フィンランド人とアルコール
フィンランド人は身体が大きいだけあって、お酒に強い。
放っておいたら、一晩中飲んでても平気にしているくらいだ。
僕の会社にはよくフィンランド人が出張に来ていたが、彼らは必ず夜になると六本木に繰り出して行く。
大概の場合は六時くらいに十人くらいで繰り出して、八時頃には三人くらい行方不明になる。翌日会社に来るのは午後遅くだ。概ね半数が財布をなくし、二、三人は携帯電話もなくしている。
その点に関しては、失くした財布も携帯電話も必ず見つかる日本の治安の良さに彼らはもう少し感謝しても良い。
そして六時頃になんとかリカバリーして、また六本木に出かけていく。
これでは六本木に来ているんだか、仕事をしているんだかわからない。僕が日本企業に十四年勤めて辞めて、転職した会社はそんな会社だった。
ところで僕の勤めていた会社には変な社則があって、会社は社員がアル中になっても解雇できない。代わりに、会社は責任をもって社員のアルコール中毒の治療を行うこと(但し、本人が希望した場合に限る)とある。
つまり、アル中でも普通に勤められるのだ。
僕が入社した時のトレーナーでその後相棒となったTさんもそんな一人だった。
彼は必ずビールを飲みながら出社する。
「今日は天気が良かったですからねえ、普通ビール、飲むでしょ?」
少しアルコールで焼けたガラガラ声で朝から大声で人聞きの悪いことを言う。
そして、彼の席のキャビネットの中はウィスキーの瓶だらけだ。それもとても高級なシングルモルトばかり。
会社では『バーT』と呼ばれていた。
会社の人、特にフィンランド人は会社帰りに『バーT』に立ち寄り、一杯か二杯、シングルモルトを引っ掛けてから(『バーT』にはちゃんとショットグラスも常備されていた)盛り場へと出かけていく。
えらい会社に入っちゃったなとその時は呆れたものだ。
そんな感じで圧倒されて三日後、僕のマネージャーのフィンランド人が歓迎会をしてくれると言う。
断る理由もないし、断るわけにも行かなそうだったので、一緒にタクシーに乗って目黒から渋谷に向かう。
「どこに行くの?」
「なんかな、バンパイア・カフェとかってのがあるらしい。そこをユハが予約した」
僕のマネージャーはティモという名の大男だ。一九〇センチを超える身体をスキンヘッドにしてて、頭はちょっとジャガイモっぽい。日本人からはジャガ丸君と呼ばれている。
連れて行かれた店は、地下にあるなんだか地下牢みたいな店だった。
確かにバンパイアをテーマにしているらしい。ゴシック調の薄暗い店だ。
古臭いシャンデリアがぶら下がり、壁には赤いカーテンが掛けられている。
だが、席に案内されて驚いた。
そこにはビールのピッチャーが並べられていた。一人一個。
一体、どんだけ飲むつもりなんだ。
他の連中はもう到着していて、じりじりと僕らのことを待っていた様子だった。
「じゃあ、乾杯(キッピス)」
席に着くなり、Tさんが乾杯の音頭をとる。
あっという間に酒宴になった。
みんな、飲む飲む。浴びるように飲む。
チビチビとビールを舐めながら、僕は心底圧倒されていた。
これじゃあ、確かに一人ピッチャー一つでも足りないかも知れない。
やがて、食べ物が運ばれてきた。
だが、メインの料理はどうやらないらしい。
おつまみめいた、チキンウィングやらソーセージやら、フィンガーフードばっかりが運ばれてくる。
「今日はこんな感じ?」
僕は立ち去ろうとしていたゴシックロリータ調のウェイトレスに小声で尋ねた。
「はい。そうですね。今日は飲み放題は頂きましたが、食べ物はこれでほとんど全部です」
あとは気が向いたら頼むと、そういうことらしい。
あっという間にビールのピッチャーが空き、やがて第二弾が運ばれてきた。
ちなみにビールのピッチャーにはだいたい二リットルのビールが入っている。
こいつら、制限時間内に四リットルのビールを片付けるつもりか?
みんな酔っ払って、声がでかくなっている。
「どうだ、○○○(僕の会社の名前)は?」
酔っ払ったユッシ(ちなみに彼は当時日本に駐在していた)が大きな手で僕の背中をバンバン叩く。
僕はまだ最初のピッチャーを半分も片付けていない。
「飲みが足りないなー、ガモーさん。こういう時はもっと飲まなくちゃ。ガモーさんの会なんだから」
とTさん。
「い、いや、自分のペースでやるから、僕のことはお構いなく」
Tさんの身体はすでにかすかに揺れていた。
いや、Tさんだけじゃない。全員、かなりベロベロに酔っぱらっている。
これがフィンランド式飲み会なのか? 正気か?
「こんなに飲むんだったら、ビール以外にすればいいのに」
僕はティモに言った。
「これじゃあ腹がガボガボになっちまう」
「ビール以外飲んだらアル中になっちゃうじゃないか」
真顔でティモは答えた。
「ビールだけならアル中にはならないけど、ウォッカはダメだ。あれはアルコール中毒一直線だからな。俺らはビールしか飲まん」
ビールだって、同量のアルコールを摂取すれば一緒だと思うんだが。
と、それまで熱心にドリンク・メニューを眺めていたユハが僕に尋ねた。
「これはなんだろう?」
彼が指差したのはレモン・チューハイだった。しかも生絞りのタイプだ。
「これはレモン・チューハイ、レモンと炭酸で日本のウォッカを割ったものだね。でもこれ、飲み放題に入ってなさそうだよ」
「問題ない。面白そうだ。飲んでみる」
指を立ててウェイトレスを呼ぶ。
ユハのチューハイはすぐに運ばれてきた。レモン絞りが横に添えられている。
「これ、絞って入れるってこと?」
「そう」
「なるほど」
渾身の力を込めてレモンを絞る。そんなに力を入れたら苦くなってしまう。
出来上がったチューハイを一息に空けると、ユハは満足げにうなずいた。
「うん、これはリフレッシングだ、これはいい。これでまたビールを飲める」
は?
まだ、飲むの?
+ + +
結局僕たちは時間を超過して三時間以上その店に居座り(途中で交渉して飲み放題が切れてからも自費で飲み続けられるようにした)、文字通りヘロンヘロンになるまで飲み続けた。
僕はトイレで二回、吐いた。
それでも新入社員の僕がちゃんと翌朝に定時に会社に着いたのはかなり褒めてもらっていいと思う。
そして、飲み会のメンバーがその朝誰もいなかったのは言うまでもない。
――――――――――――
自称アル中だったTさんは最近病気で亡くなった。
死因はアル中ではなく違う病気だったのだが、惜しく、愛らしい人を失ったと心から残念に思っている。
このお話は彼に捧げる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます