第5話
唐木は仮面の下で自身の変化に戸惑っていた。どこからか投げ渡されたスマートフォンを掴むと唐木の身体は変化し、白い謎の姿へと変わった。
そして怪物に問いかけられた時、咄嗟に「アスク」と口に出した。自分で考えたわけではない。ただ、何かがこの姿を「アスク」だと告げ、それに従った。
誰かが口に出したわけでもなければ、自分でもない。考えれば不気味なはずなのだが、不思議と嫌悪感は湧いてこなかった。
背後で寝そべる凪は呆然とアスクの背中を見ていた。唐木は怪我一つ無い凪の姿を目にし、ほっと胸を撫で下ろしたが、そこで違和感に気がついた。
何故背後の凪が見える?
視線どころか身体すらもあの異形の怪物に向けているというのに、背後にいる凪の姿が見えている。
それに、何故こんなところに居るのかはわからなかったが、遠方には今日会った、月明かりのように美しい金髪をした少女の姿も確認できた。少女の立つ位置は丁度白いスマートフォンが飛んできた辺りだ。
唐木は不可解な出来事に混乱しつつも目の前の怪物が腕を振り上げながら迫ってきていることに気付くと、再び凪を担いでその場から駆け出そうとした。
しかし脚に力を入れた瞬間、地面が陥没し、唐木はその場に倒れそうになった。もつれるように足を動かし、十メートルほど移動してから何とか体勢を立て直す。あまりに非現実的な出来事に地面が藁に変わったのかとさえ疑うほどだ。
「っ……放して……痛いっ……!」
はっと意識を戻すと抱きかかえている凪が苦悶の表情を浮かべていた。
「っ、すまない……!」
唐木は慌てて手を放すと凪を落としてしまった。凪は土の上に落ちて、短く悲鳴を上げると、二の腕を押さえる。彼女の二の腕には赤い手形が残っていた。唐木自身は軽く触れたつもりだったが、一体どれほど力を籠めていたのか、恐ろしかった。
「チョロチョロト……動クナッ!」
叫びながら怪物が巨大な右腕を横薙ぎに振るう。唐木は凪を連れ、再び逃げようとした時、何かが「戦え」と唐木に伝えた。
それを聞き、唐木は咄嗟に身を反り右腕を避ける。神経を集中させれば、その動きを見切るのは呆れるほどに容易かった。
唐木……アスクはそのまま滑り込むように怪物の懐に潜り込むと白い拳を固め、怪物の腹部目掛けて突き出した。
銃弾のように素早く、砲丸のように重いその拳は怪物の腹部を綺麗に貫いた。怪物が苦しみに悶えるよりも早く、アスクは次の攻撃を仕掛けていた。
拳を腹部から引き抜き、突き飛ばすように前蹴りを浴びせる。怪物の巨体が宙に浮いて十メートルほど吹き飛び、土煙を上げて地面に倒れる。
アスクが拳を強く固めると身体の赤い線が輝き出す。その輝きは次第に右腕に集まっていき、右腕が赤く煌々と輝き出した。
全身に溢れていた力、エネルギーが右腕に集まっていくのを感じる。
アスクは地を駆け、ふらふらと起き上がろうとする怪物に向かってその右拳を叩き込んだ。
その瞬間、輝きが怪物へと移る。怪物は全身が赤く輝き出すと悶え苦しみ、一瞬のうちに風船が破裂するように爆発した。
アスクは爆炎の中からゆっくり歩いて出てくると自分の拳を開閉しながらじっと見下ろす。純白の身体は爆発の中に居ても傷一つ無かった。
「あんた、一体どうしたの……?」
「わからない」
起き上がった凪の問いに唐木は答えられなかった。だがアスクとなった超視力が近づいてくる一人の少女を捉えていた。
白いスマートフォンを投げた相手でもあり、怪物との戦いを一部始終見ていた金髪の少女だ。
「……君にはわかるのか?」
「はい。全てご説明します」
唐木が尋ねると二人に歩み寄りながら金髪の少女が歩み寄ってくる。アスクの姿のまま、集中して見てみると少女の網膜や毛穴、皮脂までも見え、唐木は一度目を瞑って、視界を元に戻すため頭を振った。
「私の名前はリタ・ラン・スケイル。ランで結構です。……まず唐木さん、その姿ですが解除、元に戻れと念じれば元に戻ります」
少女、ランの言う通り、唐木が解除を念じれば白い閃光に包まれた後、白い微細な結晶が剥がれていき、元の姿に戻った。手元にスマートフォンだけが残っている。
「それで、あの怪物は? 白いアレは? あなたは何者なの?」
凪が興奮気味に尋ねる。それは感動からによるものでなく、困惑からきていた。
「その質問には全て答えます。その前にここから離れましょう。あれほどの騒ぎがありましたし、警察が近づいてきています。私達が見つかれば複雑になります」
「周りは野次馬に囲まれつつあるぞ」
「……あんた、どうしてわかるのよ?」
「元に戻る前に見えたし、聞こえた」
唐木はそう答えるも凪は信用せず、疑いの視線を向けるだけだった。
「そうですか……。なら仕方がありません。お二人とも私の手を握ってください」
ランは自分の腕時計を弄ると唐木と凪に手を差し出す。二人は手を取るか一瞬迷ったが、意を決し互いに手を握り、唐木がランの手を握る。
その瞬間、世界が一変した。景色からあらゆる色が消えていき、モノトーンの世界に変わる。そんな出来事に唐木と凪は困惑していた。
「今私達は、他人から極端に認識し辛い存在となっています。いわば透明人間といった状態です」
色素が消えたモノトーンの世界を歩いていたが、工事現場を出たとき、白黒の野次馬が道を塞いでいた。しかしそれにも関わらずランはすたすたと進んでく。ぶつかりそうになったとき、ランはモノトーンの野次馬をすり抜けた。
「向こうには、ぶつかったことすら認識できませんので、ご安心を」
ランはガイドのように説明したが、二人とも理屈を聞くつもりは更々無かった。今でもこの状況が悪い夢だとすら心のどこかで考えていたからだ。
しばらくモノトーンの世界を歩き、野次馬たちから離れて路地裏に入り込むと徐々にモノトーンの世界が色付き、元に戻っていく。
「時間制限もありますから、短い時間しかこれは使えないんです」
「そうか。……じゃあさっきのことについて説明してくれ」
「はい。ですが唐木さん、あなたの家でご説明させてください」
「ここでは話せないのか?」
「……はい」
ランは申し訳無さそうに俯く。唐木は小さく唸った後、凪へと視線を向ける。凪も同様に一瞬の躊躇いを見せた。
怪物やアスク、超常現象を目にしてその不可解な出来事に対して、興味が湧いた面もあるが、それ以上にその世界に踏み入ってしまう恐ろしさもある。
だが、凪は躊躇いの後、答えを出した。
「……いいわ。私もさっきの怪物とか白い姿とか、さっきの現象について聞きたいことが山ほどあるしね」
「ありがとうございます」
ランは凪に礼を告げ、三人は蒼井家へと向かっていった。
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