第6話


 唐木も凪も家の前につくと、晴子に気付かれないように静かに扉を開けた。玄関でランの靴を脱がせ、手に持ったまま先に二階へと上がらせる。その後に続いて凪が上がろうとした時、寝巻きに着替えた晴子がリビングの扉から現れた。


「あら、二人とも帰ってたの?」


「う、うん。お母さんもう寝てるかなーと思ったから、静かに上がろうと思って」


「お母さん全然眠れなかったわよ。パトカーやら救急車やらがもう、うるさくて、うるさくて……何かあったのかしら?」


「さあ? それじゃあ私部屋に戻ってるわ」


 凪はそう言い放つと足早に二階へと上がっていった。晴子は凪に手を振って見送ると、残された唐木へぐいっと近づいた。


「で、どうだったの? 仲直りは出来た?」


「いえ、それどころじゃなくて、結局は……」


「そう、残念ね……ねぇ、頬のそれって血?」


「血?」


 晴子に頬を指差され、唐木は手で頬を拭う。手には一滴の血がついていた。一瞬、唐木は自分の血かと思ったが、すぐにそれが何かを思い出した。

 あのショベルで殺されそうになったとき、頬を濡らし、現実に引き戻してくれたあの血だ。

 心配そうに見つめる晴子の視線に気づくと唐木は淡々とした口調で続けた。


「何でもないです」


「でも、服も砂まみれだし、凪と喧嘩したの? それとも何かに巻き込まれたの? 正直に言ってちょうだい」


「転んだだけです。おやすみなさい」


「……ええ、おやすみなさい」


 階段を上がっていく唐木の後ろ姿を晴子は唇を結びながら見送った。唐木の姿が見えなくなり、部屋の扉が閉まる音を聞くと晴子も自分の部屋へと戻って行った。


 唐木が部屋に戻るとベッドの上には凪が座り、ランは礼儀正しく床に座っていた。唐木は扉を塞ぐように背中をつけてもたれるとランに視線を向けた。ランも唐木と凪の視線を受け、口を開いた。


「えっと、どこからお話すればいいのでしょうか……」


「わからなかったらこっちが質問する。話してくれ」


「はい。では、先程も言いましたが私はリタ・ラン・スケイル。……この世界の人間ではありません」


「この世界の人間ではない?」


 唐木が聞き返すとランは短く肯定し、言葉を続けた。


「正確には、並行世界の人間です」


「……SFには疎いんだ」


 凪は並行世界という単語は知っていたようで何も言わなかった。しかし、それを知らない唐木は弱ったように呟いた。ランはそんな唐木を見て、一瞬柔和な笑みを浮かべる。

 その笑みは馬鹿にしているわけでもない、発言が可笑しかったわけでもない。不思議な表情だった。

 唐木がその表情に疑問の視線を向けると、ランは咳払いをしてから話を続ける。


「要するにこことは違う別の世界からやってきたんです」


「そうか。……すまない、続けてくれ」


「私の居た世界はこの世界と殆ど同じ世界でしたが、時間軸はこの世界よりも未来にありました。ですので計らず今より十五年後の世界から来た。そう理解してくれて構いません」


 唐木は出会ったときのことを思い出した。ランは四葉科学研究所を探しており、それが再来年に完成するものだと知ると驚いていた。彼女がいた世界では既に四つ葉科学研究所が存在していたからだろう。


「私がこの世界に来たのは、この世界を先程の怪物、キャパシィーターから守る為です」


「キャパシィーター?」


「キャパシィーターは、先ほどの怪物の名前です。異次元から現れる実態を持たない生命体で、自らの身体、実体を得るため、何かしらのものを吸収、融合して実体を得ます。多くのキャパシィーターは実体を得たことで本来持っている破壊衝動でしたり、何かしらの感情に埋め尽くされます」


「そうか。だからあいつは試させろと言い続けていたのか……」


 唐木は先程の怪物のことを思い返す。あの怪物、キャパシィーターは常に「試させろ」と声を出し、その鋼鉄の豪腕で唐木や凪を磨り潰そうとしていた。

 ランの話が事実ならば実体を手にし、自身の体での破壊衝動に取り憑かれたということになる。


「キャパシィーターはどこからともなく現れ、実態を得て人々を襲う。それに対抗する為にこのアスクシステムは開発されました」


「ねぇ、それってぱっと見はただの白いスマートフォンよね?」


「ええ。カモフラージュも兼ねて見た目はスマートフォンになっています。でも中身はスマートフォンではなくアスクシステムを搭載したハイテクメカです」


「ふぅん」


 凪は納得したような返事を返す。不思議な事に唐木も凪もランの話を受け入れていた。普段ならば相手にもしないような話だが、怪物やアスク、異常現象を目にし、体験したことで、ランの話にリアリティを感じていたからだ。

凪の返事を聞き、ランは話を戻す。


「アスクシステムを使用することで初めてキャパシィーターと渡り合う事ができます。……でも、私の世界ではそれも間に合いませんでした。既に侵攻を進めていたキャパシィーターによって、私の世界は滅びました」


 ランは俯き、唇を噛み締める。唐木も凪も掛ける言葉が見つからず、黙っていた。ランは小さく呼吸を整えると再び話を続けた。


「私は、アスクシステムとキャパシィーターを研究していた……両親に、完成したアスクシステムを持たされ、キャパシィーターの技術を解析して作られた並行世界を移動できる装置に押し込められ、この世界に辿り着きました。

 アスクシステムの適合者を見つけ、これを渡し、アスクとしてキャパシィーターと戦い、世界を救うことのできる人間を見つけるために、私はこの世界に来ました」


「それが、こいつなの?」


「はい。唐木さんの適合率は高く、身体能力も充分。アスクの装着者としての資質を満たしていました。だから唐木さんがアスクに……」


「ちょっと待って!」


 話に熱が篭り出したランを凪は静止する。凪もぴたりと言葉を止め、口を瞑った。凪は真剣な眼差しでランを見つめると口を開いた。


「それってこいつがあの怪物と戦うってことよね。警察とかに任せちゃあいけないの? それに、捜せば警察の中にもその、適合率が高い人がいるんじゃない?」


「……政府にはアスクシステムを渡せません」


「なんでよ?」


「政府に渡せばアスクシステムを解析され、国が管理するようになります。そしてアスクギアはキャパシィーターと戦う以外にも兵器として……使用される恐れがあります」


「まるでそれを見てきたような口ぶりね」


 ランはそれ以上言おうとしなかった。凪は不信感を抱きつつも、それ以上追求しなかった。


「……それに、一つしかないアスクシステムを渡すわけにはいきません。研究者の両親も居ない今、私がアスクシステムを一から作ることは不可能です」


 唐木はしばらく黙って話を聞いていたが、意を決したようにランに視線を向けると白いスマートフォンを持ちながら尋ねた。


「話は大体理解した。だが、気になることがある。適合率が高く、身体能力も充分だと言っていたが、君はそれをいつ確かめたんだ? それにそれを理解した上で、あの時これを俺に渡したのか?」


 唐木は口調こそ淡々としていたが、いつになく饒舌になっており、その瞳は怒気を含んでいる。


 もしも適合率が高いから渡したというのなら、裏を返すと、適合率が低ければ渡されることはなかった。それならば唐木も凪が死んでいたかもしれない。


 そんな唐木の視線にランは気圧されながらも質問に答える。


「……アスクシステムにはキャパシィーターの出現を感知する機能があります。私はその反応を感知して、工事現場に向かいました。私が来た時、蒼井さんが襲われそうになっていました。その時、それを止めようとする唐木さんの姿を目にし、私は咄嗟にアスクシステムを唐木さんへと投げました。

 ……正直、賭けでした。適合率が低ければアスクとなっても大した力は出せません。私のように適正が皆無ならば変身する事すら叶わないでしょう。でも、あの場で見捨てることは出来ませんでした。結果、唐木さんは私の想像以上にアスクとして戦う事ができました。その時の動きを見れば適性の高さが窺えます」


「そうか。……すまない、俺は君の事を疑っていた」


 唐木はランに謝罪すると視線を合わせるようにその場に座った。同じ目線の位置で腰を下ろし唐木はランに一礼する。ランも「いえ」と言いながら一礼を返した。

 顔を上げるとランはまっすぐ唐木の瞳を見据えた。唐木も黙ってその視線を受け止める。三秒にも満たない沈黙の後、ランが口を開いた。


「唐木さん……私は、まだ、唐木さんと出会って、一時間も経っていません。だから私の言葉は信じられないかもしれませんが、先程の工事現場で起こったようにキャパシィーターは無作為に、無慈悲に人々を襲います。だからアスクになってキャシィーターと戦ってくださいっ!」


 ランは言い終わると同時に深々と頭を下げた。会釈や社交辞令などではない、心の底からの、切なる願いだった。

 唐木はランの願いを耳にし、受け止める。唐木は静かにランの言葉を胸の中で波打っているのを感じていた。そして、ゆっくりと組んでいた腕を解き、答えとなる言葉を発する。


「俺は――」

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