第17話
荒廃した街に、灰が雪のように舞い散る。歩を進める度に舞い上がる粉塵に、意識せず呼吸が少なくなった。
極黒の翼につく埃に苛立ちながらレイブンは歩を進める。穴を開けられた翼と、焼き削がれた頬と耳が澱んだ風に触れる度に、痛みが奔る。それを堪えながらレイブンは載積した瓦礫の王座に跪き、頭を下げる。
「――ご苦労だったな、レイブン。報告しろ」
低く、威厳を感じさせる重厚な声は、レイブンに労いの言葉を告げてから、静かに、命令した。
ただ、それだけのことだったが、レイブンの呼吸が僅かに不規則になった。多くのキャパシィーターがこの声の主に仕え、配下となっていた。レイブンもその一人であり、直属の諜報員でもある。だからこそ他のキャパシィーターより近くに存在し、恐ろしさを知っていた。
それは非道さでも、傲慢さでも、卑劣さでもない。ただこの声の主は強いのだ。恐らく、いや確実に配下のキャパシィーター全てが束になっても敵わないだろう。
それにこの声の主をレイブンは「強い」という以外知らない。直属の部下ではあるが、内面を知らない。だからこそ、機嫌を損ね、自らが殺される事が恐ろしかった。
「は、はい。あの世界の文明レベルは以前の世界よりも十年ほど劣っており、同様に人間の数も少なく……」
「――レイブン」
レイブンの話を遮り、声の主が名を呼ぶ。たったそれだけでレイブンの喉は凍りついた。
「世界など、どうでもいい。知りたいのはアスクについてだ」
「アスクは、戦闘についても不慣れで、未熟といった印象が強く、その性能こそ脅威ではありますが、その……」
「続けろ」
「……私に対して人を殺すなと願い、話し合いを提案し、種の共存を求めました」
声の主は何も言わなかった。その沈黙にレイブンは、首を絞め上げられるような息苦しさを感じていた。
「何を言うかと思えば、アスクが非暴力に鞍替えしたなどと……」
レイブンは顔を伏せていたものの、声の主が王座から立ったことを理解した。
「……貴様の言葉を疑いたくはない。しかし、その傷は誰につけられた? 非暴力を訴えた男か?」
王座から降りた声の主は背中の剣に手を伸ばし、レイブンへと近づく。レイブンの五感がそれを認識し、身体を震わせた。
レイブン中で秤が揺れる。レイブンのプライドが、アスクの武器とはいえ、この傷が下等な人間によるものだと告げることを拒んでいた。
しかし、人の命を軽んじ、弄ぶレイブンであっても自らの命ともなれば惜しい。声の主の足音が聞こえる度に、秤が大きく揺らいだ。そして――
「こ、これは人間によって受けた傷です…っ」
レイブンは嘴を噛み締めながら答える。その瞬間に足音が止まり、レイブンは静かに息を吐いた。プライドを捨て、レイブンは「生」にしがみ付いた。そして溢れ出した安堵と言う名の惨めさに、怒りが込み上がった。
「――そうか。ならば再び往くことを赦す。その借りを返すのだな」
「はっ」
レイブンは深々と頭を下げると、踵を返し去っていく。声の主は王座へと戻ると再び、瓦礫の王座に腰を下ろした。
レイブンは灰の雪に濡れながら歩を進める。再び別次元に行く事を許可された。そのことに対し、レイブンは喜びと憎しみに震えていた。
耳と頬を奪った相手は何者なのか。また同じ場所で同一の手口で殺しをしようとしたときに、丁度いい相手を見つけた。無作為に選んだ為、その素性は知らない。
最も、素性を知った上で殺す事などしないのだが。
あの男は抵抗の際に拳銃を撃った。多くのキャパシィーターにとってあの程度の拳銃では傷一つつけることは出来ない。だがその行動のおかげで特定がしやすくなった。
あの日本という国で拳銃を所持している人間は少ない。それに職種も限られてくる。ならば目星はついてくる。
レイブンは嘴の端を吊り上げ、その翼を広げた。
唐木が帰宅したのは翌朝八時だった。
病人のように疲れきった風貌で玄関を上がると、ドアが開く音を耳にした晴子が唐木へと詰め寄っていく。
「啓太くん、どこ行ってたの! 何にも連絡が無いから心配したわよ!」
「……すいません」
「で、こんな時間まで何をしてたの?」
「それは……」
その問いに唇を結び言葉に詰った。晴子に本当の事、キャパシィーターについてのことを話したくはなかった。
しかし、晴子の目元に薄っすらと残る隈が唐木の胸を掻き毟った。
返答に窮していると、階段を下りてきた凪が笑顔で駆け寄ってきた。
「おかえり、カラオケ会楽しかった?」
「カラオケ? 凪、どういうこと?」
「もう夏休みでしょ、クラスの皆で集まってパァーッと朝までカラオケ会を開いたの。私は疲れてたから休んだけど、たまにはこいつもクラスの友達と楽しまないと」
唐木が黙していると凪は唐木と晴子を見やってから唐木の胸倉を掴んだ。
「あんたお母さんに伝えてなかったの!?」
「いや、俺は……」
戸惑う唐木に凪は胸倉を掴みながら食って掛かる。その時、僅かに顔を近づけ、「合わせて」と囁いた。
「すいません。その、てっきり凪から話が伝わっていると……」
「そのくらい自分で言いなさいよ!」
「もう凪も落ち着いて。……啓太くんも次からはちゃんと連絡する事。いい?」
「わかりました」
晴子に窘められ唐木は頷くと部屋へと戻っていく。それに続くように溜息一つ吐いてから凪も階段を上がっていった。
部屋に戻ると唐木はベッドの上に身を投げた。
とにかく疲れていた。深夜、公園で気を失ってから朝まで眠っていた。頭痛や吐き気、目眩こそ収まったものの、身体の節々が錆びたように鈍く、重い。
だが今はそんなことより、あのキャパシィーター、レイブンのことが気がかりだ。突如聞こえた声に従っていたが、あれは別の次元に戻ったと言う事なのか。
だとすれば、再び現れたときには存在を検知することは可能だ。その時に殺せばいい。
……殺せるのか?
奴は素早く、アスクは空を飛ぶ手段が無い。飛んで逃げられれば手出しが出来ない。頼みの綱だった飛び道具も当たらない。
いや、あの時、木田刑事が放ったブラスターは命中した。距離? 注意を向けていなかったからか?
それ以外の理由もあるはずだ。そもそもアスクの攻撃自体、奴には見透かされていた。パンチも拳が輝く前に止められた。何が原因だ。奴と俺、何が違う……。
唐木がベッドの上で思考を巡らせていると、ノックもなしに凪が部屋に入ってきた。凪は足で扉を閉め、つかつかと唐木へと近づいていく。
「全く、あんたもあんたで色々あったんだろうけど、帰ってくる時間やら何か一言くらい連絡しなさいよ。またこんな事があったら助けてあげないわよ」
「凪……」
「何よ、言い訳なら文句言わないでよね。咄嗟に思いついたのがあれくらいだったんだから」
「さっきはありがとう。助かった」
「別に、あれくらいは、まあ……どういたしまして」
唐木の素直な感謝の言葉に凪は僅かに頬を朱色に染めた。少しの間、部屋に沈黙が訪れる。それを紛らわすように凪は口を開いた。
「ところで、本当は何してたの?」
「前と同じだ。キャパシィーターを追って、殺せなかった」
「殺せなかったって、あんた……」
凪はその言葉に驚嘆した。唐木の口からそんな言葉が出てくるとは思えなかった。だが唐木は目つきを鋭くしたまま、どこか一点を、目に見えないキャパシィーターの姿を見据えていた。
そんな唐木の姿を見て、凪の拳が固まっていく。
「あんた、何がしたいの?」
「いきなり何の話だ……?」
「いいから答えなさい。あんたは何がしたいの!?」
懐疑の視線を押しのけ、凪は唐木を問い詰める。唐木は眉間に皺を寄せ、質問の意味を考える。
「アスクのことか?」
「そうよ! あんたはそれで何がしたいの!?」
「キャパシィーターを殺す。昨日奴と話してみてわかった。奴は無作為に、無慈悲に命を弄ぶ怪物だ。俺にはそれが許せない。だから俺は奴らを……」
「嘘つき」
凪は冷めた目つきで一言だけ言い放つ。たった四文字の言葉だったが、その言葉を反芻する度、ガラスを飲んだように胸がちくりと痛んだ。
「あんたは、怪物と戦う理由は人を守りたいからだ、って言っていたのに、今は怪物を殺す事が目的になってるじゃない。あの時の言葉は嘘だったの?」
凪は唐木の目をしっかりと見据えて、言い放つ。
「知っていてほしいって言ってくれた、あの時の決意を、言葉を私は今でも信じてる」
――そうだ。
『だから俺は、人を守るために戦うと決めた』
――そうだった。
『その言葉は誰かにとっての、あなたにとっても、強い心の支えになります』
ランの言ったとおりだ。言葉にして誰かに伝えることは、俺にとっても心の支えになる。曇って見えなくなっていたものが、見え始める。胸の奥で暗雲を晴らすような、一陣の風が吹き、青く晴れやかな空が広がった。
ふいに机の上に置かれていたアスクシステムが振動する。画面は赤く光り、反応検知と表示されている。キャパシィーターの出現を感知していた。
赤く、光る……?
奴は腕が光る前に感知した。
奴に見えて俺に見えないものは、まさか……。
「啓太っ!」
凪に呼ばれ、意識を戻す。唐木はアスクシステムを掴むと、ボタンを押す。白い光に包まれながら唐木は凪と顔を合わせる。
「凪、もう大丈夫だ。それと、ありがとう」
それだけ告げると唐木は微笑んだ。慣れない表情にはぎこちなさがあったが、凪は胸が和らぎ、微笑みを返した。それと同時に唐木が姿を消した。
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