10膳目。ミルク粥(後編)
「さあ! おりょうりのじかんですよ!」
そう言って自信満々に胸を反らせるヴルトゥームちゃんだが、美澄香さんが扱うならともかく、火の近くには寄りたくないとの事で一番端の流し台の方に椅子を置いてもらい、そこに座っていた。
「結局ぼくが料理を作るんじゃないか」
半分呆れた様子でハスターさんが指摘すれば、ヴルトゥームちゃんはチッチッチッ。と指を振る。
「わたくしがつくりかたのてじゅん をいいますので、あにうえはそのとおりに つくってくださればよいのです」
「分かるのか?」
「わかりますとも! あなどらないでくださいまし」
「本当かなぁ……」
ヴルトゥームちゃんの言葉をどうも信じきれないハスターさんだったが、他に術も見つからないので渋々準備を進めるしかなかった。
「まずは、ざいりょうをよういしましょう! ごはんと、ぎゅうにゅう。バターに、はちみつです」
指定されたとおりに材料を探すハスターさんだったが、はちみつだけがどうも見つからない。
「では、おさとうでよろしいかと」
「そうか、まあ甘いからな」
と、二柱はあっさり妥協をした。
「つぎに、おかゆをにるおなべです!」
「あったけど、なんか鍋肌が銀色で底がでこぼこしているのと、外面は緑だけど中は黒くてツルツルしているのが出てきたんだけどどっちがいい?」
「ツルツルにしましょう! でこぼこは、あらうとき なんかめんどうそうです」
鍋の選択は、フッ素加工のミルクパン。
ここで奇跡のファインプレーである。
「そしたら、ざいりょうをおなべにいれて、にこみましょう!」
と、計量などの作業を省いてヴルトゥームちゃんが指示を飛ばすが、ハスターさんは首を捻りながら「なあ」と語りかける。
「ご飯は洗った方がいいだろうか?」
これはハスターさんにとって素朴な疑問であった。
数日の差ではあるが、美澄香さんと長く暮らしているのはハスターさんである。
勿論、自分の興味を満たす為に、彼女が料理をする様子を観察していた事もある。
その時の彼女は、確か米を洗っていた筈だ。
「そ……それはですね……」
ここに来て、自信満々だったヴルトゥームちゃんの言葉が濁った。
あれだけ胸を反らせてふんぞり返っていた反面、彼が知っているのはテレビで見たスタンダードなお粥の知識である。
それは生米から作られるもので、炊いたご飯は使っていない。
しかし腰が曲がり頭髪も灰色になった高齢の女性が、若い男性と一緒に作っていた時は、確か米は洗っていた。
砂糖で妥協した分、ここは忠実になろうとヴルトゥームちゃんは息を吸い込み、胸を膨らませて堂々と言った。
「もちろん! あらいますとも!!!」
その返答に、ハスターさんは「ふぅん」と、納得したのかしていないのか分からない返事をして、大きいボウルに冷ご飯を入れると、美澄香さんが炊飯をする時のように、ざぶざぶと洗ってザルに取り、水を切った。
ぶっちゃけて言ってしまえば、冷ご飯を使っている時点で粥ではなく雑炊なのだが、神にとってそんな違いは些末なものであった。
「では、あらためておなべのなかに、ごはんと、ぎゅうにゅうをいれてひにかけます!」
「わかった」
洗ったご飯と牛乳、砂糖を鍋に入れ、コンロの摘みを捻った。
ボッ。と青白い火が上がり、びっくりしてツマミを離してしまったが、一度点いた火は消えずに、鍋底を撫でるように燃えていた。
「ひあー……こわかった」
「お前な、そんな遠くにいるのに怖がる理由がないだろう」
火をつけた本人は相当驚いていたが、それを取り繕うかのように木ベラを手に取り、焦げないように静かに混ぜはじめた。
それを見て、ヴルトゥームちゃんもわざとらしく咳払いをしてから、アドバイスを続ける。
「ふちがフツフツとしてきたら、バターをひとかけらいれて、まぜてかんせいです!」
白くふつふつと煮立ち始めたミルク粥にバターを入れてから火を消して軽く混ぜれば、黄金色の油脂がとろりと浮かび上がり、米を包むかのように吸着していった。
「うん。美味しそうだ」
これは会心の出来だとハスターさんも満足げに頷き、お粥を入れる器に移そうとするが「まったー!」と止められる。
「……何だ」
「いちばんだいじなことをわすれておりますよ!」
「だから何だ」
鍋を一度コンロに戻し、木ベラを片手に腕を組んでヴルトゥームちゃんに向き直れば、彼は可愛らしい口をあーんと開けて、そこをちょいちょいと指さした。
「あじみですよ! おいしくなければ、いくらえいようがあっても げんきになりませんよ!」
なるほど確かに、そう言われてみれば味見をしていなかったと思ったハスターさんは、洗い場の水切りラックからスプーンをちょいと取り出すと、鍋の中のミルク粥を少し掬って口に……。
「ああーーーっ!!!」
……入れる前に、弟から悲痛な叫びが上がったので、その圧に負ける形でスプーンはヴルトゥームちゃんの口に運ばれることになった。
「わぁいあにうえだいすきー!」
と、調子のいい事を言いながらミルク粥を一口食べたヴルトゥームちゃんは、嬉しそうに親指を立てた拳をハスターさんの前に突き出した。
「あまくておいしいですよ! さすがあにうえ!!!」
ニコニコと笑みを浮かべてそう言った彼に、ハスターさんは安心したように一応自分もと味見をする。
「ん?」
が、首を捻った。
「どうしましたか?」
「いや……確かに甘くて美味いが、一味足りなくはないか?」
そう、ミルク粥を食べはしなかったものの近くで見ていたのはハスターさんだ。
かつての愛し子を育んだミルク粥は、きっとこれよりも甘味は薄かっただろうが、風に乗って我が身の近くまで漂ってきた香りは、もっと甘美なものだったはずだ。
「……やはり蜂蜜かぁ」
ふぅ。と小さく溜息が漏れる。
ここに来て蜂蜜の重要さが身に染みて分かった。
甘いだけでも良いだろう、しかし蜂蜜さえ入れれば完璧になれるという答えのある課題を前にしてしまうと、存外プライドの高いハスターさんはこれで完成と思いたくなかった。
どうにか、どうにか出来ないものか……。
再び腕を組んでうんうんと唸り始めたハスターさんに、ヴルトゥームちゃんは呆れた視線を向けていたが、自分の小さい指先に掛かる生暖かな風に気付き、ふとその視線を落として驚いた。
「ビヤーキー! いつのまにはいってきたんですか もー!」
「ビヤーキー?」
ヴルトゥームちゃんが座っている椅子の下、恐らく自分で縁側の窓を開けて入ってきたであろうビヤーキーが「わふ、わふ」とご飯の催促か知らないが小さく鳴いている。
「わかりました ショゴスがかえってきたらいちばんにごはんあげますから、だからこやにもどりなさいー」
椅子から下りて、蝶の羽でふわふわ浮きながらビヤーキーの尻を軽く叩いて小屋へと戻すヴルトゥームちゃんの姿を見送りながら、ハスターさんはポツリと呟いた。
「……そういえばアレ持ってたんだった」
ゴソゴソと黄衣をまさぐって、取り出したのは琥珀色の液体が入ったガラスの小瓶だった。
爽やかなミントの香りが一変、甘やかで芳醇な蜂蜜の香りで部屋が満ちる。
その芳香に誘われるかのように、美澄香さんはゆっくりと目を覚ました。
そこには、見慣れた黄色いてるてる坊主の姿。
「……はすたぁさん?」
「起きたか、熱はどうだ?」
「さっきよりは、いい感じです……それよりも、すごく蜂蜜のいい匂いが……」
ゆっくりと身を起こすと、氷嚢が額から滑って布団の上に落ちた。
ハスターさんはそれを掴んで退かすと、その場所に小さなお盆を乗せた。
お盆の上には、愛用している小花柄のどんぶりが乗っており、中には湯気とともに蜂蜜の芳しい香りを立ち登らせる、薄く黄色味がかったお粥が入っていた。
「わぁ〜! 美味しそう! ショゴスちゃん帰ってきてたんですね」
まさかこのお粥をハスターさん達が作ったとは微塵も思わない美澄香さんは、熱でいつも以上に締りのない顔を更に緩めて湯気を吸い込み香りを堪能している。
「あぁ、冷めないうちに食べるといい」
ハスターさんは、あえて自分達が作ったとは言わずに美澄香さんを促せば、彼女はニコニコと笑みを浮かべて「いただきます」と手を合わせてから匙をとり、お粥を掬った。
ふうふうと、数度息を吹きかけて冷ましたお粥を、ゆっくりと口に流せば、蜂蜜の香りだけで気付かなかった牛乳の風味が、とろけるような甘さと一緒にサラリと胃に落ちていく。
「ミルク粥だぁ……! 魔女宅のやつ〜!」
1口食べてしまえば、それが憧れのあの料理だと気付き、歓喜に声を弾ませながらパクパクとミルク粥を食べ進める。
甘い、本当に甘いのだが嫌な甘さでは全くなくて、ご飯も一度洗ってから煮立てたのかトロトロでポテっとしていないのが病中の胃にも、もたれずに優しい。
それにミルクでは出せないこのコクは、きっとバターであろう、ほんのりとした塩気の加減がまた絶妙でたまらない。
しかし、しかしなんと言ってもこの蜂蜜の香りと上品な甘さと来たら……!
「れも、よふはひみふあ」
「食べながら喋らなくても大丈夫だ、蜂蜜の事なら僕の蜂蜜酒を少し使ったんだ。そこまで酒精は強くないが、香りも甘さも一級品だろう?」
「ふぁい!」
感動したように頷きながら、美澄香さんはミルク粥を米の一粒も残さずぺろりと平らげてしまった。
「ふぁあああ〜……美味しかった、美味しかったぁ……」
少し前は熱と気怠さで食欲が無くて凹んでいた胃は、すっかり膨らんでぽかぽかと温かい。
「ふぁ……」
鼻の頭がほんのりと汗ばんできた。
恐らくハスターさんがミルク粥に入れた蜂蜜酒のお陰か先程よりも穏やかな微睡みが美澄香さんを包み込み始める。
「ミスカ。眠る前に薬を飲んでおくといい」
そう言って、美澄香さんがミルク粥に夢中になっている間に水を持ってきたらしいハスターさんが、薬局の袋に書かれている説明を読んでから、適切な粉薬を1服水とともに持たせた。
美澄香さんは水を含んでから粉薬を服用し、甘苦いようななんとも言えない味のそれを嚥下してから、また数回に分けてコップの水を飲み干し、ハスターさんに返した。
「ハスターさんありがとうございます」
「うん。よく寝て早く治すようにな」
「ふぁい……ごちそうさまでした……おやすみなさい……」
元々酒に弱い美澄香さんは、布団に潜ってすぐに安らかな寝息を立て始めた。
「ねむりましたか?」
「あぁ、お前にしては静かにしていたじゃないか」
寝入ったのを見計らってか、部屋の外で待っていたらしいヴルトゥームちゃんが顔を覗かせた。
「あにうえが、てがらをよこどりしようとしたならば らんにゅうしましたが、どうやらそうでもないようなので、みとどけさせていただきましたとも」
泡が弾けるような小さな笑い声を上げながら、悪戯っぽく微笑む弟の頭を、ハスター様はくしゃくしゃと撫でた。
「いつまでもこの部屋にいたらミスカも心から休めないだろう、お邪魔な僕らは退散するぞ」
「おやおや、あにうえがひとのこころのごしんぱいをするなんてめずらしい〜」
「どうとでも言うがいいさ、ほら食器はお前が持てよ」
「あーん! あにうえのいじわる〜!」
お盆に乗せた空の食器をヴルトゥームちゃんに持たせて、ハスターさんはひと仕事終えた人のように大きく伸びをして書庫へと向かう。
(少しは穀潰しではない働きが出来ただろうか……)
書庫の扉を開けて、本を物色する傍らでそんな不安がよぎったが、ふと脳裏に浮かんだ美澄香さんのごちそうさまでしたの言葉と、眠りに落ちる寸前に見せた微笑みに、無性に心中が掻き回されて、その不安とは違うざわめく感情から逃れるように、ハスターさんは本の背表紙に意識を集中させるのだった。
ショゴスが沢山のきのこや山菜を抱えて、玄関にあるはずのない美澄香さんの靴や、流し台に置かれた使用済みの鍋や食器を見つけて色々と察するまで、あと1時間……。
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