第2話


 巨大なショベルが道場の屋根に振り下ろされる。木目を無視して振り下ろされたそれにより、めきめきと音を立て、ささくれた木片が散らばった。

 青年、唐木啓太は首に掛けたタオルで額の汗を拭いながら、崩れていく道場を見ていた。

 唐木にとってその道場は思い出深いものだ。幼少期、この道場で剣道を学び、育っていった。成長するにつれ、少しでも生活費を稼ぐために仕事に明け暮れた。それに伴い、次第に道場へと通う時間は減っていった。

 唐木にとってここは思い出が詰まった場所だ。だからこそ、思い出の場所が崩れていく光景には寂しさを覚える。

 ショベルカーが道場を壊し終えると、作業着姿の男達がぞろぞろと瓦礫の山へと向かっていく。唐木も軍手をはめながらその後を追う。

 木片を放り捨て、まだ残っている壁や柱を力任せに剥がしていく。道場自体が木造で、老朽化も進んでいたこともあり、解体には少数の人員と機材で充分だった。

 唐木は視線を感じ、ふと道路側を見やった。粉塵を防ぐゴーグル越しに、紺色の制服を着た長く艶やかな髪を後ろで縛った少女、蒼井凪が見えた。

 凪は怒りに満ちた視線でこちらを一瞥するとそのまま去っていった。

 凪とは幼少期の頃からの付き合いがある。事故による両親の死後、俺は親族から突き放され、施設へ送られる寸前、親交があった凪の両親よって救われた。以後、俺は苗字こそ変えていないが蒼井家に家族として迎え入れてもらっている。


 十五歳になってからは、近所の土木作業員の仕事をさせてもらい、給料を幾分か、蒼井家に納めている。当初は受け取る事を拒否していた蒼井家だったが、これくらいの事をしないと自分の気が収まらない。と説明し、不承不承ながらも受け取ってもらっている。


 凪の父親が病気で亡くなり、営んでいた剣道道場が解体されるとなったとき、唐木も剣道道場の解体に携わる事となった。

 唐木はこの仕事を、思い出の最期を看取ると考えていた為、解体作業への躊躇いは薄かった。しかし凪にとっては、唐木の行動は理解できないものだった。凪の目には思い出の場所を小金の為に壊している。そう映った。


弁解しようと試みた唐木だったが、その無愛想な表情と言葉足らずな面が災いし、余計に話を拗らせただけという結果に終わった。

以降、凪は唐木を避ける様になり、唐木も言葉を見出せないでいた。


「唐木、ぼさっと突っ立ってないで働け」


 声を掛けられ唐木は我に戻ると、再び瓦礫を片付けていく。床板だった部分は底が既に腐っており、カビの湿気った臭いがマスク越しに鼻腔を突く。

 道場の跡地には今後、企業の研究施設が設立される。周辺の人々は多くの土地が買われたとき、大型ショッピングモールが出来るのではないかと期待を膨らませていたが、企業の研究施設だと知り、落胆の声を上げていた。

 現在は道場、及び周辺の撤去作業を進めている。研究施設は再来年の春に完成予定とされており、道場の解体作業と並行して、土台作りも行われていた。

 昼の休憩時間が近づくと、現場監督である髭面の男がポケットから革の財布を取り出しながら唐木に近づく。


「おい唐木、今から弁当屋まで走って飯を取ってこい」


「わかりました」


 現場監督からお金を渡されると唐木はそれをポケットに入れ、短く返事を済ますとゴーグルを首に掛け、走り出す。


「昼休みまでには戻ってこいよ」


 背中から聞こえる声に無言で了承し、唐木は弁当屋へと向かう。

弁当屋までの距離はそう遠くない。歩いて十五分、走れば十分足らずだ。だが帰りは現場に居る全員の昼食を持って帰ってこなければならない。走ってしまえば弁当の中身が乱れてしまう。

初めて頼まれた際には、走って帰ってきた所為で中身をぐちゃぐちゃにして非難を浴びてしまった。それ以来、唐木は行きに全速力で走り、帰りには弁当に気を遣って歩くようにしていた。


 弁当屋から大量の袋を持って帰ってきたとき、唐木はスマートフォンを片手に視線を彷徨わせている外国人の少女を目にした。

 

 少女の容貌は、顎先までの短い髪。その髪色は、月明かりのように美しい金色であった。海のように碧い眼、ホットパンツから伸びるすらりとした脚。年齢は自分と同じくらいだが、幾分か大人びて見える。


 少女はスマートフォンを一瞥して、顔を上げて周りを見ている。その姿から唐木は地図を見て、何かを探しているのだと解釈した。

唐木は荷物を持ったまま少女に近づき、声をかけた。


「どうかしましたか?」


 唐木が背後から声を掛けると、振り向いた少女は唐木の顔を見て眼を大きく開けた。背後から知らない男に声を掛けられたのならば誰しも多少は驚くだろう。

 それに加え唐木は表情が硬く、目も細く、常に眉間に皺を寄せている為、本人にその意図は無くとも威圧感や不快感を与える事があった。

 しかし彼女の反応は普段とどこか違う、まるで唐木を知った上で驚いたような、そんな不自然な反応だった。


「あっ、いえ、すいません。四葉科学研究所はどこでしょうか。この辺りのはずなのですが……」


 少女は数秒の間を置いてから、唐木に尋ねる。少女の濁りの無い日本語に内心舌を巻きつつも、唐木は少女の質問に答える。


「ここです。とは言え完成するのは再来年の春です」


「えっ、そんなはずは……」


 少女は困惑しつつ、掌で口元を押さえ思案する。


「おい、唐木―っ。早く来い!」


 解体現場から監督に大声で呼びつけられ、唐木は少女に軽く会釈を済ませてから小走りで現場に向かおうとしたが、少女に腕を掴まれ引き止められた。


「あの、今の、唐木と呼ばれたのは……?」


「俺のことです」


「下の、下の名前は!?」


「……啓太です。唐木啓太。……では、忙しいので」


 執拗に迫る少女に不信感を抱きつつ、名前を告げると唐木は足早に現場へと戻っていった。そんな唐木の後ろ姿を少女は見つめ続けていた。




 七月。この時期は気温と共に湿度も高い。全身から噴き出してくる汗が作業着のインナーを濡らし、べとりと肌に張り付く感触が彼は嫌いで仕方がなかった。

終業を知らせる放送が流れると、彼はキーを外し、ショベルカーの操縦席から降りる。

 日が落ちてきたおかげか、静かな風が吹いていた。涼しい、とまではいかないがその風は、肌に張り付いた汗の不快感を少しの間だけ忘れさせてくれた。

 彼はショベルカーを後にし、他の作業員と共に日給を取りに歩いてゆく。隣の男は日給を使って酒を飲むか、「お楽しみ」に使うかを話していた。彼は日給をどうつかうのかは考えていなかったが、その男の話を聞いているだけでも安い夢が広がるようで楽しく思えた。

 しかし彼は夜勤で、現場の警備を兼ねた宿直をすることになっていた。最近、深夜に若者が柵を越え、不法侵入して花火や、落書きをするような悪戯が多くあるからだ。だから彼は仲間との付き合いに参加できなかった。


 ふと、視線の端にちらりと無愛想な少年の姿が目に映る。数年前から仕事場で度々目にするが、話しかけたこともなければ、名前も知らない。しかし、誰よりも一生懸命に働いているということは知っていた。

 しかし、彼には何故あの少年が、そこまで一生懸命に働くのかわからなかった。小遣いが欲しいのならば、もっと楽に手に入るアルバイトもある。

 少年の見た目は金遣いが荒いようにも見えなければ、犯罪や女の臭いもしない。それに酒も煙草も味わえる歳でもない。何故そこまでしてお金を稼ごうとするのか、彼にはわからなかった。


 そんなことを考えていると彼の番が回ってきた。彼は日給を手渡される間、現場監督に尋ねた。


「監督、あの子って何のために働いてるんすかね?」


「家庭の事情って奴だよ」


 監督は短く答える。彼も、へぇ、と一言だけ返し、それ以上は何も聞かなかった。彼が列から離れようとしたとき、思い出したように監督が彼を引きとめた。


「おい、ショベルのキーはちゃんと仕舞っておけよ。また持ってかれたらたまったもんじゃねぇ」


「ああ、すんません」


彼は一礼して日給が入った茶封筒をポケットに押し込み、列から離れていく。既に少年の姿は見失っていた。



 深夜になり、工事現場からひと気が消えると、吐き出されるように、何も無い空間から突然、テニスボール大の妖しく光を放つ球体が出現した。

 その球体は何かを探すようにふわふわと宙を漂うと、ショベルカーの窓を通り抜け、レバーの隙間から中へと入っていった。


 その球体が入った瞬間、異変が起こった。


 突然ショベルが湾曲し、内側から異音を立てて潰れて、否、喰われていく。

金属が砕け、壊れる音が深夜の工事現場に響き渡る。ショベルカーが完全に無くなると、その場に残っていたのは人並みに肥大した球体だった。

 球体から放たれる妖しげな光が消えると同時に、球体からミミズのような桃色の腕が生えた。その腕はてらてらと滑り気を感じさせる光沢を放っており、色と質感さえ除けば人の腕となんら変わらなかった。

同じ様な色と質感をした脚が生え、球体は徐々に身体を精製していく。そしてその桃色の身体を隠すように金属部品が覆う。


 変化が終わるとソレは、ショベルカーのような、いやショベルカーの部品を身に纏っていた。右腕は人の形ではなく、ショベルそのものだった。

 ソレの顔をライトが照らす。ソレには目や鼻、耳に口といった器官が無く、マネキンのようにつるりとした顔だった。しかしそれにも関わらず、ソレは静かに光の方向を向いた。

 異音を聞きつけてきた宿直の男がソレに睨まれ、震えながらライトを落とす。異形のソレを目にし、喉が凍り付いていた。

 ソレが歩を進めると宿直の男は膝腰を抜かれたかのようにその場に崩れ落ちた。宿直の男は、先程の異音を不良の悪戯か、作業機械か、部品が倒れたのだと思っていた。だが実際は男の想像を遥かに上回る出来事だった。


 異形のソレはショベルに似た豪腕を高く掲げ、男の頭上へと振り下ろす。そこで男の喉は解凍し、絶叫に似た悲鳴を上げたが、すぐにその声は潰され、叫びは夜の闇へと溶けていった。

 

異形のソレは人の手の形をしている左手に視線を落とすと、まるで感触を確かめるように手を握ったり閉じたりを繰り返し、自分の手を眺める。

そしてショベルに似た右手の豪腕を引き摺りながら、離れた場所にあるプレハブ小屋へと歩いていった。


真っ赤な線を残しながら、ゆっくりと。


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