北京の乙女とカラオケと焼き肉
註:以下は二〇〇五年当時の北京の話だ。習政権下で状況はたいぶん変わっている可能性がある。そこだけは留意して頂きたい。
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北京は基本的に男の街だ。
それはどういう意味だと深く追求されても困るのだが、まあそういう街だ。
例えばカラオケ。中国にはKTVと呼ばれるカラオケボックスが沢山ある。ここはカラオケとは言うものの、実質はキャバクラだ。店に入ると目の間に綺麗どころがズラリと二十人から五十人くらい現れ、好きな娘を選んでくれと黒服の支配人に求められる。テイクアウトも可能らしいのだが、それについては僕は良く知らない。黒のバッジは持ち帰り不能、金のバッジは持ち帰り可能なのだが、それについては深く追求しないで頂きたい。
彼女らは躾の行き届いたホステスだ。カラオケを楽しんでいる間は飲み物を作ってくれたり、フルーツを食べさせてくれたりと実に甲斐甲斐しいし、デュエットやらなにやら、とにかく客を楽しませることに尽力する。言葉も見事なもので、英語や日本語を流暢に話す。
だが、同時に彼女たちは僕らの監視係でもある。トイレに立とうが携帯電話で話をするために廊下に出ようが、とにかく常についてくる。食い逃げされないように監視しているのだ。一度は男子トイレの中にまでついてきそうになって閉口した。ロングドレスの女性に後ろに立たれたり、手伝いされたらとても困る。
「はい、あーん」
隣の誰だかちゃん(名前は忘れた)がフォークに刺したメロンを差し出す。
歌を歌っていないとき、彼女たちは積極的に媚びを売り、これでもかと身を摺り寄せる。おそらくそういう指示がでているのだろう。悲しくなるくらい甲斐甲斐しいが、とにかく鬱陶しい。
彼女は黒服が連れてきた二十数人のうちの一人だ。バッジの色も忘れたが、日本語と英語を話せる人って挙手させたら彼女だけが残った。
顔だちすら覚えていないのだから僕も薄情なものだ。携帯電話の番号をせがまれたが、頑として教えなかった。かわりに番号を貰ったけど、速攻捨てた。
ただ、スタイルと胸元の露出だけは妙に良かった気がする。
中身が本物かどうかはともかく、北京の酒は安い。
僕たちはジョニーウォーカーのブルーラベルをボトルで買ったのだが、これがなんと日本円に換算して1万円ちょいだった。これだと下手をすると、いや、確実に日本の酒屋で買うよりも安い。
かの国の事だからキャップが開いていなくても中身が本物かどうかは極めて怪しいのだが、とりあえず酔えて、死ななくて、かつ翌日に残らなければなんでもいい。
中国の白酒は何しろ度数が五十%を超えている。かといってビールでは物足りない。コピーかどうかは置いておいても、高級そうなウィスキーはこの場にうってつけだった。
僕たちは一人に一人ずつ、首からぶら下がらんばかりにべったりと張り付いた監視役兼ホステスの作る水割りを飲みながら、日本の歌を次々と歌って憂さを晴らした。
帰り際、着いてきたそうにしているホステスの気持ちを汲めなかった僕は、彼女をその場に残してKTVを後にした。
+ + +
さて、KTVと同じなのかどうかは甚だ不明だが、焼肉店においても一つのテーブルにつき一人、調理専門の女性が同席する。たいがいは若い女性で、メイクもばっちり決まっている。
「へえ、日本の焼肉屋さんと同じなんだね」
KTVを後にしたのち、なんでそうなったのか少し食べたいねという事になり、僕は北欧系携帯電話メーカーの同僚三人と隣の焼き肉店を訪れていた。
北京の街は眠らない。
少なくとも深夜帯は必ず開店している。北京の夏は暑いので、日中は商売にならないのだろう。
床屋さんですら基本二十四時間営業だ。深夜は店員が調髪用の椅子を倒して爆睡しているが、客が訪れればすぐに誰かが起きる。夜中の三時過ぎに路上でバーベキューをしている事も日常の光景だ。
客が起きている限り、そこには商売がある。
これに関しては六本木よりもはるかにすごい。
僕たち四人は席に通されると、思わず周囲を見回した。
ウッディな内装は日本のお店と遜色ない。いや、ひょっとしたら日本よりもお洒落かも知れない。テーブルには丸いグリルが埋め込まれている。下から空気を吸うタイプのようで、天井に無粋な換気扇はない。
今の時間は深夜の一時。普通だったら寝ている時間だ。
メニューはちゃんと日本語版が用意されていた。カルビ、ハラミ、タン塩、コプチャン、シマチョウ、ハツにレバー。馴染みのある言葉が並んでいる。
僕たちのテーブルについた調理係のお姉さんは、あまり美人とは言えなかったが、なんとなく愛嬌のある顔立ちをしていた。日本のバラエティ番組で泥水をかぶったり、無駄に肌色率の高い温泉番組で露天風呂に入っていそうな雰囲気の女の子だ。
「まあとりあえずはカルビと、ハラミ、それにロースだわな。これをそれぞれ四人前。ホルモンはシマチョウとコプチャン二人前にしようか。あとはなにかなー」
北京に慣れているプロトエンジニアのYがひょいひょいとメニューを指差していく。
調理係のお姉さんはついでにウェイトレスでもあった。日本風の縦長の伝票に僕たちが指さしたメニューをさらさらと書き付けていく。
「★◎♪#」
ただし、なにを言っているのかはまったく判らなかった。試しに日本語で話しかけてみたがニコニコするだけ。英語で話しかけてもみたが、困った顔をして両人差し指で×を作るだけだった。
どうやら北京では北京語ができないと話にならないようだ。
「□○♪♪@#」
「飲み物はどうするかって」
「すごいなYちゃん、中国語判るんだ」
「いや、雰囲気で」
彼女はメニューを開くと飲み物のページを開いて見せた。
「ビールでいいよね? ピジュ、スー」
Yが指を四本立てる。
夏の北京においてビールは最重要単語なので、これだけは僕たち全員が中国語で言えるようになっていた。
他に僕らが知っている中国語と言えば、「シャオティエ(ウェイトレスさん)」「ヨー・メイヨー・×××(×××はありますか?)」「プーヤオ(いらない)」「ハオ(はい)」あとは数詞が一から九まで(これに関しては麻雀を知ってて本当に良かったと何度も思った)といったところ。少々心もとないが、一応これだけ知っていればなんとかなる。
「カンパイ」
しかし、日本人はなんで毎回カンパイしてしまうのだろう。
いいかげんウィスキーを飲んだところにとどめのビールだ。
酔っぱらってだべりながら一口、二口飲んでいるところで最初の皿が運ばれてきた。
椎茸だ。それも十二個。
「椎茸なんて頼んだっけか?」
「いやー、覚えがないなあ」
「お姉さん、僕たちこれ頼んでないよ。プーヤオ」
僕らの中では中国語の一番の権威であるYが調理係のお姉さんに言う。
だが、彼女は委細構わず笑いながら椎茸を金網の上に並べてしまった。
「まあ、いいか。椎茸美味しいしな」
メカ担当のKが肩を竦める。
やがて、網の上の椎茸からおいしそうなにおいが漂い始めた。
「そろそろ、いけるかな」
とKが箸を延ばす。
だがそれを見咎めると、トングを右手につかんだウェイトレスは反対の手でKの手をパシッと叩いた。
「あた、何すんの?」
びっくりしてKがウェイトレスを見上げる。
「##&( `ー´)ノ$%!」
「な、なんだって?」
KがYに聞く。
「まだ、時期尚早だって。中に水が溜まるまで待てって言ってます」
中国語で説明を聞いたYが説明する。
「水が溜まる? どういうこと?」
全員の頭の上に?マークが並んだそのとき……
「あ、本当だ、水が出てきた」
Sが網の上を指さした。
確かに、シイタケの中に水が溜まり始めている。
こんなシイタケの焼き方は初めて見た。
やがて頃合いとみたのか、ウェイトレスの女性は指でOKマークを作って見せた。
アツアツのシイタケをタレにつけて食べる。
溜まったシイタケのスープは味が濃厚で、これは確かに絶品だった。
「これは、うまいっすね。頼んでないけど」
Kが唸る。
「突き出しなのかも」
「なるほど」
次に出てきたのはカルビとハラミ、それにロース。
ウェイトレスが左手を後ろに回した独特の恰好で、右手だけで器用に肉をひっくり返していく。どうやら両手が出ているのはよろしくないらしい。
「@@#(^◇^)%+」
「食べられるみたいですよ」
もはやYは単なる通訳だ。
カルビは骨付きではなかったが味が濃厚でうまかった。ロースも上手に焼けている。焼けすぎず、かといって火が通っていない訳ではない。
僕らが自分で焼いたらこうはいかないだろう。酔っぱらっているのでどんな大惨事になるか想像もつかない。
その次はコプチャン(小腸)だ。
それは、僕が今まで見たことのない物体だった。
ツボからずるずるっと出てきたのは長いままの小腸、どうやら裏返してよく洗ったのちに一度ボイルしてあるようだ。
彼女はこれを渦巻き状に網の上に乗せると、真剣な表情で肉の焼け具合を監視し始めた。
どうやらこれは焼くのが難しいようだ。
「これ、食べたことある?」
僕は三人に尋ねた。
「いや、初めてですね。ホルモンって普通は開いてあるじゃないですか」
「僕は何回か食べたことがあります。おいしいですよ」
とY。
「とりあえず、彼女のいう事を聞いていれば間違いなさそうです」
「そうか……そうだな」
何度か慎重に渦巻きをひっくりかえしているうちに、それまで緩い感じだった渦巻きの表面に張りが出てきた。どうやら肉が締まって、中の脂ではちきれんばかりになっているようだ。
頃合いよしと見たのか、彼女はエプロンのポケットからハサミを取り出すと、はちきれそうになっている渦巻きにハサミを入れた。
中から脂が溢れ出す。
すぐに網の上は炎上状態になった。
「わあっ」
四人で仰け反り、炎上した網から退避する。
だが彼女は慣れたもので、炎上するのも構わずハサミを入れ続ける。
やがて、八個に切断された小腸を炎の中から拾い上げ、トングで全員に配分する。一人二個ずつ。
熱々の脂の詰まった小腸は今まで食べたことがないほど美味しかった。
「こりゃあ、うまいなあ」
あっという間に肉を片付け、ビールのお代わりをもらい、デザートにシャーベットを食べる。
食べ終わった時、時計は三時に迫ろうとしていた。
「じゃあ、帰るか。飯は会社につけよう。誰が立て替える?」
「あ、じゃあ俺払っておきます」
とT。
「予算もらってるから大丈夫っす」
「じゃあ、よろしく。Y君、お会計ってお願いして?」
「ほーい」
+ + +
コーポレートカードで支払いを済ませ、さあホテルに帰ろうとした時、僕らはYの姿が見当たらないことに気づいた。
「あれ? Yはどこいった?」
酔いが回ってぼんやり霞んだ目でYを探す。
と、その時……
「すんませーん」
とYの声が背後から聞こえてきた。
振り返ってみるとYは変なヘルメットをかぶってスクーターの後ろに座っている。
前に乗っているのはさっきのウェイトレスだ。満面の笑みを浮かべている。
今日は豊漁だったという表情だ。
「俺、彼女の家に呼ばれちゃったんでこれから行ってきますね。明日、会社で。十一時くらいでいいっすよね。今日遅かったから」
「……あ、ああ、いいよ。先に行ってる」
さすがに度肝を抜かれて絶句する。
「じゃ、お先にー」
Yはウェイトレスの運転する電動スクーターでさっさと運ばれて行ってしまった。
「……行っちゃった」
Tがぽつっと呟く。
ことほど左様に、北京は男の街なのだ。
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