第8話


 空を覆っている分厚い雲は、昨日まで燦々と輝いていた太陽を隠していた。しかし、高い湿度の所為か、雲に覆われているというのに空気には湿気が多く含まれており、微塵も涼しさを感じさせない。

 気分転換のつもりで外に出たが、これでは余計に鬱屈とした感情が増すばかりだった。

 唐木は何気なしにポケットに手を入れる。白いスマートフォンに手が当たる感触がし、ポケットの中で唐木はそのつるりとした表面を撫でた。


 多次元世界の生命体。

 実体を得た侵略者。

 並行世界からの使者。

 怪物に立ち向かう戦士、アスク。


 ランの話は、一介の高校生である唐木にとってスケールが大き過ぎた。唐木には世界を救う意思も、怪物と戦う覚悟も無い。


……もしも正義感溢れる人間ならばランの願いを躊躇うことなく受諾していたのかもしれない。だが、俺には、出来ない。

 見ず知らずの人々の為に、自らの命を顧みることなく、怪物と戦うことなんて出来ない。あの時、怪物と戦えたのは家族である凪が居たからだ。


 ふと顔を上げると「藤井」と表札のある一軒家の前に、喪服の人だかりが出来ていた。粛々と、皆、悲しげな表情で家の中へと入っていく。

 焼香の匂いと、涙を啜る音が開いたままの玄関から溢れる。その一軒家の近くで唐木は無意識に足を止めていた。


 幼少期、両親を事故で亡くし、わけもわからず葬式に出た時のことを思い出す。黒い服を着た周りが「まだ若かったのに」「子供も幼いのに」と呟き、数珠を取り出し座っていく。唐木は胸を裂かれる様な悲しみを感じていたが、周りから同じ思いを感じることは無かった。

 悲しい気持ちだったが、不思議と涙は零れなかった。泣いたところでどうしようもないという諦めと、何が起こっているのかわからない、という二つの側面があった。……あんな思いは二度としたくない。


 唐木はその場から去ろうと歩を進めると「あの」と背後から声を掛けられた。


「あの、あなたも藤井さんの葬式に……?」


「いえ、俺は近くに居ただけです」


 喪服を着た女性の問いを否定して、その場を去ろうとすると髭面の巨漢、現場監督である男が遅れて現れた。


「唐木じゃねえか。お前も藤井の葬式に来たのか?」


「いえ、俺は違います……監督は何故ここに?」


「そうか。お前はあいつとは面識がねぇのか。……俺が来た理由は、藤井は俺の部下だからだ。ニュースになってるから、お前も知ってるだろう。一昨日のアレで、あいつもショベルに潰されて亡くなったんだよ」


 現場監督の男は周りに気を遣い、声を絞りながら唐木に告げた。

一昨日の怪事件、怪物の仕業で亡くなった人の葬式。それを理解した瞬間、唐木は全身の毛穴から押し出されるように汗が噴き出した。喉が炙られたように渇く。


 昨日、怪物が豪腕を振り上げたとき、頬に落ちた血はもしかすればこの「藤井」という男のものだったのかもしれない。


 ……そしてもう少し早く自分が向かっていれば、アスクになっていれば、救えたのかもしれない。


「葬式っても、まだ遺体は警察が、死体解剖してるらしいし、その……原型を留めてないらしくてとても見せれるもんじゃないみてぇだ。だからこの葬式には遺体が無え。形だけの葬式だ」


 現場監督はその場で溜息をつく。それは幼少期の唐木が見たような倦怠からの溜息ではなく、やるせなさの篭った溜息だった。


「……警察の現場検証やらが終わったら作業を再開させる。そんときはお前もしっかり来いよ」


 現場監督はそれだけ告げると喪服を着た女性、恐らく妻である女性と共に藤井家へと向かっていく。


「……待ってください」


 唐木が声を掛けると現場監督は黙って振り返る。


「……俺も、葬儀に参列して、いいですか?」


 その問いに現場監督は苦い表情を見せた。特に親族だけでの葬式というわけではない。近隣の住民も訪れ、手を合わせて帰る人間も少なくは無い。幸い唐木の服装は黒を基調とした服装で、喪服の列に入っても違和感は薄かった。


「まあ、いいんじゃねえか。親族じゃない人も来てるみてぇだし……。おい、まだ数珠あったろ。貸してやれ」


 現場監督は隣に立つ女性にそう言うと、女性は鞄から数珠を取り出し、唐木に渡す。唐木は一礼をしてそれを受け取ると現場監督に続いて家の中へと入っていった。

 家の中に入るとそれまで以上に強い焼香の匂いを感じる。靴を脱ぎ、すれ違う遺族や参列者に会釈を済ませながら奥へと向かう。

 畳張りの広い部屋には仏壇に「藤井」の遺影だけがぽつんと置いてあった。その遺影を力なく見つめる一人の女性と、わけもわからず、女性の膝元できょろきょろと周りを見渡す幼い子供が居た。


「奥さん、お悔やみ申し上げます……」


 現場監督の男が女性に話しかけるが、女性はまるで聞こえていないかの様に現場監督の方を見ず、虚ろな瞳で遺影を見つめていた。

 現場監督はその場に腰を下ろすと、遺影を前に手を合わせる。唐木も同じ様に遺影を前にし、手を合わせる。


 遺影を見たとき、唐木は「藤井」という男に見覚えがあった。しかし会話をしたこともなければ、顔を合わせたことも無い。ショベルカーといった重機を運転していた人。その程度の認識だった。


 女性の膝元にいた幼い子供が画用紙を片手に唐木に近づく。子供は唐木をじっと見つめる。その子供は何が起こったのか、まだ理解していないようだが、それでも周りが悲しんでいることは理解し、不思議そうな顔をしていた。


「……それは、君が描いたのか?」


 唐木は子供が持っている画用紙に視線を向ける。子供は頷くとその画用紙を広げ、唐木に見せた。画用紙には絵の他に、平仮名で「おとうさんだいすき」と書かれていた。


「上手だね」


 唐木が褒めると子供は満足したように笑みを浮かべ、母親の膝元へと帰っていく。

 ……あのメッセージはもう父親に伝えることは出来ない。そう理解した時、唐木は胸を締め付けられるような気持ちになった。

 現場監督が立ち去ろうと唐木の肩を軽く叩く。唐木は立ち上がり子供に軽く手を振るとその場を後にした。


「ちょっとよろしいですか?」


 現場監督と唐木が外に出ると、待っていたかのように鼠色のスーツを着た男が二人に声を掛ける。


「またあんたか、昨日話すこと全部話しただろ。もう話す事はない」


「いえ、何か他に思い出したことがあるかと思いまして……そちらはお子さんで?」


 鼠色のスーツを着た男は唐木に視線を向ける。その視線は上から下へと動き、唐木を値踏みするかのようだった。


「俺の部下だ。名前は唐木啓太」


「これは失礼」


 鼠色のスーツの男は、現場監督に詫びると、唐木に向き直って自己紹介をした。


「刑事課の木田充だ。……君は藤井さんとは知り合いなのか?」


「いえ、殆ど面識はありません」


 木田と名乗る刑事の質問に唐木は否定する。それを聞いて木田は白髪交じりの頭を撫でながらいぶかしむ様に小さく唸った。木田の口調は先程まで現場監督を相手にしていた時のような遜りはなかった。


「ならなんでまた葬式に参列したんだ?」


「監督から藤井さんが仕事の仲間だと知ったので……」


 唐木の返答に嘘は無い。しかしそれは理由一つであり、他の理由もある。アスクとして怪物と関わったこともその一つだ。だがそれは話せない。


「なるほどね……」


 唐木の答えを聞いて、木田は納得したような返事を返したが、その眼は唐木をじっと据えていた。


「ところで昨日の夜はどこにいたのか教えてくれるかな? 別に疑っているわけじゃあない。形式的なものだよ」


「家族の凪とコンビニへ向かっていました。でも工事現場の方で悲鳴が聞こえて、結局コンビニへ向かわず帰宅しました」


「そうか。ありがとう」


 木田はメモ帳にさらさらと書き込む。その時、唐木の足元に視線を向かった。


「……いい靴だ。ずっと履いているのか?」


「ええ。仕事中もこれです」


「そうか。ありがとう」


「……もういいか?」


「大丈夫です。お時間をお取りして申し訳ありません」


 現場監督が苛立ちを隠さず尋ねると木田はすっと引っ込んだ。現場監督と唐木はそれ以上何も言わず、その場から去っていく。木田はそれに鋭い視線を当てたまま懐から煙草を取り出して一服した。


 外に出てしばらく歩いてから現場監督と別れると、一人残された唐木は俯き、その場に立っていた。

 全身から力が抜けていくかのような無力感に苛まれ、肩が下がっていく。唐木は自分が矮小な存在に思えて仕方がなかった。


 昨日襲われたとき、ランの話を断ったとき、自分の事しか考えていなかった。ただ家族である凪の無事を願い、もう、二度と家族を失いたくないという気持ちしかなかった。


 だがそれは、誰だって同じだ。あの藤井という男も家族を失いたくないという気持ちがあっただろう。親族も藤井という男を失いたくないと思っていたはずだ。


――キャパシィーターは無作為に、無慈悲に人々を襲います。


 ランの言葉が脳裏に甦る。昨日の怪物は狙って三人を殺したわけではない。ただその場に居たから、それだけで手にかけたのだ。昨日の怪物は逃げる俺ではなく、その場に立ち止まる凪を見つけると、即座に標的を入れ替えた。その姿から無作為且つ無慈悲に人を襲う事実は理解した。

 だが、それをただ諦観して、受け入れることは出来ない。藤井の葬式に参列し、悲しみに暮れる「藤井」の妻の姿を見て、子供の姿を目にして、死の重さを感じた。

 例え自分にとって他人であっても、誰かにとってはかけがえの無い存在なのだ。それを奪おうとする怪物は、キャパシィーターを見過ごすことは出来ない。してはならない。


 唐木はポケットに入れていた白いスマートフォンを取り出し、真っ暗な画面を見つめた。電源のついていない黒い液晶に自分の顔が映る。細く、鋭い瞳には確かな力を宿しつつある。


 突然、黒い画面が赤く染まり、反応感知と映し出される。それが何の反応を感知したのかは考えるまでもない。ランが言っていたことが真実ならアスクシステムにはキャパシィーターの反応を感知する機能が搭載されている。


 画面に感知した座標が映し出されたとき、唐木は息が詰まった。示されている座標は北海道であり、現在地から離れすぎていたからだ。

 考えてみれば当然のことだ。無作為に襲うのなら全てが唐木の住む地域に集まるわけがない。それに実態を得ようとしているなら尚更、天敵であるアスクが居る場所に現れるはずがない。


 この場から北海道に行くのなら飛行機でも半日はかかる。その間に何人が犠牲になるか、考えるだけで身の毛がよだつ思いだった。

 唐木は白いスマートフォンを握り締めた。その瞬間、画面に指が触れ、光が唐木を包み込む。そしてその光が収縮していくと、その場に唐木の姿はなかった。


 光が晴れると唐木は見知らぬ草原に立っていた。先程とは違い空は快晴で、肌触りのいい爽やかな風が吹いている。

 明らかに先程とは違う場所に立っていることに戸惑ったが、それ以上にキャパシィーターの現れた場所に瞬間移動をしたと理解している自分に困惑した。あの時、アスクとなって初めて戦った時のように、何かが囁いていた。


「うわあああああああっ!」


 唐木は奥の雑木林から悲鳴を耳にし、振り返った。

 雑木林から作業着の年配男性が赤く染まった脇腹を抑えつつ、枝や草木を掻き分けて飛び出してきた。その顔は恐怖と混乱に塗り潰されている。


 その年配男性を追うように雑木林からぬるりと怪物が現れた。怪物はシルエットこそ人間同様だが、一目で人間とは違う生物だと理解できた。

 

怪物の身体は蛇のような鱗と模様をしているが、体色は半透明で透き通っており、透き通った肌の下では茶色い液体が流れている。

 そして目を引くのはその両腕である。怪物の肘から手首にかけての部分にチェーンソーの刃が一体化していた。その赤い血の付いた刃は回転し続け、エンジンの音が唸りをあげる。それが唐木をより一層緊張させた。


 前回のミミズのようなキャパシィーターと違い、瞳や口、鼻孔などといった器官は存在しているが、どれも蛇や爬虫類に近く、人間とはかけ離れていた。


「――――」


 怪物が開いた口から細く息を吐いたような音が漏れる。それは人の文字には表せず、蛇の鳴き声、威嚇行為に似ていた。


 唐木は怪物の姿を目にし、身体が冷えていくのを感じた。怪物の姿、立ち振る舞い。それは人を恐怖させる要素を充分に満たしていた。その本能的恐怖に唐木は脚を後ろに引きかけ――


「助けてぇっ!」


 ――踏みとどまった。

 年配男性の悲痛な叫びが恐怖を消し去り、唐木を奮い立たせた。

唐木はその場を駆け、怪物の横腹に飛び掛かる。怪物は意図しなかった唐木の行動に驚き、年配男性への注意を外す。


 しかし怪物は飛び掛る唐木を軽く弾いた。まるで周りを飛び回る羽虫をあしらうような動作だったが、唐木の体は宙に浮かび、芝の上に叩き付けられた。

 苦痛に悶えつつもそれを堪え、唐木は起き上がる。怪物は唐木を無視し、最初の獲物である年配男性へと近づいていく。

 年配男性の顔は恐怖に歪み、身体は凍えるように震えていた。怪物はそれを愉しむかのように、ゆっくり、ゆっくりと年配男性へ迫っていく。


 怪物、キャパシィーターは誰かの思いを踏み躙る。誰かの命を奪う。それは無作為で、無慈悲で……誰にでも関係があって、誰かには関係の無い事だ。どこか遠くで起こった事件のような、そんな気さえする。


「……変われ」


 だが、その被害にあった人は、その家族にとっては違う。世界が抉られたような深い悲しみ。絶望、怒り、全てが雪崩れのように押し寄せてくる。


「……変われっ」


 それを見るのは、誰かの悲しむ姿は見たくない。だから俺は……。


「変われっ!」


 ……戦う。


 その意思に呼応する様に、眩い白い閃光が唐木を包み込む。粒子化していた特殊強化複合装甲が唐木の身体を覆い、血流の様な赤い光が全身に駆け巡る。洗練された美しさを兼ね備える流線型の姿。


そこには唐木啓太が変身した戦士、アスクが立っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る