第12話


 一頻りアスクと武器のテストを終え、唐木と凪はマンションに戻る。既に日が落ち始め、空は橙から紺へと染まりつつある。開いていた窓から、微かに子供の声とカラスの鳴き声が聞こえる。

 唐木はランに別れを告げ、マンションから出ていく。

ふと腕時計に視線を落とすと、時刻は午後六時半。今から帰り、電車に乗ればぎりぎり七時頃には家に着くだろう。だが電車を乗り過ごせばもっと遅くなる。

唐木はアスクシステムではない、自前の携帯電話を取り出すと家に電話を掛ける。


「はい、蒼井です」


「俺です。唐木です」


しばらくの電子音の後、がちゃりと言う音と共に電話の向こうで受話器が取られた音がし、蒼井晴子が電話に出る。


「啓太くん? 今どこに居るの?」


「少し用事があって……夕食ですが、先に食べていてください。今からだと電車に間に合うかわからないので七時頃か、それより遅くなるか……」


 唐木は一度言葉を止める。路地の角からスーツを着た白髪交じりの男、刑事の木田充が待ち構えていたかのように現れたからだ。


「帰りは遅れます」


 唐木はそれだけ告げると携帯電話を耳元から離す。スピーカーの向こうで晴子が何か言っていたが、唐木はそれに意に介すことなくボタンを押し通話を終了した。


「こんばんは。唐木啓太くん」


「どうも」


「俺のことは覚えてる?」


「覚えています」


「そりゃ嬉しいね」


 木田は笑って見せたが、愛想笑いであることは誰が見ても明白だった。


「……何の用ですか?」


「いや、ただ仕事中に君を見かけたから声を掛けただけだよ。それに君こそあのマンションに何の用だったんだ?」


 ……見られていたのか。


 唐木は胸の内で僅かに毒づいた。この木田充という刑事は工事現場での殺人事件について捜査している。

事件の真相を知る唐木は、あれは人知の及ぶ相手ではない怪物。キャパシィーターによるものだと教えたい気持ちが噴き上がってきた。だが、それは即座に理性によって抑えられた。


 その理由は単純。信じてもらえるはずが無いからだ。「怪物が現れて人を殺して、それを別次元の人間から貰ったスマートフォンで変身して倒した」などと言っても頭の可哀想な人間として見られるだけだ。

 目の前でアスクに変身して見せれば信じて貰えるかもしれないが、以前にランは「政府にはアスクシステムを渡せない」と言っていた。下手に見せればアスクシステムを奪われる危険性もある。

 ランについても同様だ。彼女が別次元から来たと言うのなら、この世界に戸籍や、身元を証明するものは何も無い。マンションを借りるのも「ズルをした」と言っていた。それがどんな方法なのかは見当もつかないが、軽々しく警察に伝えていいものではないだろう。


「友達の家で遊んでいただけです」


「そうなのか、その友達は何て名前なんだい?」


「何故そんなことを?」


「いや特に理由は無いさ。ただ刑事をやっているとただの世間話でも質問癖がついちゃってさ」


 唐木が訝しむような視線を向けながら尋ねると木田は、手を振りながら笑ってみせる。だが唐木がそれに合わすことは無かった。


「あ、そうだ。また質問で悪いけど……この写真を見てくれるか?」


 木田は思い出したように懐から写真を取り出し、唐木に見せる。その写真は土の上に靴跡があるだけの不思議な写真だった。


「これは事件現場にあった靴跡だけども、この跡を調べてみたらある靴と一致したんだ。……偶然にも君が履いている靴とね」


「……俺はそこで働いていますので」


「まあ、そうだろうな」


 木田は追及せずさらりと流す。唐木がそう答える事は想定していたからだ。


「だが、俺が気になるのはこの次だ」


 そう言って木田は次の二枚の写真を見せる。片方は途中で足跡が別の足跡に変化している。もう一枚は地面を穿つ大きな窪みだ。

 唐木はそれに見覚えがあった。一枚目は走っている最中にアスクに変身した際の足跡。もう一枚はアスクの驚異的な脚力で地面を抉ったもの。特に後者は唐木の野印象に強く残っていた。


「不思議な足跡だろう。途中から君と同じ靴の跡が変化して、謎の足跡になっていて、もう片方はその足跡が地面をぶち抜いてる……」


 木田はそこで言葉を区切ると、しばらく間を置いた。


「……正直に言ってほしい。君は何を知っている?」


 木田の瞳は鋭く輝き、唐木を見据えていた。その眼光に怯むことはなかったが、唐木は言葉を失っていた。

 この男は、着実にアスクとキャパシィーターに近づいている。恐らく俺が事件現場に居た確証も得ているだろう。その上で「警察は知っている」という揺さぶりを掛け、情報を引き出そうとしている。


 ……待て、何故この刑事は事件について聞かないんだ?


俺が事件現場に居たと知っているなら、何を隠しているのか、何を目撃したのかを聞くはずだろうし、揺さぶりを掛けるなら、後の二枚の写真なんて見せる必要は無いはずだ。

この刑事の目的は何だ……?

どこまで知っているんだ……?


 思考を巡らせようとすると、それを遮るかのごとく、ポケットの中でアスクシステムが振動した。その振動がキャパシィーターの出現を知らせるものだと、唐木は瞬時に理解した。


「……すいません、用事が出来ました」


「あっ、おい、待てっ!」


 唐木は質問には答えず、一言だけ告げると木田の横をすり抜け、走り去る。呆気に取られた木田は引きとめようと、唐木を追いかける。だが、唐木は脇道を曲がった瞬間にアスクシステムによる瞬間移動を慣行していた。

 後を追う木田が脇道に来たときには唐木の姿は既に無かった。木田は突如消えた唐木に対し、その場で目を白黒させるが、ぼりぼりと頭を掻いてから路地から視線を外し、先程唐木が出てきた高層マンションへと視線を向けた。

 


 唐木は路地を曲がると同時に、アスクへ姿を変え、キャパシィーターが出現した場所へと瞬間移動する。

 白い光が収縮したと同時に、アスクの全身を押す強い風が吹きつけた。白く艶やかな表面装甲を風が撫でる。アスクはそれに怯むことなく、静かに周りを見渡す。

 アスクの眼下に広がるのは煌めく色鮮やかな光に、鳴り響く雑音、賑わい。そして聳え立つ建造物の数々、行き交う人々。


「……都心に現れたのか」


 高層ビルの屋上から街を見下ろしながら、唐木は仮面の下で呟いた。

この事態を想定していなかったわけではない。今までキャパシィーターは人気の少ないところに現れていたが、それはただ運が良かっただけだ。こんな多くの人々が集まる都心に集まらないという保証などはどこにもなかった。

もしこの場で戦うのならば、双方の存在が人目に触れることとなる。それどころかキャパシィーターによる被害も出るだろう。その前に倒さなくては……。


アスクは一度深呼吸をし、未だ姿の見えないキャパシィーターを捉えるべく、神経を集中させ、五感を研ぎ澄ます。

ありとあらゆる音、視覚情報が唐木の頭に流れ込む。それをアスクシステムが処理し、脳への負担を抑える。

数秒後、アスクはキャパシィーターの存在を検知し、顔を上げる。濁った空を黒鉛の翼で隠す、巨大なカラスの怪物。キャパシィーターがそこにいた。

キャパシィーターはそのぬめりのある黒い瞳でアスクを見下ろす。そのキャパシィーターはこれまでと同じく人型ではあるが、その腕は巨大な翼で、足も三つの爪があり、その見た目通り、カラスを基礎として作られていた。

 何十メートルもある高層ビルより、更に上で浮遊するキャパシィーターとアスクは睨み合う。双方の間には煌びやかな眼下の街とは正反対の、緊迫した空気が張りつめていた。


 アスクは暗闇の中でもキャパシィーターの姿が鮮明に見えており、更には視覚を研ぎ澄ますことで、キャパシィーターの皮膚構造、筋肉の動きすら認識出来ていた。身体能力を把握することで、どの程度の動きができるのかも理解している。だが、その上でアスクは攻撃を躊躇っていた。

 

 再び、突風が吹いた。


 ……やはり、そうか。


 唐木は推測が確証を得たことで、胸の内で納得した。眼前のキャパシィーターは地に足をつけていないのにも関わらず、その場で吊り下げられたかの如く羽ばたき、浮遊している。身じろぎするほどの突風を受けてなおもだ。

 上空でバランスを取り、風を受けても身じろぎ一つしない繊細かつ力強い翼。確実に今までの相手とは違うと唐木は認識した。

 それにアスクが銃弾並みの速度で飛び掛かったとしても、相手は上空。軽く身を翻すだけで避けられてしまうだろう。足場のない上空で避けられてしまえば飛行できないアスクは地上へと落下し、アスクも下にいる人も無事では済まない。


 ……仕方がない。


 アスクが拳を開くと、そこに白い光の結晶が集まり、何かを形成していく。光が収縮すると、アスクの手には拳銃が握られていた。

拳銃はアスクの装甲とは対照的な黒く、艶の無い色で、形状は既存の拳銃とは異なっていて、どこか玩具のようでもあった

 アスクは素早く腕を上げ、その銃口をキャパシィーターに向けて、引き金を引く。

空気を焦がすほどに眩い光線が宙を奔り、キャパシィーターへと進む。それまで宙に浮かんでいるだけだったキャパシィーターも、翼を羽ばたかせそれを避ける。


 小型圧縮ブラスター。それがこの拳銃の名称だった。

光、熱量のエネルギーを極度に圧縮させ、光線として放出する。その威力、弾速ともに従来の拳銃を大きく上回り、命中すれば戦車ですら風穴を開けることは容易い。

 ランからのレクチャーを受け、それを岩に向けて撃ったとき、日常ではまず触れることのないその威力に唐木は驚いた。そして同時に恐れも感じた。

もしこれが人に当たれば絶命は免れない。唐木はそれを理解した。だからこそ、高層ビルの屋上とは言え、人が密集するこの街中での銃の使用を躊躇ったのだ。


 だが、キャパシィーターはいとも容易くそれを避けた。

唐木自身、銃を握ったのは今日が初めてであったが、アスクの超人的な感覚と身体能力を持ってすれば素人であっても射撃の世界記録を塗り替えることが可能だ。

 それに加えて、赤外線によるレーザーポインターが引き金を引くに照射されることで、弾道を映し出すことで確実に相手を捉える事できる。


アスクはもう一度狙いをすまし、引き金を引く。赤い閃光がキャパシィーターへ奔るが、キャパシィーターは再び避けた。

続けざまに、二発、三発と連射するも、まるで遊ばれるように避けられ、閃光は暗い空へと梳けていく。


「下手くそめ」


 アスクを嘲笑うようにキャパシィーターは呟いた。風と銃の音に紛れて常人なら聞き取れないような声量だったが、アスクとなった唐木には聞き取ることが出来た。


「……何?」


 唐木はキャパシィーターの呟きに思わず声を上げた。低く、しわがれた声だったが、その発音、イントネーションは完璧であったからだ。


「下手くそだと言ったのだ。間抜け」


 だが、キャパシィーターは唐木の発言を聞き返したのかと解釈し、もう一度、嘲笑する。


 ……こいつは、違う。


これまで二体のキャパシィーターと対峙したが、蛇を基礎にした怪物は喋らず、ショベルカーの方は人の言葉を解したが、片言で一方的だった。

 だが、今回の相手は違う。人の言葉を滑らかに話し、会話をすることが可能だ。それが今までの相手とは一線を画す大きな部分だ。


「……なんのつもりだ?」


 アスクが銃口を下げると、キャパシィーターは怪訝な表情を浮かべる。勿論、人とは全く違う顔の構造ではあるが。


「……言葉がわかるのか?」


「何を今更……知性の低い雑兵共と一緒にするな」


 問いに対し、キャパシィーターは苛立ちつつ答える。唐木はその反応により驚いた。コミュニケーションが成立しているからだ。


「……興が冷めた。それにここは眩しすぎる」


 そんな唐木の様子を見てか、キャパシィーターはそれだけ告げると翼を羽ばたかせ、飛んでいく。アスクは去っていくキャパシィーターに銃口を向けたが、キャパシィーターは低空で飛んでいた為、もしもアスクが外せば、周りの人々に被害が出るだろう。


「待てっ!」


 アスクは高層ビルの屋上を蹴り、矢のように駆け出した。ふわりと何にも体を縛られることのない浮遊感を感じたのも束の間、すぐに重力により体が地面へ引き寄せられる。

 アスクは眼前のビルの屋上に着地すると、再び駆けキャパシィーターの後を追う。だがビルからビルへ、屋上から屋上へと飛び移る為、直線距離を移動するキャパシィーターとの差は広がるばかりだった。

 あるビルの屋上でアスクは足を止める。目の前に高いビルは無く、既にキャパシィーターの姿は見失っていた。

神経を集中させれば数百メートル程度までならば、キャパシィーターの位置を視認することは可能だが、それを行う間は身動きが取れない。そしてその間にもキャパシィーターはより遠くへと飛び去っていく。


「……逃がしたか」


 アスクはしばらくの間、キャパシィーターが消えた闇夜を見つめていたがすぐに踵を返し、その場から姿を消した。


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