第13話



「すいませーんっ、から揚げ追加で!」


 居酒屋のがやがやとした喧騒の中、小太りの男、樽寺は手を振りつつ声を張って叫んだ。それに気付いたらしい店員はよく通る声で「はーい」と返事を返した。


「木田刑事は枝豆だけでいいんですか?」


「ああ。……よくそんな揚げ物ばかり食えるな」


 座敷で対面して座る白髪交じりの男、木田充はから揚げや串カツを口一杯に頬張る樽寺の姿にしかめっ面で浮かべていた。


「油を食べずとしてこの仕事はやってられませんから」


「老後が心配だな」


「老後のことを考えるならこの仕事には就いてませんよ」


 樽寺は顎と首が一体化しつつある肉を揺らしながら笑みを浮かべる。木田は日本酒を一杯煽り、樽寺の発言に自嘲するように頬を緩ませた。


「随分お疲れのようですが、何かありましたか?」


「いや、今探りをかけてる相手をつけてたんだが、途中で撒かれちまって。そいつが行ったマンションにも行ったんだが……」


 そこでから揚げを持った店員が現れ、木田は一度言葉を止める。開いた皿を持って店員が去っていくと再び話を続ける。


「……で、そこのマンションの管理人に頼んで監視カメラの映像からそいつがどんな部屋に入ったか突き止めて、予備の鍵でその部屋を開けて貰ったんだが、どういう事か、空き室、もぬけの殻だったわけだ。わけがわからねぇよ」


 木田は悪態を吐くと注いだ日本酒をくいっと口元へ運んだ。


「殺人課の刑事の尾行から逃れるとは、なんとも……」


「しかもちょっと路地を曲がったらだ。煙のようにふっと消えやがった」


 木田は枝豆に手を伸ばすと豆を押し出し口の中に放った。枝豆を咀嚼しながら、木田は柱の上部に備え付けられているテレビに視線を向けた。喧騒に掻き消されて音は聞こえないが地元のニュースが流れていた。


「こちらは木田刑事のおかげで充実した時間を過ごせましたよ」


「ああ、あの与太話か?」


 樽寺の声を耳にし、木田は意識をテレビから離す。


「与太話? いえいえ、とんでもない! これはすごい情報ですよ」


 冷めた反応の木田とは対照的に樽寺は身を乗り出す勢いで言い放った。


「入院した男性の証言によると蛇の怪物によって腹部に怪我を負い、動けなかったところを白い仮面の男によって助けられ、病院まで運ばれた、とあります。……木田刑事の言いたい事は理解できますよ。いきなり蛇の怪物なんて出てきた所為で信憑性が無くなってしまったから、与太話と表現しているのでしょう」


 木田は何も言い返さなかった。樽寺の言っている事は的を得てるからだ。それに加え、北海道の刑事に電話で聞いた際に、小馬鹿にされたことも尾を引いている。


「まあ、にわかには信じがたいものではありますが、しかしこれには事件の謎を紐解く、核心的な何かが……」


 段々と話に熱を帯びさせながら語っていた樽寺の口が、ぴたりと止まる。木田はその様子を不思議に思い、樽寺を見る。樽寺の視線は何かに釘付けになっており、口は大きく開いている。木田もその視線の方向に目をやる。

 樽寺の視線の先にあったテレビには先程のニュースが流れていた。ニュースは終盤に差し掛かり、女性アナウンサーがテレビ局の外で明日の天気を伝えていたのだろう。

だが、天気のイラストが描かれた気温と湿度を表示するパネルは倒れ、カメラはがたがたと揺れて、蜘蛛の巣をつついた様な騒ぎだった。


「何だあれ、カメラ、映せ、映せ!」


「なにあれっ、きゃあっ!」


 アナウンサーやカメラマンが騒ぎ、必死に何かを捉えようとする。その異様な雰囲気が居酒屋にも浸透して行き、少しずつ店内が静まっていく。

 カメラが黒い人影のようなものを捉える。次第にピントが定まっていき、その姿が鮮明になっていく。ライトが黒い人影を照らしたその時、黒い人影は巨大な翼を広げ、どこかへと飛び去っていった。カメラはその後を追おうとするが、黒い人影はあっという間に闇夜に消えてしまった。


「あれは一体……?」


 テレビを見ていた人は口々に、あれは何だったのかと懐疑の声を上げる。木田もその一人だった。木田はあの映像に唖然としていたが、樽寺はタブレット端末を食い入るように見つめ、指先と目玉を忙しなく動かしている。

 回答の無い疑問に飽き、人々は再び酒を煽る。居酒屋の雰囲気が正常に戻っていき、賑わいを取り戻し始めた。だが、木田はあの黒い人影の姿が頭から離れないでいた。


「木田刑事、これを見てください」


 樽寺が周りを気にするように小声で呼びかけ、タブレット端末の画面を見せる。その画面には、先程の翼を持つ黒い人影に似たモノの写真が映っていた。


「ネットに上がってるこの写真は数時間前の物ですが、都心の上空でも、先程のものと似たような目撃情報が出ています。それに加え、こちらの方も……」


 樽寺が指で画面を弾くと、次々と画像が切り替わっていく。大体の写真が黒い鳥、カラスのようなもの不鮮明な写真だったが、途中で白い何かに赤い残光の写真が表示された。

「これは、人か?」


「ええ、不鮮明ではありますが、形は人間に近いかと……しかもこの白いのはビルの間を驚異的な速度で跳びまわっていた様です」


「まさか証言の……?」


 木田には自分が馬鹿げた事を言っている自覚はあった。だが、それを抑えることが出来ないほど様々な事象が溢れていた。


「蛇の怪物ではありませんが、鳥の怪物にそれを追う白い男。これはひょっとして未知との遭遇かもしれませんよ」


 樽寺はそう言ってにやりと口角を上げた。木田はその画面に映る写真を見て、数秒思案した後、残っていた枝豆を口に押し込むと急に席を立った。


「ちょっ、どうしたのですか木田刑事?」


「現場だ。鳥の怪物や白いのが居たって場所を教えろ。この目で直接現場を見たい」


 木田が上着を羽織り、外に出る準備を済ますと、樽寺も慌てて荷物を抱え、残っていたから揚げを口の中に押し込み席を立った。



「お母さん、お風呂出たよー」


 凪は濡れた髪をタオルで拭きながらリビングへ向かう。リビングではソファに腰掛けながら凪の母である、蒼井晴子が煎餅を食べながらテレビを見ていた。


「んー、テレビ見てるから啓太くんに先入るように言っておいて」


「啓太ならもう入ったわ。お母さんが最後よ」


「あらそう。なら入ってくるね」


 ちょうど画面下でスタッフロールが流れ出すと晴子は腰を上げ、リビングを後にした。凪はソファに腰掛けるとドライヤーで髪を乾かしながらリモコンを操作する。

 大体の番組が放送終了時間を迎え、次の番組への繋ぎとしてコマーシャルやニュースを流している。凪は髪を乾かしている間の暇潰しとしてニュースを見ていた。

 地元に関するニュースで、交通事故や、地域の祭りなどが報道され、最後には女子アナウンサーが明日の天気予報を読み上げていたとき異変が起こった。

 カメラが揺れ、スタッフやアナウンサーがパニックを起こす。カメラが建物の屋上に立つ黒い人影を映したとき、その人影は翼を広げどこかへと飛び去ってしまった。


数秒間の出来事であったが、凪にはその黒い人影が何であるかわかった。次元を超えて別世界から現れる怪物、キャパシィーターの一種であると。

凪はテレビの電源を切ることなく、唐木の部屋へと向かった。


「ねえ、テレビに鳥っぽい怪物が映ってたわよ!」


「……そうか」


「そうか、って、それだけ?」


 唐木は凪を見ず、短く答える。そんな反応に凪は拍子抜けした。


「あんた、どうしたの?」


「……わからない」


「……本当にどうしたのよ? 何かあったなら聞くわよ」


 唐木はしばらく黙り、凪に背を向けながら零すように話し出した。


「今日キャパシィーターと戦ったとき、相手は言葉を発した。俺が聞き返すと、向こうも返答を返した。コミュニケーションが、言葉が通じた」


 凪は少なからず、あの怪物に言葉が通じることに驚いたが、今は黙って唐木の話を聞いていた。


「キャパシィーターが人を傷つけるとはいえ、意思疎通が出来るなら、戦う必要は無かった。いや、命を奪わなくても解決できたかもしれない。話し合うことでわかりあえたのかもしれない。だが、俺は、俺は……」


 唐木の背中が小刻みに震える。今、唐木の心中では様々な感情が大きな渦を巻いて平穏をかき乱していた。

 凪はその言葉から、背中から、唐木の想いが感じられた。


 そうだ。そうだった。昔から、啓太は優しい人間だった。口下手さと無骨な外見で隠されているが、誰かが傷つけば悲しみ、誰かの喜びを共感できる優しさを持っていた。

剣道という武を学び、肉体面においても逞しい唐木だが、喧嘩をしたことや、誰かに暴力を振るったとこは一度も無かった。

唐木が怪物と戦う戦士になることはある意味では最も不適合なことだろう。肉体面では優れている唐木だが、戦士としては優しすぎた。

これまで唐木が戦えたのは、キャパシィーターが知性、感情を持たない、ただ人を殺す獣だと思っていたからである。

 だが今、知性を、感情を持ったキャパシィーターと直面し、唐木は「話し合いのできる可能性のある相手の命を奪った」という後悔と「戦わなければ罪も無い人が死んでいた」という責任のせめぎ合いを感じていた。

 幼くして両親を事故で亡くした唐木だからこそ、命の重さを知っている。それが怪物であろうと唐木の中では命の重さは変わらないのだろう。


「でも、啓太が戦ったから私も、他の人も生きていられるんだよ」


 ……啓太のおかげで助かる命がある。だけど、その為に別の命を奪った。そのことがわからない啓太じゃあない。だから、こんなことしか言えない自分が憎かった。


「そうだな。……ありがとう」


 唐木は背中を向けたまま静かにそう呟いた。


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