【感謝】邪神様とご飯!【応援600!!!】

蒼鬼

1膳目。卵焼き

 しゅんしゅんプシュプシュと今やすっかり絵本の中でしか見ない鉄の羽釜が甘い泡を吹いている。

 その様子を引越しの時に持ってきた小さな丸椅子から眺めていた美澄香みすかさんは、使い古された火かき棒で半分以上焼けて小さくなった炭を掻き出した。

 釜戸の中では赤赤とルビーのように燃えていた炭は、外に掻き出されると急にその調子を悪くしたようで、まるでお年寄りの頭髪のようなフワフワとした白い炭を表面に吹き出して、すっかりと意地けてしまった。

「私はこの白い方を食べるから、お嬢さんはこの真っ赤な部分をお食べなさい」

 意気消沈した炭を、えいえいと火かき棒で無慈悲な追撃を加えながら美澄香さんは『白雪姫』の魔女のセリフを諳んじる。

「でもこれって昔こそ通用すれ、真っ赤な林檎は本当はあんまり美味しくないって言うわよね~、白雪姫を騙してちゃっかり自分だけ美味しい所も食べる継母、本当に悪ね、完全悪よ」

 つんつん、と既に鎮火した炭の燃え残りを、まだ彼女は執拗につついている。

 すっかりと泡の引いた羽釜は、うんともすんとも言わないが、美澄香さんは燃え滓に話しかけつつその時をじっと待っていた。


 今は亡き、大好きだった祖母の家を買い取り、生活し始めてもう半年が経過した。

 絵本のお婆ちゃん。と慣れ親しんだ祖母の家は昔ながらの藁葺き屋根の小さな家で。祖母自身は庭の畑を耕しつつ、もう他の小学校と統合されて閉校してしまった地元の学校に、毎月数度、様々な絵本を持って読み聞かせに行く人だった。

 美澄香さんは中学卒業間際に祖母が亡くなるまで、彼女の夏休みは、必ず祖母の家で大半を過ごした。

 朝早く、裏庭で飼っていた鶏の鳴き声を目覚まし代わりに起床して、涼しいうちに畑に水を撒き、忙しなく餌を啄む鶏達から産みたての卵を貰い、朝ご飯の準備を始める。

 美澄香さんが起きる頃には家中一杯にご飯の炊ける甘い香りと、庭の畑で採れた美味しい野菜で作られたお味噌汁やおかずが綺麗に並んでいたものだ。

 子供ながら、美澄香さんはそんな祖母の生活に憧れを持ち、祖母が亡くなってからは高校生活から25歳まで必死に働き、コツコツ貯めたお金で祖母の家を引き継ぐことにした。

 祖母の家は約10年空き家ではあったが、祖母が村の人達にいつ美澄香さんが来ても良いように、と時々の掃除をお願いしていたこともあってか、思ったほど荒れた様子は無く、引越し作業をしていれば村の人たちが集まって手伝ってくれた。

 皆「お婆さんにはお世話になったら」と言って快く手伝いを引き受け、引越し祝いは豚汁を振舞ってくれた事も覚えている。

 美澄香さんはそんな村民の温かさに触れつつ、改めて祖母の凄さを知り、祖母が読み聞かせてくれた昔話の住民のような、慎ましくも穏やかで満たされた生活を送れるようにと改めて決意したものだ。


『半年かぁ……』

 ぼんやりと長くも短い時間を振り返っていれば、既に厨房にはあの美味しいご飯の甘い匂いが広がっていた。

 美澄香さんは目を輝かせ、はしたなくヨダレを垂らしながら笑顔で羽釜の蓋を開けようと手をかけた時だった。

 ここで簡単に美澄香さんのいる厨房を説明すると、米を炊く釜戸は勝手口と繋がっており、おかずを作る調理場は一段上がった木の床に設置されている。勿論調理場はガス火、水道や冷蔵庫は完備、おまけに床下収納付きの都会の主婦垂涎のスペックを誇る。さすがにガスや冷蔵庫無しはかなり不便であるとして、祖母もご飯を炊く以外ではおかず作りに使用していた。

 設計上、釜戸は煙を外に逃がすためすぐそばに小さくても格子窓が付いているものである。時々顔馴染みの猟友会のおじさんなどが肉のお裾分けに来る時この格子窓から顔を覗かせる事もある。

 なので早朝の薄明るい中、ふと蓋を手にした手元が陰ったのも、そんな誰かしらが用があって覗いたのだろうと美澄香さんは思った。

 しかしすぐに美澄香さんを呼ぶ声がしないと気付き、ふと顔を上げてみれば確かにこちらを覗き込んでいるらしき人物がいた。

 らしき、と言うのはその人物が全身黄色いボロのフードを深く被って表情が全く伺えない事である。

 美澄香さんはすぐに顔馴染みの村民ではないと察知したが、別に敵意は感じないと判断して、明らかに不審者な人物にも関わらず、無防備にも勝手口の扉を開けた。

「どちら様ですか~?」

 ここで初めて美澄香さんはその不審者の全身を目にしたが、その時に思ったイメージが『照る照る坊主』であった。

 首から下げている、『卍』の文字を大きく崩したようなマークが描かれた歪な形のネックレスを省き、深くかぶったフードもそうなのだが、ボロボロの長く黄色いローブにすっぽりと覆われたその姿が、雨ざらしでよれよれになった照る照る坊主にソックリでソックリで仕方がない。

「……匂い」

「はい?」

 黄色い照る照る坊主が、外見に見合わぬ幼い声で尋ねてきた。

「……匂いしたから、気になって」

 ローブから僅かに現れた指は、青白くて鶏ガラのように細く、マニキュアでも塗っているのか水底の苔色をした爪先が、格子窓越しの羽釜を指差した。

 心無しか、日本語がどこかおぼつかない、妙な訛りがあるように聴こえる。

 と、ここで美澄香さんは閃いた。

「観光の方ですか?」

 まだ都会にいた頃、海外からの観光客が最近訪ねるのは電車も1日3本走るかどうかの超田舎町で、そこで古き良き日本の風情というものを感じてくるのがとてもブームであると言う事を。

 恐らく、目の前に立っているこの照る照る坊主も、そんな観光客の1人で、早朝の電車に乗って村中を歩いてきたのだろう。

 そしてご飯の炊ける匂いに釣られて来た。と美澄香さんは推理し、にこやかな笑顔を浮かべてこう言った。

「良かったら朝ご飯食べていきますか?」

「あさごはん?」

 照る照る坊主は不思議そうに首を傾げた後、1つ大きく頷いた。

「食べる」

 その言葉を聞いてから美澄香さんは照る照る坊主を招き入れる、土足で上がろうとしたのを止め、靴を脱いでからと説明すれば、彼(声の質からの判断ではあるが)は履き古された革のサンダルを脱いで上がる。

「ここ道が舗装されていないから、歩いてくるの大変じゃなかったですか?」

 サンダルはいつ底が取れてペロンペロンになってもおかしくないほどで、黄色いローブもさる事ながら、貧乏旅行なのかなあと美澄香さんは思いつつ、普段使いの茶の間に彼を通し、座布団を敷いて座るように促した。

「ちょっと待ってて下さいね。すぐご飯持ってきますから」

 そう声を掛ければ照る照る坊主はこくんと頷き、大人しく座布団に座る。

 美澄香さんはそれを見て直ぐに調理場へと戻ると、使い慣れたフライパンを手に取り、コンロの上に置いて摘みを捻った。

 突然のお客様である、朝は梅干しと白菜漬けでサラリとお茶漬けにしてしまおうかと思っていたが、それでは失礼である。

 フライパンの横では昨日の晩に食べた大根のお味噌汁を温め直しているから汁物の心配は無い。

 おかずも、白菜漬けと大根菜と油揚げのお浸しに、美味しい塩ジャケがあるが、もう一品欲しいと美澄香さんは思っていた。

 フライパンが温まるまで、焼いて保存しておいた塩ジャケを魚焼きグリルに2切れ投下して温め直しつつ美澄香さんはボウルに卵を6つ割り入れて、砂糖と醤油を入れて混ぜ合わせる。

『確か向こうでは卵は高価なのよね』

 近所の養鶏場から買った新鮮ぷりぷりな卵で、美澄香さんは大きな卵焼きを作る事にした。

 鮭の赤、菜っ葉物の青、ここに卵焼きのちょっと茶色い黄色があれば彩りも綺麗だろうし、何より満足感が違う。

 それにあの黄色を見てから妙に色彩感覚と食欲が妙に結び付き、祖母から伝わる甘じょっぱい卵焼きが食べたくなって仕方が無かった。

 温まったフライパンにサラダ油を入れ、次いで卵液を半分流し込めば「じゅわぁ」という快音の後フライパンの上に広がった卵液が気泡を浮かべるので、モグラたたきの如く表面が半熟になるまで菜箸で潰していく。

 美澄香さんは中が半熟のトロッとしたのが好きなので、早い段階で器用に巻いて端に寄せ、2回目の卵液を流し込んで、モグラたたきからの巻きを行いあっという間に卵焼きを仕上げてしまった。

 美澄香さんはその出来に満足し、甘くてしょっぱい卵焼きの香りに酔いしれヨダレを垂らしながらエヘヘと笑うが、味噌汁が吹きこぼれそうになっているのに気付き間一髪で止め、魚焼きグリルからも鮭を救出し、ストック用に買っていたおかず皿や小鉢に綺麗に盛り付け、ようやく羽釜の蓋を御開帳。

 充分蒸らされたご飯はふっくらツヤツヤで、絶対に美味しいという自信を米のひと粒ひと粒が持っているようだった。

 美澄香さんは何度も唾を飲みながら自分の分のご飯茶碗には少し多めにご飯を盛って、ようやく全ての支度が整った食事を、大きなお盆にまとめて乗せると気持ち小走りめに照る照る坊主が待つ茶の間へと向かった。

「お待たせしましたぁ~!」

 満面の笑みを浮かべながら茶の間へ入れば、本当に大人しく待っていた照る照る坊主が僅かに顔を上げて美澄香さんを見た。

「お腹空いてるでしょう?簡単なのしか用意出来なかったけれどどうぞー!」

 テキパキとちゃぶ台の上に整えられる朝ご飯を、照る照る坊主は興味深そうに眺めていた。

 そして全てが整い、向かい側に美澄香さんが座り、手を合わせて食前の大切な儀式の言葉を口にした。

「頂きます!」

 これは祖母から教わった大切な大切な言葉である。

 美味しいご飯はこの言葉でもっと美味しくなると美澄香さんは心の底から信じていた。

「貴方もどうぞ召し上がって、あ、お箸ダメでしたか?」

 そう言いながら炊きたてご飯を一口、そして破顔。

 ああ駄目だ、炊きたてご飯の、このもっちりふっくら優しい甘さと温かさに敵うものなんて何も無い。

 間髪入れずに啜る味噌汁や、塩ジャケの塩っけもまた白米を引き立たせ、時々漬け物やお浸しのシャキシャキした歯触りを挟みながら、美澄香さんは朝ご飯を堪能していく。

 照る照る坊主はというと、しばらく美澄香さんの様子を見ていたが、あの鶏ガラのような手指で器用に箸を持つと、美澄香さんと同じように白米を一口分摘んで、フードの奥底に箸先を運んだ。

「!」

 瞬間、照る照る坊主はハッとした様子で一口、また一口と白米を食べ進める、そして茶碗から半分になった所で美澄香さんがおかずにも手を伸ばしているのを思い出した様子で、まずは見慣れているのであろう、己と同じ黄色い色の卵焼きを摘んで、ひょいと食べる。

「なにこれ……!」

 感極まったような震え声が、照る照る坊主から上がる。

 美澄香さんは自分の直感は正しかったと内心ホッとしながら説明した。

「卵焼きって言うんですよ。お砂糖とお醤油で味付けしてあるんです。美味しいでしょ?」

「たまごやき?」

 首を傾げ、2切れ目を口に運び、咀嚼しているのか少し黙った後、頷いた。

「たまごやき」

 どこか自分に言い聞かせるような、もしくは物を理解した子供のようなその言い方に美澄香さんはふふふと笑みをこぼした。

「ご飯まだまだありますから、お代わりする時は言ってくださいね」

 そこから美澄香さんは2度、照る照る坊主は3度ご飯をお代わりをして、朝日が眩しく昇る頃、ようやく2人の朝ご飯は終了した。

「そう言えばお名前を聞いてませんでしたね。何て言うんですか?」

 片付けもそこそこに、出された麦茶をストローでグビグビ飲みながら、茶の間でゆったりとした団欒の時間を送る美澄香さんが照る照る坊主にそう聞いた。

 照る照る坊主はコップの中の麦茶を飲み干し、丁寧にコップをちゃぶ台に置いてからこう答えた。

「ハスター」

「ハスターさん?珍しいお名前ですね」

 照る照る坊主、もといハスターは「ん」と言い、頷いた。

「……ハストゥールとも呼ばれる、人間達は名状しがたき者とも呼んでいる」

「?」

 今度は美澄香さんが首を傾げた。

 お腹が一杯になり元気になったのか、それともハスターが日本語がまだ不自由なのか、よく分からない事を言い出している。

「……あなたのお名前なんですか?」

 と、思いきやいきなり名前を聞かれたので、すぐに我に返ると美澄香さんは微笑みを浮かべて自分の名前を告げた。

「美澄香です。霧町美澄香きりまち みすか

「ミスカ」

 ハスターは数度美澄香さんの名前を呟くと、両の手を彼女の前に差し出して、言った。

「契約しうる対価を貰った。僕は風の神ハスター。ミスカ、僕はあなたの側に居よう」

「はい?」

 美澄香さんの田舎暮らし半年目、風の神様らしいハスターさんが同棲することになりました。


(To be hastur→)

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