15膳目。むじな寿司
「なあミスカ。少し聞いていいか?」
「はい何でしょうかハスターさん」
クティーラの突撃訪問から早2週間、秋もすっかり深まって寒い夜が続き始めた以外には何にも変化のないいつもの日に、縁側で本の虫干しがてら適当な本を読んでいたハスターさんが首を傾げつつ美澄香さんに訊ねた。
「ウドンやソバに油揚げを入れたらきつねウドン、またはソバだろう?」
「はい」
「油揚げではなく天かすを入れたらたぬきウドン、またはソバだろう?」
「そうですね」
「じゃあどうして稲荷寿司は稲荷なんだ? 篠田とも言うらしいが。それなのにたぬき寿司というものは無い」
妙だ妙だと何度も首を傾げるハスターさんに、美澄香さんは微笑みながら言った。
「まずたぬきですが、これは動物のたぬきのことでは無くて天ぷらの具材を抜く……つまりタネ抜きが訛ったものなんです」
「たねぬき」
「はい、あと稲荷や篠田といった名称は、きつねをお使いにする稲荷神もきっと好物だからという理由で油揚げと結び付けられたと言われてます。たぬきとは少し理由が違いますね~」
「ふぅむ」
美澄香さんの説明に、納得したのかしてないのか分からない相槌を打ちつつ、ハスターさんの意識は再び本に戻る。
一体何を読んでこの話題を振ったのだろうと気になった美澄香さんが表紙を見れば、そこにはタイトルよりも目を引く稲荷寿司の写真がドーンと印刷されていた。
『まさかのあまからカルテット!!!』
祖母の遺してくれた古書の中でも、金枝篇や英訳マビノギオンといった、さすがの美澄香さんでも読むのをためらうものを好んでいるイメージがあったハスターさんが、まさかのアラサー女子の友情物語を読んでいるとは思わなかった。
大体の文庫本は引越し前にお気に入り以外泣く泣く手放したので、恐らくこれはシュブ=ニグラスさんの私物だろう。
『それにしても……』
驚きがゆっくりと引いて行くと、じわじわと湧き上がるのは空腹だった。
ソバだウドンだ寿司だと話し、そこに美味しそうな稲荷寿司の写真である。
不可抗力ながら、胃がくうと鳴った。
そう言えばそろそろ昼食の準備をし始める頃だ。
『こういう時は……おばあちゃん秘伝のアレを作る時……!!!』
密かに拳をぐっと握り、決意をみなぎらせた美澄香さんは、台所に行くと冷蔵庫の中に入っていた油揚げを見てにんまりと笑みを浮かべたのだった。
「お昼ご飯が出来ましたよ~!!!」
そう言って美澄香さんが持ってきたのは大皿。
それだけでも驚いたのに山と積まれているのはてりてりと白熱灯の光で輝く稲荷寿司。
その後ろから味噌汁の入った鍋を持ったショゴスが続く。
「きょうはずいぶんと けいろがちがいますね」
ちゃぶ台の真ん中、ドンと置かれた稲荷寿司の山に顔を近づけ、甘く香る油揚げの匂いを堪能するヴルトゥームちゃん。
「はい! 今日はおばあちゃん秘伝のむじな寿司です!」
「むじな寿司???」
よそった味噌汁を差し出すショゴスからそれを受け取りつつ、稲荷寿司……もといむじな寿司をじっと見つめるハスターさん。
見た目はどう角度を変えても……あの表紙で知った稲荷寿司そのままである。
「まあまあ食べてみれば分かりますって、はいお皿。そのまま食べても美味しいですけどワサビとお醤油も用意してますからね~」
にへにへと早く食べたいという欲求を隠しきれない笑みを浮かべながら皿を配り、ショゴスから味噌汁を貰う。
「はい! それでは皆さんご唱和ください! いただきまーす!」
「「いただきます」」
──テケリ・リ
各々の箸が大皿に伸びる。
まだまだフォークから離れられないヴルトゥームちゃんだけは、いつものようにショゴスから取り分けて貰っていた。
『むじな寿司……』
まだまだ意味を理解できないハスターさんは、表情が見えていたのなら眉間にシワを寄せつつそれを半分頬張った。
まずはジュワッと広がる甘辛に煮付けられた油揚げの味。
次にふんわりとした甘みと酸味の酢飯。
の、後にカリッとした食感とピリッとした爽やかな辛みが続き、そしてじわりと舌の上で蕩けるほのかな油分。
そして最後にぷちりと軽い歯触りと共に、ふんわりと香ばしく香るのは……多分ゴマだろう。
「みふか! これ! あじがたくさんします!!!」
味の七変化に驚いたのはハスターさんだけではないらしい。
瞳の色をキラキラと変え、頬にむじな寿司をパンパンに詰め込んだヴルトゥームちゃんが、左手をふんふんと振りながら味への感動を表している。
「そうなんですよー! これぞおばあちゃんの秘伝の味のむじな寿司!!! 酢飯に紅しょうがと天かすとゴマを入れてるんです。五目より簡単に出来て、油揚げと天かすが入っているのでむじなと名付けたって言ってました~」
「油揚げと天かすが一緒だとむじなと呼ぶのか?」
「ええそうですよ~!」
満面の笑みでむじな寿司を頬張り始めた美澄香さんに、ハスターさんはローブの奥でふふと笑い2つ目を摘んだ。
「なるほど、またひとつ賢くなった」
食む。
しっとりじゅんわり、ほろほろカリカリ、プチッとトロリ。
なるほどそう言われてみれば確かにこれは化け上手、見た目は狐、中身は狸と見せかけて様々な様相だ。
見た目は一見控えめだが、内面の掴みどころのない感じはきっと妻も好きだろうと、3つ目を頬張りながらハスターさんは思う。
「シュブ=ニグラスさんの分も残しておいてくださいね~?」
「それはむずかしいですね~おいしくてとまりません~」
──テケリ・リ
ひょいぱく。ひょいぱく。と、見かけによらず大食漢な弟が食べきってしまう前にハスターさんは自分の分と、愛しの妻の分を皿に乗せてちゃっかりキープしたのであった。
──to be continued.
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