第25話
瞬きする間も無く変化した視界に、唐木啓太は静止する。それまで絵画のように美しい風景から一転、目の前にあるのは無機質な白い壁とフローリングの床のみだった。
不思議な夢から覚めたかのように呆然としていたが、身体に密着している何かの感触に気付き、視線を下げる。薄暗い部屋の中でランが抱きついていた。
そしてその足元にはアスクシステムがぽつりと、まるで石ころのよう誰からの注目を受けることなく置かれていた。
…………凪は?
唐木の意識が巻き戻った瞬間、何かが爆ぜた。
溢れ出した恐怖、滲み出す絶望、込み上げる憎悪、全てが混ざり、憤怒となって吐き出される。心身共に拒絶し、纏わりつくランを力任せに突き飛ばした。
「何のつもりだっ!」
荒く、激しく叫び、部屋が痺れる。それでもランは顔を伏せ、黙っていた。唐木自身、ランの行動を問い質すつもりも、釈明させるつもりも既に無い。
ランの取った行動は強制瞬間移動。アスクが普段、キャパシィーターの元へと転移する機能を逆に操作し、アスクを自分の場所へと転移させた。
恐らくあのまま戦っていてもアスクは敗北しただろう。ランの取った行動はアスクを救うこととなったが、ガインの前から立ち去る事は凪を見捨てたことに繋がる。それこそ、最も唐木の恐れている事である。
もしも、この所為でランが殺されていたら……。
そう考えるだけであらゆる負の感情が唐木を埋め尽くした。
唐木はアスクシステムを拾い上げ、変身と叫んだ。しかし、姿は一向に変わる気配は無く、それどころか起動すらしなかった。とめどない焦燥感が身体を内側から焼いていく。耐え難い苦痛に怒りが迸り、擦りあう歯が異音を上げて軋んだ。
「どうして動かない。答えろ!」
唐木は感情の抑制すら忘れ、ランを怒鳴りつけた。だがランはそれでも黙っていた。唐木はランの襟元を乱暴に掴み上げると眼前に近づける。
「……答えろっ!」
顔を背けたままのランの姿に、唐木の拳が強く固まる。爪が掌に食い込んで血を滲ませていた。
膨張した唐木の怒りが、凪を失う事への恐怖と不安が、唐木の身体を突き動かす。拳を強く引き、ランの頬へと真っ直ぐ突き出される。
だが、ランの頬を砕く瞬間、凪の顔が思い浮かんだ。ランの鼻先三寸で拳を止める。ランの襟元を掴む拳がほぐれていき、唐木の膝が滑り落ちていった。
「頼む、俺は凪を、失いたくない……」
「それは、死ぬ事になっても、ですか?」
「どうだっていい。だから凪を、凪を……っ」
その瞬間、唐木の頬をランの平手が打った。思考が静止し、頬が僅かに痺れるのを感じる。声を出す間も無く、ランがその細い腕を絡ませた。
ランの頬に一筋の光が滴り、ぽつり、ぽつりと落ちていく。雫は唐木の心に冷静さをもたらし、落ち着かせる。そしてランは氷が解けるように口を開いた。
「もう、あなたが死ぬ姿を見るのは耐えられない……っ」
凪は唖然とした様子で、ガインを見つめていた。
「どういうことなの、それ。ランが啓太を殺してきたって……」
「どうせ奴も同じことを話しているのだろう。ならば聞かせてやる。事の発端を、アスク、リタ・ラン・スケイルが何者なのかを」
ガインはその場に腰を下ろし、ゆっくりと語り始めた。
「元々我々キャパシィーターと言う生物は、別次元の、貴様ら人間によって作られた存在だった。なぜ生み出されたのか、なぜこのような過度な力を与えられたのかは、既に風化し、知るものは殆ど居ない。
だが、高度な知性と強力な力を与えられた我々は人間世界に侵攻し、人間に成り代わる新たな支配者を目指し……事実、成り代わった。しかしそれでも我々が満たされることは無かった。新たに進化し、得た力によって、我々は蝗のように他の世界へと侵攻し、滅ぼしていった。
そしてある世界で、人間は立ち上がった。人体を基部に改造を加え、強化された身体能力に加え、強力な武器を備えた兵士として。
実際、その強化兵士達によって多くの同胞の血が流れた。が、所詮はベースが人間。人間を超越している我々は数の力でも質でも勝り、奴らは絶望的な戦況を覆す事などできなかった……」
唐木はそれを知っていた。夢で見たあの光景と一致する。
「――でも、その兵士の中に唐木啓太は居ました。彼は……」
「見ず知らずの子供を守って、息絶えた」
唐木の口が自然に動いていた。脳裏に思い浮かぶそれは、夢で見たというにはあまりにも色濃く刻み付けられていた。まるで実体験のように……。
「ええ。どれだけの苦痛を身に浴びても、彼はその子供をキャパシィーターから守り、静かに言いました。「大丈夫だ」と。彼が力尽き、朽ち果てた時、ある一体のキャパシィーターの胸に一つの思いが去来しました。『彼に私が持ちうる全ての力を貸したい』と。
そのキャパシィーターは次の世界で彼を、唐木啓太を見つけて、自分の力を全て託した強化服、アスクシステムを渡して行動を共にしてきました。
アスクとなった彼はその身の限り戦い、次々に怪物、キャパシィーターを屠っていきました。そしてどうなったかも、恐らく唐木さんもご存知かと思います」
ランの言うようにアスクは夢の中で一騎当千の活躍を繰り広げていた。しかし、次第に傷つき、最期には倒れた。……だが、所詮は夢だ。そう思っていた。
「今朝の電話で唐木さんがデジャヴ、囁きを感じたと聞いてそれが何かを理解しました。その時にアスクに変身するのは唐木啓太ただ一人だとお伝えしました。でも、アスクに変身した唐木啓太は一人だけではありませんでした。
幾つもの世界で、私は唐木啓太にアスクシステムを渡し、アスクはキャパシィーターと激闘を繰り広げて、倒れていきました。その体験と残留思念がアスクシステムに残り、囁きやデジャヴとして現れたのだと思います」
「なら、俺が感じてきたものは全て……」
「別世界の『唐木啓太』の戦いの記憶です」
唐木は何も言えなかった。凪の話が真実だと裏付けるように、頭の中でこれまでの疑問が全て繋がっていく。レイブンやガインの「前」と言う発言、それが先代、別次元の唐木啓太、アスクだとするのならば納得がいった。
しかしそれとは別に自分がどの世界でも死んでいることが深く胸に刺さった。
「そして、どの唐木啓太も最期には自分の死期を悟るとそのキャパシィーターに『自分が死んだら別次元の自分にアスクシステムを渡してくれ』と残して倒れました。そのキャパシィーターは遺言に従い、別の世界で唐木啓太にアスクシステムを渡し続けました」
「渡し続けた? まさか……」
「ええ。そのキャパシィーターこそ私、キャパシィーター、アスタリスクです」
ラン、いやキャパシィーター、アスタリスクは胸を張ることも、隠そうともせず淡々と真実を告げた。
そして唐木の目の前で自らの掌をナイフで切って見せた。だがその断面からは赤い血と肉は見えず、無色透明であった。
「キャパシィーターは血も肉もありません。あるのは殺人衝動のみです。でも私はそれも無い異端で、ジェネラルナンバーと同等の力を持ちながらも、自ら躬行する力はありませんでした。私に出来る力は授与のみ。キャパシィーターの次元を超える力も、瞬間移動する力も元は私のものです」
再び謎が一つ消えた。オーバーテクノロジーと感じていた瞬間移動や次元移動、アスクギアを身に纏う力もキャパシィーター、怪物の力だと思えばまだ納得は行く。
それにランがアスクの状況を理解出来ていたり、キャパシィーターの反応を感知できたりしたのは、元が自分の力でもあるからなのだろう。
「両親云々については咄嗟についた嘘です。私もこんな嘘をつくとは思っていませんでした。
本来ならば唐木さんが大人になっている世界に転移してくるはずなのですが、今回はそれが出来なかった。恐らく、これまでの唐木啓太が共通して抱いていた後悔、蒼井凪を救えなかった日のことと……もう、私が疲れていたからでしょう」
ランは俺から目を逸らして囁いた。ランはこれまで幾つもの唐木啓太と共に戦い続け、死んでいく様を目にしてきた。
別世界の唐木啓太が残した『死んだら別世界の自分へとアスクシステムを渡せ』という遺言は、次へと希望を託すものではなく、ランを縛り付ける呪詛へと変貌してしまっていた。
唐木は掛ける言葉が見つからず、ただ口を噤んでいた。唇が鉛のように重く、硬い。何一つ言えない自分に腹が立ち、悔しかった。何も言えぬまま立ち竦んでいると、ランは親しみを感じさせる、柔らかな声で語りかけた。
「ねぇ、啓太。これで最期だって約束してくれる?」
その問いが何を意味しているか理解していた。もし俺が死んだら、全てを終わりにして、アスクは今後一切どの世界にも現れない。ランは目を瞑り、耳を塞ぎ続けるだろう。それほどまでにランの精神は磨耗していたのだ。
これで最期にするか、ランに十字架を背負わせ続けるか。
唐木は数秒の思考の後、決断を下した。
「これが最後だ」
それを聞いて、哀しげな表情を浮かべてランは静かに微笑む。そして手に握られたアスクシステムが発光し、部屋が光で満ちていった。
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