第9話


 アスクの拡張された視界が怪物、キャパシィーターを捉える。それと同時に、年配男性が目を丸くしているのも見えた。それどころか頭上を飛び去っていく小鳥も、芝生を這う一匹の蟻すら見える。

 耳を澄ませば風に草木が揺れる音、蝉の声、怪物の息遣いも聞き取れた。唐木は心を落ち着け、仮面の下で一度目を瞑る。再び目を開けたとき、その視界も雑音も収まり、過度な情報は入ってこなかった。

 前回、アスクとして初めて戦った際には無我夢中で、ただ超人的な力に戸惑った。今もこの能力には驚きを禁じえないが、前回と違い、どこからか感じる声に従わずとも、成すべき事を理解していた。


 唐木の変化にキャパシィーターは警戒し、その半透明の口を大きく開いて牙を見せつけた。腕のチェーンソーの回転速度が増し、唸りをあげる。そして本能の赴くまま、キャパシィーターはアスクへと襲い掛かった。

 アスクの視界には真っ直ぐ駆け出してくるキャパシィーターが映った。その動きは大柄な体躯に見合わないほど素早く、その巨体から想像されるものより力強かった。


 だが、集中して感覚を研ぎ澄ませば、その動きが静止画のように感じることも出来る。止まった時間の中、襲い来るキャパシィーターを迎撃しようとした時、アスクは動く事が出来なかった。


指先一つ動かすことすら困難で、身体は鋼のように重い。

この止まった時の中で、自分だけ動けるような優位性は無い。あくまでこれは感覚を極限まで鋭敏にしているだけだ。


 それを理解し、アスクは感覚を徐々に平常へと戻していく。

静止画のように止まっていたキャパシィーターが少しずつ速度を取り戻し、その鋭い牙を光らせながら緩やかに近づいてくる。アスクも凝固していた身体が少しずつ軽くなっていくのを感じ、身体を動かしていった。

 前回のような醜態を晒さないよう、足場を気にしつつ、脚に力を籠めて地面を蹴り、キャパシィーターの頭上を飛蝗のように跳び越える。


 キャパシィーターは一瞬、アスクを見失うが、その眼をせわしなく動かし、アスクの位置を理解し、背後へ振り向きざまにその回転する腕の刃を振るう。


しかし、既に勝敗は決していた。


 アスクはキャパシィーターの頭上を跳び越えた際、後頭部に蹴りを放っていた。その強力無比な蹴りはキャパシィーターの首を刈り取り、宙に飛ばした。

 怪物の脳が最後に下した命令に胴体は従うも、着地したアスクはそれを避け、横薙ぎに振るう、赤く輝く手刀でキャパシィーターの胴体を切り裂いた。


「――――!」


 宙に舞う蛇の頭部が何か異音を発した。それが断末魔なのだとアスクが理解すると同時に、キャパシィーターはそのまま爆発した。

 爆心地に立っていたアスクは何事も無かったかのように平然と炎の中から出てくると、目を剥いて驚いている年配男性に視線を向けた。


 目を凝らすと年配男性の腹部は刃物、あのキャパシィーターのチェーンソーで傷つけられており、出血していた。重傷を負いつつも年配男性が平然としていられるのは、キャパシィーターとアスクの戦闘を目にして興奮状態にあるからだろう。

 アスクは顔の側面に手を当てると病院に電話を繋いだ。

元々カモフラージュ用に携帯電話に形を変えているアスクシステムだ。ならばアスクになった状態でも電話を掛けることは可能である。

……根拠は無かったがそれも何かの囁きを感じての行動だった。


「……腹部に傷を負った重症患者が一人、そちらに向かいます。受け入れの準備を」


 アスクは短くそれだけを伝えると、通話を終了して男性の元へと向かった。年配男性は近づいてくるアスクに怯えていたが、怪我を負った年配男性に抵抗をする力は無かった。


「……揺れるかもしれません。しっかり気を持っていて下さい」


「へ……?」


 年配男性の困惑を他所に、アスクは男性を担いだ。

年配男性を担いだ時にアスクは今まで以上に神経を集中させていた。前回、凪を担いだ際には力加減がわからず、苦痛を与えてしまった。そして今回担ぐ相手は年配の男性で、且つ重傷を負っている。


「……痛くはありませんか?」


「……え、ああ」


 年配男性の反応に内心胸を撫で下ろすと、アスクは超人的な速度で駆け出した。アスクの視界には先程連絡した最寄りの病院までの最短距離が示されていた。

 唐木自身もアスクがそんなことまで出来るとは知らなかったが、重傷の年配男性をどうするか考えた時、この方法を感じた。


 アスクになる度、何かしらの囁きやイメージを感じている。それは戦い方についてであったり、機能面であったりと様々である。その囁きが何なのかは理解できなかったが、自分でも不思議な事に気味の悪さや不快感を抱くことは無かった。


 北海道の雄大な自然を、銃弾並みの速度で駆け抜けること数分、アスクの視界に病院が映った。病院の玄関には担架を持った二人組の医者が怪訝な表情を浮かべながら周りを見渡している。突然の通報を訝しんではいたが、それでも担架を持って待っていてくれたことに唐木は感謝した。


 二人組の医者の前に突風が吹き、二人は一瞬目を瞑る。そして目を開けたとき、重症患者を抱えたアスクが立っていた。二人組の医者は突然現れたアスクに声を失い、眼鏡越しに目を白黒させていた。


「この人を頼みます」


 アスクは短く二人組に伝えると年配男性をそっと担架に乗せる。医者の二人はアスクの姿に唖然としていたが、アスクがもう一度「頼みます」と言うと、はっと我に返り、担架を担いで駆けていった。


 それを見送るとアスクはその場から跳び去る。そしてキャパシィーターが現れた場所まで戻ると、周りに誰も居ない事を確認してから、変身を解除した。

白い閃光が一瞬輝き、次第に収縮していく。そこにはアスクではなく唐木啓太が立っていた。


 唐木は大きく息を吸い、気を落ち着ける。視線を落とすと自分の手が震えていることに気付いた。唐木は拳をぎゅっと握りしめてそれを静める。


「こんにちは、唐木さん」


 背後で呼びかけられ、唐木は拳を握り締めたまま振り返る。そこにはリタ・ラン・スケイルが柔らかな笑みを浮かべながら立っていた。


「どうしてここに……?」


 唐木は呟くように疑問の声を零した。変身を解除する時、超感覚を用いて周囲数十メートルに人が居ないことを確認した。だというのに何故彼女は突然現れたのか。

 唐木の瞳の中に困惑と懐疑が入り混じる。そんな唐木の視線を感じ、ランは少し悲しげな表情を浮かべてから口を開く。


「そのアスクシステムには追跡システムがあります。私の持っている別端末からアスクの所在地を割り出すことだって、サポートや支援の為に瞬間移動することだって出来るんですよ。……だからそんな目で見ないでください」


「あ、いや、すまない」


 ランに見透かされ、唐木は少し戸惑いながらも謝罪する。ランは唐木のその態度を見て一瞬、柔らかな笑みを浮かべた。そして真剣な表情で唐木に尋ねる。


「唐木さん、もう一度尋ねます。……アスクとして戦ってくれますか?」


「……これが俺の答えだ」


「ええ。でも、言葉にしてくれますか? あなたが自分の思いを言葉にするのは苦手だって、それは何となくわかります。でも、私には言葉にして伝えてほしい。それを言葉にした時、その言葉は誰かにとっての、あなたにとっても、強い心の支えになります。……それに、言葉にしないと、伝えたい人にも、きっと自分自身にも伝わりません」


 ……昔から、自分の思いを言葉にすることが苦手だった。


 だからいつも行動で示してきた。それは人付き合いにおいて、良い事も悪い事もあった。

 剣道道場の一件だってそうだ。凪も、俺が何故解体を請け負ったのか、それを言葉にしてほしかったのだろう。俺はそれを今まで怠ってきた。行動を示す事で理解してもらおうと、今までの振る舞いから理解してもらえると頼っていた。


 だからすれ違いが生まれた。言葉を紡ぐことを今まで怠ってきたから、言葉にしなければならない時に何も言えないでいた。時には言葉にしなければ人に届かない。そういった場合もある。今まで俺はそのことから目を背けていた。


唐木は一度目を瞑り、考えを纏めるとランを正面から見つめて、言葉を紡ぐ。


「……怪物、キャパシィーターは人々を襲う。それは揺るがない事実だろう。だから俺はそれを受け入れる。受け入れた上で、そうはさせない。俺はキャパシィーターから人々を守る。その思いがあるから、俺は戦うことを決めた」


 不思議な感覚だった。今まで自分の決意を言葉にしたことは殆ど無かった。だからこそ、言葉にして、自分自身の中でその決意がより強固なものになった気がした。


「そう、ですか。……では戻りましょう。アスクシステムをタッチすれば瞬間移動する以前に居た場所に戻る事ができます」


「こうか?」


 唐木は言われるままアスクシステムを操作し、姿を消す。一人残ったランは風に梳かれる髪を押さえながら一人呟く。


「……最初はどうなるかと思ったけど、やっぱり彼も唐木啓太なのね」


 その言葉を聞いた者は居ない。ぽつりと呟かれた言葉は風に流れて消えていった。


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