パリのブランチ
僕の会社がフランスの会社を買収したとかで、一度パリに行ったことがある。
パリはおしゃれな街で、周りじゅうにカフェがあった。
街ゆくパリジャンもなんかスタイリッシュだ。サンドウィッチを歩きながら交差点で頰ばる姿すらなにやら神々しい。
今回は週を跨ぐ出張だったので、週末はパリで過ごすことになった。
一緒に行った同僚と土曜日はかの有名なルーブルを周り、翌日はゆっくりとマルシェ(路上市場)を見学する。
マルシェは楽しかった。
とんでもないものが平気で売られている。
その場で作るマカロンは美味しかったし、ガラスケースに並んだヤギの脳みそには度肝を抜かれた。
なんでも日本に行った時にインスパイヤーされたとかいう画家が描いてくれた墨絵風の猫の漫画(ちゃんと日本の色紙に書かれていた。どうやら色紙を個人輸入しているらしい)を買ってから、僕たちは近くのカフェにブランチを食べるために立ち寄った。
ブランチ。
ブランチとは朝ご飯とお昼ご飯がガッチャンコしたものだ。
その店の売りは蕎麦粉で焼いたガレットと小麦粉のクレープだった。
日本のガレットとは違って具沢山だ。真ん中には目玉焼きも載っている。
僕はハムとチーズのガレット、同僚のIさんはピーチのクレープをオーダーする。
「そんなので足りるの?」
僕は彼女に尋ねた。
「大丈夫、というか、これしか食べられなそう」
顔色が悪い。
昨日も狂ったように飲んだのだ。二日酔いでえらいことになっているようだ。
周りを見渡すと、どのテーブルにもワインボトルが置かれていた。
時間はまだ十一時。どうやらフランス人は全員アル中予備軍らしい。
「ワイン、頼む?」
「半分飲んでくれるんだったら、飲む」
基本、フランスのワインはボトル売りだ。
それでもめちゃくちゃ安い。この店でも一本5ユーロしない。水よりも安いというが、誇張ではなさそうだ。
そういえば、昔パリダカールラリーで水の代わりに水筒にワインを詰めていたとかで、プジョーのチームが面倒なことになっていた。
本当にワインを水代わりに飲んでいるようだ。
「じゃあ、軽いのを頼もうか」
僕はメニューを調べると、度数が十二パーセント程度の軽いワインを選択した。
ギャルソンを呼んで注文する。
ギャルソンは「それが日曜日の過ごし方ですよ」と柔らかく英語で俺に告げると、いそいそとキッチンの奥へと下がっていった。
やがて、僕らのガレットとクレープが仕上がったらしい。
ワインボトルと一緒に大きなお皿が配膳される。
想定よりもでかい。
Iさんのクレープにはどっさりとクリームが乗っていた。
「うわ、吐きそう」
「ここで吐いてくれるなよ。糖質を摂ると二日酔いにはいいみたいだ」
ガレットは美味しかった。
さすが、フランス。美食の国。
卵が乗っているのは如何なものかと思っていたのだが、これがいい。
半熟の卵黄がチーズとハムをまとめて、絶妙なコンビネーションを作り出している。
一方のIさんは食が進まないようだ。
チビチビとワインを啜っている。
「なんで、こんなにクリーム盛るの」
「さあ。クリーム、避けたら?」
「んーん。た、食べる」
一口食べた瞬間、Iさんの人格が変わった。
「すごい。美味しい!」
目の輝きが違う。猛禽類の目になっている。
「この桃、すごいですよ。食べますか?」
「いや、俺はいいや。それよりもゆっくり食べな」
「無理」
ガツガツとクリームの山を片付けていく。
「わあ」
不意にIさんが歓声をあげた。
「何?」
「中にジャムが入ってるんです。しかも甘くないの。甘くないジャムなんて初めて」
さらにガツガツとクレープを片付けていく。
気づいた時、大半のワインとクレープは彼女の胃袋に流し込まれていた。
「はー、おなかいっぱい」
お下品に足を投げ出してIさんがため息を吐く。
「じゃあ、飲みに行きましょうか。エンジンかかっちゃった」
「え?」
確かに、ワインボトルは空になっている。
午前中から、ボトルを空けてしまった。フランス人なら普通なのかもしれないが、これってどうなんだろう。
+ + +
飲みに行くのは丁重に断って、僕はその日はホテルで昼寝をして(ワインのせいだ。正直、自業自得としか言いようがない)過ごした。
一方、エンジンのかかったIさんは一人でどこかに出かけるようだ。
夕方落ち合い、街のビストロで夕食を一緒に食べることを決めると、Iさんは意気揚々と出かけて行った。
夕食に出かけた先は凱旋門近くのレストラン街だった。
ネズミーランドのように薄暗い街灯が趣深い。ネオンサインのような無粋なものは一切なく、看板はみんな木か金属で作られた、軒下にぶら下げるタイプのものだ。
「何を食べる?」
「シーフードがいいかなあ」
とIさん。
「じゃあ、ここにするか」
一応下調べしておいた店を探し、中に入る。この店はシーフードと肉類の両方を扱っている。観光客にも優しい店だとの事で安心感がある。
店の中は歴史を感じさせる、石と木材をベースにした内装だった。入り口からすぐに階段になっており、階下がフロアになっている。
欧米のレストランは総じて照明が暗い。煌々と明るい日本のレストランとは対照的だ。古い内装と相まって、それがムーディな雰囲気を作っている。
物腰の柔らかいギャルソンの渡してくれたメニューを眺め、とりあえずワインを頼む。
今回は警戒してカラフェにした。一日にボトル一本ずつは多すぎる。
それにこれ以上アルコールを入れて、Iさんのニトロチャージャーが火を吹いても困る。
「昼間は何をしていたの?」
「シャンゼリゼ通りを歩いたりしてました。カフェでビールも飲んだかな」
とIさん。元気なこっちゃ。
メニューの前菜セクションには僕の大好きなムール貝の酒蒸しがあった。
「ムール貝がある。食べない?」
「いいですよ」
二人で相談し、ムール貝を前菜にしてあとは各々メインを頼むことになった。
僕はステーキ、Iさんは魚のムニエル。
すぐに供されたムール貝は程よくガーリックが効いていて美味だった。サイズは大と小があったのだが、食べきれるわけがないので二人で小を分ける事にした。
これでも子供用のおもちゃのバケツくらいのサイズがある。隣に出された同じ大きさのバケツはどうやら貝殻を捨てるためのものらしい。
「うん、美味しいな、これは」
夢中になって貝を貪り、ときおりバゲットをソースに浸して食べていたその時……
Iさんが隣のテーブルを指差して、
「ガモーさん、あれ見て」
と言った。
何かと思って隣を覗いてみる。
みれば太ったおじさんが二人で食事を楽しんでいるところだった。
同じく前菜はムール貝にしたらしい。
ただ、量が尋常ではない。二人とも、大の方のムール貝を食べている。シェアしているのではない。それぞれが大きなバケツを傍に置いているのだ。
僕たちだったらあれだけで満腹してしまいそうだ。
「すげーな」
僕は素直にフランス人の食欲に感心した。
さすが美食の都、胃の容量はでかいに越したことはないということなのだろう。
それにしてもムール貝ばっかりあんなに食べて飽きないんだろうか?
ムール貝を平らげたのち、メインが来るまでの間、ちらちらと隣を観察する。
どうやらムール貝と一緒に二人は蒸したロブスターも頼んだようで、おじさんたちはそれぞれロブスターを楽しそうに手で折って食べていた。
「さらにロブスターも食うのか。すげーな」
メインが届いたのはお隣とほとんど一緒だった。
こちらは小ぶりなステーキと小ぶりな魚のムニエル。
対して隣はシャトーブリアンステーキ(フィレステーキの分厚いもの)と王冠みたいなラムチョップだ。どちらもおそらく重さは三百グラムから四百グラムくらいだろう。
見ているだけでげんなりする。
どうやったらあれだけの食べ物をしまえるんだ? 確かにお腹は丸いけど。
「あれには勝てないですね」
「フランス人の胃袋はすげーな」
メインのお料理は美味しかった。特にステーキはソースが独特でとても美味しい。
だが、隣の賑やかな様子を見ていると、なんとなくみすぼらしく見える。
なんだか負けた気分だ。
隣の丸いおじさんたちは大声で語り合いながら、それは楽しそうに肉を貪り食っていた。
別段食べるのが早いわけではないのだが、どんどん肉が小さくなっていく。
食べっぷりに満足したのか、ギャルソンの応対もなんとなく向こうの方が親切だ。わざわざやってきて、ワインを注いだりしている。
まあ、これがチップに直結するのだから、親切にもなろうというものだ。
「これでチーズかなんか食べるのかな?」
感心した様子でIさんが言う。
「どうなのかな? まだなんか食べたそうにはしてるけど」
ちなみにこちらのデザートのチーズはでかい。カマンベールを頼めば丸ごと一個が一人分として出てきてしまう。盛り合わせることもできるのだが、それにしたって殺人的な量だ。
日本のチーズ盛り合わせを見たらきっと彼らはがっかりするだろう。だってあれじゃあ味見サイズだもの。
これ以上見ているとこちらまで胸焼けしそうだったので、僕たちは食後のコーヒーだけをもらうと早々にレストランを引き上げた。
フランスの夕食恐るべし。
フランスに行くときは、事前に胃袋を拡張するトレーニングをしておいた方がいいかも知れない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます