数の2倍の師団を新たに編成することに成功したが、当然のことながら戦前からあった師団と新たに動員された師団とでは比較にならなかった。
緒戦の数週間で、訓練と装備の良好な師団の多くが失われてしまった。後詰めの師団は政治将校と小銃の他は何も持っていなかった。さらに、これらの師団はあまりに早急に編成されたために、部隊としての訓練をする時間がほとんどなかった。未熟な指揮官と兵員たちは戦闘における自分たちの役割をまったく把握していなかった。
1941年の秋から冬にかけて、ソ連軍がいつもお粗末な行動しか取れなかった事実にはこのような原因があった。お粗末なソ連軍との戦闘を通じて、ドイツ軍は「敵は自分が敗北していることを認識していない」との印象をますます強めさせることになった。
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