アメリカのデザートは命がけ

 アメリカの飯はでかい。

 まるでテキサス州のようにでかい。

 これはまったく誇張ではなく、本当にバカでかいのだ。

 例えばステーキ。日本のステーキは大体大きくても三百グラム、一ポンド(約四百六十グラム)だと超大型になると思うのだが、アメリカでは一ポンドだったらまだ普通だ。骨付き肉のポーターハウスステーキ(いわゆるTボーンステーキ)ともなれば、平気で一ポンドを超えてくる。

 野菜も同様で、サラダ一人前が日本ではパーティサイズだ。マッシュポテトを頼めばまるでデビルズ・タワーのような小高いイモの山がやってくる。

 アメリカの寿司ロールに細巻きはない。得体の知れないピカチューロールやらドラゴンロールやらという名前の謎変形太巻きが日本の細巻きの体で現れる。

 韓国料理にしても同様で、日本の一人前の感覚で焼き肉を頼んでしまうと大変なことになる。アメリカのカルビ一人前はあばら骨6本、日本だったら優に3人前はある。

 しかもこれに前菜がつくのだ。韓国料理では付け合わせで五種類から多い店では十種類以上もの小皿料理が無料で添えられる。それだけでも食事が出来てしまうほどだ。

 さらに最悪なことに、この皿が空になっているのは店の恥とかで椀子そばの要領で減ったそばからキムチや豆もやしが継ぎ足される。

 白米は当然おひつで提供、しかもこれも食べ放題だ。

 どだい、これでは太るなというのが無理というものだ。

 モッタイナイは死の呪文、これが僕がアメリカに来て最初に思った感想だ。

 もったいないと思ってきれいに片づけていると早晩カロリー過多で早死にする。

 そもそも、人類の胃の容量には限界がある。アメリカの一人前は明らかに日本人の一人前の倍はあった。

 ところでこれには理由があって、今のこの状況はアメリカが訴訟大国であることと密接な関係がある。近所の老人に聞いた限りでは昔はこんなむちゃくちゃではなかったと言うのだ。

 おなか一杯にしたいと思って来たのに、ちゃんとお金を支払ってもおなか一杯にならなかったと店に文句を言う相撲取りのようなデブ(失礼)が増えたのがどうやら最大の理由らしい。

 そういう事件を恐れる店が、『これならどーだーッ』とばかりに大食い選手権を繰り広げた結果が今の状況だと言われている。

 それはともかく……


+ + +


 僕が駐在員をしていた事務所のそばに、若干ひなびたステーキハウスがあった。名前は忘れてしまったが、地域では貴重なステーキハウスで、しかも深夜二時まで営業していたので結構流行っていた。

 当然売りはステーキとデザートだ。

 死ぬほど喰って、そこからさらに甘いもので口直しをする。

 それがアメリカ人の流儀らしい。

 僕の会社の駐在員たちは『地域になじんで、地域の空気を理解するように』と耳にタコができるほど赴任元から言い聞かされていた。

 従って、食生活もアメリカ風にならないといけない。

 勢い、島流された駐在員一同も全員猛烈な勢いで体重を増やし続けていたが(実測で約二キロ/年。駐在期間の5年を満了した先輩たちは軒並み丸くなって、十キロほど重くなっていた)、その原因の一つがこのステーキハウスだった。

 駐在員といえども勤務体系は日本と大して変わらない。時差の関係で夕方から活発に日本と連絡を取り合う必要もあり、僕らの夕食は常に遅い。

 二十四時間営業のマクドナルドでお茶を濁すことも出来たが、それはさすがに健康に不安がある。それならば比較的遅くまでやっているステーキハウスで軽く夕食でも、というのが週に一回か二回は繰り返されていた。

 このステーキハウスが体重増加の原因であることは日の目を見るよりも明らかだ。だが、ほかにこれといった選択肢はなかった。

 勢い、新任駐在員や出張者もそこでもてなすのが通例となっていた。彼らは自分の交通手段(要するに車)を持っていないことが多かったため、生活リズムは駐在員のそれに縛られる。

 ビジター、あるいはニュービーがいる時、夕食は一緒に取るのが不文律、いわばルールだ。

 いや、あるいはこれは腹いせだったのかも知れない。

 何も知らないくせに東京からアレコレ言いやがって、これでも喰らえッ、という訳だ。

「えー、なにこれ?」

 東京から初めて来たS部長は運ばれてきたポーターハウスステーキを見て悲鳴を上げた。

 ステーキの前に彼は前菜と称してアーティチョークとカラマリ・フリット(イカのリングフライ)を結構な量平らげていた。

 ペース配分が判らなかったのだろう。

 レストランで食べる日本の夕食は平均して四十五分程度だが、アメリカでの夕食は優に一時間三十分を超える。従って、日本のペースで食べてしまうと、おなか一杯になった頃にメインディッシュが現れる。

 僕らの勧めで彼がオーダーしたポーターハウスステーキは、A4判の書類を超えるくらいの面積があった。

 厚みは一インチ(2.5センチ)だからアメリカとしては比較的薄い。

 それでも全体量はおそらく一キロを超えていた。

 骨の分を差し引いても相当な量だ。

 そのうえ、巨大なステーキの横にはラグビーボールのようなベイクド・ポテトが添えられている。

『##>&^^@*#+?』

 にこやかに若いウェイトレスがS部長に尋ねる。

「な、なんて言ってるの?」

「ベイクドポテトには何を乗せますかって言ってます」

「何をって言われてもなあ……」

「面倒だったら全部って言っちゃえばいいんですよ」

「そ、そっか。え、エブリシングッ」

『Yes, that's the way!!(訳:正解! それが正解よッ!!)』

 ミニスカートの若いウェイトレスはにっこりと笑うと、ステーキを持ってきたトロリーに備え付けられたベイクド・ポテト用の付け合わせをS部長のジャガイモに振りかけ始めた。

 最初にバター、その上に小葱の刻んだもの、ベーコンビッツ、さらにサワークリーム。

「うわ、なんてことを……」

 クリームをべちゃべちゃベイクド・ポテトの上に投げ落とすように振りかけるウェイトレスを見ながらS部長が悲鳴を上げる。

 だが、ウェイトレスはそれをうれしい悲鳴と捉えたようだ。我が意を得たりとばかり、さらにサワークリームを特盛にする。

 最後にネギとベーコンビッツをもう一度ふりかけ、ウェイトレスは『Enjoy‼』と笑うとコロコロとトロリーを押しながら去っていった。

「エンジョイって、もう入らないよ……」

「S部長、夜はこ・れ・か・ら」

 ひときわ底意地の悪いMがS部長ににたりと笑う。

「君たち、いつもこんなの食べてるの?」

「まあ、義務ですからねえ。地元に馴染もうとおもったらこれが一番早いです。馴染みのレストランかスーパーマーケットを作るのが地元の空気感を知る早道ですから」

「……なるほどねえ」

「残すとモッタイナイから頑張りましょう。明後日には平気になってますよ」

とT。

 まったく、相撲部屋かいな。

 さすがの僕でもこれだけの量は食べない。ステーキは二百四十グラムに絞るようにしたし、付け合わせにベイクド・ポテトを選ぶのは自殺だと早々に気が付いた。僕の付け合わせはフライド・ポテトだ。これならおなかに貯まらないし、残しても心が痛まない。

「Sさん、明日はどうするんです?」

 今日は金曜日。土日に駐在員が出張者を接待する義務はないのだが、一応チェックしておく必要がある。

 一度デンバーで違う部長が行方不明になって大騒ぎになったことがあるのだ。

 その時は馴染みの駐在員と日系のカラオケ・バーで飲んだくれていたのだが、以来出張者の所在確認と追跡は駐在員の義務となっていた。

「ああ、明日はヨセミテに行ってくるよ。車もホテルにお願いして手配したから、一人で大丈夫」

 こう見えて、S部長は国内A級ライセンスを持っているレーサーだ。現に彼のトランクには日本国内で開催されたレースのステッカーがベタベタと張り付けられている。

 車に関して言えば、僕らよりもS部長の方がはるかに上だ。ついていったらむしろ邪魔になりかねない。

 国内A級ライセンスを持っている人の運転する車の助手席に座っていたら、最悪座りゲロすら想定された。

「何時ごろ出るつもりなんです?」

「五時くらいかなあ。日帰りのつもりだから」

 日帰り? ヨセミテはここから走っても七時間はかかる。日帰りのバスツアーもあるにはあったが、バスのドライバーはどれも三人態勢だ。これを一人で片づけようというのか?

「一四時間、走りッぱですよ?」

「どうってことはないよ、四十八時間くらいは問題ない」

 もぐもぐとステーキを噛み下しながらS部長が答える。

 思ったよりもS部長は超人らしい。

「じゃあ、もっと燃料入れないと」

 明らかにサドッ気のあるMがにやりと笑う。

 見てみれば、S部長の皿はほとんど空になっていた。

 満腹状態からあの量の肉とイモを片づけたのか?

 僕は初めて、S部長に尊敬の念を覚えた。

 これは、偉業だ。

 これだけ喰った出張者を僕はまだ誰も知らない。

 しかも今は午後十一時。六時間後には出発してヨセミテを目指すと云う。

「S部長、これならいつでも駐在できますよ」

 僕は部長に尊敬の念を込めて声をかけた。

「いやー、それは君らに任せるよ。英語がダメだからさ、やっぱり辛いよ」

 ゲップを漏らし、口元を白いナプキンでぬぐいながらS部長が弱弱しく笑う。

「じゃあ、最後にデザート行きますか」

 やめろ、M。それはさすがにひど過ぎる。

 のど元まで出かかったが、その言葉を僕は飲み込んだ。

 これは、儀式なのだ。

 儀式である以上、それは最後まで執り行われなければならない。

『Can we ask for "Death by Chocolate?"』

 早くもMが先のウェイトレスと話している。

「Oh, sure!! you guys are real brave!!」

 ウェイトレスがにっこりと笑い、軽やかなステップでキッチンへと向かう。

 デス・バイ・チョコレート。直訳すればチョコレート中毒死だ。

 やがてトロリーに乗せられて運ばれてきたものは、デビルズ・タワーを遥かに超える、正に死のタワーだった。

 ぱちぱちと燃える花火が散るバケツのようなグラスに盛られたチョコレートアイスクリームは計十二個。そこにチョコレートソースがごってりと盛られ、とどめに生クリームがトグロを巻いている。

 アクセントに添えられたチョコレートはフルサイズのハーシーのチョコレートだ。日本のチョコレートとはサイズが違う。手のひら二枚分もあるチョコレートが刺さったチョコレートパフェはもはや凶器と言って良かった。

「これ、食べるの?」

 怯んだように、S部長が声を漏らす。

「僕らも手伝いますよ、片づけちゃいましょう」

 Mはにこやかに笑うとチョコレートパフェを手際よく各々にとりわけ始めた。

 当然、自分の分は少なく、S部長の分は多くして。

 さらに三十分かけて、ようやくアイスクリームの山は謎の液体の残渣となった。

「アメリカに暮らすってのは、大変だねえ」

 まっすぐ立つことすらおぼつかないS部長は、両足を投げ出して吐き出すように言った。

「そうですよ。だから駐在員は大切にして下さいよ、俺ら冗談抜きで身体張ってるんですから」

 苦しそうにしているS部長にTが言う。

「そ、そうだね。駐在員は大変だって報告、上げておく」

 苦しい息の中で、それでもS部長は報告の内容を確約してくれた。

 なんだかズレている気はしたけど。


+ + + 


 ちなみにS部長は翌朝、予定通り五時に出発して日帰りでヨセミテを観光した。

 翌週、S部長が滞在している間に、彼の胃袋はどうやら僕らの胃袋よりも大きくなったようだった。韓国レストランで開いたS部長の送別パーティでは、僕らが食べた量よりもS部長が食べた量の方が遥かに多かった。

 S部長が日本で空腹感を抱えていないか、それが心配だ。

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