16膳目・芋ようかん(前編)
このタールのような粘性の生物は、おおよそ300年程前に南極大陸から海を渡り、この地にたどり着いたショゴスであった。
海から上がり、深い森に険しい山や谷を越え、ようやくショゴスがこの地に訪れた時、まず井戸に住み着いた。
昼は水を啜り、夜は獣や落人を襲い空腹を満たしていた、昼間に村民が水を汲みに来た時は水底に沈んで気配を殺して過ごした。
が、ショゴスが入り込んだ井戸の水は、異臭がする、腐れ水だと村民の間で話が広がり、放置されるのに時間は掛からず、ショゴスは昼間でも井戸の底でゆったりとくつろげるようになった。
そのような暮らしをして5年、酷い干ばつがこの地を襲った。
村民は水を求めてショゴスの住み着く井戸に身を投げ、そして無残にも貪り食われていった。
ショゴスは、この機を境に自らが動かなくても餌を得られるこの井戸の暮らしを気に入り、雨がこの地を濡らすまで揚々とそこを我が玉座のように座し、大口を開けてただ待っている日を続けた。
……が、その自堕落な日々も遂に終わりを迎える事となる。
──枯れ畑の真ん中、夜な夜なおいてけと物を乞う井戸を供養して欲しい。
巳為守はまず一晩、井戸の傍で耳をそばだてて、その問題の声をよく聞いてみた。
声はよく集中して聴いてみれば「おいてけ」ではなく「てけりてけり」と、この世のモノならざる声で鳴いているではないか。
とうのショゴスはすっかり堕落した生活に慣れ親しみ、すぐそこで六部が正体を探っている事すら気付かぬまま、月を眺めて上機嫌に歌っていたのだった。
夜が明け、巳為守は村民の中に居た石工に井戸を封じる為の石の蓋を作るように伝えた。
石工はすぐに仕事に取り掛かり、三日三晩寝ずの作業で石の蓋は完成した。
最後に巳為守は蓋の裏に自らの手で五芒星の中心に、燃える瞳の絵を彫り、
哀れかな、自ら動くことを忘れたショゴスは逃げる余地すら与えられずここから300年もの間井戸の底に閉じ込められることになったのである。
そして現在、蓋の封印は解かれ、ようやく外に出たショゴスは飢えに飢えた己に施しをしてくれた人の子(しかも二柱もの神の加護を受けた)……美澄香さんに奉仕していた。
元々は奉仕種族として生を賜った本来の気質に加え、虐げられ続けた南極のあの頃と比べればまさに天国のような厚遇に、ショゴスはその忠誠を捧げ、教えられる事全てを吸収し、誠実に美澄香さんの助けとなっていた。
朝は誰よりも早く起きて、釜戸に火をくべ。
夜は皆が寝静まるまで、繕いものやアイロンがけをする。
特にこれと言って仕事が無い時は、ショゴスは美澄香さんに教えて貰った折り紙で遊び、その作品を下駄箱の上に飾ってもらっている。
ご飯は毎日三食、更におやつ付き。
最近は、たまに寝坊をする美澄香さんの代わりに、簡単な朝食を作ることも任されるようになった。
ショゴスの朝食は、ありがたい事に二柱にも評判は良い。
「ショゴスちゃん、お出汁の取り方上手になったねー。お揚げのお味噌汁すっごく美味しい」
今日は、美澄香さんの手伝いで味噌汁を任された。
かつお節と昆布から取ったオーソドックスな出汁に、味噌は少しお高い米味噌、具は油揚げとほうれん草。
後は美澄香さんがパパッと作ったハムエッグとキャベツの千切りに採れたてプチトマトが2粒添えられたプレートに、小鉢に盛られてティースプーンが差された鮭フレークと、箸休めのしば漬け。
いつも通りの、何気なくも温かい食事。
ハスターさんは少々長く居るだけあって、ハムエッグの食べ方を心得ているらしく、鮭フレークには目もくれずモリモリとご飯を食べ進めており。
ヴルトゥームちゃんはご飯の上に鮭フレークをたっぷりとかけ、お気に入りのウサちゃんスプーンで2杯目のご飯を頬張るところである。
「やっぱりショゴスちゃんって凄い。私が教えた事全部きちんと覚えてて、やってくれるんだもの」
ショゴスが作った味噌汁をもう一口啜り美澄香さんは改めて感心する。
お出汁の取り方のみならず、お味噌の濃度や具の相性の善し悪しは完璧、更にここ1週間の具材を覚えていて被らないように配慮する余裕。
誰から見ても優秀である。
三食おやつ付きで一家に一匹住み込ませても、全く損にならない。
むしろお給料を払ってないこちら側が申し訳ない気持ちになるぐらいだ。
高校入学から一人暮らしをしていた美澄香さんにとって、何でもそつなく家事をこなしてくれるショゴスは輝いて見えた。
「あ、そうですミスカ。おねがいがあります」
2杯目もぺろりと平らげたヴルトゥームちゃんが、お行儀良く空の茶碗を重ねて「ごちそうさま」と手を合わせつつ言った。
「きょうは、あにうえといっしょに どんぐりをひろいにいきたいのですが」
「どんぐり?」
普段は日が暮れるまで庭の畑におまじないを掛けているか、縁側でのんびりと光合成しかしていないヴルトゥームちゃんからの珍しいお願い。
しかもハスターさんを連れてどんぐり拾いときたものだ。
美澄香さんは少し考えた後「ははーん」と謎が解けたように笑みを浮かべた。
「昨日金曜シネマショーで、となりのト〇ロ見てたもんね」
「はい! そうなのです!」
少ない情報から正解を引き当てた美澄香さんに敬愛の視線を向けて、頬を赤く染め、小さくてふくよかな手を握り締めブンブンと上下に振り、興奮しながらそう語るヴルトゥームちゃんのそれはそれは愛らしい事。
思わず口元が緩んでしまう。
「どんぐりをたくさんさがして わたしもツァトゥグアにあいたいです!」
「ヴルトゥーム、あれはツァトゥグアではない、似ているが違うぞ、あれはト〇ロだ」
「そうそれです! ト〇ロをみつけるのです!」
ビシッ! ビシッ! とキレのある動きでヴルトゥームちゃんはハスターさんと美澄香さんを交互に見やった。
その度ふわふわで綿菓子のような髪の毛と触角が揺れ、甘く軽やかな芳香がふわんと香る。
やっぱり花の神様だけはある。と美澄香さんは笑みを零しながら、昨晩のアニメ映画の感想を嬉嬉として語るヴルトゥームちゃんに、うんうんと相槌を打って聞き役に徹した。
「それでですね! おちちうえのかさをもって、あのしつりょうからかんがえもつかないほど かろやかに そらへ……あにうえー! あにうえ! わたしといっしょに ト〇ロごっこをしましょう! わたしがあにうえにしがみつくので、あにうえは おそらへぽーんととんでくださいまし!」
「僕の場合、お前の考えるポーンじゃ済まないんだけどそれでいいか?」
「やったぁ! ヴルトゥームはあにうえを ミスカのつぎに すいておりまする!」
「調子のいいことばかり言って……」
見た目に相応しい天真爛漫っぷりを発揮して、きゃあきゃあとハスターさんの黄衣にしがみついてご満悦そうなヴルトゥームちゃんの姿に、美澄香さんは表情筋を決壊させて幸せのお裾分けを噛み締めた。
──ヴルトゥームちゃん可愛すぎるっ!
拳を固く握り、唇をへの字に歪めて奥歯を食いしばる。
そうでもしないと可愛さにあてられた美澄香さんは、畳の上でもんどりうって転がり回りかねない。
人は、これを萌えと言う。
──テケリ・リ。
必死に萌えを抑えている美澄香さんに、いつの間にか食べ終わった食器を綺麗に片付けてくれていたショゴスが声を掛ける。
美澄香さんは我に返り、顔だけをショゴスに向ければ、彼(彼女?)はのぺりとした指の無い手で時計をチョイチョイと示す。
「あ、もうこんな時間だったの。ありがとうショゴスちゃん、もう少しで遅刻する所だった」
今日は、町立図書館への出張読み聞かせの依頼が来ている日だ。
午前の部11:00~13:00と午後の部15:00~17:00で行われる為、今日のお昼はショゴスが担当する事になっている。
「材料は昨日言ってた通りの場所に入ってるから、おかずのレシピが分からなくなったら台所に置いてあるレシピ本読んでね」
手鏡を取り、身なりの最終確認。
カバンの中も指差し確認。書類、筆記用具、携帯電話、そしてお弁当。うん、完璧。
最後に縁側に出て、尻尾を振って寄ってくるビヤーキーの頭を撫でて、全ての準備は整った。
「行ってきまーす!」
ハツラツとした声がけ、玄関を開けるガラガラという音、階段を下り、もう寿命であろうスクーターの鈍いエンジン音。
遠ざかる美澄香さんの姿を窓辺から見送って、ショゴスはエプロンを着けた。
山に遊びに行くという、偉大なる神々に持たせるお弁当を作る為に。
そしたら、ゆっくりと……。
ぷくく。とショゴスはこみ上げる笑いをこらえたが、代わりに気泡がぱちぱちと弾けた。
「
同時刻。美澄香さんの家から、川を挟んで向こう側の立派な瓦屋根の家で、ちょっとしたやりとりがあった。
品の良い灰色の着物を着こなした、上品なお婆さんが、夏休み中に遊びに来たであろうやんちゃそうな少年を手招きで呼びながら言う。
「川向こうのね、藁葺き屋根のお家にお届けものをして欲しいのよ」
お婆さんは、綺麗に包装された横長の箱を少年……和樹に手渡した。
「えーーーっ」
和樹は、年相応の嫌そうな表情を浮かべるが、お婆さんから渡された箱は落とさないように抱えている。
お婆さんは、心根は真面目な可愛い孫に笑みを浮かべて頭を撫でた。
「お使い出来たら、バァちゃんがアイスクリーム買ってあげようねぇ」
「マジで!分かった!行ってくる!」
子供というのはまあ現金なもので、御褒美があると知った時の反応はとても素早い。
和樹は今にも縁側から飛び出そうとしていたが、それを穏やかにお婆さんは諫めて、小さな足にサンダルを履かせて送り出した。
こちらに来てからもうすっかり半袖の形に日に焼けた可愛らしい背中を見送って、お婆さんは穏やかに微笑むと、目に入れても痛くない孫に食べさせるアイスクリームを買いに、いそいそと出かける準備の為に奥へ引っ込んでいった。
「ゆうげまでには、もどりますから」
──テケリ・リ。
ハスターさんにはお弁当が入った袋を持たせ。
ヴルトゥームちゃんにはウサギの飾りが付いた麦わら帽子をかぶせて。
これでようやくお見送りが出来るとショゴスは満足げに気泡を弾けさせる。
「では行ってくる」
自力ではあまり足の速くないヴルトゥームちゃんをひょいと抱え、ハスターさんは人に見つからないように裏口から一歩外に出る。
と、ゴゥ! と突風が吹き荒び、ショゴスが舞い上がる土煙に目を引っ込めた一瞬のうちに、神格二柱はその場から既に遠く……と言っても向かいの山の中へと出かけていった後だった。
ショゴスは、しばらく裏口から山の方をジーッと見つめ。
10秒。
20秒。
30秒……。
──ぷくくっ。
耐え切れず、笑った。
だが、いくらヨグ・ソトースから分かちし力でも、ショゴスの笑いの理由を知る事は無いだろう。
そう、真意を読み取る複眼を持つ、最も父神の囁きに耳を傾けられるとされるヴルトゥームちゃんであろうとも。
今のショゴスが内に秘めて秘めて今にも爆発しそうな愉悦を読み取る事すら出来なかったのだから。
『ショゴスちゃん。いっつも一生懸命にお手伝いしてくれるから、秘密の御褒美あげちゃう』
ある日の事、風呂上りの牛乳を飲んでいた美澄香さんが唐突にショゴスにそう言った。
ショゴスは、ここ数日の攻防の末、ようやくハスターさんから剥ぎ取った黄衣のアイロンがけを終えた達成感の中、更に「御褒美」という言葉に反応し、いつもより声高に鳴く。
美澄香さんはニコニコと微笑みながら『ハスターさん達には内緒だからね?』と念を押し、台所へと手招きした。
手招きされた場所は、美澄香さんしか開けることを許されない冷蔵庫の前だった。
(勿論、開けたからと言って美澄香さんに怒られるわけでもないが、材料だけしか入っていないのでハスターさん達からしたらどうしたらいいか分からないものだらけという事もある)
『知る人ぞ知る和菓子のお店、
そう言い、取り出したのは両手で包めるほど小さく丸いガラス瓶、しかし、ショゴスは取り出されたそれを黒い瞳で凝視する。
至って普通のガラス瓶、そんな事は分かりきっている。ショゴスが穴が開くほど見つめているのは、その中身に他ならなかった。
『まあ試しに1粒どうぞ』
笑みを浮かべる美澄香さんは、ショゴスの手(と思しき突出部分)に瓶の口からそれを器用に1粒落とした。
それは丸く、小さく、それでいてとげとげだった。
そしてそれは半透明のピンク色をしており、何処かのガス星のようである。
質感的には石のようだが、力を入れたら割れてしまう程度の硬度のようで。
魔石の類か。と思ったが、その気配すら全く感じられない。
不思議そうに見つめるショゴスに、美澄香さんは口を開けて食べるものだとジェスチャーをする。
ショゴスがこくりと頷いて、その丸いがとげとげした小さいものをぱくりと口に含んだ。
そして、すぐその甘さにパァっと瞳を輝かせ、粘性の身体中に泡をかけ巡らせた。
『美味しいですよねー!』
そう言って美澄香さんは瓶を丸ごとショゴスの手に握らせた。
『これ全部ショゴスちゃんのものですよ。好きに食べてくださいね』
そう言って笑う美澄香さんに、ショゴスは感激に打ち震え、金平糖がまだまだぎっしり入った瓶を眺めながら一生を彼女に尽くそうと心に決めた。
……というやり取りが2週間前にあった。
ショゴスは金平糖の瓶を体の中にしまいこんでそれはそれは大事に大事に慈しむように食べていた。
しかし大事に食べていてもあまり大きな瓶ではないので、今ではもう残っているのは5,6粒と言った所か。
侘しい気持ちを覚えながら軽く振ればチリチリとガラスを叩く小さな音が鳴る。
──テケリ・リ……。
形があるものはいずれ無くなってしまうものだと、この世の無常に思いを馳せながら、今日は何色の金平糖を食べようかと瓶を覗き込んでいた時だった。
「おじゃましまーす! 美澄香さんいるー?」
突然の来訪者に、ショゴスはピー!!!と悲鳴を上げた。
【感謝】邪神様とご飯!【応援600!!!】 蒼鬼 @eyesloveyou6
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