7膳目。カップラーメン(前編)

 山間の村は、秋の気配を感じると急激に冷え込み始める。

 いつの間にか、木にしがみつきうるさく鳴いていた蝉から、草波の影から玉を転がすような鈴虫やコオロギの合唱に代わり。

 青々と茂っていた田んぼの苗は、黄金に実り頭を垂れて風にゆらゆら揺れている。


 ──お婆ちゃんの家を引き継いで、10ヵ月。

 ──霧町美澄香、初めての秋の到来である。


 早朝の、縮こまりそうな寒さの中で、美澄香さんは澄み切った空気を肺いっぱいに吸い込む。

 秋、秋、秋……。

 頭の中を秋色に染め上げて、よしっ! と気合一発、今日も美味しい朝ごはんを作ろうと意気込んだ。


 ……その時だった。


 けたたましいケータイのアラームが、冷え込んだ朝の空気に反響する。

 そして、それに呼応するかのように、ぐらりと足元が大きく揺れ動いた。





「いやぁ、ビックリしましたねー」

 本日の朝ごはん。真っ白いご飯になめこの味噌汁、スクランブルエッグにベーコンとベビーリーフのサラダ。

 まだ湯気が立つそれを噛み締めながら、美澄香さんは味噌汁を一口啜る。

 なめこの滑りが溶けた味噌汁は、微かな土の香りを漂わせながらスッと喉奥に落ちていく。

「ツァトゥグアが、ねがえりでもうちましたかね?」

 ヴルトゥームちゃんは、スクランブルエッグにケチャップを塗りたくり、スプーンで一口サイズに分けてぺろり。

「そんな気配は感じなかったんだがな」

 ハスターさんもスクランブルエッグに箸を伸ばしていたが、味付けは醤油を少し垂らすだけで、後は卵の風味を感じる食べ方。

 兄弟揃って似ているようで個性が出る食べ方に、美澄香さんはクスリと微笑んだ。

 その日常を侵食するかのように、ボソボソとした音量で流れているのはニュース番組だった。

 今朝の地震は、東北地方を震源地とした震度5の大きなもの。

 幸いな事に津波や山崩れなどの甚大な被害報告は出ておらず、美澄香さんの住む場所も揺れはしたものの、確認する限り倒壊した家屋もなければ、怪我人も居ないそうだ。

「わたしもかせいにいたころは ねがえりひとつうつだけで だいちがゆれたものです」

「その度ピラミッドのどこかしらが倒壊すると聞いたが」

「それはわたしがわるいのではありません やわなけんちくぎじゅつが わるいのです」

「そう言うのなら、帰りに地球から建築業者でも連れ帰ったらどうだ。耐震技術はどうも随一らしいぞ」

「そうですね! こうほにいれておきましょう」

 ニュースの合間に流れるのは、タイムリーと言うべき耐震建築のCM。

 その会社名を指差しながら、何やら不穏な相談事をしている兄弟だったが、止めるべき立場の美澄香さんは食後の熱いほうじ茶を啜ってホッと一息付くだけだった。

 ……こちら側も大きく揺れたとは言えせいぜい3程度、震源地からも遠い方だ。

 揺れた当初は驚いたが、OL時代の出張先で体験した、あの揺れを覚えている身としてはあの程度では取り乱さない。

 幸い、外に出ていた事もあって、すぐさま畑の傍でしゃがみ込み揺れが収まるのを待てたというのも大きな要因だ。

 それに、地震程度では彼らを脅かす事も無いのか、邪神いそうろう達は少し早い目覚まし時計としか思っていない様子で、玄関や窓の立付けを確認していた美澄香さんに対して、呑気に「おはよう」と挨拶をする位だ。

 ただ、イグは白い顔を更に青白くさせて美澄香さんの安否を確認に来てくれた。

 その後、安心して朝食のご相伴に与ろうとした矢先、どこか蛇の面影を感じる一重瞼ひとえまぶたの女性に首根っこを掴まれて、何処かへ連れて行かれてしまったが……。


 慌てず騒がずな居候の神、心配して駆けつけてくれた今は亡き美芳子おばあちゃんを想う神。


 その存在は、美澄香さんにとってとても有り難い。

 彼らは自らを邪神と名乗り、時々物騒な事を話してはいるが、特に実害は無いので美澄香さんも気にしていない。

 たまに、本当に邪神なのだろうか。と首を傾げる事もあるが。

「そういえばあにうえ、あれはだいじょうぶでしょうかね」

 黄衣の袖を引き、ヴルトゥームちゃんがそうハスターさんに訊ねる。

 話題を振られたハスターさんは、一瞬何事かと考えるが、すぐに「ああ」と思い出したように続けた。

「あの祠か」

「祠? 近所のお稲荷さんのやつですか?」

 思わず会話に入ってしまった美澄香さんだったが、よくぞ聞いてくれました。と言いたげに頬を赤く染め、天使のような笑みをうかべてヴルトゥームちゃんが話し始めた。

「いえいえ、このあいだあにうえといっしょに どんぐりをひろいにいったじゃないですか そのやまのなかに、あにうえと、とてもえんのふかいしんかくが まつられていたほこらをみつけたのですよ」

「ハスターさんと?」

 はて? と美澄香さんは首を傾げる。

 半年以上もハスターさん達と過ごしてきて、かの神の縁が深いと知っているのは末弟であるヴルトゥームちゃんと、長兄と言われるクトゥルフだが、ハスターさんが嫌な顔をしていないのでこの線は無い。

 あと、この地は冠婚葬祭などの神前行事は全て巳為守の管轄下にあったと聞く、ならばお稲荷さんなどの親しみやすい祠を除けば、自然とそれは巳為守の水神を祀っていることになる。

 巳為守の水神は蛇神であるイグを指すが、ハスターさんは余程人(神?)を選ぶ性質らしく、イグともどこか折り合いが悪い。

 よって、これも違う。

 あれでもない、これでもない。とウンウン唸る美澄香さんを、面白そうに見つめるヴルトゥームちゃんと、どこか落ち着きが無いようにソワソワと体を揺らしているハスターさん。

「あ、あまり面白いものではないから」

「え!!? ハスターさんがキョドってる! 大変な大物と見ましたよ、一体誰なんですか教えてくださいよー!」

 食べ終わった食器を片付けるショゴスを間に挟みながら、美澄香さんは二柱にヒントを求める。

 しかし、やっぱりヴルトゥームちゃんは微笑みを浮かべているだけで、ハスターさんは小刻みに首を横に振るだけで答えようとしない。

 是が非でも答えを知りたい美澄香さんは、最終兵器たまごやきをチラつかせようと思いたち、ベーコンの油で少しテカテカしている唇を開き「玉子焼き」と口にした時だった。


「会いたかったわーーー!!! 私の金の羊ちゃぁーーーん!!!」


 うっとりとするような美声が、美澄香さんの言葉に被さった。

 それに驚く暇もなく、縁側の方からまるで弾丸のように飛び込み、ハスターさんに抱きついていたのだ。

「ニグラス!!?」

「ぎりのあねうえ!!?」

「すっごいおっぱい!!!」

 三者三様の反応を見せたその相手は、まさしく美女そのものであった。

 ウェーブの掛かった艶やかで長い髪は、まるで夜の湖畔を写し取ったように青みを帯びた黒色で。

 ビスクドールと見間違う程に一切のくすみの無い肌は白く、それでいて触れなくても滑らかである事が分かる。

 そして何よりも……。

「すっごいおっぱい……」

 思わず2回同じ事を美澄香さんが口にしてしまう位、美女の胸にたわわに実ったそれは大きかった。

 例えるならメロンの大玉(1.5kg~)並だ。

「勝てない」

 自分も決して小さくはないが、どこぞの姉妹のような見事なプロポーションに勝てる部分を発見できず、美澄香さんが1人心折られている間にも、美女はアメジストのような大きな瞳を涙で潤ませて、ハスターさんにすがり付いていた。

「ああっ懐かしい! この黄衣に浸されたエーテルの香り、驚いた時の貴方の声、布越しからでも分かる湖のような冷たい温もり

 ああハスター! 私の金の羊ちゃん! 私の信仰が薄れたこの土地で、まさか出逢えるなんて思わなかったわ!」

 美女は、端正な顔立ちの頬を赤く染めて、ぎゅうぎゅうとハスターさんの頭を抱き締めた。

 その際、ハスターさんの顔面は美女の魅惑の谷間に埋まるという、何とも世の男性が羨ましさの余り壁に頭をぶつけそうなシチュエーションとなっているが、当のハスターさんは息が出来ないのかしきりに美女の背中を叩いていた。

「……ヴルトゥームちゃん」

「なんですか?」

「あのすごいおっぱいのお姉さんは一体誰なんですか?」

 美澄香さんの問い掛けに、ヴルトゥームちゃんは少し困ったような微笑みを浮かべて答えた。


「シュブ=ニグラス。さきほどのほこらにまつられていたしんかくであり……あにうえの、おくがたであるおかたですよ」


→後編へ続く

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