13膳目。アジフライ(前編)
「よしっと……」
ピンクネイビーのキャップから垂れる金色のポニーテイル。
カーキー色のオールウェザーのウェアとライフジャケットに、白のデッキシューズ。
海には危険がつきものだ、船で沖に出る際は足を滑らせて落ちる可能性や浮力が足りず沈む可能性を視野に入れ、どんな時でも対応するか少しでも生き残る術を考えて準備をしなければいけない。
しかし、それでもなお如何して海に行くのかと問われれば、人によって様々な答えがあるだろうが、彼女の場合はこう答えるだろう。
「美澄香の驚く顔が見たいなあ」
天候は曇り、場所はとある港町の漁港。空のクーラーボックスと愛用のロッドを担ぎなおし、彼女は出港準備をしている一隻の船に近づいた。
「おはようございます、本日お世話になる
本日も、美澄香さん宅では美味しそうな朝食がちゃぶ台に並ぶ。
炊き立て熱々白ご飯、しじみの味噌汁。主菜は刻んだベーコンを混ぜた玉子焼き、副菜にさやえんどうのおかか和えと切り干し大根の煮物。
美味しいほっこり、昔ながらの懐かしの味。
「はぁ~♡お酒を飲んだ次の日のあっついお味噌汁ってなんでこんなに美味しいのかしら♡」
味噌汁を一啜りして、うっとりとため息をつく彼女に美澄香さんはニコニコとした笑顔で言った。
「はい! 今日はしじみのお味噌汁ですから肝臓にもいいですよ~、おかわりもあるので言ってくださいね」
そう言いつつ既に自分の分のご飯のおかわりを盛り始めている美澄香さんの安定の食欲っぷりに、シュブ=ニグラスさんはくすくすと笑いながら「そうさせてもらうわ♡」と答える。
「ミスカ、ミスカ、この玉子焼きのおかわりはないのか?」
「あーごめんなさい、卵は今日ので使い切っちゃったのでないんですよ」
「ではあにうえ、わたしのたまごやきをはんぶんさしあげますから、さやえんどうのこばちをくださいませ」
「ん、そうか。悪いな」
「いえいえ〜」
──テケリ・リ
「あ、ショゴスちゃんお茶ありがとう。欲しい人〜」
「「「はーい」」」
いつも通りの賑やかな朝の風景、代り映えはないがゆったりとした時間の中で、いつもと違うのは美澄香さんの携帯電話がピコン!と軽快な電子音を鳴り響かせた事だった。
「メール? 誰からだろう」
はて?と首を傾げて美澄香さんは啜っていたお茶を置いて、代わりに携帯電話を手に取った。
仕事の予定がある場合は、一応確認の電話をしてもらうようにお願いしてあるので、まず職場からメールが来たことは一度もない。
可能性があるのは学生時代の友人が数名、多分そのうちの誰かだ。
『いたずらメールだったらさっさと削除しちゃおう』
そう思いながらパッと開いたメールボックスの、あて名を見た瞬間「うそー!!!」と庭で土を啄んでいたスズメたちが驚いて飛び立つほど大きな声を上げていた。
勿論、のんびりと朝食を楽しんでいた邪神達もその比ではない。
「み、ミスカ? どうした???」
上ずった声で美澄香さんに確認を取るハスターさんは、ふと彼女の顔が興奮で赤くなっていることに気が付いた。
するとハスターさんの声掛けに数秒遅れて、彼女は答えた。
「ゆ、ゆっこが! あ、友達が遊びに来てくれるんですって!」
その言葉を聞いてヴルトゥームちゃんやシュブ=ニグラスさんは「あら~」と微笑ましそうに表情を綻ばせたが、ハスターさんとショゴスは頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
確かに美澄香さんは表情豊かで明るい性格だ、それに田舎でゆったりと過ごしている分馴染みの友人が訪ねてくれる事は素直に嬉しいだろう。
だが、他より過ごした時間が少しだけ長いハスターさんと、台所を一緒に手伝うショゴスだからこそ、友人が訪ねてくるだけにしては異常な興奮だと早々に見抜いていた。
何かしら裏があるのだろうか、それとも友人とは名ばかりの恋人か!?
様々な憶測が一柱と一匹の間に飛び交う中で、満面の笑みを浮かべた美澄香さんが続けて言った。
「アジを沢山持って!!!」
アジ、鯵、Aji……。
アジ(鰺、鯵)は、アジ科アジ亜科 Caranginae に含まれる魚の総称。日本ではその中の一種マアジ Trachurus japonicus を指すことが多いが、他にも多くの種類がある。世界各地の熱帯・温帯域で食用に漁獲されている。(ウィキペディア参照)
「あじ」
──テケリ・リ
「はい! 旬は終わっちゃいましたけど体が大きくて食べ応え抜群のアジですって! きゃーーーたのしみぃいいい!」
携帯電話を胸に抱き、嬉しそうに体を左右に揺らしながら、友人と一緒にやってくるアジをどんな料理にしようかと頭の中のレシピノートを紐解き始めたようだった。
ハスターさんはショゴスと顔を見合わせて愉快そうに肩を揺らした。
「ミスカらしいな」
──テケリ・リ
ショゴスもそれに答えるように黒々とした目を三日月型に変えたのであった。
「おーす美澄香久しぶりー! 元気してたー?」
「ゆっこも久しぶりー! 私は相変わらず元気だよ!」
三時間後、大きなクーラーボックスを担いだ、釣り人の格好をした女性ゆっここと出倉悠子が美澄香さんの家を訪ねてきた。
邪神達は一応その友人の二階の部屋に引っ込んで、聞こえてくる声と下駄箱の上に置いたショゴスの目で様子を伺っていた。
─テケリ・リ……
「ショゴス、がまんなさい! いまさらドライアイがなんだというのですか!」
「頑張りなさいショゴス、南極から日本に渡ってきたならその位屁でもないでしょ」
─テケリ・リ……
いくつも出せるとは言え、ひとの目を魔術媒体にして監視カメラのような役割をさせるとは、この邪神達はショゴ使いが荒すぎる。
体から離れているとはいえ、魔術の影響で感覚が連動している為に、空気に触れるとシパシパして不快感が凄い。
いずれ絶対謀反してやるからな……と、ショゴスは南極に置いてきた仲間たちを想いながら密かに決心したのであった。
「でもいきなりでびっくりしたー! 釣りが趣味なのは知ってたけど、ゆっこの職場って隣の県でしょ? 仕事大丈夫?」
「いやー実は仕事辞めてね、実家に戻ろーかと思ったけど姉ちゃん一家がいるしさ、今はノマドワーカーとしてぶらぶらしてるんだ」
「本当に!? まあゆっこは昔から頭良かったし、釣りブログの広告収入もあるって前言ってなかったっけ」
「そうそう! よく覚えてんね~」
「ゆっこの事だもの」
あはははは。と階下から聞こえる楽しげな笑い声、それに感化されたように部屋の中でほっこりとする邪神達。
だが、ドライアイでぴりつくショゴスの他にもう一柱、じっと黙り込んで様子を伺っていた。
「あにうえ? どうかされましたか?」
「いや……なぜだか妙にざわつく、嫌なことが起こりそうな前触れだ」
「そうですか? わたくしにはなにもかんじられませんが」
この中で一番感覚が優れている弟がそう言うのであれば、きっとこれは杞憂か何かなのだろう。この家の敷居に海の臭いがする者が入り込んだからそう感じるだけなのだ。
と、ハスターさんは自分にそう言い聞かせてもぞもぞと体を動かした。
「そうそう、メールした通り釣果はなかなかだよ! あと珍しいものも釣れたから見せたくて」
「珍しいもの? なんだろ」
玄関先でゆっくり置かれたクーラーボックス。
そのロックをかちりと悠子さんが外した瞬間、ハスターさんの全身にせりあがる様な憎しみが沸き上がったのだ。
「これなんだけど……ってあれ! シメたはずなのに生きてる、失敗したかな」
ビニール袋が見えた、瞬間ハスターさんは部屋を飛び出していた。
「あにうえ!!?」
「あなた!?」
と背後からの声すら聞こえない。
「ほんとだ! タコだよね、でも色が……」
「そう、水族館も考えたけど遠いし、食べられるなら美澄香にって思って」
階段を駆け下り、廊下を走り抜ける。
バタバタとした音に玄関先にいた二人が振り向いた。
そこにはフードの中から赤く目を光らせて、苔色の冷たく細い手を伸ばして迫るハスターさんの姿があった。
「クトゥルフゥうううううううーーーッ!!!!!!」
風の刃が二人の間に走り、ビニール袋が破けた。
あまりの出来事に叫ぶ間もなく放心する悠子さんと、こんなに激昂するハスターさんを見たことがない美澄香さんの間に、ビニール袋の中に入っていたタコがぺちょんと床に落ちた。
が、その姿を見た途端、ハスターは「……あ?」と呟いて動きを止めた。
眼下、彼が永遠と憎しむ異母兄と思った、思ってしまったそのタコは、異母兄のようなぬらぬらとした淀んだ緑色ではなく、可愛らしい桃色をしていたのだ。
桃色のタコは、触腕を二本動かして、まるで人間が口に手を当てて笑うような仕草をすると、ハスターさんを見上げてそれはそれは可愛らしい声で喋りだした。
「ぇ─!マ゙/″ノヽスぉι″ι″ゃ─ω!めっちゃ久ι、ζ、″丶)す、キ″τゥヶゑωナニ″レナ ─ ⊂″!」
「……クティーラ?」
困惑するハスターさんを見て、桃色のタコは愉快そうにキャッキャと笑い始めた。
美澄香さんは何が何だか分からないと思いながらも、これだけは分かると確認するように小さく呟いていた。
「ギャルだ……」
※訳「えー! マジハスおじじゃーん! めっちゃ久しぶりすぎてウケるんだけど!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます