第7話


「道を空けてください、警察です。ほら、どいて」


 群がる野次馬の間を縫いながら、鼠色のスーツを着た細身の男性、木田充は現場へと歩いていく。木田の年齢は今年で三十歳になったばかりだが、こけた頬と白髪交じりの細い髪が実年齢よりも老けて見せていた。


「刑事課の木田だ。入れてくれ」


 制服を着た警察官に警察手帳を見せると、警察官はそれを一瞥してから敬礼し、現場封鎖用の黄色いテープを押し上げて木田を迎え入れる。

 木田は腰を曲げ、その中に入るとポケットの中から白い手袋を取り出すと手にはめながら現場に入る。

 現場では何人もの鑑識官がカメラや金属製の箱を肩に掛けながら、自らが取り組むべき仕事に取り組んでいた。


 そんな鑑識官の姿を見るたびに、木田は働き蟻の姿を思い出す。蟻が触覚をせわしなく動かして餌を探すように、鑑識官は何かしらの道具を使って証拠を探している。そんな鑑識官の邪魔にならないように木田は現場の縁を歩く。


 現場は建設中の工事現場とあって、様々な重機や金属、コンクリートが放置してあった。だが、それよりも目を引くのはまるで月の表面のような数々の巨大な窪みだ。その窪みはとても工事に関係するようなものには見えない。

 しばらく歩くと、ひしゃげたプレハブ小屋の前で黒いスーツを着た初老の刑事が手を合わせていた。木田が初老の刑事の後ろに立つと、初老の刑事は目を瞑り、手を合わせたまま木田に話しかける。


「木田か、これが今回のホトケさんだ」


「ひでぇ……」


 プレハブ小屋の前で木田も手を合わせ、死体を見てそう漏らした。プレハブ小屋に近づいた時から、湿った生温い風と共に、咽返るような血と肉の臭いが漂ってきていた。木田は口元をハンカチで押さえつつ、込み上がる胃液をぐっと堪えた。

 この季節は夜になっても蒸し暑く、死体を保存するには向いていない。それが挽肉ならば尚更だ。

 鑑識官が機材を持ってプレハブ小屋に近づいてくると後を任せ、二人の刑事はその場から離れつつ、事件についての話をする。


「死因は重機によるもんだろうが、こうも潰れちまってちゃあ細かく断定は出来ない。今鑑識が名簿を探って今日の宿直の奴と連絡が取れるかどうかやってるが、恐らくは……」


「死因は重機によるものだとして、その肝心の重機はアレですか?」


 木田はプレハブ小屋から少し離れたショベルカーの残骸を指差す。残骸は焦げていたり、千切れていたりと、もはや鉄屑同然だったが、辛うじてショベルカーとしての履帯やアームが残っており、ショベルカーであると判別できた。


「みたいだな。近隣の住民は爆発音を耳にしたようだが……」


「ショベルカーが爆発なんてしますかね?」


「そこなんだ。鑑識が言うには、今見てる限りじゃあ爆破物の痕跡は見当たらないらしい。それにショベルカーのガソリンが引火したとしても、こんな風にはならないらしくてな」


「不思議、というよりは気味が悪いですね」


 木田がそう言うと初老の刑事は眉に皺を寄せながら頷く。


「他にもあってな、ショベルカーの部品が足りないんだよ」


「それは爆発したからじゃあないんですか?」


「ああ。だが燃え尽きたり散乱していたりと言うわけではないみたいで、まるで最初から部品が無かったみたいに消えてるんだ。今日はしっかり動いていたらしいから、たぶん終業後に何かあったんじゃあないか……勿論、後で運んでしっかり見て見ないことにはわからないが、今のまま組み立ててもただのハリボテでしかない」


「部品が無くなってる……?」


 木田は顎に手を当てて、考えを巡らせたがどうしてそうなったのか、理解が及ばなかった。思考を中断し、木田は原因解明ではなく他の事に考えを巡らせる。


「現場には他に誰か居たか、目撃情報はありますか?」


「聞き込みをさせているが時間が時間ってこともあって、特に有益な情報は無い」


「そうですか……」


 木田は唸りながら、白髪交じりの髪を掻き毟る。その時、足元の土に残された足跡を目にする。木田はその場でしゃがみ込み、自分の足と大きさを比べる。足跡は大人である自分よりも僅かに小さい。


「おい、どうした。何かあったか?」


 初老の刑事の問い掛けを無視し、木田はしゃがんだまま周りを見渡す。足跡の他にも何かが転がったような後があり、細い、履帯跡のようなものもあった。

 少し離れた場所には連続して足跡が続いており、歩いたのか、走ったのか、それは判別できなかったが、足跡は途中から深くなり、地面を抉っていた。

 しかし不思議なのはその足跡が変化している事だ。それまではスニーカーのような足跡だったが、地面を抉る足跡は、他のモノとは一線を画していた。


「……おい、ちょっと来てくれ」


 木田は手近な鑑識官を呼ぶと、その足跡の写真を撮るように頼んだ。もしかすればこの足跡は犯人に繋がるものではなく、ただの作業員のものかもしれない。だが、木田の刑事としての勘が何かを訴えていた。

 小太りの鑑識官は様々な角度から写真を撮ると、深い足跡を見て小さく唸った。


「どうした?」


「いえ、これ似た何かを先程見たような気がして……」


「どこでだ。教えてくれ」


 小太りの鑑識官はデジタルカメラを操作し、写真を見直す。幾つかの写真が移り変わっていく中、プレハブ小屋の付近の写真でその太い指が止まった。


「ああ、あった。これです」


「これは……?」


「そこの近くで取ったものなんですがね。変な窪みだったので写真を撮りました」


 木田はちらりとプレハブ小屋を一見し、すぐにその画像に視線を戻す。足跡のようだが、異常なほど地面に埋まっており、窪みを作り出している。


 とてもじゃないが人が地面を蹴ったところでこんな跡は出来ない。ならばこれは人ではない……?


 ふと浮かび上がった幼稚な考えを木田は嗤い、すぐに脳裏から削除した。


「すまないが、この足跡を調べてほしい。あっちの足跡はどんなメーカーの靴かもだ。もしかすれば事件解決に繋がるかもしれない」


 木田は鑑識官に頼むと初老の刑事と共にその場を後にする。木田にはあの足跡が何か事件に関係する、深く結びつく存在だと予感していた。



 怪物の騒動から二日後。

 厚い灰色の雲は太陽を隠しており、肌を焦がす日光を覆っていた。だが曇り空の為、湿度が上昇し、結果体感温度は変わらず、不愉快な蒸し暑さだった。

 

唐木はぼんやりとベッドの上で仰向けになりながら白いスマートフォンを眺めていた。特にスマートフォンで何かを見ているわけではないが、それを眺めていると唐木は一昨日の夜のことを思い出した――。


「えっ、今なんて……」


 ランは困惑と動揺が入り混じった声で唐木に尋ねる。唐木はいつもと変わらない、淡々とした声でもう一度答えた。


「俺は、戦わない。だからこれは返す」


 唐木は白いスマートフォンをランに差し出す。しかしランはそれを受け取らず、いや、差し出されたスマートフォンにすら気付かず、ただ驚きに満ちた表情で唐木を見つめていた。


「ど、どうして、ですか……?」


「……俺にはわからない。怪物のことも、これの存在も。だから俺ではなく、もっと頼りなるやつに任せたほうがいい」


 唐木は淡々と告げる。この言葉は唐木の本意だった。先程唐木はアスクに変身し、キャパシィーターと呼ばれる怪物から凪を守る為に無我夢中で戦った。だが、時間とともにそれは収まり、ランの話を聞いて事の大きさに萎縮してしまった。

 ランはしばらく無言でいると、差し出されるスマートフォンに視線を落とした。そして顔を上げて、再び唐木の瞳を見据えた。


「……わかりました。でも、しばらくアスクシステムは唐木さんが持っていてください。明後日にもう一度、尋ねにきます」


「待ってくれ。俺は……っ」


 唐木が言い終える前にランは時計を弄り、この場から姿を消した。工事現場から抜け出したとき使用したものだ。

ランが居なくなり、残された凪と唐木は白いスマートフォンに視線を落とした。


 それからと言うもの、唐木は白いスマートフォンを持て余していた。関わるつもりが無いのなら捨てればいい。だが、唐木はそれが出来ないでいた。

 唐木はスマートフォンの画面を見て時刻を確認する。普段ならば工事現場の仕事に取り組んでいる時間帯だが、一昨日の事件以降、警察が現場を封鎖しており、暫くの間、仕事は中止となった。

 欲していない休暇を手に入れ、唐木は時間を持て余していた。学校は創立記念日で休校。本来ならば一日中仕事に明け暮れる予定だったがそれも潰れてしまった。


 唐木はベッドから起き上がると、壁に掛けてある服を取り、寝巻きから着替える。唐木はじっとしていることが億劫に感じ、気分転換を兼ねて外に出ることにした。

 階段を下りて、リビングを一瞥すると凪がテレビを見ていた。画面にはゴルフ中継が流れており、その淡々とした実況解説や試合の様子を面白いと感じられるには唐木も凪も、年齢が足りなかった。


 テレビを見る凪の瞳には輝きが無く、ただ映像をその瞳に映しているだけだった。その姿は普段の明朗快活な、凛とした凪とはまるで別人、いや、人形のようだった。

一昨日の事件以降から唐木と凪は言葉を交わそうとしなかった。以前のように思考の相違やすれ違いではない。怪物と出会い、唐木は姿を変えた。

 そしてニュースでは二人が居た現場で三人が死んでいたと報道していた。その出来事が、事実が、事件は、高校生である二人には重く圧し掛かり、心を整理する時間を求めていた。

 唐木は凪にかける言葉が口に出せず、俯くように視線を外して外に出ていった。


「なにか一言くらい、言ってよ……」


扉が閉まる音と同時に凪は震える膝を抱きかかえ、その膝に顔を埋めて呟いた。


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