ピザを食べるならアメリカで

 アメリカといえばピザである。

 そして、ピザといえばアメリカである。

 異論は認めない。


 もちろん、イタリアにもピザはある。しかし、アメリカのピザはもはやアメリカン・ピザと言っていいくらい独自の進化を遂げているのだ。

 幸か不幸か、日本のデリバリー・ピザはアメリカのピザの影響を強く受けているので、アメリカでピザを食べるとどこか懐かしい気持ちになる。

 分厚いパンのような生地、これでもかと盛られた具にタバスコソース。

 どれもイタリアにはないものだ。


 ちなみにイタリアのピザとアメリカのピザの最大の違いは具の量にあると思う。

 イタリアのピザは上品だ。それに純粋性が高い。

 例えばクワトロ・フォルマッジ(四種類のチーズと言う意味)なら具は本当にチーズしか載っていない。マルゲリータもそう。

 シンプル・イズ・ベスト。

 それがイタリアのピザだ。


 これに対してアメリカのピザはとにかく暴力的だ。大概はとてつもなくでかいピザをスライスにして売ってくれる。関東某所のネズミーランドでピザとは思えないお値段で売られているあれ、あれがアメリカの標準的なピザだと言っていい。大概はトマトソースがベースでその上に山のように溶けるチーズが振り掛けられ、さらにその上にマッシュルームや炒めた玉ねぎ、サラミやオリーブがちりばめられている。


 中でも一番強烈なのがシカゴスタイル、いわゆるダブル・デッカーだ。

 これは下のクラストがパイのようになっており、そこにどーだーっと言わんばかりにトマトソースベースの具が詰まっている。そこにピザ生地で蓋をしてもう一度チーズやら何やらがドカドカ乗せられているのだ。

 したがって、ボリュームは普通のピザとは比較にならない。

 一人前を頼むと直径十二センチくらいの小さなパイのようなものが出てくるのだが、これですら片付けるのは一苦労だ。

 ブルーチーズ風味のダブルデッカーなどを頼んだ日には、その後一週間くらいはチーズを見るのも嫌になる。


 それでもたまに食べたくなるのがピザの魔力だ。

 その日、僕は強烈にピザが食べたかった。

 その時一緒に働いていたクリスはおじいさんがイタリア移民だったとかで、イタリアン・アメリカンを自認していた。

 お昼になったので、クリスをピザに誘ってみる。

「なあクリス、本格派のピザ屋に連れて行ってくれよ。お前、イタリアンなんだろ?」

 と水を向けてみる。

「おお、任せろ」

 クリスは鳥の巣みたいな変な頭をした、僕よりも何歳か年下のエンジニアだ。

 髪型の雰囲気はりゅうちぇるに似ているが、彼は別にオカマキャラではない。

「それだったら、僕の行きつけのピザ屋に行こう。本格的なイタリアンピザを食べさせてあげるよ」

 頼もしい。

 そういうわけで、僕はクリスのポンコツサーブ(どうでもいい話だが、なんでアメリカ人の車はみんなボコボコなんだろう。『車なんて靴と一緒じゃん。スニーカーなんて洗わないだろ?』ってクリスは笑っていたが、それにしてもクリスの車のポンコツぶりは常軌を逸していた)に乗ってサラトガストリートに出発した。


+ + +


 クリスが連れて行ってくれた店は道路に面したところがテラスになっている古い感じのお店だった。雰囲気だけは確かにイタリアだ。

「ここのピザ、美味しいんだよ。シリコンバレーだったらイチオシだ」

 自分の店でもないのにクリスが胸を張る。

 これは期待できる。

 席に案内され、僕は分厚いメニューブックを開いた。

 とりあえず二人ともアイスティーを頼み、テラス席で後の作戦を相談する。

「二人だからね、一枚ずつ頼んでシェアしたらどうだろう?」

 と僕は提案した。

「ああ、いいね。そうしよう」

 指で辿りながらメニューを読んでいく。

 プレーン、マルゲリータ、マリナラ、クワトロ・フォルマッジ……

 確かにメニューを見る限りは本格的なイタリアンの店のようだ。

 パスタ類も充実している。

 パスタが本格派なんだったら大丈夫だろう。

 一応念のために周囲を観察してみたが、ちゃんとみんなパスタをフォークに巻いて食べていた。間違ってもナイフとフォークでスパゲッティを切り刻んでるバカはいない。

 これなら安心だ。

「なあ、クリス、ところでマリナラって、なんだ?」

 イタリアンを自認するクリスなら知っているだろう。

 僕は長年の疑問をクリスにぶつけてみた。

「うーん」

 と、クリスが考え込む。

「いい質問だね。ウェイトレスさん、マリナラってどんなソース?」


 待てや、クリス。

 お前、イタリアンなんだろう? なんでアメリカ人のウェイトレスに訊く?


 クリスはしばらく早口でウェイトレスと話をしていたが、やがて、

「トマトソースにニンニクが入ってるとマリナラになるらしいよ」

 と教えてくれた。

(ちなみに後から調べたところによると、マリナラソースのマリナラとは船乗りのことで、ナポリでよく食べられていたからその名前がついたらしい。ガーリックとオレガノが入っているトマトソースというのが定義になるようだ)。


 しかし、俄然不安になってきた。

 どこがイタリアンなんだ、お前?


「じゃあ僕はそのマリナラピザにするよ。クリス、君は?」

 クリスは難しい顔をしてメニューとにらめっこをしている。

 しばらくすると諦めたのか、クリスはまたウェイトレスを呼んだ。

「今日のオススメピザって何? 友達はマリナラ食べるって言ってるんだけど、シェアするとしたら何がいいかな?」


 だから何でお前はウェイトレスに訊く?


 クリスはしばらくウェイトレスと相談していたが、

「トマトソースがかぶるとつまらないから、オイルソースのキノコのピザがいいらしい。それでいいかな?」

 と僕に尋ねた。

 嫌も応もない。それがどんなものかすら判らないのだ。

「ああ、いいんじゃないかな」

 と僕はクリスの提案を飲むことにした。


 やがて運ばれてきたピザは直径三十センチほどの小ぶりなピザだった。

 だが、誠に残念な事にピザの生地はアメリカ風だった。

 パンのように分厚いピザだ。真のナポリピッツァ協会の人達が検査したら確実にアウトだろう。

 まあ、ここはアメリカ。それに関しては仕方がない。

 とりあえずピザを半分ずつにして交換する。

 クリスのピザはキノコ満載だったが、オイルソースのピザは確かに美味しそうだ。

 早速、マリナラピザの方から食べ始める。

 半分になったピザをさらに三つに別け、二つ折りにして食べる。

 こうすれば先っぽがだらんとなった残念な姿になりにくい。

 ピザはカリッと焼かれていて美味しかった。それにニンニクとオレガノの芳香。生地こそ分厚かったものの、確かにアメリカのピザとは一線を画する味だ。

「うん、うまいね」

 同じくマリナラから食べ始めたクリスに声をかける。

「だろ?」

 クリスは人懐っこい笑顔を浮かべた。

 あっという間にマリナラを一片片付け、今度はキノコのピザに。

 こっちはかすかにチーズが香ってそれとキノコの香りとのハーモニーが素晴らしい。木こり風(ボスカイオラ)というらしいのだが、これは初めて食べる味だ。

 何よりこの店はピザの耳が美味しかった。

 耳まで美味しく食べられるピザは一流品だ。こんなピザをアメリカで食べられるとは思わなかった。


 でも、これは考えてみるとお得かもしれない。

 イタリアでアメリカ風のピザはまず食べられない。多少生地が分厚いとしても、イタリア風(多分、より正確にはナポリ風)のピザとアメリカ風ピザを近所で食べられるというのは非常に貴重だ。


 と、ふと見てみるとクリスはその肝心の耳の部分を残していた。

 耳だけ残して次のピザに取り掛かっている。

 耳だけ残して最後に溢れたソースをすくうのかな? それは確かにいい考えかも知れん。

 しかし、イタリアにそんなマナー、あったっけか?


 結局、クリスのピザの耳は最後まで手付かずのままだった。

「やあ、美味しかったね」

 英語に『ご馳走様』という言葉はない。食べ終わった時が終わった時だ。

「クリス、耳の部分は食べないのかい?」

 僕は最後のピザの耳を齧りながらクリスに尋ねた。

 ここが一番美味しいのに。

 もったいない。

 しかし、次のクリスの答えを聞いて僕は仰け反るほど驚いた。

「だけどさガモーさん、これってピザ食べる時のグリップじゃん。グリップはちょっと……」

 むしろ『グリップ』まで食べているこちらが変わっていると言わんばかりだ。

「一番うまいと思うんだけどなあ」

 一応味わってみろと促してみた。

 しかし、

「イタリアにはグリップを食べる習慣はないよ」

 とクリスは頑なだ。


 ダメだ、こいつ。

 確かにイタリア人の血は流れているみたいだけど、薄まりすぎてる。


 帰り道、

「美味しかっただろ?」

 とクリスは我が事のように自慢した。

 確かに、ピザは美味かった。

「ああ、美味しかったな」


 どうやらイタリア系移民でも、三代跨ぐとアメリカ人になってしまうようだ。

 舌だけはイタリア人のままだっただけでもよしとしなければならないのかも知れない。

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