第14話
翌朝。木田は眠気に目を擦りながら現場へと向かっていた。昨日の夜、樽寺と共に「白い男」と黒い影が目撃された現場へと赴いたが、手掛りになるものは何一つ無く、貴重な睡眠時間を無駄にしただけだった。
警察によって片側の車線を一部封鎖されており、通行人やドライバーは怪訝そうに封鎖した道路にあるテントと、ボンネットが窪んだタクシーに視線を向けていた。
木田は聞き込みをしているマスコミを無視し、つかつかとテントに向かう。入り口を警備する警官にバッチを見せ中に入る。
テントの中は蒸し暑く、空気が篭っていた。鑑識の一人が証拠を探し、もう片方が現場の写真を撮っていた。その二人の中心には、腕と脚があらぬ方向に曲がった一人の男性が死んでいた。
木田はテントの外に出ると大きく息を吸った。木田は意識こそしていなかったが、テントに居た間、息を止めていた。
「よう、木田。ホトケはもう見たか?」
「おはようございます。今見てきました」
木田は声を掛けてきた初老の刑事にそう返すと、手渡された缶珈琲のプルタブを上げた。一口飲むとその苦味が口の中に広がり、眠気が少し消えた。
「犯人はあそこの車の運転手。免許は取られて職を失い、後は裁判……普通ならそんなところでしょうが、それなら俺達はお呼びじゃあない。一体何があったんです?」
「ああ。それがな、どうやらこいつは飛び降りみたいなんだ」
「飛び降り? どこからです?」
木田は頭を上げ、周りを見渡す。周りに高い建物は無く。道路も建物から離れている。
「タクシーの運転手が言うには、空からボンネット目掛けて落ちてきたらしい。タクシーのカメラを確認したが、運転手の言う事に間違いは無かった」
「空から落ちてきた……?」
「それもあの骨折具合からかなりの高さから落ちたらしい」
初老の刑事は参ったように顎を撫でる。木田はもう一度空を見上げた。空は快晴で、まばらに白い雲が広がっていた。
「航空記録は確認しました?」
「ああ。昨日は民間もマスコミも飛んでない」
二人は眉間に皺を寄せ、不可解な事件に頭を抱えた。
「鑑識の間では空から落っこちた、鳥人間の仕業とかぬかして困ったもんだ」
「鳥人間?」
「昨日の天気予報に映った奴だよ。でっかい鳥みたいな人間。そいつがガイシャを掴んで車の上に落とした……全く、馬鹿げてやがるが、こうも不可解な事件が続くと警察も妄想しちまうのか」
木田は昨日の居酒屋のテレビに映った、巨大な翼を持った黒い影、鳥人間を思い出した。あの後、樽寺を連れて現場へと向かったが、鳥人間の痕跡は何一つ見付からかった。
だが、証拠が無かったにも拘らず、木田は初老の刑事のように妄想と一蹴する気が湧かなかった。
「お二方、見てもらいたいものが……」
テントから鑑識が顔を出して木田達を呼ぶ。木田と初老の刑事は誘われるまま、テントの中に入る。鑑識は死体の前で屈むように指示し、死体の肩を指差す。
「服の肩に奇妙な皺がありまして、こちら、ご覧ください」
鑑識は服を捲り、死体の肩を見せる。白くなった肌だが、肩には不思議な痣が浮かび上がっていた。
「この痣は生前についたものですが、かなりの力だったみたいですね」
「なら、ガイシャは誰かともめていたのか?」
「この痣の痕は人間の手ではなく、鳥の足に似ています。とはいえこんな巨大な鳥はいませんから、何かしらの道具を使ったのかと……」
木田は手袋を嵌め、死体の服を捲り、反対側の肩も見た。反対側の肩も同じ様な鳥の足に似た痣がついていた。
「鳥に足で掴まれ、落とされた……」
「だとしたら、犯人は巨大なカラスだ。ほら、カラスがよくやるだろ。クルミとかを落として割ったり、道路に置いたりして車に割らせるやつ。鳥人間の正体、いや種類はカラスだな」
木田が呟くと茶化す様に初老の刑事は言った。だが、木田はそれを聞いてはいたが、反応せず、口元を手で隠して思考を巡らせていた。
唐木は眠気に目を擦りながら洗面所へ向かう。
昨日は考え事をしていた所為でしっかりと睡眠を取る事ができなかった。あの後、凪が部屋から去ってからも、何が正しいのかを考え続けていたが、答えが出ることは無かった。
水を掌に溜めると勢い良く顔に叩きつける。冷たい水の爽快感が汗と共に、悶々とした思いを幾らか流してくれた。
顔を拭くと歯ブラシを咥えながらリビングへ向かう。リビングでは寝起きの凪がぼーっとした様子でソファに座ってテレビを見ていた。
「ん……おはよ」
「おはよう」
凪はまだ完全に目が覚めていないのか、どこか寝ぼけた様子で挨拶をした。俺も歯ブラシを口に咥えている為、似たようなものだったが。
歯を磨きながらテレビを見る。ニュースでは先日起こった事故や、世論を騒がす新法案についてなど様々なことが報道されていた。
「続いてのニュースは。今日午前三時頃――」
そのニュースを聞いたとき、唐木の体に電流が奔った。内容は道路で死んでいる人間が居たということだが、肩には奇妙な痣があり、高所から落とされて亡くなったと話している。
奇妙な痣、高所からの墜落死。
ニュースでは警察による捜査は難航している報道されていたが、唐木には犯人に思い当たる節があった。昨日の夜のキャパシィーターだ。
あの巨大な爪に掴まれて落とされれば、ひとたまりも無いだろう。だがキャパシィーターだと特定するには根拠が少ない。それに昨夜からアスクシステムは反応の感知を訴えることは無かったのだ。
洗面所へ行って口を濯ぐと同時にアスクシステムが震えた。唐木は水を吐き出すとポケットからアスクシステムを取り出した。だがそれはキャパシィーターを感知したのではなく、ランからの電話だった。
「俺だ」
「唐木さん、昨日の夜に現れたキャパシィーターは撃破しましたか?」
「……いや、とり逃がした」
「そうですか。やっぱり……」
「それがどうかしたんだ? 今のところ奴に動きは無い。それに人に危害を加えてもいない」
「どうしてそんなことが……あっ」
困惑気味に尋ねたランだったが、途中で何かに気付いたらしく、それ以降押し黙った。そしてしばらくの沈黙の後、ランがゆっくりと言葉を続けた。
「……唐木さん、アスクシステムはキャパシィーターが異次元、別次元から現れた瞬間は反応を感知する事ができますが、それ以外は感知することは出来ません」
「なに?」
「私の説明不足でした……」
頭を殴られたような衝撃が押し寄せた。つまりキャパシィーターが殺人を犯していても俺は全く気付けないのだ。
「キャパシィーターを見つけることは可能なのか?」
「いえ……アスクシステムは別次元から現れたそのときの波長の位置を捉えているのであって、キャパシィーター自体を特定する機能はありません」
「……そうか」
「でも、あのキャパシィーターには見覚えがあります。私が以前居た世界でもあのキャパシィーターは存在しました。黒い鳥、カラスに似たキャパシィーターで明るいところ、というより眩しい光を嫌い、日中は人目を避けて姿を隠しています」
ということは夜間に活動するという事か。だがそれがわかってもキャパシィーターを見つける術は……いや、一つある。
「唐木さん? 聞こえていますか?」
ランは返答が無い唐木を不審に思い、声を掛ける。唐木はそれに適当な相槌を打つと、少し間を取ってから口を開いた。
「……キャパシィーターとの対話は不可能なのか?」
思いつめていた質問をランに尋ねる。自分の世界を、家族を奪われたランにそれを尋ねるのは酷だと思ったが、どうしても知っておきたかった。
「……確かに、知性と感情をもったキャパシィーターは存在します。それでも怪物と呼ばれるのはその精神性と倫理観、価値観が人間と大きく異なっているからです。だからこそ、怪物と呼ばれ、私の世界は滅びました。……私から言えるのはそれだけです」
唐木が「すまない」と言う前に通話は終了した。スピーカーから聞こえてくるのは無機質な電子音のみだった。
だからこそ怪物と呼ばれ、私の世界は滅びました。
唐木はランの言葉を思い返し、頭の中で反芻する。この言葉をランの口から聞いても、揺らいだ決意は固まらなかった。だからこそ、自分自身が実際に対話を試みる必要がある。その上で、結果がどうであろうと答えを出さなければならない。
唐木は静かに拳を握り締めた。
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