ナパの思い出
ナパ、である。
ナッパではない。
ナパはサンフランシスコの北に広がる広大な谷である。ワインの生産で世界的に有名で、ナパのワインはカリフォルニアワインの通称で日本でもたくさん売っている。
ナパ
そしてここはグルメ拠点としても有名だ。有名なレストランや小さなホテル(もちろんワインとご飯目的のためのお宿だ)が軒を連ね、それぞれの店がキラーメニューを競っている。
その頃、僕はアメリカに駐在していた。
そこに今はもう亡くなった父が一人で遊びに来るという。英語もおぼつかないし、正直アメリカ人と勝負できるのはゴルフの腕だけだったと思うのだが、ともあれ僕は久しぶりの父を歓待した。
父は酒好きで、そしてついでに美味しいつまみも好きだった。
ビールは好き、ワインも嗜む、ウィスキーやブランデーも飲む。無論焼酎も飲むし、日本酒も好きだ。
代わりに食べ物は摘む程度。チーズのかけらや小さなステーキ、ソーセージなどを旨そうに酒の摘みがわりに食べていた、気がする。
そのころの駐在員仲間のOさんはこれまた同じくグルメで酒飲み、ついでに奥さんはプロ級に料理が上手い(余談だが、Oさん一家は帰国後またすぐにドイツ駐在で飛んで行った。おかげで奥さんはアメリカとドイツでの修行を生かして今は本当にプロになってしまっている)。
二人とも超人的に酒が強いため、すぐに父とは仲良くなった。何度か一緒に出かけたし、家にも来たり誘ってもらったりした。
さて、そんなことをしていても毎日酒を食らってグダグダしてたら勿体無い。
そういう訳で僕は週末を使って父をナパに誘ってみた。
「ワイン生産で有名な場所だよ。運転は俺がするから親父は飲んでていい。景色がいいところだよ」
「おう、それは助かるな」
そんな訳で車の後ろに娘と奥さん、親父は助手席に乗せて土曜日は朝からナパに向かった。
僕たちの住んでいたサンノゼからナパまでは概ね100キロ。でもアメリカの高速道路を飛ばし放題なので100キロなんてあっという間だ。
「T(僕の本名)、そんなに飛ばさなくてもいい、ぞ?」
僕は免許をアメリカで取得した。だから運転している姿を父はみたことがない。
どうやらアテにならないと思っているらしく、父は助手席(ちなみにアメリカだから右側だ)から少し怯えたように言う。
まあ、そりゃそうだろう。父は運転も上手かったが、異国の地でしかも日本では運転席側になる席にハンドルなしで縛り付けられているのだ。
怖くないほうがどうかしている。
「大丈夫、左ハンドルは俺の方が慣れてる」
「そりゃT、お前右ハンドル乗ったことないじゃないか」
「まあ、ね」
ともあれ僕は車をぶっ飛ばし、一気にナパバレーまで北上した。
ナパについたところで速度を落とし、畑道をゆっくり流す。
葡萄の葉っぱが色づき始めて、ナパの景色は鮮やかだった。ストライプ状に重なる緑、赤、黄色い葉っぱの列、それにカルフォルニアの青い空。
巨大なトラクターの赤までもが空に映えて、ナパの秋は美しい。
すぐに父も僕が車を運転する恐怖は忘れたらしく、一緒になって景色を楽しむ。
「いいところだ。ゴルフをしたら、楽しそうだな」
「ゴルフ場もあるはずだよ。今度行こう」
僕はゴルフはしないけど、通訳兼キャディをしてればいいだろう。
「そうだな、楽しそうだ」
「ともかくどっかのワイナリーに入ろう。試飲ができるからいくらでも飲めるよ」
「タダなのか? それはいいな」
「いや、高級品は有料」
「なんだ、そうなのか」
つまらなそうに父が言う。
「ま、2、3杯なら俺がご馳走するよ。一杯せいぜい千円だから痛くない」
「じゃあ、ご馳走になるかな」
よほど息子に奢られると言うシチュエーションが嬉しかったのだろう。
あの時の父の顔は忘れられない。
お昼を挟んでワイナリーを何軒か周り、そろそろ帰り道と思った時、僕はディスティラリーと書かれた看板を見つけた。
(ディスティラリー? ナパで蒸留所?)
そこはなんとナパで専用の葡萄酒を作ってそれをブランデーに蒸留すると言う、ただその一点の目的のためだけに作られた特別な蒸留所だった。
レミーマルタン・シグニチャー
RMSと言う名前のその蒸溜所はナパではもはや伝説級のトップブランドだ。
レミーマルタンがアメリカの実力を見せてみろと出資したその蒸溜所は伝統的なアルマニャックの製法にこだわり、なんと四百年以上前の製法を踏襲していると言う。
製法も四百年前、樽も四百年前と同じ作り、そして蒸留機まで四百年前と全く同じ。
そんなバカなことをする会社は日本にはないし、おそらくフランスにもないだろう。
ところが、そんなおバカがアメリカにはいたのだ。
ブランデーというものは蒸留直後は度数が六十%を超えている。
これを樽に詰めてまあ十年かそこらも寝かせておけばアルコールが蒸発して度数は四十五%くらいになる。
普通はこれを水で薄めて度数を四十%に揃えて出荷するのだが……
RMSはなんと待つのだ。
予定期間をすぎた樽の度数を計り、四十%を超えていたら倉庫に逆戻り。
とにかく四十%になるまで待つ。延々と待つ。
しかもその間倉庫にはキリスト教の詠唱を特製スピーカーで垂れ流しにし、中世の聖堂(昔、蒸留酒は薬として教会で作られていた)と同じ環境を完成させたと案内役の女性が胸を張る。
僕がその説明を父に通訳するのを待ってから、
「でも最初は大変だったのよ」
と僕に向かってウィンクした。
「なんで?」
「最初の十年は売るものが何にもないもの。倉庫で熟成中だから」
そうか、ニッカと同じストーリーだ。
「仕方がないからその間はジュース売ってたの」
そこまで同じだったか。
一渡り見学して、お約束のギフトショップに立ち寄った時、父はつくづく感心して言ったものだ。
「アメリカ人は、バカだなあ。馬鹿正直にも加減がある」
「まあ、そうだね。アメリカ人は真面目だよ」
「ともあれ、飲んでみるか。二本買おう。一本は置いていく」
その酒は再訪するためのものだったのか、それともお土産だったのか。それは今でもわからない。
とにかく僕はすぐに飲んでしまった。
+ + +
父の遺影はその時ナパで撮った写真を再利用したものだ。
今でも仏壇で笑っている。
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