2膳目。豚の生姜焼き

 神様は卵焼きで釣れる。

 まるで絵本の世界のような出来事が、数日前の美澄香さんの身に起こった。

 神は己をハスターと名乗り、あれからちゃっかり居座っている。

 初めはさすがに疑っていた美澄香さんであったが、風を操ると自負しているハスターさんは証拠とばかりにあの細い指で何かの印を結ぶと、黄衣の中の実体を解き、裾から化身体であるタコ足をにゅるりと出して見せたのだ。

 作り物ではなく、あの独特なプニュプニュとした手触りに美澄香さんも信じる他なかったが、神に対しての美澄香さんの反応といえば新しいおもちゃを与えられた子犬のようにペタペタとハスターさんの手足を触ったり黄衣をひっぱったりして全くもって畏れも何もない好奇心のままに存分に撫で回した。

「神様ってこんな感じなんですねぇ~」

 撫で飽きたらしい美澄香さんは最後に感嘆の声を上げてから、時計の針が昼頃に傾き始めたのを見て「いけない!」と声を上げ、バタバタと騒がしそうに廊下を洗濯物や荷物を持ってしばらくあっちこっちに走り回っていた。

 ちなみにその日のお昼ご飯にもハスターさんからのお願いで卵焼きがおかずとして添えられたのは言うまでもない。

「それじゃあちょっと行ってきますから、お留守番してて下さいね~」

 玄関先まで律儀に見送ってくれるハスターさんに声を掛け、今日の美澄香さんは晩御飯の買出しに出掛ける。

 外で一応作物は育てているものの、やはり米や魚等の物は村から少し離れた小さな商店まで行かないと手に入らない。

 ちなみに美澄香さんの移動手段はスクーターであり、家から坂を下りてすぐ右隣の簡易駐車場に停めてある。

 スクーターは小回りが効き乗り慣れているのもあって、この年になっても車の免許を取っていない理由なのだが、彼女が高校生からの付き合いなのでそろそろガタが来ており買い替えを真剣に悩んでいる。

『なんかこうびゅーんって行ける手段ないかなあ』

 ギアを入れるとパスンパスンという明らかに寿命手前の音の後、都会でうんざりと嗅いだ排気ガスの篭った薄い黒煙が噴き出して、ようやく進む。

『エンジンなのかな~、全体的にもうガタが来てるのは分かってるんだけど』

 クッションも薄くなったヘルメット、学生時代の学友にふざけて貼られた【安全第一】のシールも色素が薄れ、半分以上剥げている。

『のんの、3人目産まれたって言ってたな~上の子まだちっちゃいだろうに育児頑張って偉いよね』

 緩いカーブを曲がれば後は真っ直ぐ進むだけ、対向車の来ない道路を直線で走るのはちょっと贅沢な気分になる。

『ゆっこはまーだ婚カツ中みたいだし……また失敗したら自棄酒しないようにメールしとかなきゃ』

 時折メールで近況を報告し合う旧友達の事を思い浮かべつつ、スクーターを走らせること15分。

 一応町と呼べる位の所に到着する。

 それでもやはり町であり、対向車線に農具やなにやらを積んだ軽トラックとすれ違う。

 それに、この町は丁度複数の路線の中継地点でもあるらしく、美澄香さんが住んでいる場所よりかは電車の本数は多い。

 しかしそれでも周りを見渡せば、四方を山に囲まれている事には変わりはないのだが。

「豚ロース300g下さいな~」

 道路沿いにある精肉店の前にスクーターを停め、白い三角巾と油染みのある年季の入ったエプロンが良く似合うお婆さんに声を掛ける。

「あらぁ美澄香ちゃん~お久し振りねぇ、元気にしてるみたいで安心したわぁ~」

「お陰様で!お婆ちゃんも元気そうで良かったわ」

 うふふ。と2人はカウンター越しで笑い会うと精肉店のお婆さんは手馴れた手付きで豚ロース肉をトングでつまみ上げ、包装紙を置いた電子量りの上に乗せる。

 重量は……お見事、299gである。

 だが、お婆さんは「あらやだ」とイタズラっぽく笑って顔に手を当てる。

「ピタリ賞じゃなかったわ~、私も歳をとったわねぇ、ちょっとオマケしてあげるから商店街の皆には黙っててねぇ?」

 と、言いロース肉を余分に1枚入れてくれた。

 美澄香さんも、このオマケに笑みがこぼれる。

「有難うお婆ちゃん」

「いいのよ~美澄香ちゃんは孫みたいなもんなんだから一杯食べて頑張るのよ~……じゃあお会計300円ね」

 腰からぶら下げていたウェストポーチから、赤いがま口財布を取り出して、中から500円玉を取り出してお婆さんのしわくちゃの手に渡す。

 お婆さんは隣で開けっ放しの金庫から100円玉を2枚取り出しお釣りを返す。

 そして綺麗に紙で包まれ、更にビニール袋に入れられた安くて美味しいロース肉も手渡す。

「帰りには気をつけるんだよぉ~」

「うん!お婆ちゃんも元気でね!」

 肉を一旦座席下の収納スペースに入れてヘルメットを被り直す。

 後ろで手を振るお婆さんに肩越しから手を振り返して美澄香さんはスクーターを走らせた。

 いつもはまとめて買い物を済ませて、冷蔵庫の中にある食材で1週間分のご飯をまかなう美澄香さんであったが、ハスターさんとの同居により、レシピに大きく狂いが生じてしまった。

 特に、ここ数日卵焼きが続いた。

 美澄香さん自身卵焼きは大好物だが、それでも連日は飽きてしまう。

 あの風の神様がどう言おうが、今日のレシピは決まっている。

 片道15分の道のりを越え、三時を少し回った頃に我が家に到着した美澄香さんは、意気揚々と扉を開けた。

「ハスターさんただいま~おやつの時間ちょっと過ぎてごめん……ね……?」

「ぎゃう」

 玄関先で大人しく待っていたのは黄色い照る照る坊主ではなく、なんかよく分からない翼の生えた何かがお行儀よく座って待っていた。


「ビヤーキー?」

「バイアクヘー。とも言う」

 少し遅れたおやつの時間、冷たい麦茶を片手に縁側で足を投げ出し食べる醤油煎餅は最高である。

 ハスターさんも醤油煎餅をフードの奥でバリバリ言わせながら、膝の上に頭を乗せて微睡む生き物の頭を撫でていた。

「僕の、眷属。帰りが遅いから、迎えに来た」

「なるほど。じゃあ番犬さんかな」

 なるほど確かによく分からない姿形だが、翼が生えている以外四足歩行の骨格は狼にも見え、顔付きもカラスっぽいが嘴は無くイヌ科と思しき口がある。

 首の周りはコウモリのような毛に覆われており、前脚は熊のようにどっしりとして鋭い爪が生え、翼は図鑑で見た翼竜の形であるが、褐色の透き通ったそこには翅脈が綺麗に走っており、その部分だけは蜂の翅に見える。

「哺乳類?鳥類?それとも昆虫???」

 見れば見るほど摩訶不思議な生物、ビヤーキーは敬愛する主の膝の上で呑気に大あくびをした。

「あ、舌はトカゲや蛇みたいに分かれてるのね」

 爬虫類の特性も発見してしまった美澄香さんの頭には、ますますこの生き物が何類に分類されるのか黙々と観察を続ける。

 ハスターさんはやれやれ、と言いたそうに次の煎餅に手を伸ばしていた。

「ビヤーキーは、ビヤーキー。種類も、何もない」

 バリッと煎餅を噛み砕けば、美澄香さんは不満げな顔をハスターに向けていた。

「えー。ハスターさんは【神様類、ハスター】って括りでしょう?私だって【人間類、霧町美澄香】っていう括りじゃないですかあ」

「初めて聞く言葉、使うな」

 すっとうきょんな美澄香さんの言葉に、ハスターさんは呆れた様子であるが肩が僅かに震えている。

 美澄香さんの主にお米を炊いて培われた観察眼は、その異変を見逃さなかった。

「あ!ハスターさん笑ってるでしょう!もー私は真剣に悩んでいるんですよ!」

「わらって、ない」

 ハスターの肩は、まだ小刻みに震えている。

「今も笑ってるじゃないですかー!」

 ムスッとした顔で美澄香さんがハスターさんを見ると、ビヤーキーの瞳が開かれ僅かに歯を剥き出して小さく唸った。

 ハスターさんはすぐそれに気が付くと「違うよ」と言い、ビヤーキーの頭を数回撫でれば威嚇を止め、美澄香さんを伺うように眺めてから再び微睡みの世界に戻っていった。

「そうだ。せっかくなら何かご飯あげましょうよ、この子何を食べるんです?」

 美澄香さんはそう言いながら煎餅に手を伸ばすと、どうやらハスターさんと同時に最後の1枚を掴んでしまったようだ。

 だが美澄香さんは慌てず騒がず半分に割り、美味しそうに頬張る。

 ハスターさんは半分になった煎餅をまじまじと見つめつつ、美澄香さんの問いに答えた。

「ミード……」

「みーど?」

 聞き慣れない言葉に美澄香さんは聞き返していた。

「蜂蜜酒だ」

「ああ!蜂蜜酒、お前結構呑んべぇさんだな?」

 ふひひ、と美澄香さんは笑いながら立ち上がる。

「蜂蜜酒は一応レシピは分かりますけれど、日本には酒税法ってのがありましてアルコール度1%以上の物を作る事は禁止されてるんです」

 眉尻を下げ、笑みを苦笑に変えて美澄香さんはエプロンの上に落ちた煎餅くずを払い落とす。

「でも安心してくださいね、今晩のオカズに蜂蜜もお酒も使ったの作ってあげますから」

 ぴく、と先程まで美澄香さんに対して無関心だったビヤーキーが、山羊のような耳を震わせ微睡みの世界から覚醒した。

 だがその顔は動物ながらに怪訝そうである。

「できるの?」

 次いで、ハスターさんもどこか疑ってる様子だ。

 蜂蜜と酒で作ったオカズなんて、白米と合わせるとなると甘くてクドいイメージしかない。

「この美澄香さんに任せなさい」

 だが美澄香さんは胸を張って答えていた。


「お待たせしましたー!」

 がらり、と行儀悪く足を使って引き戸を開けた美澄香さんの両手には美味しそうな湯気を上げる大きなお盆が抱えられている。

「おいしーですよぉ」

 ちゃぶ台を囲んでいるハスターさんとビヤーキーの目の前に置かれた白い大皿には、山盛りの千切りキャベツとくし型のトマトが数切れ、そしてセンターを陣取るのは湯気を上げるトロトロの薄切り玉ねぎのソースが絡まった薄切りの豚肉。

「生姜焼きです!どうぞ召し上がれ~」

 生姜焼き。

 ハスターさんにとっては卵焼き以来の未知の料理。

 一瞬「たまごやき……」と切なそうな声を上げていた。

「まあまあ、たまには色々なものを食べましょうよ。今日のお味噌汁は大根菜とお豆腐ですよ~」

 どこどなくしょんぼりしてるハスターさんの横で、ビヤーキーは主人の心配……ではなくハスターさんのより少し深めの皿に盛られたご飯と、その上から掛けられた生姜焼きを興味深そうに鼻をひくつかせて嗅いでいる。

「それじゃあ冷めないうちに、いただきます!」

 美澄香さんがいつもの呪文を唱え終えると、まずは生姜焼きに箸を伸ばし、相変わらず素晴らしい炊き具合のご飯の上に一旦置き、ご飯と一緒に一口。

「ん~~~!」

 生姜の風味がよく効いた、歯切れのよい薄いロース肉に絡むのは玉ねぎの旨みが蕩けだした甘辛い醤油ダレ。

 単体では少し味が濃いと思う程度が、お米と合わせた時に絶対無比の感動が生まれる。

 このまま生姜焼きだけを平らげてしまいそうになるのを抑え、一旦キャベツに箸を伸ばし、トマトの裏に絞っておいたマヨネーズをちょいと乗せて頬張る。

 しゃっくり。シャキシャキ。

 なんて美味しいんだろう……!

 淡白なキャベツが生み出す爽やかな快感。

 それを補うマヨネーズの柔らかい酸味。

 どっしりとした生姜焼き、生の葉物特有の心地よい食感。

 生姜焼き、キャベツ、生姜焼き、ご飯、キャベツ、キャベツ、生姜焼き……。

 ああ、止まらない。止めることが出来ない!

 誰かこのループを止めて!永遠と食べていられるこの流れを!

 美澄香さんの怒涛の食欲は、初め卵焼きが無い事で傷心していたハスターさんにも感染したようで、所作はどこか優雅だがそれでもがっつくように生姜焼きを食している。

 ビヤーキーは、見たことが無い主人の食事風景に驚いたようで、じっとその姿を見ていたが、ハスターさんは一回お味噌汁を飲み、一息ついてからビヤーキーをチラと見て、何事かを呟いた。

 すると、ビヤーキーは弾かれたように生姜焼きに食らいつく。

 がふがふと鼻息荒く、皿が落ちないように毛むくじゃらの両手で抑えて。

「良かった!美味しいですか?」

 もうすでにキャベツを一口分残し、後は全て平らげた美澄香さんがそう聞きながら、生姜焼きのタレがたっぷり絡んだキャベツを食べた。

 タレをまとって、しなったキャベツ。

 だがこれが生姜焼きでしか食べられない、知る人ぞ知る美味であると美澄香さんは思っている。

 含んだ瞬間の、一口分だけの希少な味に、悶絶しそうになる。

「ぉいっ、しかったぁ~~~!ご馳走様でした!」

 喉から胃の腑に落ち、すっかりくちくなったお腹を擦れば、ハスターさんはペース配分を考えず、欲望に支配された結果生姜焼きだけを食べ尽くしてしまったようで、半分以上残っているご飯茶碗を片手にあわあわとしている。

 美澄香さんは苦笑し、タレが残っているお皿にご飯を乗せるよう言い、麦茶と一緒にスプーンを持ってきた。

「混ぜて食べてみてください」

 スプーンを受け取り、ハスターさんもその指示に従いご飯とタレを混ぜる。

 いわゆる【恥飯】というやつであるが、美澄香さんはそれを邪神とは言えども神様に教えている。

 もしハスターさんの信者がこの様子を見たら、畏れ多いを通り越して美澄香さんの罪深さに平伏してしまうかも知れない。

 ハスターさんはタレの絡んだご飯を、それは美味しそうに食べ、綺麗に完食。

 フードの向こうで相変わらず表情は分からないが、猫の尻尾のように触手を揺らすハスターさん、生姜焼き含め恥飯もお気に召したらしい。

 そして、主人より遅く食べ始めたにも関わらず、先に食べ終わったビヤーキーは、昼頃の美澄香さんに対する態度を一変させており、敬愛の視線を向けながら馬のような尻尾を、主人と同じようにうねらせていた。

「良かったぁ、お砂糖の代わりに蜂蜜にして豚肉と玉ねぎ漬け込んだのよ。美味しかったでしょ」

 麦茶を飲み、美澄香さんは満ち足りた笑顔を浮かべていた。

「蜂蜜酒作れないけれど、蜂蜜をつかったお料理やお菓子は沢山作ってあげるから楽しみにしてて」

 屈託の無い、見返りを求めないその言葉にビヤーキーは少し考える様に俯いた後、ハスターをチラと見ればその意思を察した彼は袂から小さく細長い、奇妙な形の穴だらけのペンダントを取り出し、ビヤーキーに与える。

 ビヤーキーはそれを恭しく受け取り、口に咥えて美澄香さんの隣に座ると、そっと彼女の前にペンダントを差し出した。

「これは?」

 ペンダントを取り、その形を確かめるように裏表をクルクル回しながら美澄香さんが訊けば、ハスターさんがその問いに答えた。

「笛」

「笛ですか?こんな小さいのが?」

「吹いて、呪文を唱えれば、コイツがお前の下へ来る……対価を支払うと言っている」

 ハスターさんの説明の中、ビヤーキーは美澄香さんに擦り寄って甘え始めた。

「そうですねぇ……じゃあお願いしちゃおうかな」

 ビヤーキーの胸毛をもふもふさせながら、美澄香さんは嬉しそうにそう言った。


 後日、美澄香さんは30kgのお米を購入し、ビヤーキーを送り迎えの足として利用した。

 だがハスターさんが正規の呪文を伝える前に、彼女が即効で作った「ビヤーキーさーん!おーいでー」という呼び掛けに忠実な眷属は招来されるので、帰ったらカルコサの知識にあるビヤーキーの記述を書き換えよう、とハスターさんは密かに決心していた。


(To be Byakhee→)

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