第11話


「……えー、明日から夏休みで遊びに行く計画を立てている人も多いでしょうが、くれぐれも事故には気を付けて、怪我をしないように。また九月に元気な顔を見せてください。はい、じゃあ起立」


 号令が済むと同時に、わっと教室が沸き上がる。何人もの生徒が席を移動し、夏休みを喜び、遊ぶ約束や日程を話している。それとは正反対に追試やアルバイトに憂いてる生徒も居た。だが両方に共通していることは、その長期的な休みを楽しみにしているということである。


「なあ、夏休み、海行こうぜ! 海!」


「いいね。他の奴等も誘おうぜ! 今年こそは美人見つけて卒業してやる!」


 前の席に集まった二人の男子生徒が陽気に話す。その楽しげな雰囲気に釣られるように「何の話?」と他の生徒も寄ってくる。


 唐木啓太はそんな喧噪の中で一人、荷物を纏めると教室を出ていった。クラスの人間と交友がないわけではないが、それほど親しいというわけでもない。それに唐木が多忙であることは多くの人が知っていた。唐木自身はあまり口に出していないが、身を粉にして働く姿が一人の視線に止まり、そこから広がっていったのだ。

 唐木は一人、帰路を辿っていると背後で軽快な足音が聞こえ振り返る。


「なんであんたは一人で帰っちゃうのかな!?」


「……すまん」


 唐木は追ってきた相手、蒼井凪に一言、謝罪する。凪は学校から走ってきたのか、僅かに息を切らしていたが、すぐに呼吸を整え、話を続けた。


「確かに友達と夏休みの話をしてたけど、せめて廊下か下駄箱で待ってくれればよかったのに」


「……邪魔になるだろう」


 凪と唐木はそんな掛け合いをしながら歩く。凪は先に帰宅しようとした唐木に文句を言っていたが、その表情は明るく。言葉に棘はない。

 凪の笑顔を目にするのは久しぶりだった。剣道道場解体の一件以降、凪は唐木の言葉に耳を貸そうとせず、険悪な空気が常に漂っていたが、唐木が自分の意思を言葉で伝えたことで互いの間に流れていたわだかまりは消えた。


「夏休みか……そう言えば、あの二人は仲が悪かったんじゃあないのか?」


「あの二人? ……ああ! もしかしてサッカー部の?」


「ああ。名前は知らないが、その二人だ」


「まあ、互いに掴み合ってて、もう少しで手が出そうだったしね。……でも此間きちんと話し合って仲直りしたらしいわよ。私も友達から聞いただけだし、何が原因なのかはわからないけど」


「そうか」


「何、気になるの? 珍しい」


「ああ」


 唐木は短く答える。名前を知らない二人組とは言え、誰かがいがみ合う姿は楽しいものではない。実際、殴り合い寸前で仲裁に入ったのは唐木である。とはいえその方法は互いの両腕を掴んで「暴力は止せ」と言っただけだが。

 それ以降、二人の仲が険悪なのは誰からでも見て取れた。しかし、連休明けに二人は遊びに行くほどの仲に戻っていた。

 凪が言うには「きちんと話し合って仲直りした」とのことだ。互いに険悪な仲になったとしても、きちんと話し合うことで以前よりも強い絆を結ぶ。唐木がそれを体験したのはつい最近の事だ。

 凪は唐木の返答に「ふうん」と相槌を打つと、唐木の顔を覗きこんで口を開いた。


「ねえ、あんた文化祭はどうするの?」


「文化祭?」


「そう。夏休みが終わったらすぐよ。私は生徒会の方で運営も色々やらないといけないから、あんまりクラスには参加できないかもしれないの」


「そうか」


 唐木は一言だけ答える。その声色からは無関心が滲んでいた。凪はきゅっと唐木の前に回りこむと、人差し指をぴんと立て唐木の目を見据える。


「だから私がクラスに参加できない分、あんたに皆を引っ張ってほしいの!」


「……」


 唐木は何も答えなかったが、その顔には疑問符が浮かんでいる。細い瞳は明らかな人事ミスを訴えていた。


「勿論、あんたにリーダーをやれってことを言ってるわけじゃないわよ。そんなのあんたに一番向いてないことくらい私が一番理解してるもの」


「なら、俺に何をやれと?」


「リーダーの子が居るから、その子の言うことを聞いて積極的に行動して。たぶん文化祭一週間前かそれよりちょっと前くらいには、皆疲れてきて、不満が溜まってくるだろうから、動きも鈍くなるだろうし、リーダーに食って掛かるようになるの。だからその子のサポートをお願い」


「……わかった」


 唐木は小さく唸ってから了承する。凪はその様子に満足したらしく笑みを浮かべたままうんうんと頷いた。


「それにしても暑いわね。どこかファミレスでも寄ってから帰る? ドリンクバーくらいなら奢るわよ」


「いや。用事がある」


 凪の誘いを断り、駅で凪に別れを告げて足早に去っていく。凪は行き先を告げずに去っていく唐木の背中を見つめながら「何の用事よ」と呟くと、つかつかと大股で駅の構内へと入っていった。



 唐木はメモに記された住所と、携帯電話の画面に映る地図を交互に見つめながら歩く。以前ランから手渡されたメモに書かれた住所を探した。

 唐木がランに会いに行くのには理由がある。アスクの性能について知っておきたいからだ。

以前に蛇のキャパシィーターと対峙した際には、謎の囁きによってある程度は性能を理解できたからこそ、敵を圧倒する事ができたが、もしも性能を理解していなければ、あれ程までに素早く決着をつけることは出来なかっただろう。

それにそれが何時までも続くとは限らない。いつかは自分よりも性能と経験が上回る相手が現れるかもしれないし、多数で攻めてくるかもしれない。

だからこそ、アスクには何が出来て、何が出来ないか、どんな攻撃方法があるか。それを深く理解しておかなければならない。

唐木はメモに記された住所に辿り着くと、目の前に聳え立つマンションを見上げる。唐木はマンションの中に入ると、フロントのインターホンに部屋番号を打ち込む。数秒の電子音の後、がちゃりと受話器を取るような音がフロントに響く。


「唐木啓太だ。話がある」


「……か、唐木さん? 今開けますが、ちょっと待っていてくださいね」


 扉のロックが解除される音がし、唐木はマンションの中へと足を踏み入れる。マンションは新築で、デザインと材質が美しく、高級感溢れる造りとなっていた。

 唐木はエレベーターで上がり、最上階間近の階で降りるとランの部屋へ向かった。部屋の扉の前で唐木は一度、インターホンを押してから数回ノックをし、ランを待つ。しかし、しばらく待っても返事一つ返ってこない。


「……?」


 唐木は何の反応も無い扉の前で首を傾げる。不審に思い、ドアノブに手をかけた時、容易く扉が開いた。

唐木は部屋に足を踏み入れつつ、ポケットの中のアスクシステムを握り締める。

ランはアスクシステムに深く関係する人物。そんな彼女を狙おうとする存在が居ても不思議ではない。

 唐木はアスクシステムを握り締めながら周囲に耳を澄ます。フローリング張りの廊下を、音を立てぬよう摺り足で静かに移動していると、足裏に水気を感じた。靴下が濡れ、滑りが悪くなる。


 ……まさか、血か?


唐木は足元へ視線を落とすが、それは血ではなく、無色透明な水であった。唐木はその水滴が足跡のように続いているのを発見すると、それを視線で追う。

足跡は右端の扉に続いており、その中からは僅かに音が聞こえる。唐木は意を決し、力強くその扉を引いた。


「…………」


 そして即座に後悔した。


「……えっ?」


 どうして俺はこうも同じミスをするのだろうか。前回もそうだ。ノックや声を掛ければ済む様なことなのに、それを怠った。それに今回は間抜けにも怪物の仕業かと断定して、他の可能性を考えなかった。恐らくキャパシィーターの存在に、危険性に、過敏になっているのだろう。

 唐木の頭の中には自己嫌悪と後悔の念が渦巻いていた。だからこそ、本来取るべき正しい行動をせず、その場に突っ立っていたのだろう。

 この扉は洗面所、風呂場の扉であり、扉の向こうにはランが立っていた。ただ、ランは風呂上りだったのか、首に掛かったタオルと、履こうとしている下着以外、何も着ていなかった。

 白く、だが健康的な肌にうっすら滴る水滴。月明かりのような金髪も水に濡れ、石鹸の芳しい匂いが鼻孔を通る。

扉を開けたとき、困惑の声を上げたランだったが、次第に顔が紅く染まっていく。唐木はやっと我に戻ると慌てて扉を閉める。そして扉越しに一言、


「……悪い」


とだけ告げた。


 唐木は目を瞑り、リビングで正座していた。誰に強要されたわけでもないが、そうしておかなければ精神的に収まりがつかなかったからだ。


「すいません。寝汗が酷くてシャワーを浴びていたので……唐木さん?」


「本当にすまない」


 ランの声が聞こえると唐木は手と頭を地面に押し付けた。土下座である。


「え、いえ、そんな、顔を上げてください」


 ランは戸惑いながら土下座をやめるように促す。唐木は不承不承といった様子で頭を上げる。そこには既に服を着たランが立っていた。

しかし、髪はどこか濡れ、完全には乾いていない。それがそこはかとない色気を醸し出しているが、自責の念に包まれている唐木には、鼻の下を伸ばす余裕など無かった。


「それで、一体どうしたんですか?」


「……ああ、アスクについてだが、一体これにはどれくらいの事が出来て、何が出来ないか、どんな機能を持っているのか、それを知りたい」


 唐木はポケットから白いスマートフォン、アスクシステムを取り出して、机の上に置いた。


「それなら口頭で説明するよりも実際に動かしながらの方が良いと思いますよ」


「だが、この近くでの使用は不味いんじゃないか……?」


「それについては私も同意見ですので、遠い場所で行いましょう」


 ランは唐木の前で屈み、アスクシステムを操作する。その時、ランから石鹸の柔らかな匂いを感じ、唐木は僅かに身体を後ろに反らした。

 ランがアスクシステムを弄り終え、唐木に握らせる。その瞬間、姿が変わるときのような白い光が溢れ出し、二人を包んだ。そしてその光が収縮するとその場には誰も居なかった。



 光に目が眩んで、目を瞑っていたが、先程とは違う別の光や体に感じる風を受けて、ゆっくりと目を開ける。

 唐木が目を開けると、そこはマンションの一室ではなく、採掘場だった。周りは岩と土しかなく、色彩も灰色を基調とした単調なものだった。


「ここはもう使われなくなった採石場です。周りには人は居ませんので、アスクの性能を測ることも、様々な武器のテストにも最適な場所かと思います」


 いつの間にか隣に立っていたランが説明する。唐木は相槌を打つことなく、周囲を見回していた。

 前々から瞬間移動が出来ることは知っていたが、それでも驚かされるばかりだ。しかし、これほどのものをたかが十五年程度で作れるとは思えない。並行世界とやらの技術が進歩しているのか、それともランが何か隠しているか……。


「唐木さん? どうかしました?」


「いや、ここなら大丈夫なんだな?」


 ランは不思議そうに唐木の顔を覗く。唐木は思考を打ち切り、誤魔化すように尋ねた。


「ええ、先程お伝えしたように近くに人は居ませんので……」


「わかった」


 再度確認する唐木の発言に対し、小首を傾げながらもランは答える。唐木はもっと違うことを聞けばよかった。と後悔しつつ、アスクシステムを強く握り締める。


「……変われ」


 心で念じ、言葉にした瞬間、全身を白い閃光が包んでいく。アスクシステムから放出される微細な結晶が唐木の表面を覆い、結晶同士が結合していく。

 光が収まる頃には、唐木はアスクへと変身していた。

 その場で手を何度か開閉させて、感覚を確かめる。握力の増大こそ感じるが、変身しても指の動きに違和感は無い。

 視界も全方位見えているが、少し意識すれば宙を舞う砂埃も見え、逆に普段通りの視界にすることだって出来た。聴覚も、それ以外も同様だ。意識し、集中することで五感を制御できる。……この感覚を覚えておかなければならない。


「よし、大丈夫だ」


「でしたら、武装一覧と思い浮かべてください。そうしたら視覚情報に武器のリストが表示されると思います。ある程度の詳細はそこに記載されているので、そこから武器を選んでください」


 唐木は言われるまま、武装一覧と胸の中で呟く。その瞬間、片目に武器のリストが表示される。それに驚きながらも唐木は武器一覧を眺める。


「すごいな。まるで――」


「通販カタログみたい、ですよね」


 唐木が感想を呟こうとした時、ランが先に答える。唐木は先に言われて、どこか恥ずかしくなり、仮面の下で顔を赤くしながらランに視線を向ける。ランは柔和な笑みを浮かべながら、優しげな瞳で見つめている。


 ……前々から僅かに感じていたことだが、ランと話す時、どこか見透かされているような、いや、違う。

うまく言葉に出来ないがランは俺を知っているような気がした。俺はランのことを知らないが、彼女は俺のことを知っている。そんな感覚を覚える。

 初めて出会ったときには俺の顔を見て驚き、名前も尋ねた。俺が口下手な事を見抜き、言葉によって伝える事の大切さを諭した。

それ以外にも時折、懐かしむような視線を向けられることもあった。それを不快に思ったことは無いが、不思議に思ったことは多々ある。理由を聞こうかと思ったが、どこか恥ずかしさもあり、聞けないでいた。


「まあ、いいか」



「どうかしました?」


「なんでもない。……武器のテストをしてみる」


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