第26話

再び周囲を見渡すと、そこは雑音一つ無い、静かな湖畔だった。周囲には凪と鎧の怪物、ガインが佇んでいた。


「……ようやく貴様が出てきたか」


「ええ」


 ランはガインに睨みつけられながらも堂々とした様子で答える。だがそれは凪とは違い勇気からではない。諦観から現れるものだと誰もが理解していた。


「唐木啓太。真相を知って絶望したか?」


「絶望?」


ガインの問い掛けに唐木は首を傾げた。そして静かに呼吸し、ガインを正面から

真っ直ぐに見据え、一歩、また一歩とガインへと足を進める。


「今、俺の後ろには凪とランが居る。絶望するにはまだ早い」


 唐木の身体から徐々に白く艶やかな輝きが溢れ出し、新たな身体を、装甲を構築していく。結晶同士が結合し、戦士の鎧を形作っていく。純白の装甲で覆われた身体に赤い閃光が脈を打ち出す。蒼い輝きを映し出す瞳には決意の火を宿していた。


 ガインはアスクを目にし、身体が震え出した。それは歓喜によるもので、眩しく瞬くアスクの佇まいに心を奪われていた。


「実にいい。まさかこうも化けるとは思いもしなかった。貴様のような――」


「お前違って口下手なんだ。早くこい」


 アスクは淡白に告げる。唐木自身が計らずともそれは挑発には、ゴングには充分な宣言だった。

 ガインは雄叫びを上げながら大剣を振り上げて迫る。これまでと同じ様に力強さの中に研鑽が積まれた一刀だった。

だが、その動きは、剣技は何度も見てきた。今日だけじゃない。これまで、幾度と無く戦ってきた。俺ではない、アスクが、唐木啓太が。


 だから、太刀筋が見える。


 アスクはその剣を避け、自身も精製した白銀の剣を振るう。しかしそれはガインを狙ったものでは無く、続けざまの二刀目を防ぐ為のものだった。ガインは流れるような自然な動きに驚愕した。


「貴様、見えていたのかっ!?」


「何度もだ」


 ガインは続けざまにアスクの命を刈り取ろうと剣を振るう。それまで後手に回ってばかりのアスクだったが、ガインの一手先、太刀筋を読んだ動きをしていた。

 ガインがフェイントを仕掛けるが、アスクは仕掛ける前に剣を阻み、ガインが豪速の斬撃を放つも、待ち構えていたかのように防がれていた。


 唐木の脳裏には幾百、幾千のアスクの戦いが映っていた。これまで数多くの唐木啓太がアスクとして戦い、そしてその内の何割かのアスクがジェネラルナンバーであるガインによって敗れた。


 だが、指を咥えて死んでいったわけではない。幾度となく戦い、剣を交え、時には背を向け、敗北を喫しても、全身全霊、全力を賭けて戦った。その経験が、記憶がこのアスクシステムには刻み込まれている。

これまで残留思念として滲み出てきた「囁き」は全て唐木啓太とリタ・ラン・スケイルのもの。それを理解した今、ガインとの戦いの記憶を引き出した。刻み付いた残留思念は全てを唐木啓太に語る。そして唐木は知った。

世界に愛着を失った男が、最期の時まで戦い続けられた理由を。


唐木啓太はリタ・ラン・スケイルを愛していた。


 力を授かり、終わりの見えない戦いへと足を踏み出した。多くの命を救い、多くの未来を守った。だが、犠牲が出ないはずも無い。救えなかった命も、守れなかった未来もある。それは茨のように唐木の心を蝕み、深い根を張っていった。


 だが、傍には常にリタ・ラン・スケイルが居た。リタ・ラン・スケイルは唐木啓太と共にあり続けた。最初は興味、博愛だった。しかしやがて愛情へと昇華されていった。それはキャパシィーターと知ってもなお、揺らぐことは無かった。


蒼井凪を失い、苦しみ彷徨い続けた唐木啓太に去来した温もりは徐々に新たな希望を育んでいった。


 だが、最期は訪れた。強靭な相手、ジェネラルナンバー3、ガインによってアスクは徐々に圧されていき、自らの身体を省みず戦い続けたツケを払わされた。

 激戦の末、自らがもう長くないことを悟ると唐木啓太は全てを信用できる相手である別次元の自分自身へアスクシステムを託して欲しいと、ランに告げ、逃がした。


 そして死の間際、唐木啓太はランへと、自分へとメッセージを残した。ランには届くことの無かった言葉。しかしそれは長い年月と次元を超えて、今、唐木へと託される。



 超人同士の激闘は続いたが、ガインは一度距離を開けると追撃が来ない事を知ると僅かに目を細め、気付いて笑った。


「なるほどな。貴様はこれまでの記憶、いや記録を見て戦っているのか。道理で太刀筋が読まれていたわけだ。だが、攻めあぐねる、いや、防ぎ、逸らすばかりで攻撃してこないのは、その記録が無いからだろう?」


「……そうだ」


 図星を突かれるも、唐木は正直に返答した。アスクに刻み付いたものから太刀筋を読むことは出来るが、それはあくまで、過去のパターンに沿って動いているに過ぎない。だからこそ、防ぐことはできても切り返しが出来ないのだ。


「それでも構わんが、いつまで持つか試してみるか? 良い鍛錬にはなる」


「……」


 唐木は押し黙った。現状、ガインの攻撃を許してはいない。だがこのまま続けてもこちらの体力が尽きて負けるか、向こうがこちらを超えるかの二択だ。このままでは敗北を先延ばしにした程度で、結末は変わらない。


 アスクは剣をしっかりと握りなおし、静かに構える。全身に溢れる赤い光が力強く脈打ち、白銀の剣へと集まっていく。赤く染まり上がり、煌々とした輝きを見せる。


「それでこそだ。アスク、いや唐木啓太……!」


 ガインは歓喜に打ち震えているものの、唐木は向かい合いながらも、必死に思考を巡らしていた。

 互いの身体能力はほぼ同等であり、全力を掛けた一撃ならば互いに致命打を与えうる。そこに差は無い。

 経験は研鑽を積み続けたガインが圧倒的に上回っているものの、刻み付けられた唐木啓太の戦闘経験がある今、防御に関しては僅かにこちらに軍配がある。


 覚悟は、凪とランが後ろにいる今、負けるわけにはいかないと激しく燃え上がり、昂っている。だが奴も好敵手との戦いを悦んでいる。負けるつもりは毛頭無いが、勝つ情景も思い浮かばなかった。


 脳裏を駆け巡る時間は終わりを告げ、眼前のガインが地を蹴った。眼前に迫りくる竜巻の如く威圧感がアスクの全身を吹き付けた。だが、アスクはその場から一歩も下がらず、背筋を伸ばし、堂々と聳え立った。


記憶の海を潜り、ひたすらに打開策を探して水を掻いた。深く、奥深くへと目指し、手を動かす。幾千、幾万もの記憶を浚い、探し続けた。


勝つ方法、必殺技、弱点、古傷。


藁にも縋る気持だったが、それでも最期まで、諦めるつもりはなかった。


倒すための、勝つ為の、鍵を探した。


そして、記憶の底に落ちていた小さな、小さな、鍵を見つけた。


確証など無かった。だが、それ以外に他には何も無かった。アスクは地面を蹴り、巨大な暴力の渦へと飛び込んだ。大剣が喉を突かんと、僅かな歪みも無く一直線に奔る。躊躇いや後悔など無い一心を籠めた一撃だった。

恐怖や不安は無い。既に何もかも振り切って走り出していた。自分の言葉を信じてひたすらに足を動かした。


静止した風の中、唐木は静かに口を開いた。


「『お前は負ける』」


 その瞬間、大剣が僅かに滞った。刹那、白い閃光は中心へと飛び込んだ。赤く煌々と滾る剣が残光を描いて、甲冑に覆われた胴を切り裂いた。


 決着に沸き立つかのように、煌びやかに日光を反射して湖畔が輝く。水気を含んだ涼しい風が、両者の間を通り抜けていった。


「……見事だ」


 鉛の甲冑から赤い粒子が溢れ出すのを抑えず、ガインは膝をついた。アスクの持つ剣は既に輝きが消え、全ての輝きはガインへと吸い込まれていた。

 アスクはガインに振り返る。剣は未だ握られていたものの、既に勝敗は決まり、これ以上剣を振るう気は微塵も無かった。


「何故、我が、負けると……?」


 息も絶え絶えだったが、ガインはそれまでと同様の威厳を含んだ声で尋ねる。唐木もそれに応え、堂々と恥じることなく胸を張った。


「これまで何度倒れても、必ずまた別の俺が立ち向かってきた。だからこそ、いつか、お前は負ける。今日がその日だと俺が望み、言葉にした」


 唐木は一度、言葉を切ってから続ける。


「それとランと約束した。これが最後だと」


「そうか、これが最期か……ははは、はははははははははっ!」


 ガインは苦しみながらも高らかに声を上げて笑った。

あの時、告げられた敗北から永かった。その満ちていた時間を脳裏に浮かべ、最期まで笑い続けた。

全身が燃え上がり、爆発四散するそれまで、ガインは笑い続けた。


 爆発が収まると、炎の中からアスクはゆっくりと歩み出す。その手に剣は握られていない。アスクは真っ直ぐ進み、ランの凪の前で立ち止まった。

 ランはアスクを前にし、寂しげな表情のまま口を開いた。


「私はキャパシィーターで、今まであなた方を騙し、死へと導いていきました。その罪も、怪物である事実は消えることはありません。だから私を……」


「『彼女は孤独だ。彼女が私にしてくれたように、理解し、傍で支えてやるべきだったのだが、今となってはそれも難しい。だから頼む。彼女を――』」


 アスクはランの言葉を遮って述べる。その言葉にランの唇が止まった。


「その、続きは……?」


「『――信じてくれ』」


 アスクはランの蒼い瞳を見据えて、柔らかく告げた。


「この言葉はアスクの中に残っていた。自分の言葉だからわかる。自分の言葉だからこそ信じられる。だから俺はランを信じる」


 ランは涙を流していた。これまでとは違う、悲しみに傷つけられ、痛みに耐えて流したものとは違う、熱く、優しい涙だった。

 唐木はアスクの変身を解くと、凪を一瞥した。二人の間に言葉は無く、互いに目配せし、微笑んだ。



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