第21話



 唐木は自分の部屋に戻ると変身が解けていることを確認する。白い装甲と共に身体にまみれた泥は消え、影も形も無かった。一体どこへ消えたのかと疑問が浮かんだが、それもすぐに消えていった。

 今回のキャパシィーターと対面して、胸の中にしこりを感じる。敵は今までと違って二体。深夜の山中に現れ、人を襲うでもなく、アスクを待っていた。

キャパシィーターは人を殺そうとし、それを阻止する邪魔者、アスクを先に始末しようとしているのかもしれない。

それについては寧ろ好都合な位だ。市街地に現れれば戦い辛くなり、周りに注意も払わなければならない。だが、深夜の山中ならば気兼ねなく武器も使用する事もできる。

だが一番気になるのはナマズ型の「二度目は通じないか」という発言。それまで相手が電流を操れる事を知りもしなかったし、過去に対面した事も無い。この旨の発言はカラス型、レイブンにもあった。高い知性を持つキャパシィーターは皆、アスクのことを知っている。過去に会ったような、アスクを知っているような発言をしている。……それにランもだ。

気になるのはそれだけでは無い。あのアスクに変身した際に感じる囁きだ。言葉としてあれば、抽象的なイメージでもあり、また警笛のようにもある。初変身の際も直感的に「アスク」だと理解し、名乗る事ができた。しかもそれは時間が経つにつれ、より克明に見え、感じるようになっている。

 唐木は手元の白いスマートフォン、アスクシステムを見つめる。真珠のような白い輝きを見せるアスクシステムは何も答えない。ただカーテンの隙間から漏れる月明かりを反射させ続けた。


「まだ起きてるの?」


 その声に振り向くと寝巻き姿の凪が、目を擦らせながら唐木を覗いていた。


「すまん。起こしたか?」


「トイレ行ったときに、あんたの部屋の隙間から光が零れてたから覗いただけ」


「そうか」


 唐木が短く告げると、凪は扉の前で少し躊躇ってから、「何かあったの」と尋ねた。

その言葉に唐木は迷った。話すか否かの問題ではなく、唐木自身も上手く伝えられる自信が無かった。自分の中でも漠然としたものを相手に伝える事ができるのか? 


 だが、凪には常にヒントを貰っている。事実、凪の方が自分よりも遥かに聡明だ。それに甘えるようだが、学校のリーダーである凪は話を汲み取る力もある。

 少し迷った後、唐木は口を開いた。


「実は……アスクに変身すると、囁きを感じるんだ」


「囁き?」

 それから唐木は感じていたものを全て吐き出した。囁きやイメージを感じ、それが日に日に鮮明になりつつあること、不思議と嫌悪感は無いこと。そして「前」のことについて、相手が俺を知っているような発言について、全て話した。

 黙って聞いていた凪は話し終えると少し考える素振りを見せてから口を開いた。


「前のってのはわかんないけど、囁きってのはデジャヴのことじゃない?」


「デジャヴ?」


「そう。あ、これ昔見たことある気がする、って感じるときのことを言うの。映画だとか本とか、些細な行動でも既視感を感じたことない?」


「あることにはあるが……」


 デジャヴという存在や名称は初めて耳にしたが、思い返すとデジャヴを体験した事はある。だからこそ、それと囁きは違うと断言できた。あれはデジャヴというよりも記憶や記録に近い何かだ。それが何かはわからないが……。


「そのキャパシィーターや……一緒にするのもなんだけど、ランの言動もデジャヴを感じてるだけなんじゃない?」


「いや、デジャヴではランの行動は説明できない。彼女の俺を知っているような、俺をよく見ていたような発言や振る舞いは……」


 唐木が饒舌になりかけた時、凪がじとっとした視線をぶつけており、眉間には皺が寄っていた。その様子を見て唐木は思わず言葉を止めてしまった。


「どうしたんだ?」


「いえ、別に。ただ、まさかランは俺のことが好きなんじゃないか、とかキモイこと言うのかなーって思ってただけ」


 凪がわざわざ声色まで低くしている姿を見て、唐木は思わず吹き出してしまった。凪は唐木のその珍しい反応に目を丸くした。


「それはない。それに俺のことを好いている奴なんて余程の変人だ」


 些細な冗談のつもりだったが、凪はあからさまに機嫌を損ねていた。笑みこそは浮かべているものどこか引きつっているようにも見えた。


「そうよね。あんたのことを好いているのは余程の変人ね」


「ああ……どうした?」


「おやすみ!」


 凪は挨拶を済まし、つかつかと部屋から出て行った。一人残った唐木は部屋の扉を閉めると、消灯してベッドに身体を倒すと寝る準備をした。

 明日は確か、午後から仕事が再開する。午前の内にランに「前」や囁きについて話を聞いてみよう。今日は土石流の中で戦って疲れた。

 ここまで考え、唐木は土石流の中で戦って疲れたという感想に自嘲した。それを鼻で笑うと唐木は緩やかに夢の中へと落ちていった。




 兵士として戦う覚悟を胸に武器を取る。既に失うものは何も無かった。思い起こせば……の人生は「死」に溢れていた。それに慣れた事は無い。胸を抉るような痛みを胸の奥へと押しやり、飛び出す。


 銃声と爆音が耳を突き刺す。声を張らなくては隣に居る相手と会話する事もままならない喧騒の渦巻きに……は居た。だがそんな轟音に掻き消されず、悲鳴だけが木霊した。


泣き出す者も、混乱に陥る者も、不条理に怒る者も居た。それを気にかける余裕は……には無かった。弾倉を押し込み、銃弾を装填する。確認を済まし、引き金を引く。炸裂音と共に銃口で火の花が咲き乱れる。金の種子が排出され、地面に連なった。肩に押し付けて衝撃を緩和させ、少しでも狙いを留めさせる。


轟音が消え、カキンと小さな音が鳴る。素早く弾を入れ替えようと、走った。その時、視界の端に瓦礫の下で蹲る子供を目にした。

素早く方向転換し、走る。眼前の怪物はその鋭い爪を立て、下卑な笑みを浮かべている。使命感も正義感も感じない。ただ突き動かす何かが……にはあった。


かさばる銃を捨て、瓦礫の草原を駆け抜ける。爪が突き立てられる寸前に……は子供に覆い被さった。


背中に筆舌に尽くしがたい程の激痛が走っただろう。次に訪れる苦痛まで意識が吹き飛んでいた。怪物は邪魔をされた怒りからか、乱雑に……の背中に爪を突き立て肉を骨ごと切り裂いた。それに集まってきた他の怪物も、嬲るように、玩具を扱うように……へ苦痛を与え続けた。


日が落ちた頃、怪物も姿を消し男の胸の中から子供が這い出る。子供は涙に顔を歪めながら……を見た。……は見るも無残な姿まで痛めつけられ、片腕は乱雑に切り落とされている。……の身体は時間が静止したように動かない。子供は……の前から立ち去り、やがて消えていく。


……の亡骸には蝿すら寄らなかった。いや、その蝿すら怪物の蹂躙に巻き込まれ、死んだのだ。……の亡骸を月明かりが優しく照らす。……は最期まで、その命を架してまで子供を守り抜いた。


その理由はわからない。交友があったわけでも、恩があるわけでもない。何一つ接点の無い子供だった。身に余るほどの苦痛を受け、その命を枯らして守り抜き、死んだ。

……は月明かりに身を預け、二度と動く事は無かった。



 唐木は眩い日差しに目を覚ました。昨日の夜にカーテンを閉め忘れた所為で、窓から熱を帯びた日差しが容赦無く注ぎ込み、部屋をサウナへと変容させていた。

 全身から滲み出す汗を拭う事も出来ず、唐木は起き上がる。しかし唐木は身体から溢れ出た汗がこの暑さの所為だけでは無いとわかっていた。

身体を起こすと、自分の背中や腕を確認する。背中も腕もべとりと濡れていた。しかしそれは単なる発汗現象によるもので、夢のような出血も大怪我も存在しなかった。だが唐木は暫くの間、自分の腕を見つめていた。

夢の中では、兵士と怪物、キャパシィーターが戦っていた。しかしそれはアスクのような戦闘ではなく、多対多の戦争のような光景だった。夢の中では兵士の中の一人が、子供を守り、命を落としていた。

その兵士の顔は思い出せない。夢から覚めて記憶が曖昧になりつつあるからか、それとも最初から顔は見えなかったのか、それもわからなければ、夢を確かめる術など存在しない。

しかし、夢にしてはあまりにも克明に映り、その割には一部分が曖昧だったな……。

唐木はひとまず思考を打ち切り、アスクシステムを掴む。画面を表示させると、九時四十分と現在時刻が映し出されていた。少しの躊躇いの後、ランへと電話を掛けた。


「おはようございます」


「おはよう。今は大丈夫か?」


「ええ。ところで昨日はお疲れ様でした」


 唐木は電話越しで驚いたが、すぐにアスクシステムには追跡システムがついていること、ランが別端末からそれを確認できることを思い出して納得した。


「ありがとう。それで聞きたいことがある」


「なんですか?」


「アスクに変身して戦っていると、囁きを感じるんだ」


「囁き、ですか? 強化された聴覚が他の音を拾っているのでは?」


「違う。感じるんだ。なんて言えばいいのか、イメージや光景が頭に浮かぶんだ。ものによっては漠然としていたり、警鐘のようだったりしている」


「アスクシステムにはある程度、戦闘面や歩行といった通常面でも、ある程度は生身と変わらない感覚で動く事ができるアシスト機能を搭載していますので、それがイメージとして浮かぶのではないでしょうか?」


「……だからアスクになって身長が伸びていても、変わった感覚は無いのか」


 ランの説明に納得しながらも唐木はランの言うアシスト機能が囁きとは別のものであると認識していた。だが、どう違うのか、正確に伝えられる自信は無かった。


「それとは別にもう一つある」


「なんですか?」


「カラス型の、レイブンや昨日対峙したキャパシィーターが言っていたんだが、奴らは「前の」と言っていた。まるでかつて俺と戦ったような、俺を、アスクを知っているかのような口ぶりだった。何か心当たりはないか?」


 返ってきたのは沈黙だった。唐木は一瞬通話が終了したのかと思い、一度携帯電話から顔を離し、画面を見つめた。


「どうかしたか」


「……いえ、なんでもないです」


 疎い唐木でも明らかにランの声色が変化したことを察した。気遣いの言葉をかけようとしたとき、それよりも早くランの声が耳を通る。


「すいません。今はまだ話せません。でも一つだけ、アスクは唐木啓太さん、ただ一人しかいません。……それでは」


 ランはそれだけ告げると通話を終了させた。結果としては囁きや「前」について納得のいく答えは出ず、逆にこれまで以上に、二つの悩みに対しての疑心を煽るだけになってしまった。


 一度溜息をつくとベッドから起き上がり、シャワーを浴びるため階段を下りていった。リビングを見回したとき、晴子さんは居なかった。恐らくパートに出かけたのだろう。庭では凪が剣道の練習をしていた。

 竹刀を構え、振り下ろす。単純な動作だったが、唐木はそれに見惚れていた。女性らしい華奢な腕で下ろされる竹刀は空を切って鋭く振り下ろされる。

俺が来る前から素振りや練習を続けているのだろうが、動きからは疲れを一切感じさせない。力強さを感じさせつつも、空で竹刀を止める。まさに静と動を体現していた。

 凪は下りてきた唐木に気付くと素振りを止め、手を振った。


「おはよう。あんた今起きたところ?」


「ああ。今からシャワーを浴びに行くところだ」


「ならその前にちょっと付き合いなさいよ」


「練習か?」


「そう。久しぶりに、ね」


「……構わないが」


 唐木は少し間を置いてから了承した。部屋の奥から竹刀を取り出して、再び庭へ向かう。唐木は柄を握り、感触を確かめつつ二、三度素振りを済ます。その様子に凪は僅かに笑みを浮かべていたが、唐木がそれに気づくことは無かった。

 互いに竹刀を構え、凪と対面した際、負ける気など微塵も感じなかった。日々の肉体労働で凪よりも筋力は圧倒的に勝っていれば、ほぼ毎日、腹筋や腕立てといったトレーニングも行っている。それに差別的なつもりでは無いが、男女の身体能力の差だってある……。

 凪の竹刀が消えた次の瞬間、いつの間にか凪の竹刀が頭上にあり、寸止めされていた。頭に軽い衝撃が走り、凪に竹刀で小突かれる。唐木が瞬きしていると、凪は口角を上げて「一本」と小さく呟いた。


「これで少しは目が覚めた?」


「……ああ」


 唐木は短く答え、竹刀を握る手に力を籠めた。何気ない凪の言葉は、凪が想像もつかないほどに唐木にダメージを与えた。

 筋力、鍛錬、身体能力の差。その全てが凪より上回っていると思い上がっていた。だが、俺が剣道の練習しなくなってからも、凪は一人で練習を繰り返し、身体を鍛えていた。

確かに単純な腕力ならば俺のほうが上だ。だが、日々鍛錬を行っていた凪に、ブランクがある俺が勝てるはずがない。いつの間にか、経験による差が大きく開いていた。


なら、どうする。唐木は自分を叱咤した。

思い出せ。記憶の中にある動きを、構えを、身体が忘れていても、思い出させろ。

 唐木は再び、呼吸を整え、竹刀を構える。

一瞬のうちに、唐木の眼前に詰め寄った凪が竹刀を振るう。意識をしていたからこそ唐木はそれを受けることができた。一瞬の鍔迫り合いの後、ランが素早く身を引きながら、竹刀を振り下ろす。また、一本を取られた。


「あんただいぶ腕が鈍ったわね」


「……」


「まあ、仕方ないか。いつも一生懸命に働いて忙しそうだったし」


 凪は練習を怠った事を咎めることなく、唐木に理解を示した。それが何よりも唐木の胸を強く絞った。凪が見せた表情は微笑みだったが、その影には寂しさが滲んでいる。

 凪は自分と共に練習に励み、競い合った好敵手であり愛慕する相手が、自分よりも弱くなっていたこと、そしてそれを許容していることに対し寂しさを覚えていた。それが顔に出ていたことを凪は自覚していない。

 だが唐木にはそれが伝わってしまった。普段は鈍く、些細な表情の変化など見過ごしてばかりの唐木だったが、弱くなったという負い目が、彼の感受性を鋭くさせていた。

 唐木は込みあがってくる負の感情を押し潰し、口を開いた。


「それは言い訳だ。俺は鈍った。凪の感じている通り、今の俺では相手にもならないはずだ」


「そんな、私は別に……」


「悪いが時間を貰うぞ。感覚を取り戻すのを手伝ってくれ」


 唐木は軽く頭を下げる。その様子に凪はくすりと笑う。


「あんた普通に練習相手になるって言えないの?」


「むう……」


「それと、一々そんな重くしなくていいから!」


「重いか?」


「かなりね……じゃあ始めましょうか。コテンパンにしてあげる!」


 凪は満面の笑みで竹刀を構えると再び、唐木と向き合った。唐木も竹刀を構え、力強く握り締めた。



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