7膳目。カップラーメン(後編)
「祠と言っても大層なものじゃないのよ、私のは一時キリシタン狩りと共に追われた一部の信者が、ここに流れ着いてひっそりと建てたものだから」
美女……シュブ=ニグラスは、夫であるハスターさんの膝を枕にして、寝そべりながらそう語る。
「けれど信者が居なくなって100年は経ちましたけれど、それでもあの祠は大切だったわ。ほら、この地ではイグが祀られているじゃない?」
唐突に出てきたイグの名前に、美澄香さんは首を傾げるが、対抗意識を燃やしたのか彼女の膝に座るヴルトゥームちゃんが助け舟を出した。
「ぎりのあねうえは、ぎりのあにうえの おくがたでもあるのですよ」
その説明に、美澄香さんは首をこくこくと頷かせながら納得する。
「私は千の仔を孕みし黒山羊とも呼ばれる、堕淫と豊穣を司る神よ。夫も妻も、この両の手から溢れるほど居るの」
クスクスと愉快そうに笑いながら、シュブ=ニグラスは続ける。
「祠はね、私の受肉を助ける転移装置のようなものなの、人間の貴女にはなんて説明したらいいのかしら……外宇宙から内面宇宙の地球に一瞬で行ける便利道具?」
祠の説明に少々戸惑い始める彼女の髪を撫で梳きながら、ハスターさんがポツリと零す。
「どこでもドア〜」
「あ、凄い分かりやすい!」
──テッテレレッテ、テーテーテー♪
と、ハスターさんの一言は、美澄香さんに一瞬で納得させるのと同時に、脳内に有名BGMすら流した。
更に、某猫型ロボットのモノマネなのか、気持ち声色をそちら側に寄せていたのが、少し茶目っ気をかもしだしていて、可愛い。
「凄いわ貴方! 私が説明出来ない事を一瞬で理解して、一言で納得させるなんて! 嗚呼ッ。私貴方の妻でなんて幸せなんでしょう! 嬉しいわ、
「
流れるようにシュブ=二グラスの口から出たセクハラ発言は、あっさりと受け流される。
「相変わらずつれないのねぇ……でもそういうのも素敵よ」
うふふ。と艶っぽく笑う彼女だったが、突然その腹の辺りから「くぅ……」と小さく音が鳴る。
一同がその音に釘付けになれば、シュブ=ニグラスの陶磁器のような白い頬に、ぽっと赤みが差した。
「あらやだ。お腹が空いちゃって」
眉をハの字に緩め、口元に手を当てて気恥ずかしそうに彼女は笑う。
「ミスカ。まだひるげには はやいですが、ぎりのあねうえに、なにかごちそうしてあげられますか?」
艶やかな義姉と美澄香さんを見比べながらヴルトゥームちゃんが訊く。
「分かりました! 何か無いか探してみますね!」
ポンッと腿を叩いて立ち上がった美澄香さんは、満面の笑みを浮かべて意気揚々と台所へと向かっていった。
「と言っても……」
腕を組み、美澄香さんは唸った。
理由はいたってシンプルで、使うべき材料が足りないのだ。
お米は無い。なぜなら新米の時期が近いので、その日を逆算し今日の朝に使い切ってしまったから。
うどんは冷凍の6玉入のがひと袋。これは今日の夕食だ、あまり手をつけたくはない。
パスタもあるが、たった1束茹でるのに大量にお湯を沸かすのはいただけないし、出来合いのソースを美澄香さんはあまり好まない。
パンは明日の朝食用の6枚切りがふた袋、使ってもいいがどうも美澄香さんにはピンと来ない。
「うーん……小麦粉で何か作れないかなあ」
ピンとくるものが無いが、とりあえず何でもできる貧乏達の救世主たる魔法の粉の買い置きがあったはずだと、戸棚の一番下を開けてみる。
目当ての小麦粉は開けてすぐの所に綺麗な未開封の物が置かれていた。その他にも、薄焼きせんべいや徳用のアーモンドチョコの袋が無造作に入っている。
美澄香さんは一瞬アーモンドチョコの袋に手を伸ばしそうになったが、それをぐっと堪えて小麦粉を手に取る。
が、その小麦粉を背もたれのような代わりにしていたのか、軽い音を立てて何かが一緒に外に飛び出した。
「わ、わ、わ!!!」
美澄香さんは慌てて飛び出したそれを左手で掴み……まじまじと見た。
それは、世界的に有名な食品会社のカップラーメン。赤いラベルと「FREEDOM」のキャッチコピーで有名なあれだ。
美澄香さんは基本インスタントや出来合い品を好まないが、この会社のカップラーメンは別だ。
学生時代を支えた青春の味であり、優秀な夜食でもある。
一応記憶をたぐり寄せてみればこれは非常食として買い置きしていたものだった。
この時、美澄香さんに電流走る──。
ハスターさん達は首を傾げた。
なぜなら台所に向かった美澄香さんが、ものの10分もしないうちに保温ポットとビニール袋を持って戻ってきたからだ。
「ミスカ はやいですね。もうしょくじはできたのですか?」
「ううん。今から作るんです」
「今から? ここで?」
「はい」
ますます訳が分からない。とハスターさんとヴルトゥームちゃんは顔を見合わせた。
困惑する2柱を他所に、シュブ=ニグラスは何が起きるのかと興味津々で美澄香さんの手元をじっと見つめる。
美澄香さんはポットをちゃぶ台の上に置き、袋を手にしたまま座る。
「さて、今日のは物凄く早くてカンタンですよ。ビックリしないでくださいね」
ふふん。と得意げに笑った彼女は、袋の中からカップ麺を幾つか取り出した。
ベーシックの赤。海鮮の水色。カレー味の黄色。塩味の青色。チリトマトのトマト柄といった数々……。
「気になるお味をどうぞー! あ、シュブ=ニグラスさんにはベーシックがオススメですよ!」
そう言いながら、美澄香さんはカップ麺に掛かっている薄いビニールを剥がし、半分ほど紙の蓋を開けた。
初めての物体に、シュブ=ニグラスのみならず、ハスターさんやヴルトゥームちゃんもこぞって中身を覗こうと美澄香さんの隣に集まる。
中には、乾燥したエビと黄色くてポコッとしたもの。青ねぎと粉末スープに、麺を固めてギュッとしたようなものが入っている。
「なんだか、クァチル・ウタウスをおもわせますね」
「奇遇だな、僕もそう思った」
「スパイシーないい匂いだけれども、本当に食べられるの?」
それぞれが訝しげな目で見つめる中、美澄香さんは「フッフッフ」と意味深な笑みを浮かべ、半分ほど開けたカップ麺の中にポットの中のお湯を注ぎ入れた。
予想だにしなかった美澄香さんの行動に、三柱は(ハスターさんだけは窺い知ることは出来ないのだが)目を見開いて驚く。
「かんそうさせたままたべるものではないのですか!?」
「私もそう思ったわ。その割に半分しか蓋を開けていなかったのが気になったけれど」
「水っぽくなってしまわないか? 大丈夫なのか本当に」
三柱の質問攻めにも動じず、底面に付いていたテープで蓋を止めた美澄香さんは、彼らに向かい合って一言だけ返した。
「まずは3分待つ。話はそれからですよ」
シュブ=ニグラスはレギュラー。
美澄香さんはシーフード。
ハスターさんは途中参戦したショゴスとのジャンケンに負けて、塩。
ヴルトゥームちゃんはチリトマト。
ショゴスは勝負で勝ち取ったカレーをチョイスして、各々がお湯を入れて待つこと3分。
「もういい頃合ですね! どうぞ開けてみて下さい!」
言われるがまま、三柱と神話生物は耐水性の紙の蓋をめくれば、そこにはたっぷりのスープに満たされた、白い湯気を立たせるヌードルが出来上がっていた。
「あら凄い! 分かったわ、これはお湯で柔らかくして食べるものなのね」
神格には、拙い魔術を見せたようなものだが、それでもシュブ=ニグラスは手を叩いて喜んだ。
それはこの偉大なる母に捧げられる贄は、全て生の状態で捧げられる為、料理という文化の知識はあれども、こんなにシンプルに出来るものを見るのは初めてだったからだ。
「熱いので気をつけて食べてくださいね。それでは、いただきます!」
パンッ。と元気よく手を合わせた美澄香さんに習い、ハスターさんとヴルトゥームちゃん、そしてショゴスも手を合わせてから各々自分のヌードルにプラスチックのフォークを刺し入れる。
シュブ=ニグラスは、呆気に取られた顔で夫を見たが、すぐに同じように手を合わせ「イタダキマス?」と復唱し、ヌードルの器を手に取りスープを啜った。
青みを帯びた長い黒髪に、小さな星の瞬きのような光が散った。
見開かれた瞳には未知に対する驚愕で大きく見開かれており、ヴルトゥームちゃんは同意するようにウンウンと頷きながら麺を啜る。
「何これ! 私こんなものは知らないわ!!!」
唸る腹の虫に、堪らずフォークでヌードルを口にすると、スープをたっぷり吸って膨らんだ麺は熱々で、口の中を思わず火傷してしまいそうになる。
しかし、油で揚げたらしいその麺の、なんとも香ばしい風味が堪らず、舌は熱さにのたうち回るが懸命に歯を動かして細かく噛み、ようやく白い喉を上下に動かして嚥下すれば、熱さを超えた先の恍惚がシュブ=ニグラスを満たした。
が、その恍惚は口の中が冷める度に引いてゆき、代わりに溢れんばかりの唾液が満ちてくる。
──もっと食べたい……!
唾を飲み込み、次の一口をフォークで掬う。
その時、向かい側で赤いスープに浸された麺を食べる可愛い可愛い妖華の義弟が、ふうふうと息を吹き掛けて冷まして食べているのが見えた。
なるほど、と彼女は正しい食べ方を理解し、次は慎重に掬った麺を息で冷ましてから口に運んだ。
ほどよく冷ました麺を、今度はゆっくりと味わえば、麺にしっかりと染み込んだスープの味と、麺の香ばしさに加え、揚げてあるとは思えないほど滑らかでつるりとした舌触りに驚く。
次に乾燥した小エビは、その小ささからは考えられないほどしっかりとした歯触りが見事で。
黄色くぽっこりとしたものはスープを吸ってジューシーな味わいの中に、じわりと優しい甘さを染み出してくる。
だが、シュブ=ニグラスが1番感動したのは、この食べ物の根本的な味が、自然界には殆ど存在しないものであるという点だった。
自然界の味は、字面の通り野趣溢れる大地の恵みそのものであるのなら。
この食べ物の味は、まるで無菌の白い研究所で作られた、一点の味を極端に引き出した人工物だ。
自然のものと比べると、劣ってしまうものであろう。
だが、その人工的な味は……人が言う安っぽいジャンキーなその味は、シュブ=ニグラスの心を魅了してしまったのだ。
彼女は、人の姿を借りて幾度もこの地に降り立った事のある女神であった。
しかし、その時に食べたことのある物が、全て自然のものである事が、彼女にとって最大の盲点であった。
彼女は、添加物の味を全く知らずに今まで生きてきたのだ。
それはまるで自然派食品で育った子供が、大人になった途端ジャンクフードばかりを口にするように。
彼女はまさに貪るように、カップ麺を食べ進め最後にはスープの1滴すら残さずに完食してしまっていた。
小さなカップが口から離れた後の彼女の顔は、まるで情事を終えた後のような多幸感で満たされており、艶っぽく漏らされたため息の後、彼女は妖艶に呟いた。
「クセになっちゃいそう……」
「責任取って頂戴」
「お腹を擦りながら迫らないで下さいませんか、同性なのになんだがドキっとしますから」
千の仔を孕みし黒山羊、まさかのカップラーメンに即堕ち。
ハスターさん、ヴルトゥームちゃんに続き、信者達が血涙を流して嘆きそうな事案がまた成立してしまった。
「勿論タダとは言わないわ、外の畑に私の加護を掛けてあげる。そうすれば半永久的な豊穣を約束してあげるわ」
「ぎりのあねうえ。それはもう わたしがやっておりまする」
「あらやだ、そうだったの?」
ヴルトゥームちゃんのまさかの告白に、シュブ=ニグラスは少し考えてから、チラリと縁側を見る。
そこには、犬小屋から尻尾だけを出して午睡を楽しんでいるビヤーキーの姿が……。
「そうだわ。私にはこの身体があるじゃない」
閃いた。とシュブ=ニグラスはポンと手を打った。
「任せなさい。暫くはたっぷり楽しめるわよ」
そう妖艶に微笑んだシュブ=ニグラスに、夫であるハスターさんは一抹の不安を感じていた。
数週間後。
北海道、すすきのの高級クラブに「黒山羊ぐらす」という名前のホステスが爆誕したが美澄香さん達はその事実をまだ知らない……。
──to be continued.
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