第16話
……間に合った。
アスクは背後の木田を見て、胸を撫で下ろす。アスクの超人的な身体能力のおかげで、鉄塔からここまで走ってくることが出来た。
「またお前か。いつもいつも大変だな」
翼をはためかせ、ゆっくりとキャパシィーターは降りてくる。その表情は唐木には読めなかったが、声色から愉しんでいるような気がした。
唐木はそれを無視して、一度息を吸うと、ゆっくりと口を開いた。
「何故、人を殺そうとする」
「…………なんだって?」
キャパシィーターは呆気にとられた様子で、黒い目をぱちくりさせながら聞き返す。その言葉にわざとらしさは無かった。それにあの身体能力から察するに聴力が劣っているわけではないだろう。
「聞こえたはずだ。何故人の命を奪う」
唐木は溜め込んだ悩みを吐き出すように問い質した。
「言葉を話せて、言葉が通じる。意思疎通が出来るんだ。人を殺すのをやめろ、種族が違うとしても理解しあうことは出来るはずだ」
唐木が話している間、キャパシィーターはその嘴を半開きにしたまま、アスクをじっと眺めていた。そして話し終えてから数秒後、その口を動かした。
「…………驚いた。本当に前のとは違うのだな」
「前の?」
その意味深な言葉に疑問を感じたが、それがどういう意味を持つかを聞く前にキャパシィーターは話を続けた。
「まあいい。単刀直入に言おう、嫌だ」
「……なぜだ?」
「別に人を殺す事を生業としている訳ではない。お前らの考える道徳的な命の価値とやらも知っている」
「なら……」
「だが、知っているだけだ。それに、軽く触っただけで殺せる……その感覚が堪らなく癖になる。お前も同じ様な力を持っているなら、わかるだろ?」
そこでキャパシィーターは笑った。今までの挑発や侮蔑を含んだ笑いではなく、心の底からの、純粋に、醜く歪んだ悦びだった。
その瞬間に唐木の怒りは振り切れた。
「……ふざけるなっ!!」
アスクは地面を蹴り、眼前のキャパシィーター、怪物に飛び掛る。命中すれば巨象ですら肉片に変えられる程の一撃だったが、キャパシィーターは身体を軽く翻すだけで容易く避けてみせた。
……軽く触れただけで殺せる感覚が癖になる、だと?
俺の両親は目の前でトラックに挟まれて潰れ死んだ。その数秒前まで平然と話していたのに、それまで何にも無かったのに、あっという間に死んだ。
凪の父親は病気で死んだ。武道を修め、逞しい肉体が自慢だったが、最期はベッドの上で老人のように痩せ細り、眠るように死んだ。
藤井という男もショベルカーの怪物によって潰されて死んだ。工事現場は未だ封鎖され、誰も入れない。入り口には家族によって花が添えられている。
皆、一生懸命生きていた。自分の為に、誰かの為に、生きていた。それなのに、この怪物は殺せる感覚が癖になると言って笑った。
命は、一つしかない。尊いものだ。人の死を見てきたからわかる。今までは怪物であっても同じ命だと思っていた。
だが、今なら断言でき、ランの言っていた事も頷ける。
今、眼前に居るものは紛れも無い「怪物」だ。
アスクは、素早く反転するとキャパシィーターに向けて蹴りを放った。だがそれも容易く避けられる。
その蹴りや、動きこそ豪速といって差し支えないが、激昂するアスクの動きは直線的で単調だった。それ故に最低限の動きで避けられる。
「……くそっ!」
アスクは手元に光の粒子を集め、ブラスターを展開する。素早く狙いをつけて、引き金を引く。それまで余裕の態度を崩さなかったキャパシィーターも、ブラスターを見ると同時に、翼を大きく動かし上空へと飛ぶ。
空気を焼きながら、赤い光線が宙を奔る。だがキャパシィーターは光線を見る前にそれを避けると、嘲笑うように「間抜け」と罵った。
唐木は神経を集中させ、再び引き金を引く。だが、撃つ度に狙いがズレてきているのを感じた。
……おかしい。そう思い、より神経を集中させた時、唐木の視界が澱んだ。それと同時に仮面の下で鼻血が溢れ出した。
「うっ、がっ……っ?」
小刻みに膝が震え出し、がくりと膝をつく。
それまで保っていたダムが決壊したかのように、苦痛という濁流が押し寄せた。
頭を割るほどの激痛。
とめどなく噴き出す鼻血。
臓器が込み上がってくるとさえ錯覚する程の吐き気。
幾らアスクシステムの補助によって五感を研ぎ澄まし、超人化できるとは言え、それも限度がある。システムが軍艦並みのレーダー並みの性能を有していたとしても、それを処理するのは機械ではなく人間の脳だ。
唐木は、キャパシィーターを探す為、この方法を使ったが、それはあまりにも脳を壊しかねない危険な方法だった。
それに加え、超人的な戦闘、再び研ぎ澄ました五感。アスクシステムで誤魔化していたとは言え、とうとう脳が限界を訴えたのだ。
アスクの呼吸は荒く、手足は震えている。最初はそれに警戒していたキャパシィーターであったが、アスクが本当に不調であると理解すると、上空から滑るようにアスクに蹴りを加える。
「うぐあ……っ」
アスクが仮面の下で情けない声を上げる。今のアスク、唐木にとってはその軽い蹴りですらダメージを負った脳を揺さぶるには充分だった。
よろよろと起き上がったアスクがブラスターを向けるも、キャパシィーターはそれを翼で弾く。ブラスターが宙に舞い、離れた地面に落ちる。キャパシィーターはその翼を硬化させ、鉄扇のように振るう。
アスクの白い装甲で火花が散る。アスクの特殊複合装甲には大した傷はつかなかったが、その衝撃は唐木を蝕んだ。
破れかぶれの拳は全て避けられ、黒鉄の扇による攻撃や蹴りがアスクを傷つける。切り上げられた一撃が、アスクの胸を切りつけると、紐の切れた人形のようにアスクは地面に崩れ落ちた。
「……まさか、アスクを始末できる日がくるとは」
キャパシィーターも信じられないといった様子で呟くと、その鉤爪の足でアスクの頭を踏みつけた。
「あぐ、ぁ……っ」
アスクの頭を握り潰さんと、みしみしと鉤爪の力が強まっていく。唐木は既に悲鳴すら上げられず、鉤爪の下で蠢くばかりだった。
……殺される。
唐木は激痛の最中、自らの死を直感した。そしてそれに抗うべく、苦痛から解放されるべく、一撃必殺の拳を固めた。
全身に流れる赤い光が、拳へと集まろうとした瞬間。
「そうはさせるか」
もう片方の鉤爪がアスクの腕を掴んだ。そして握り潰さんと細い鉤爪が装甲にギシギシと食い込んでいく。
まだ拳が輝いていない、前兆が現れていないにも関わらず、キャパシィーターはアスクの攻撃を見破った。唐木はそれに一抹の疑問を感じた。
「……終わりだ、間抜け」
両足に力を籠められる寸前、赤い閃光が宙を焼いた。キャパシィーターは咄嗟に鉄扇状の翼でそれを防いだが、光線はそれを容易く貫き、キャパシィーターの頬と耳を焼き落とした。
ぼやけたアスクの視線の先には、先程投げ落としたアスクのブラスターを構えた木田が座っていた。
木田自身も、ブラスターの威力に驚いたらしく、両手で構えながらも眼を白黒させていた。
キャパシィーターは悲鳴を上げ、アスクから鉤爪を放してのたうち回っていたが、すぐに怒りの形相で木田を睨みつけた。
木田は再び、キャパシィーターにブラスターを撃つが、キャパシィーターはこれまでと同じ様に、引き金を引く前に回避行動を取り、ブラスターを避けると木田を殺しに近づいていく。
……立て、唐木啓太。早く、早く!
唐木は自らを叱咤し、力を籠め、立ち上がるとその場を跳び、キャパシィーターと木田の間に割って入った。そしてなけなしの力を奮い立たせ、拳を固める。
長くは続かない、精一杯の虚勢だったが、その気迫は重傷を負ったキャパシィーターを威圧することは出来たようだった。
『――レイブン。ここは一度引き、報告しろ』
突然、どこからか声が聞こえた。誰かはわからない。低く、威厳を含んだ重厚な声だった。レイブンと呼ばれたもの、キャパシィーターはぎりぎりと嘴を噛み締めながら口を開いた。
「っ……わかりました」
カラスを基礎としたキャパシィーター、レイブンの背後の空間に切れ目が出てくる。それが割れ、その穴にレイブンは入って行き、姿を消した。
アスクの超感覚にも、レイブンの姿は完全に感知できない。アスクはそれを確認すると構えていた拳を下ろした。そして背後に立つ、木田へと振り返る。
「……大丈夫、でしたか?」
木田は何も答えられず、ブラスターをアスクへと向けていた。アスクが念じると同時に、持っていたブラスターは再び粒子へと戻り、木田の手元から消える。アスクは木田を見て、命に関わる怪我が無いことを確認すると、背を向けた。
「ま、待てっ!」
アスクは振り向きこそしなかったが、足を止める。木田はまだ先ほどからのショックが抜け切っていないのか上擦った声で尋ねる。
「お、お前は、唐木啓太なのか? だとしたら聞きたいことが山ほどある!」
「……お答えできません」
アスクはそれだけ告げると、超人的な脚力で跳び上がり、あっという間に姿を消した。一人残された木田の脳裏に、今までのことが現実離れしすぎて、全て夢だったという気さえが湧いてきたが、肩の痛みがそれを否定した。
アスクは闇夜を駆け、緑地公園から離れる。しばらくの移動の後、アパートの屋上から跳躍するも、アスクは足元を滑らせ、小さな公園に落ちた。
平常時ならばこんなミスは犯さない。アスクになってまだ日は浅いが、そう断言できる程度にはアスクに慣れてきていた。だが、今は力加減に加え、距離感すら曖昧で、狂っていた。
ふらふらと起き上がるも、すぐに足がもつれ、仰向けに倒れる。周囲を確認する事すら怠り、唐木はアスクの変身を解除した。
脂汗に滲んだ全身に、湿った風が吹きつける。唐木は数回呼吸し、新鮮な空気を肺に送り込む。
だが、落ち着く暇も無く、それまで堪えていた吐き気が噴き上がり、唐木は姿勢を変え、地面に向かって胃の内容物を吐き出した。
胃酸が逆流し、喉が爛れる。しかしそれは一度では済まなかった。何度も吐き出し、胃の内容物が無くなっても、吐き気は消えなかった。
口元を腕で拭うと、生乾きの血が腕に擦りついた。先程仮面の下で流した鼻血だった。そして拭った拍子に琴線に触れたのか、再び鼻血が溢れ出す。
唐木は腕でそれを押さえたまま、よろよろと水道へと歩いていく。
冷たく、どこか鉄臭い水で鼻血を流し、口を濯ぐ。
……五感の超鋭敏化はここまでダメージを負うのか。
唐木は水道にもたれながら、ゆっくりと思考を巡らした。
キャパシィーター見つけ出す為に五感全てを超鋭敏化させた反動が、これほどまで体調を乱し、戦闘中にまでそれが及ぶとは思わなかった。しかし、これ以外に逃がした相手を見つけ出す術は無い。
つまり五感を超鋭敏化させない為には、反応を感知し、相手を見つけると同時に倒す必要がある。再戦といったチャンスは無いに等しい。
そして、それとは別にキャパシィーター、レイブンが言った「前のとは違う」という言葉が気になった。
あのキャパシィーターは時折、俺の発言に驚いていた。気にも留めなかったが、初戦では、言葉が話せることに驚くと「何を今更」と苛立ちながらも言った。それに俺を追い詰め「アスクを始末できる日がくるとは」と驚いていた。
……俺はレイブン相手に「アスク」と名乗った覚えは無い。それにまだアスクとして戦ったのは数回程度、そこまで存在が認知されているとも思えない。
レイブンの言う「前」とは何を意味するのかがわからない。ランの話だと、別の世界ではアスクシステムは完成する前には滅んだ。
それにレイブンの、アスクを、こちらを知っているような態度は、どこか既視感を覚える。
だが、それがなんだったのか思い出す前に、唐木の視界が暗くなり、意識は深い闇へと落ちていった……。
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