第22話


 警察署では作業着やシャツ姿の警察官達が備品の修理に勤しんでいた。カラスキャパシィーター、レイブンの襲撃の際に何人もの警察官が負傷し、アスクとレイブンの戦闘により所内の床や壁が砕け、部屋中にコンクリートの破片や粉末が散乱していた。一部吹き抜けや壁に大穴が空いており最早爆心地のような惨状だった。


 そして警察官しか修復作業が出来ないのは、上層部からの情報封鎖があったからだ。外部に怪物による警察署襲撃を隠すため、専門の業者を雇うことが出来なかった。


 しかし、多少の日曜大工ならばともかく、壁や床に空いた大穴を直すことの出来る技術を持った警察官が居るはずも無く、壁の大穴はブルーシートで覆い、床はカラーコーンと現場封鎖用のテープで囲んだだけである。


 アスファルトの破片は全て片付けられ、部屋の隅に固めて置かれていた。今も何人かの警察官が箒やモップで小さな破片や粉末を掃除している。他の警察官は散乱した書類を集めて選別し、壊れた机や椅子を修理していた。


 多くの警察官がストレスを溜め込んでいた。警察署が破壊されたことに加え、ここでの出来事を公言する事もできなければ、こなさなくてはならない業務の量は減らないからだ。


 そんな中、警察署の屋上で木田は柵にもたれ掛かりながらぼんやりと景色を眺めていた。咥えている煙草の灰が風に揺れて梳けていく。


「木田刑事もサボりですか?」


「ああ。片付けに飽きてな」


 樽寺から缶珈琲を受け取ると缶の底に短くなった煙草を押し付ける。吸殻を柵の向こうへと捨て、珈琲のプルタブを起こした。


「それでどうかしたのか?」


「いえ、もしかすれば刑事の近くに居れば白い男に会えるかと思いまして」


「アスクだ」


「はい?」


「あの白いのはアスクって名前だ。自分で考えたのかね……」


 何の気無しに答える木田の発言に樽寺は大きく目を見開きつつも戸惑っている様子だった。


「え、その、知っているんですか?」


「本人が直接言ってた」


「話したんですか!?」


「ああ。だが正体、素性は黙っててくれとさ」


 樽寺は地団駄を踏んで、拳を握り締めたまま身を屈める。余程悔しかったのか、それとも新しい情報を手に入れ興奮しているのか、たぶん両方が入り混じっているのだろう。


「と言うことは白い男、いえアスクは人間で、正体を隠し怪物と戦うヒーローということですか。正直こう言うものはあまり趣味ではありませんでしたが、どうにも実際に存在しているとなると、やはりまた違ってきますね!」


 樽寺は饒舌に、早口で語る。民間の人死にが出ているというのに、こんな風に発言し、楽しんでいる樽寺を咎める気は不思議と湧いてこなかった。

唐木啓太から僅かに話を聞いているが、現実離れしたそれは、まるでアニメや漫画の世界の人物になった気分で、現実味も実感も薄れていっただけだった。

だがそれでも所内を見渡し、肩に負った傷に、入院した仲間の姿を見れば、この出来の悪い夢が紛れも無い現実だと思い知らされた。


「木田刑事は怪物と対面したのでしょう? どうでした?」


「どうって、脅されて殺されかけただけだ。怪物は人殺しを愉しむ糞野郎だ……ああ、そう言えば脅し文句は映画の悪党みたいだったぞ」


「脅し文句? 怪物が、日本語で喋ったんですか?」


「ああ。『お前の腸を引きずり出してそれで絞め殺してやる』ってな」


 樽寺は素っ頓狂な声で聞き返した。木田は当時のことを思い出し、出来る限り声を似せて口にしてみた。

 だが樽寺は眉間に皺を寄せ、黙り込んでいた。そしてしばらく思案顔を浮かべつつ、口を開いた。


「変じゃありませんか? なぜわざわざ日本語で話すのでしょうか? もし仮に、怪物が宇宙人だとすれば自国の言葉を使うかと、それに人間とコミュニケーションを図ろうとするなら、最もポピュラーな英語を使うのでは?」


 初めて見せた樽寺の真面目な表情に木田も緩み、麻痺していた気を引き締め、思い浮かんだ返答を告げる。


「殺人を愉しむ変態だからじゃないか? 過程を愉しむ。だからわざわざ日本語で脅した。ここがアメリカなら英語でも話してるんじゃないか?」


「もしそれほど高い知性を持つというのならば、独自の言葉や文化を持つはず。話を聞く限り、怪物はあまりにも人間寄りではありませんか?」


 樽寺の言動は考えられさせるものだった。思い返せば緑地公園での戦闘の際も怪物と唐木啓太、アスクは議論していた。

 その議論も、歩み寄ろうとする唐木啓太を突っぱね、嘲笑い、怒りを煽っただけに終わり、価値観や倫理観が違う事を示す結果となった。

 しかし饒舌に語っていた怪物の姿は、人間そのものだった。数多くの犯罪者を捕まえた経験があるからこそ、樽寺の指摘する『人間寄り』にも理解を示せれた。

 樽寺は弛んだゴムのような顎を揉みながら話を続ける。


「怪物はどこから来たのでしょうか、いえ、そもそも生物なのでしょうか」


「どういうことだ?」


「いえ、もしかしたら人を殺すことだけをプログラムされた機械かも。それなら人間の言葉や文化を継承した状態から行動をすることが出来る……」


「……そんなもんどうやって作るんだ?」


「別の次元の人間が作り上げた。いやもしかしたら遥か未来の人間が作り上げた生物兵器かも、それとも遥か昔の超古代文明の残した遺産?」


 樽寺は瞳を輝かせながら妄想を膨らませ、それをぶつぶつと呟いていた。その途端に木田は冷めるものを感じ、ふうと溜息をついた。


「いいか。今話してたのは全部妄想だ。推測の域を出ないにも関わらずに話を進めていくと酷い目に遭うぞ」


「で、ですが」


「与太話は終わりだ。俺達も片付けに行くぞ」


 木田は樽寺の襟首を掴むと、抗議の声を無視し、そのまま所内の掃除へと連れて行った。




 土に身体を預けながら、唐木は高鳴る心臓の鼓動を静めようと息を整える。じりじりと降り注ぐ日光が薄い目蓋を貫いて目を焼くが、腕を動かし日差しを遮るのすら億劫だった。


「ほら、スポドリ。あんたも飲みなさいよ。あ、私の分も残しておいてね」


 ペットボトルを凪に手渡され、唐木は上半身を起こしてそれを口にした。適度に冷たく、独特の甘苦い甘味料が溶けた水が身体中に染み渡った。口は固定され、喉が止まる事は無く、ペットボトルの内容量が瞬時に減っていく。

 口をつけた時には凪の言葉は頭から消えており、全て飲み終えてから残しておいてねと言っていたことを思い出した。


「……すまん。新しいのを取りにいってくる」


「ったく、別にいいわ。それよりあんたもうすぐ仕事でしょ。シャワーでも浴びてきなさいよ。」


 溜息をついて呆れる凪に礼を言い、唐木はシャワーを浴びに行った。

 身体に張り付く汗を洗い流し、服を着替えると凪が朝食代わりに握り飯を幾つか用意してくれていた。


「一応、おにぎりは作っておいたから。それとさっきは……」


「気にしなくていい。ありがとう」


 唐木は礼を告げると、握り飯を一つ手に取り仕事場へと向かう。道中握り飯を頬張りながら唐木は先程の剣道のことを思い返していた。

 あれから凪と何度も手合わせしたが、結果は惨敗に終わった。だが、動く度に少しずつではあるが動きを思い出しつつあった。幼少の頃から培った経験を、身体は忘れてはいなかった。記憶の引き出しを探り、身体がそれを思い出そうと動く。

 負けはしたものの、最終的には凪と接戦を繰り広げるまでに取り戻しつつあった。だが、互いに熱が入り、勢い余った凪の面が寸止めにならず、頭頂部へと炸裂し、俺は地面に倒れた。頭頂部はまだ僅かに痛むが、しっかりと氷水で冷やしたから問題ないだろう。


 工事現場に辿り着くと、従業員の数は僅かに減っていたが、それでも皆この日差しを物ともせず仕事に励んでいた。俺も手続きを済まし、仕事を始める。

 土台、骨組みとなる鉄棒を幾つも運び、基礎部分を造る。俺の仕事は殆ど力仕事だった。先ほどの剣道で多少の疲れは残っているものの苦ではなく、寧ろ事前に身体を動かしていたおかげでいつもより滑らかに動く気がした。

 唐木は荷物を運びながら工事現場を見渡す。


 そう言えばここが起点だった。あの日の夜、晴子さんの計らいで凪とコンビニまで行く途中で、物音を聞いて工事現場に来た。そしてここで見た衝撃は生涯忘れなれないだろう。全く別次元の存在と対面し、自分の価値観が崩れていく音が聞こえた。俺を追ってきた凪が怪物に見つかって、そして――


 ――凪が怪物の一撃で命を落とした。その後、怪物は呆然とする「私」を無視し、別の悲鳴へと駆け出していった。あの時、私は生きた屍となった。



 なんだと?



唐木は思わず、自身の記憶を疑った。それは実際に起こった出来事とは真逆で、しかも脳裏に浮かびあがった光景は決して鮮明ではなかったが、克明に刻み付けられていた。実体験の様に現実味に溢れていた。


 目頭を押さえ頭を振ることで虚偽の記憶を追い出そうとしたが、目を瞑るたびにその続きが纏わりついた。


 ――それから十年程、私は一人で暮らした。野宿を繰り返し、世捨て人になるまでそう時間は掛からなかった。しかし不幸にもアルコールに逃げる事はせず、ただ身体を鍛え続けた。それは恐怖の裏返しでもあり、何も出来なかった自分へ苦痛を与える行為だと知りつつも。


 程なくして世界は変わった。怪物、キャパシィーターの存在が世間に露見し、対策を余儀なくされた。しかし拳銃すら弾く肉体を持つキャパシィーターへの有効な手段は重火器しかあらず、同時に驚異的な身体能力に知性。それらに加えあらゆる場所に出現する能力を兼ね備えたキャパシィーターによって人類は不規則に蹂躙さていった。



 ……そんな事を防ぐ為に俺は、人間を守る為に、いや、そもそも何だこれは? まるで誰かの人生を覗いている様だ。でも俺は、これを、知っている?



 ――姿の見えない恐怖に追い詰められつつある人間が倫理観を捨て、蛮行に走るのは既定されたことなのかもしれない。しかし略奪や暴行といった混沌が支配することは無く、秩序を齎そうとするものも現れる。しかしその過程は蛮行ではあったが。


 強靭な相手に立ち向かうのにはこちらも強靭な肉体を持つ必要がある。と考えられ、数々の世界で合法的に、或いは違法で、人体改造実験が行われた。軍人や志願者が人体改造を受け、キャパシィーターと戦えるように調整された。

 その人柱として多くの人間が犠牲になった。戸籍のない人間、社会的地位の低い人間、犯罪者。先述のように透明な恐怖に怯える人間達は倫理観を捨てていた。その中の一人に私も居た。



 ……一人の男性がどこかの研究所へと入っていく。彼は机に拘束され、何かを注入されていた。部屋には悲鳴が木霊する。隣の男性が苦悶の表情で顔を歪め、そのまま黒目を反転させ、息を引き取った。彼にも同じ様な苦痛があるはずだ。


何故?

今の世界に愛着が無いからか。


疑問を感じた途端、答えが浮かび上がった。驚くべきことにそれは推測でなく、確信だった。


 ――幾つもの実験を潜り抜け、完成品が誕生した。すると今度は幾つかの完成品を元に改良が加えられ、より安全性の高いものが完成した。身体改造を受けた兵士達には特殊な装備が与えられ、より戦闘力の高い兵士が誕生した。そのプロジェクト名は〈……〉だった。


 私は被検体でありながらも、戦場へ導入された。〈……〉はそれまでに比べてれば確かに成果を上げていたがその分、消耗が激しかった。そして幾ら強化されているとはいえ所詮は人間。怪物に怯え、竦み、殺されていく。戦況は既に形勢を覆す事など出来ない段階に居た。


 私は戦い、疲れていた。愛着の無い世界、守りたかった相手が既に居ない世界の為に敵を殺し続けることが寂しく思えた。死ぬ覚悟は無かった。だがいつ死んでもいいとは思っていた。命に無頓着だった。


 ……そこからは覚えている。彼はある一人の子供の為に命を枯らした。夢で見たものと一致している。いやそのものだ。


――その理由はわからない。交友があったわけでも、恩があるわけでもない。何一つ接点の無い子供だった。身に余るほどの苦痛を受け、その命を枯らして守り抜き、死んだ。

彼は月明かりに身を預け、二度と動く事は無かった。



そして再び、世界は巡る。



……再び、凪が殺される光景を見せ付けられた。


やめろ! 見たくない! 


喉を潰さんばかりの大声で叫んだがそれでも悪夢は止まらない。


――彼はこれまでと同じ様に、世捨て人として暮らし、キャパシィーターが侵攻を進め、人柱として実験台となる。だが、今回は違った。


 実験台になる寸前、何かが彼を救った。月明かりのように淡く、美しい金髪の女性だ。彼女は〈……〉の装備品一式を持っていた。そしてそれを彼に着る様告げ、彼はそれを装着した。

その瞬間、彼の全身を白い光が包み込む。白く、細微な結晶が彼に纏っていく。結晶同士が身体の表面で結合していき、少しずつ、新たな身体、装甲を構築する。そして、身体が変わった。


 ……その姿を、唐木は知っていた。いや知らないはずが無い。


彼が変身したその姿こそ、自らが変身する戦士、アスクだ。


その瞬間、悪夢の中の「彼」の正体が露になった。そして息を呑んだ。歳を取り、やつれてはいるが、彼の顔は自分そのもの。


彼は唐木啓太だった。



 そのアスクは自分と同一の動きをし、キャパシィーターと戦った。それまでの人体改造を施した兵士達とは違い、圧倒的な力でキャパシィーターを次々に屠っていった。重く鋭い徒手空拳を振るい戦う姿は烈火の如く――。


 このアスクは自分と同一の動きをし、キャパシィーターと戦った。それまでの人体改造を施した兵士達とは違い、圧倒的な力でキャパシィーターを次々に屠っていった。重く鋭い徒手空拳を振るい戦う姿は烈火の如く――。


あのアスクは自分と同一の動きをし、キャパシィーターと戦った。それまでの人体改造を施した兵士達とは違い、圧倒的な力でキャパシィーターを次々に屠っていった。重く鋭い徒手空拳を振るい戦う姿は烈火の如く……。



キャパシィーターと戦うアスクの姿が幾つも重なる。その全てが同一の動きをしているが、場所、時刻、相手、全てに差異があった。そしてそれは三つに留まらず、次々に唐木の脳裏に浮かび上がってきた。

そして、その全てで、アスクは倒れた。彼、唐木啓太は満身創痍だった。腕を失っていたり、目を失っていたり、腹部に大穴が開いていたりと、傷に違いはあるものの全てにおいて、死んでいた。


だが、どの唐木啓太も最期に何かを、月明かりのような金髪の女性に託して、いや返上していた。そして誰もが金髪の女性に告げていた。

「…………」と。



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