アメリカの殺人カクテルと絶品ステーキ

 二〇〇〇年の頃、僕は上司の命令でアメリカの某団体に所属していた。

 簡単にいうと、Windows-Intel支配を排除して、真に自由なPC開発を訴える団体だ。

 正直言って、主義主張に疑問があったし(僕は企業活動に於いては長いものには巻かれた方が安全と思ってる)、集まっているのも今は亡きコンパックとかの各社の暇人だったんだけど、お集まりは楽しかった。

 予算に関してはある程度裁量を認められていたので、心ゆくまでお金が使える。

 その前の日はテキサスの湖でクルーズ、今日はヒューストンのルース・クリスのステーキだ。

 みんな、会社のお金で美味いものを食べようという魂胆が見え見えだ。

 ちなみにルース・クリスは日本にも店を出している(http://ruthschris.co.jp/)。

 恐ろしく高価いステーキ屋さんで、日本で食べたらおそらく二万を超える。

「何を飲みますう?」

 やたらと色っぽいウェイトレスがテーブルにきて前かがみになる。

 高級な店はウェイトレスもみんな美人だ。

 それに愛想がいい。

 とにかく、お客を楽しい気分にさせようと、サービス精神旺盛だ。

 ある意味、キャバクラ嬢と少し似ているかも知れない。

 ちなみに高級なお店はチップも高い。

 ルース・クリスレベルのお店だと、チップは値段の三分の一、簡単にいえば三十三%だ。

 その代わり、ウェイトレス達はお店から一切お金をもらっていない。チップだけで暮らす、ある意味真のプロフェッショナルだ。

 中には年収が一千万円を超えるウェイトレスもいると聞く。

 皆口々にワインやらなにやら難しげなものを頼んでいるのを見ながら、僕は

「ビールで」

 と控えめなものをお願いした。

「ロングアイランドアイスティーだな、ここは」

 と、隣のジェフ。

 その日、ジェフは上機嫌だった。

 何が嬉しかったのかわからないのだが、機嫌がいい。

 よくしゃべり、よく笑う。

 彼はお腹が少し丸くなってきた好々爺だ。人がよくて優しいのだが、いきなり大物に行くとは思わなかった。

 ステーキ食べながらロング・アイランド・アイスティーってマジか?

 思わずジェフの顔を見る。

 確かジェフは車を運転してここにきた。

 それでLITってどういう神経だ?

 ちなみにロングアイランドアイスティーのレシピは以下の通りだ。

  ウォッカ     二〇cc

  テキーラ     二〇cc

  ラム       二〇cc

  ジン       二〇cc

  グラン・マルニエ 少々

  レモンジュース  二〇cc

  コーラ      適宜

 上記の材料のうち、コーラ以外を氷を満たしたグラスでステアして、最後にコーラを縁まで注ぐ。グラスの縁にレモンスライスを添えてもいい。

 一見するととんでもない味のカクテルに思えるレシピだ。だが不思議なことに、この組み合わせはアイスティーのような味になるのだ。

 しかし、強度は殺人的だ。ロングカクテル(カクテルグラスではなく、トールグラスで供されるカクテル。ジンフィズとかがロングカクテルにあたる)で度数が三〇パーセントを超えるものは多くない。ロングアイランドアイスティーはその中でも飛び切りに強烈なカクテルだ。

「じゃあちょっと待っててね。その間にステーキ決めといて」


…………


 色っぽくて愛想のいいウェイトレスはすぐに僕たちの飲み物を持って戻ってきた。

「はい、ロングアイランドアイスティー」

「ありがとよ」

 乾杯もなにもなく、いきなりジェフはロングアイランドアイスティーをうまそうにごくごくと飲むと、ため息をついた。

「たまに飲むとやっぱり美味いな」

 いくら美味しくても、これは僕には到底飲めない。

 即死確定だ。

 ビールをちびちびと飲んだり、前菜のオニオンリングを齧ったりしているうちにステーキが運ばれてきた。

 いずれも鉄板の上でジュージューと音を立てている。

 ジェフのステーキは特別にお願いしたバタフライスタイルのウェルダン(半分に開いて中まで火が良く通るようにしたスタイルのステーキ)だ。ウェルダンがいいとジェフが言ったら例の色っぽいウェイトレスが絶対損はさせないからと、それを強くお勧めしたのだ。

 一方の僕はいつものようにミディアム・レア。ちょっと張り込んでシャトーブリアン(背の高いフィレステーキ)にした。

 ステーキは夢のように美味しかった。

 肉が口の中で自然にほどけ、口の中に牛肉の旨味が広がる。

 脂身の量もちょうどいい。

 これをビールで流し込むとなんとも幸せな気持ちになる。

 シャトーブリアンは円筒形のステーキだ。

 底面積が小さいから騙されてしまうが、それなりにサイズは大きい。

 だが、それがとろけるように口の中で消えて無くなってしまう。

 残るのは脂身の香りと牛肉の濃厚な旨味。

 ナイフで切った断面はあくまで赤く、そして表面は黒く焦げている。これを噛みしめると口の中に甘い肉汁が溢れ出る。

 こんなうまいステーキを食べたのは初めてだ。

 と、ジェフは最初の一杯を空けてしまうと、二杯目のロングアイランドアイスティーを頼もうとしていた。

 正気か?

 さすがに周りの連中がジェフを止めようとする。

「いや、大丈夫だ。もう一杯くらいなら飲める」

「まあ、大人の判断だから止めないけどな」

 とトム。

 でも明らかに半信半疑だった。

 ジェフの身体はすでにかすかに揺れていた。

 それにますます機嫌がいい。明らかにロングアイランドアイスティーが効いている。

 トムとジェフは同じコンパックから来ている。責任をかぶるとしたら自分になることはトムも十分に理解しているようだった。

 やれやれと肩を竦め、苦笑いを浮かべて僕たちを見る。

 どうやらもうこうなったら止まらないらしい。

 ジェフがロングアイランドアイスティーを飲み干し、僕たちがビールやワインと共にステーキの付け合わせまで食べ終わった頃、明らかにジェフは腰が立たなくなっていた。

 アメリカで泥酔するのはかなりの禁忌だ。

 正直、アメリカ人がここまで泥酔するのは初めて見た。

「ら、らいじょーぶ」

 呂律も怪しい。

 さて、会計となって、先のウェイトレスが会計書を持ってきた。

「スプリットにしよう」

 と全員でクレジットカードをそのトレイに投げ込む。

 そうすると割り勘にしてくれるのだ。

 ウェイトレスは一応カードの枚数をチェックすると、怪訝な表情をした。

「一枚、多いんだけど」

「あ、それはわしだ。マイルのカードも入れておいた」

「やあねえ、マイルはここではつかないわよ」

 ウェイトレスは慣れているのか色っぽくウィンクすると、マイルのカードをジェフに返した。

 そのままお尻を振りながら帰っていく。

「マ、マイルはつかんのか」

 呂律の回らないジェフが言う。

「いいからあんたは黙っててくれ。あんたの車は俺が運転する」

「あ、ああ、頼む」

 ウェイトレスが帰ってきたときにはジェフはサインもままならない状態だった。

 ペンを握らせ、無理やりサインさせる。

「こ、これでいいな」

 ジェフはトムに支えられるようにしながらふらふらと駐車場へと向かっていった。


 皆さんもくれぐれも殺人カクテルにはご注意を。

 あれは思ったよりも、はるかに効く。

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