アメリカのフィッシュアンドチップス
一般的にイギリスの食べ物は不味い、とされている。
だが、それは間違いだ。イギリスの食べ物は美味しいのだ。お金さえ出せば。
イギリスは密かに階級社会なので、安い食べ物は確かにゴミのようだ。だけどお金さえ払えばちゃんとした美味しい食べ物を頂くことができる。
良い例がパブだ。
ブリティッシュパブは大概二つの部屋に分かれていて、奥はラウンジ、手前がバーカウンターになっている。昔はお金持ち階級は奥のラウンジでゆっくりとウィスキーなぞを楽しみ、労働者階級は手前のバーで浴びるようにエールを飲んでいたと聞く。今では普通の人もラウンジに入れるが、昔は会員制クラブのように分かれていたそうだ。
ところで安いものはゴミのようだと書いたが、唯一の例外がフィッシュアンドチップスだ。これは安いものでも十分に美味しい。というか、高いフィッシュアンドチップスというものは海外では聞いたことがない。
フィッシュアンドチップスはイギリス発祥の食べ物だが、今では西欧圏なら概ねどこでも食べることができる。
その日、僕は義父のおねだりに付き合って
僕らがゲットしたのは二階のゴール前の席だ。一階の席は高くて買えなかった。でも二階でも十分にリンクに近いので試合を楽しむには十分だ。この席ならプレイヤーのスケートが氷を削る音やスティックがパックを叩く音も聞こえる。迫力満点だ。
「じゃあガモーちゃん、食べ物を買ってくるよ」
「一緒に行くよ」
二人で連れ立ってフードカウンターに向かう。
「何を食べようか?」
「フィッシュアンドチップスにしない? あれなら腹いっぱいになる」
「じゃあナチョとフィッシュアンドチップスにしよう」
義父はカナダ住まいが長かったのでその手の食べ物に詳しい。
「魚は何にする?」
「選べるの?」
「そりゃ、選べるさ。ガモーちゃんは知らないのかい?」
「いつもフィッシュアンドチップスとしか注文してない」
「それじゃあダメだよ」
義父が笑う。
「フィッシュアンドチップスだったらハリバット(オヒョウ)が一番うまい。あるはずだよ。……カナダだったらホッケーのスタジアムでも選べたから、ここでもどっかにそんな店があるはずだ」
二人で客席を取り巻くフードカウンターをそぞろ歩く。
すれ違う人たちはみんなシャークスかカナックスのユニフォームを着ている。これがホッケーの試合を観る正装だ。ユニフォームは毎年少しずつデザインが変わるのだが、古いデザインのユニフォームを着ている人の方が基本的には偉い。さらにプレイヤーのサインが入っているとみんなの羨望の的になる。もうリタイアしてしまった選手のサインでも入っていようものなら、もはやそれは神の領域だ。
スタジアムをしばらく回ったところでようやく僕たちは目的の店を見つけた。
アイバーズ。シアトルのシーフードレストランだが、今では積極的に西海岸に展開している。
シアトルはバンクーバーに近いのでカナダの影響が大きい。
マクドナルドみたいに背後に掲げられたメニューを見てみると、確かに魚の種類が選べるようだ。アイバーズには何度も来ていたが、魚の種類を選べるとは知らなかった。どうやらいつもデフォルトのタラのフィッシュアンドチップスを供されていたらしい。特別に指定しない限りタラになってしまうのだ。
オヒョウのフィッシュアンドチップスとナチョ、それに僕はビールを一パイント買って席に戻る。
「試合が始まる前に食べてしまわないとな」
義父はホッケーキチガイだ。試合中は食べ物に気が回らなくなってしまうので、その前に片付けてしまおうということらしい。
僕たちは手をべたべたにしながらフィッシュアンドチップスを片付けにかかった。
+ + +
ホッケーの試合は面白かった。想定通りシャークスが勝ったので義父はご機嫌だ。地元のチームが勝たないとアメリカのプロスポーツは面白くない。地元密着なので地元のチームを応援するのが暗黙のルールなのだ。
「あのシュートは凄かったなあ。ホワイトホール(ゴールキーパーの股の間)を綺麗に抜けたからねえ。あれはよかった」
帰りの車の中で、興奮冷めやらぬ義父が試合の感想を述べている。
「うん、そうだね」
運転しながら上の空で答える。
しかし、僕は違うことを考えていた。
あのフィッシュアンドチップスはうまかった。
あれをなんとか家で作れないものか。
フィッシュアンドチップスは要するに白身魚のフリッターなのだが、これは衣が分厚いところが天ぷらと違う点だ。ふわっとしていて、表面はカリカリ。あのような揚げ物は作ったことがない。
家に帰ってからネットを紐解く。
しばらく探し回った末に、ようやく僕は目的のレシピを見つけた。
やっぱり、衣に秘密があるようだ。
1.
まず、衣は中力粉をビールで伸ばすのが肝。ついでにベーキングパウダーも少し入れる。ここに味付けしてしまうのがアイバーズの秘密と思われる。舐めてみて、美味しいと感じる少し手前くらいまで塩と胡椒を入れて味付けしてあるみたいだ。あとは卵。一個で十分だと思う。好みでミルクを入れたりしてもいいようだ。要するにしょっぱいパンケーキの種を作ると思えばいい。
2.
衣(バター液と言う)を作ったらこれを休ませる。
次はタルタルソースだ。これがないと話にならない。ケチャップで食べる人もいるが、フィッシュアンドチップスはタルタルソースの方がよく合うと思う。
これはマヨネーズに刻んだピクルスを入れれば出来上がり。ピクルスのお酢を少し加えてもいい。簡単だ。たっぷり作ろう。
3.
次に芋を揚げよう。
芋は皮を剥かないまま櫛切りにして二度揚げにする。ブラシを使ってよく洗ったジャガイモを櫛切りにして低温(百四十度くらい)の油でまずは火を通し、一度全部揚げたら油の温度を上げて二度目は一気に黄金色にする。一度目のフライが終わったら一度バットに芋をあげるのがコツ。そうすると水蒸気が程よく抜けて二度目のフライがカリッとなる。
4.
ここまできたら魚を揚げる。
本当はオヒョウがいいのだけれど、手に入らなければタラでも全く構わない。あるいは塩を抜いたシャケもいける。海苔弁に乗っている白身魚フライの中身、深海魚のメルルーサ2号も意外と美味しい(普通にスーパーで買える。名のない白身魚は大概メルルーサだ)。
ともあれ魚の切り身から皮を外し、丁寧にバター液に浸して崩れないようにしながら優しく油に入れる。温度は百七十度から百八十度くらいがいいと思う。
ブワーッと衣が膨れるので、これを菜箸でうまくまとめながらくるくる回して全体に火を通す。一回につき揚げる切り身は二個程度にとどめておいた方がいい。たくさん入れてしまうと油の温度が下がりすぎてギトギトになってしまうし、そもそもお互いがくっついて訳のわからないことになる。
5.
からっと揚がったら即食べよう。
芋にはモルト・ビネガーをかけるのがカナダ風だが、フレンチマスタードで食べても美味しい。僕は正直、フレンチマスタード派だ。ケチャップでもいいのだが、これだとたくさん食べられない。
魚には作っておいたタルタルソースをたっぷりかけよう。タルタルソースで手が汚れても構わない。事前に手元にティッシュなりおしぼりなりを準備しておくといいと思う。
6.
フィッシュアンドチップスはフィンガーフード(手づかみで食べる料理)だ。ナイフとフォークは似合わない。下品に手で食べよう。
7.
ちなみに日本のアイリッシュパブでは魚に衣とパン粉をまぶして普通のフライにしたものをフィッシュアンドチップスと称して供する店もあるが、あれは邪道だ。
フィッシュアンドチップスにパン粉は似合わない。
8.
気に入ったら衣を色々と変えてみて研究してみてもいいと思う。
お楽しみあれ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます