日本の中の中国

 今まで主に海外のレストランの話を書いてきたが、ことアジア料理に関しては実は東京もかなりディープだ。特に中華料理に関しては、ひょっとしたら北京とかよりもはるかにディープなものを食べられるスポットが存在する。

 その場所とは新宿の歌舞伎町の核心部、案内してもらえないと絶対にいけない場所にある上海小吃(http://shanghai-xiaochi.com/)だ。

 このお店は中国人の玲子さん(本名は朱玲みたいなんだけど、玲子と名乗っている)が開いたお店だ。場所は旧コマ劇場の向かい、権利関係がえらいこっちゃになっていそうな裏路地。案内してもらえないとほぼ確実にたどり着けない。

 何しろ中国だかどこだかの裏路地という設定で映画撮影されたような場所なのだ。

 場所もディープだが、このお店の供する食べ物もめちゃくちゃディープだ。メニューは六百種類以上、知っていればメニューに載っていないものでも作ってくれる。


 その日は高校の同級生のお集まりだった。

 僕の提案で場所はここにした。ちょっと意地悪したかったので現地集合、見つからなかったら携帯電話で連絡。

 ここで美味しいのは現地風の黒酢酢豚とそれに蒸しパン、上海蟹。

 黒酢酢豚は骨つきのバラ肉を黒酢のソース(タンツー)で絡めたもの。

 真っ黒なんだけど、コクがあってとても美味しい。このソースをときおり蒸しパンで掬いながらバラ肉を食べる。

 このお店にはもう一つ特徴があって、その日自信がある品物は問答無用で出てきてしまう。

 ただ、その日は自信作がなかったらしくて最初に出てきたのはハマグリの中華風酒蒸しだった。

 でも、これも美味しい。

 十人以上集まった旧友たちはワイワイと中国ビールを飲みながら本格中華料理を貪り食っていた。

 このお店は少し、に傾いている。

 建築法度外視で拡張した結果、なんだか傾いてしまったらしい。

 なので、二階に上がるとそれだけで少しめまいがする。

「この店、傾いてないか?」

 歯科医のBが首をかしげる。

「傾いていると思う。ゴルフボールを置いたら絶対転がる」

 と僕。

「ま、いいか。それよりも上海蟹食べようぜ。ここ、安い」

 確かに安い。

 直送ルートを確保しているとかで、このお店の上海蟹はなぜか生きてて(生きている上海蟹は確か禁輸だったはずだ)、そしてとても安かった。

「俺、酔っ払い蟹が好きなんだよ。それにしよう」

 と僕が提案する。

「それがなんだかわからんが、それでいいよ」

 とみんなが唱和する。

「じゃあ、酔っ払い蟹、人数分だと多いから人数の半分の六杯ね」

「それじゃ足りないよ」

 ウェイトレスが反駁する。

「一人一匹、絶対食べる」

 命令か?

 言い争うのも面倒だったし、どうせ割り勘だったのでそれで妥協する。

「じゃあそれで」

 しばらくしてから届いた上海蟹はあえなく紹興酒のつけ汁の中で溺死し、しかも半分に太刀割られていた。

 切れ目から黄色い卵巣が見える。

「おほ、うまそうだな。これ、どうやって食べるの?」

 とB。

「そのまましゃぶりつくんだよ。中身は吸い出す。あとは噛んだりして身を出せばいい」

「おお、了解」

 早速Bがかぶりつく。

「おー、うまいな、これ。初めて食った」

「身が甘いだろう?」

「うん」

 すでにBは上の空だ。無心に上海蟹を噛んでいる。

 僕も早速蟹の半身を皿に取ると、中身を吸い出しはじめた。

 ところが、他の連中は少し気味悪そうにそれを見ているだけだ。

「なんだよ、食わないのかよ」

 とBが他の連中をけしかける。

「生の蟹はなあ」

 とT。

「なんだよ、もったいねえ。じゃあ、お前のぶんは俺が食う」

 少々ジャイアン気質があるBはさっさと三つ目の上海蟹を取ってしまった。

 確かに、考えてみれば気味が悪い。寄生虫もいるかもしれないし、そもそもなんで日本で生の上海蟹を食えるのかと考えると色々と悪い考えが脳内を駆け巡る。

 だが、そんなのはどうでもいい。

 それほどまでにシーズンの上海蟹はうまかった。


 その後名物の黒酢酢豚を頼み、辛い四川風鳥の唐揚げを食べた頃には宴もたけなわになっていた。

 みんなで大いに飲み、大いに語り、写真を撮りまくる。

 高校以来だから、会うのは三十年ぶりくらいの友達もいる。

 三十年ぶりなのに、昨日別れたみたいにすぐに打ち解けあえるところが高校の同級生のいいところだ。

 僕は一応幹事ということもあって、みんなの様子を見ながら次々に料理とビール、それに紹興酒を注文した。

 ついでにメニューも徐々にディープな方向にシフトさせる。

 空芯菜の炒め物で誤魔化した後、僕は豚の脳の炒め物(一度食べてみたかった)を注文した。

 届いた料理はまるでおぼろ豆腐の炒め物のようだ。半球をさらに半分に割ったものが炒められ、茶色いソースの中に浮いている。

「これ、何?」

 目敏いKが僕に尋ねる。

「豚の脳みその炒め物」

 僕は正直に申告した。

「ブレンズかあ、脳はちょっとなあ」

 ここに集まったうち、何人かは歯科医、何人かは医者をやっている。

 脳なんて見慣れているだろうに、誰も箸を伸ばそうとはしなかった。

 ジャイアンなBですら、これには見向きもせずに他の料理を食べている。

 仕方なく、僕は一人で豚の脳を片付けにかかった。

 スプーンですくい、食べてみる。

 本当に豆腐のようだ。生臭さはまるでない。

 豚の脳は誇張でなくコクがあって本当に美味しかった。

「美味しいよ、これ」

 一応もう一度勧めてみる。

 だが、結局豚の脳を食べたのは僕だけだった。

 

 いい加減全員が泥酔した十時すぎに宴会はお開きになった。

 残ったのは上海蟹だけ。

 三杯ほど残っている。

「お前ら食わないのかよ」

 Bが上海蟹を指してみんなに言った。

「いや、俺たちはいい」

 他の連中がみんな首を振る。

 こういう時はジャイアンに任せるに限る。

「あんだよ、じゃあ、俺が貰っていくからな」

 Bは店に頼んで残った上海蟹を包んでもらうと意気揚々と歌舞伎町を後にした。


+ + +


 ところでこのお店ではもっとはるかにディープな食べ物を食べることもできる。

 例えば……

 蚕のさなぎの炒め物

 鳩の姿焼き

 サソリちゃんの素揚げ

 蜂の子の素揚げ

 カエルちゃんの料理各種

 蛇の唐揚げ

 ……などなど。


 興味がある向きには一度行ってみて欲しい。

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