第4話
唐木が工事現場につくと工事現場は不気味なほどに静まっていた。だが、大きく窪んだ地面や、ボール紙のように潰れたプレハブ小屋が異様さを醸し出していた。
唐木は無意識の内に拳を握り締め、周りを警戒していた。異様な光景を目にし、動物としての本能が唐木にそうさせていた。
唐木は周りを見渡すも、月明かりしか照らすものない薄暗い工事現場では、何も見つけられなかった。だが、あの地面やプレハブ小屋はショベルカーによって破壊されたものであると薄暗いなかでも理解できた。
……恐らく何者かがショベルカーを動かし、破壊したのだろう。だが、何のためにやった? 酔っ払っていた? いや、そうだとしてもこの静けさはおかしい。
壊した後に逃げたのかもしれないが、だとしたらショベルカーはどこにある?
いくら薄暗いとはいえ、ショベルカーを隠してしまうほどではない。あんなに大きなものが目立たないわけも無い。必ずどこかに……。
ふっと、突然、唐木の視界が暗くなる。それが何なのか理解する前に唐木は全身の毛が凍るような震えを感じて、その場から跳び退いた。
ずんっ。
地面を押し潰す重い音が唐木の背後で響く。唐木が振り向くと、先程まで立っていた場所には鋼鉄で出来たショベルがめり込んでいた。僅かな月明かりがショベルに赤く、てらてらした光沢を映している。
危機一髪の状況だったが、それ以上に唐木は目の前に立つ存在に目を剥いた。
ソレは人型を保っていたが、全身をショベルカーの部品で覆い、隙間からは桃色の、生肉に似た皮膚を覗かせている。
右手はショベルカーのショベルそのものだったが、左手は人に良く似た手をしている。だが、真に恐ろしいのは、一目でこの世の理から逸脱した生物だと理解させる、そのつるりとしたミミズに似た頭部だった。
「動ク……オレノ腕……」
目や口といった器官は無いにも関わらず、ソレはどこからか言葉を発した。唐木は目の前の異形に言葉を失い、呆然とソレを見つめた。
「試サセロ……」
再び、ソレがショベルを振り上げたとき、唐木はそこから動けなかった。だが、ショベルから滴り落ちた一滴の血液が頬に当たった瞬間、その臭いが、感触が唐木を現実に引き戻した。
唐木は再び振り下ろされるショベルから身体を捻って飛び退くと、今度はしっかりとソレを見据えた。見れば見るほどに、冷たい汗が全身から噴き出してくる。
……先程の悲鳴はこいつによるものだ。
先程からの行動、ショベルについた血痕からそれを察したが、理解したところで現状、唐木に出来る事など何一つ無かった。
ソレはゆっくりとショベルを振り上げると、そのつるりとした顔で唐木を睨んだ。まるで「今度は逃げるな」と言わんばかりに、存在しない瞳でじっと見据えている。
唐木はソレから背中を向けると全速力で駆け出した。
背中を向けること事態、恐ろしかったが、下手に相手を見据えながら逃げれば、追いつかれるかもしれない。
唐木はソレを鈍重な相手だと見くびっていた。重機を貼り付けたような見た目からはそんな印象を感じさせる。だが、もし今が昼で、明るかったのならば唐木はそうは考えていなかっただろう。
ソレは足先の履帯を回転させ、土煙を巻き上げながら唐木に迫る。ソレは唐木に体当たりするとしばらく走ってから止まった。
ボールのように吹き飛ばされた唐木は地面を転がると、芋虫のようにその場で悶えた。大した速度は出ていなかったとはいえ、鋼鉄の塊に撥ねられ、唐木は身体中に痺れるような痛みを感じていた。
「試サセロ……動クナ……」
ソレは呪詛のように呟くと右腕のショベルを引き摺りながら近寄ってくる。鍛えてあったからこそ骨折などは免れたが、苦痛に視界はぼやけ、唐木はその場から動けないでいた。
「ン?」
ソレはピタリと足を止め、何かを見つけたような声を上げる。唐木もソレが見ている方向に霞み出した視線を向ける。その瞬間、曇りが取り払われたように、視界が鮮明に映った。
怪物と唐木、双方の視線の先に居たのは凪だった。凪は先程の唐木と同じ様に困惑の表情をソレに向ける。唐木が叫ぶよりも早く、ソレは呟いた。
「アレガイイ」
それを耳にした時、唐木は喉が張り裂けんばかりに声を上げた。
「凪っ、逃げろっっ!!」
唐木のその声に凪は身体を震わせる。今まで一度も聞いたことの無い叫びだった。
凪が背を向けて走り出したとき、ソレも履帯を回転させて駆け出していった。今度は確実に仕留めるつもりだ。
痛む身体を叱咤し、膝を震わせながら起き上がると、唐木は走った。
速度は相手の方が上、間に合わない。しかし、それでも唐木は走った。そんなことを考える余裕は無い。ただ赴くままに、凪の為に唐木は走った。
時間の流れが停滞したようだった。一歩、唐木が進むたび、異形のソレはもっと早く進んでいく。全身は鉛になったように重く。脚は錆びた様に硬い。
間に合わない。
ソレがショベルを振り上げる。
振り下ろされた鉄塊が凪を押し潰す。
凪が死ぬ。
凪が、死ぬ……?
そんなの絶対に認めない。もう家族を失いたくない。
唐木は頭の中に浮かんでくる不安に押し潰されそうになっていた。だが、それでも、いや、だからこそ、足を止めなかった。
間に合ったところでどうすることもない。それがわかっていながらも唐木は諦観を拒否した。
押し寄せる不幸に抗った。
迫る事実を変えようとした。
「啓太―ーっ!!」
知らない声だった。
視線の隅に映った白い何かは唐木へ向かってどんどん近づいてくる。唐木は咄嗟に、自分の眼前に近づく白い何かを、白いスマートフォンを掴んだ。
不思議な事に唐木はそれを意識して掴んだ。この状況であれば普通、無視、それどころか意に介さないが、唐木はそれを自らの意思で掴んだ。
それを掴まなくてはいけない、それは「自分の物」だと、心でも、脳でもない、何かがそう叫んでいた。
そして白いスマートフォンに触れた途端、唐木に異変が生じた。
鉛のように重い身体が徐々に軽くなっていき、脚は滑らかに動き出す。時間の流れは遅いままだったが、その基準が世界ではなく自分に変わった。
――唐木の身体を白い閃光が包む。
心臓の高鳴りが力強さを増す。視界が広がり、深夜だというのに停めてあるトラックのナンバーすら、日中のように鮮明に見えた。耳を澄ませば、砂を踏みしめる音、凪の呼吸、虫の羽音、全ての音が聞こえる。
――変化が始まる。
白く、細微な結晶が唐木の身体に纏っていく。結晶同士が唐木の表面で結合していき、少しずつ、新たな身体、装甲を構築する。そして――
――身体が、変わった。
白い閃光がショベルの先端を掠める。異形のソレがショベルを振り下ろした時、既にそこには凪は存在しなかった。
異形のソレは困惑したかのように首を左右に振るい凪を捜す。そして見つけたのか、ねじ切れんばかりに首を背後に向けた。
怪物から数メートルほど離れた位置で、凪を抱きかかえる一つの影があった。影は優しく凪を地面に下ろすと、振り返り異形の怪物と対面する。
雲の切れ目から射す月明かりが、その影の姿を照らした。
真珠のように白い輝きを見せる身体。全身に奔る血管の様な赤い線。目元の黒いグラス越し浮かぶ濃紺の瞳。姿こそ異形であったが、生々しい怪物とは違い、スポーツカーのように洗練された美しさがあった。
「何ダ……ソレハ……」
怪物の質問に白い姿のそれは静かに、淡々と答えた。
「……この姿はアスク。アスクだ」
そのアスクと名乗る白い姿のそれは確かに唐木啓太の声で話していた。
アスクと異形のソレが対面する姿を工事現場の中で金髪の少女が静かに見ていた。
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