第10話
次の瞬間にはあの北海道の雄大な自然から、見慣れた町並みに立っていた。その現象に驚きつつ、唐木はその場でランを待つ。ランもすぐに白い光に包まれて姿を見せた。
「……ところで君は別の世界から来たと言っていたな。住むところはあるのか?」
「一応この近くのマンションを借りています。お金の方は、……両親が残してくれたものもありますし、ちょっとズルもしていますけど」
そう言ってランはちらりと腕時計を見せた。ランの腕時計には姿を隠すことや、瞬間移動、アスクの現在地を割り出す機能等がある。それ以外にも俺の知らない様々な機能があるのだろう。
「これが住所のメモです」
ランはメモ帳の一枚を千切って唐木に手渡す。
「そうか。もし何かあったら連絡してくれ」
唐木はそれを受け取るとランと別れる。ランは背を向けて去っていく唐木にしばらく手を振り、やがて去っていった。
唐木は帰宅し、リビングを覗くとそこに凪は居なかった。
「あら、おかえりなさい」
台所からエプロン姿の晴子が出てくると唐木は軽く会釈を返す。
「ただいま。……凪はどこに?」
「あの子なら部屋に居るわ。……ねぇ、あの子ったらまるで人が変わったみたいになってるけど、啓太くん、心当たりある?」
「ええ。それについて今から話に行くところです」
「そう、なら任せるわ。……それと今日は肉じゃがよ」
「ありがとうございます」
唐木は二階に上がり、凪の部屋の前に立つ。
……ランの言うとおりだ。言葉にしなければ人に伝わらないこともある。いや、実際その方が多いだろう。凪に自分の気持ちを伝えなければいけない。なぜ、自分から率先して道場の解体に取り組んだのか。それの真意を、自分の言葉で伝えなくてはならない。
あの葬式の時に出会った少年の思いは、父親に届けられなくなってしまった。いつ何が起こるかわからない。だからこそ、きちんと思いを、気持ちを相手に伝えなくてはならない。
「凪、入っていいか?」
「……」
「入るぞ」
凪からの返事はなかった。僅かな躊躇いの後、唐木はドアノブに手をかけた。昨日までなら引き返していたが、今は違う。伝えたい思いが勝った。
部屋に入ると凪は布団に包まって座っていた。顔を布団に伏せており、表情は見えないが、起きてはいる。
唐木は一度小さく深呼吸をしてから、凪に視線を向け、口を開いた。
「凪、聞いてくれ。剣道道場のことだが……まず、謝りたい。俺も解体の話を聞いたとき、思い出のある道場を壊すのは辛かった。だが、思い出の詰まった場所だからこそ、他人に任せるんじゃなく、最期を看取るつもりで解体を請け負ったんだ。それを伝えようとしなかったし、理解してくれていると思っていた……すまない」
布団に包まる凪へ唐木は頭を下げる。反応は無かった。
「それと怪物のことだが……」
怪物と口に出した途端、布団の中でびくりと凪が震えた。
無理もない。怪物に襲われ、そしてその怪物が人を殺していたと知ったのだ。滲み出るような恐怖が凪の心を揺さぶっているはずだ。
唐木は一歩近づき、ベッドに腰掛ける。
「俺は今日、怪物に殺された人の葬式を偶然見た。同じ職場に働く人で、顔は知っていたが、名前は知らない。話したことすらなかった。……正直、他人だ」
唐木は一度言葉を区切る。頭の中には言葉が思い浮かばない。だが、見た葬式の光景が、遺族の悲しむ姿が、少年の笑みは鮮明に思い浮かぶ。
「でも、その人の家族にとっては他人じゃない。大切な人だ。……だが怪物は、無慈悲に無作為に、人を襲う。その所為で傷つく人や、大切な人を失って悲しむ人がいる。俺はそれが許せない。……だから俺は、人を守るために戦うと決めた」
「……それを私に言う意味は?」
顔を伏せながらも、今まで黙っていた凪が言葉を発した。棘のある口調だったが、それが敵意からでなく、真意を尋ねるものだと唐木は知っていた。
「俺が戦う理由を、凪に知っていてほしいからだ」
唐木は一切の澱みなく答えた。二拍程の間を置いてから、凪が顔を上げ、柔らかな笑みを浮かべた。
「あんた、今日はよく喋るわね」
「明日は声が出なくなるだろうな」
唐木は軽い冗談と共に微笑む。だが、慣れてない所為か、どこかぎこちない。
「……私も、伝えなくちゃいけないことがある。あんたがどんな気持ちで道場の解体をしていたのか、汲み取ろうとしなかった事だけど、ごめん」
凪は唐木の顔を見ながら謝る。唐木は何も言わず、凪の話を聞いていた。
「それと、あの時、助けてくれて、ううん。私を助けようと一生懸命になってくれて嬉しかった。……だから、ありがとう」
凪は微笑みながら感謝を告げる。唐木は視線を下げ、照れくさそうに鼻の下を指で擦った。
「夕飯だ。そろそろ行こう」
「そうね。そろそろ行きましょうか」
唐木が先にベッドから立ち上がり、凪に手を貸す。凪は唐木の手を掴んで起き上がった。
「今日は肉じゃがだそうだ」
「へぇ。良かったじゃない」
「良かった?」
唐木が小首を傾げると凪はきょとんとした表情を見せた。
「あんた、随分昔、ここに来たとき肉じゃがが好物だって言ったじゃない」
唐木はそれを言った覚えは無かった……いや、微かに記憶の端にだが、残っていた。が、凪に言われるまでそれを忘れていた。
「……ああ。そう言えばそうだったな」
唐木は微かに微笑むと、凪を先に一階へ通す。残った唐木は部屋の電気を消してからその後をついて行った。
休憩室と表札が掛けられた狭い部屋に、背を丸めた男、木田充が入っていく。木田はポケットから小銭を取り出し珈琲を買うと、休憩室のソファに腰を下ろした。
小さなテーブルの上に捜査資料を放ると、木田は缶珈琲を目に押し当てる。じんわりと温かい缶が目の疲れを癒していく。その気持ち良さに思わず「ああ……」と声を漏れ、木田は自分の年齢を感じ、一人苦笑した。
木田も二日前の工事現場惨殺事件を捜査していたが、調べても犯人どころか目撃者すら出てこない。殺害方法も不可解で、ショベルカーによる殺害だが、ショベルカーのキーは潰れたプレハブ小屋から発見され、ショベルカー自体も多くの部品が神隠しに遭い、残りの大半の部品は炎上していた。
それに小さな履帯跡や奇妙な窪みなどといった謎もある。これらが余計に捜査を混乱させていた。
木田はその足を使って聞き込みや周辺捜査、遺族へ話を聞きに行ったが、それでも手掛り一つつかめない。それどころか捜査状況の進展の無さに、上からの小言や遺族からの追求に木田は疲れていた。
目と心を休めていると木田の懐で携帯電話が震えた。木田は珈琲缶を目に当てたまま、懐に手を入れ携帯電話を取り出す。
「はい、木田です」
「どうも鑑識の樽寺です。あ、電話番号ですけども、殺人課の方におられなかったので、上司の方に番号を教えてもらって……」
「前置きはいい。で、何かあったのか?」
「ええ、まあ。……あの足跡ですが特定完了しました。普通のスニーカーでしたが、変化があった足跡と途中まで一致します」
足跡の変化、と聞いて木田は現場を思い出す。何かが走っていた足跡が、途中で別の足跡に変化していた、あの奇妙な足跡だ。
「特定した靴なんですが、大量生産品なので正直所有者の特定まではかなりの時間がかかるかと……一応、その靴についての資料は机の上に置かせてもらいますね」
「頼んだ。……ところで、あの小さな足跡のような窪みはわかったか?」
「ええ、変化した後の足跡と一致するんですが、その正直言って……」
鑑識の樽寺は言葉に詰まった。僅か一秒二秒にも満たない間だったが、真相を追っている木田を焦らすには充分な時間だった。
「早く言ってくれ」
「ああっ、いえ、すいませんっ」
短い言葉だったがその中には苛立ちが含まれていた。電話越しにもそれは伝わったらしく、樽寺は慌てて謝ると咳払いをしてから続けた。
「その、現実離れしているんです」
「具体的に言ってくれ」
「なんと言いますか、普通の人間、いえ、陸上競技の選手ですら、この地面でこんな足跡の窪みを作ることは出来ません。現場の地面はアスファルトでなく土、それに気象条件も相まって湿って、柔らかくはなっていました。それでも畑の土と言う訳ではありません。それなのに、こんな風に足跡の窪みが出来ているんです」
「……じゃあ何か? 宇宙人の仕業とでも言うのか?」
木田は苛立ちをぶつけるように茶化しつつ言う。以前にもミステリーサークルというものを作ろうと勝手に人の土地に入り、道具や機械を使ってこういった不可解な痕跡を作ろうとしていた人間が居たことを木田は思い出していた。
「そうかもしれません」
しかし、樽寺はその言葉に意気揚々とした声色で返した。木田が「馬鹿なことを言うな」と注意しようとする前に樽寺は話を続ける。
「事実、北海道のある病院で、これと同一であると思われる足跡が発見されました。インターネットにあった写真です。……今どちらにおられますか?」
「休憩室だが……」
「今向かいます」
唐突な質問に木田は正直に答えてしまい、電話が切れると同時に後悔した。
この樽寺という男は自分と対照的にオカルト系の話が好きなようだ。居場所を伝えてしまったから、すぐにここを訪れてくるだろう。
押し当てていた缶珈琲を離して、ソファから起き上がり、足早に外へ出ようとしたが、それより早く息を切らした樽寺が入ってきた。
「はぁ、はぁ、いやいやお待たせしました。……あ、いやこれはありがたい」
樽寺は木田の持っていた珈琲を自分のものだと勘違いして、木田から奪うと、プルタブを起こし、ごくごくと飲んでいく。木田も元々珈琲を飲むつもりは無かったから、奪われた時に抵抗することは無かった。
樽寺が珈琲を飲み干すと腕で口元を拭ってから話を続け出した。
「えー、先程の話ですが……こちらをご覧ください」
「……これは、確かに似ているな」
樽寺が差し出したスマートフォンの画面を木田は半信半疑で覗いたが、画面に映る写真を見て、木田は驚いた。
画面には現場で見たものとそっくりな足跡が映っていた。ただし、今回は土の上ではなく、アスファルトだったが、同じようにくっきりと足跡を残していた。
「ここの病院に勤務する医師や患者の書き込みを要約すると、多くの人が大きな音を耳にしています。そして、数人の患者や医師は、謎の白い男を目にしていました。それが重傷な患者を担いできて、医師に渡すとそのまま姿を消した。とあります」
樽寺の話を聞きながら、木田は画面をスクロールしていく。樽寺の話の通り、多くの人間がネット上でそう発言している。
インターネットの情報やこういったサービスを好まない木田も、数々の情報を目にして小さく唸った。他に手掛りが無い以上、こういった細かなことから探していくことも重要だと、刑事の勘が訴えていた。
「……これ以上の情報はないのか?」
「ええ、まあ、自分は鑑識官ですので、これ以上は……」
「そうか。なら俺が北海道の現場の奴らに、その謎の白い男とやらに会った人間の話を聞いてくるよう頼んでみる。……世話になったな」
「いえ、全然。これからもよろしくお願いたします。木田刑事殿。……ああ、そうだ忘れるところでした。特定した靴の写真です」
頬の肉をせり上げて樽寺は笑みを浮かべる。そして思い出したように樽寺は脇に挟んでいた資料を木田に手渡した。
「こいつは、確か……」
「見覚えが?」
木田は資料に目を通しつつ、そこにある靴に見覚えを感じていた。その靴は唐木啓太が履いていたものと同じ靴だった。それを思い出した時、木田の頭で唐木啓太に関する圧縮されていた情報が解凍される。
唐木啓太は、事件のあった現場で働く少年。面識の無い被害者の葬式に出席していたこと。断定は出来ないが、疑いの視線を当てるには充分だった。犯人であることはあり得ないにしても、何かしらを見た可能性はある。
「……唐木、啓太」
木田はそう呟くと、書類を片手に休憩室から足早に出て行った。
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