9膳目。焼きそば
『はーい! こちら今話題の神奈川マルシェのフードコーナーです! 見てくださいこの行列! 皆さんここでしか食べられないB級グルメを求めて……』
「ミスカ。びーきゅうぐるめ とは なんですか?」
なんのことは無い休日の事である。
何気なくつけたテレビに映ったのは、秋晴れの青空の下、白いテントに向かってゾロゾロと並んで何かを買う人間達を報道するニュースだった。
普段ならば興味を持たずにそのまま好きな児童向けアニメにチャンネルを変えるはずのヴルトゥームちゃんなのだが、B級グルメという聞き慣れない言葉に疑問を抱き、隣でお茶を啜ってる美澄香さんに訊ねていた。
美澄香さんは「そうですね~」と少し思案した後に、答える。
「庶民の味。って事ですよ! でも私達がいつも食べているものではなくて、コロッケとか、たこ焼きとか、手軽に買えてその場で食べられるものを総称しますね」
その答えにヴルトゥームちゃんは目を水色に輝かせ、拳を握りしめて体を上下に動かし、興奮を露わにする。
「ころっけなら わたくしたちも たべたことがありますね! あれはとてもおいしいです! じゃがいもがほくほくしてて、ひきにくはあまからくて!」
頬を赤く火照らせて、いつの間にかB級グルメに触れていたという事を必死に言葉にしようとするヴルトゥームちゃんが微笑ましくて、美澄香さんは彼の頭を優しく撫でる。
「おばあちゃん秘伝のレシピですからね~美味しさは折り紙付き……」
突然だった。
美澄香さんの優しい言葉と、手付きが突然ピタリと止まったのだ。
その異変にヴルトゥームちゃんは顔を上げて美澄香さんを見れば、彼女の視線がテレビに釘付けになっている。
ヴルトゥームちゃんも、もう一度テレビに視線を向ければ、アナウンサーがテントから何かを購入した所だった。
その手には、白い紙皿にどっさりと魚介が乗り、更に長いウィンナーが皿からはみ出している薄黄色くてモジャっとした何かがあった。
『ご覧下さい! すんごいボリュームの海鮮塩バター焼きそば! こちらが今回のマルシェのイチオシなんだそうです! それにしても本当に沢山入ってますね! イカやホタテにこれはカニですか!! いやー凄い! これがなんと……』
「認めない……」
アナウンサーの言葉をかき消すように、美澄香さんが今まで聞いた事の無い低い声で呟いた。
「あれが焼きそばなんて……絶対に認めない……」
「み、ミスカ???」
今まであんなに優しかった美澄香さんが、まるで殺意を集めて固めたような鋭い視線でテレビ画面を睨んでいる。
その変貌ぶりに、火星の支配者であるヴルトゥームちゃんですら何億年ぶりに自分の命の危険を覚えたほどだ。
神格でもなければ、高名な魔術師でもない一般市民の……しかも女性にである。
あわあわとその場でどうしたらいいか分からず慌てふためくヴルトゥームちゃんだったが、それをよそに彼女はすっくと立ち上がった。
「本当の焼きそばを見せてあげる……」
唸るように呟いた後、大股で台所に向かった美澄香さんに、ヴルトゥームちゃんはへなりと腰を抜かしてしまう。
「な……なんだったんでしょう……?」
全くもってわけが分からないと、ヴルトゥームちゃんが呆然とする中で、今までずっと書庫に篭っていたらしいハスターさんが、数冊の本を片手に居間に帰ってきてすぐに首を傾げたのであった。
美澄香さんは食には寛大である。
それぐらい広いかといえば、海苔とご飯を反対に巻いたカリフォルニアロールを天ぷらにして、チリソースを付けて食べるアメリカ人を認めるほど。
しかし、そんな菩薩のような心を持つ美澄香さんでも、決して譲れぬものがあった。
それは、焼きそばである。
「なーにが塩バター焼きそばよ! ソースの前にはそんなもの邪道!!!」
焼きそば用のパックされた蒸し麺をレンジで温めた後にザルに入れ、水洗いする。
「豪華な魚介を入れればいいってもんじゃない! 具材はキャベツ! もやし! 豚バラ! これが至高!!!」
怒りのままにキャベツをちぎり、豚バラ肉を一口大に切って置いておく。
手を洗い、片口の器にソースとだし汁を入れて延ばす。
「ゆっこ! ゆっこの家の焼きそばが最高よ! 私に教えてくれた横手焼きそばがいっちばん美味しいんだから!!!」
ゆっこ。とは、美澄香さんが小中高と一緒だった大親友である。
彼女の家は下町で大衆食堂を営んでおり、部活帰りのすきっ腹に、安くて美味しい焼きそばを食べるのが最高の贅沢だった。
何せ彼女の母方の実家は秋田がルーツであり、キャベツともやしと豚肉のシンプルな焼きそばの上から、ぷりっぷりの目玉焼きが乗っている横手焼きそばは垂涎の逸品。
初めて食べた時の記憶は衝撃的で、横手焼きそばこそ頂点だと確信してしまった。
なにせ、あれ以来食べる焼きそばはどこかポソポソしていて喉に詰まり、塩は淡白で物足りなく感じてしまうようになったのだ。
まさに、焼きそばの
だからこそ、豪華な食材をふんだんに使い、あまつさえバターなんて使う焼きそばが許せなかった。
B級グルメとは、庶民の味。
庶民からかけ離れてしまった焼きそばが、B級グルメを語るんじゃない!
「究極のB級グルメは横手焼きそば! 異論は絶対に認めない!」
大きな中華鍋に具材を入れて豪快に炒める。
その隣でフライパンを熱し、目玉焼きを同時進行で作る。
油が回り、艶々とした麺に間髪入れずだし汁で延ばしたソースをたっぷりと加え、焼きと蒸しを同時に行い、全体にソースが絡んだ所で火を止めて、皿に盛り付け、上から焼いた目玉焼きと真っ赤な福神漬けを添える。
「ああ……輝いて見える……」
衝動のままに作り上げた横手焼きそばの完成度に、思わずホロりと涙が零れる。
「ゆっこ……やったよ」
釜戸の煙を逃がす小さな窓から空を見る美澄香さんの顔は、先程の鬼気迫る様子など感じさせないほど晴れ晴れとしていた。
澄み切った空の向こう。笑顔の大親友が親指を立てて美澄香さんに笑いかけているような気がした……。
──ゆっこ。さんから メッセージを受信──
──いや、死んでないからね?──
「いやーお恥ずかしい。焼きそばの事になるとついムキになっちゃって……」
ちょっと早いお昼ご飯は、美澄香さん怒りの横手焼きそば。
目玉焼きの黄身を潰して、ズルリと啜るその新食感に神格達も夢中で食べ進める。
「でもむきになるのは わかります! これはほんとうに おいしいです!!!」
キャベツともやしはシャキシャキで、だし汁の味が優しくソースの味を丸め込み、目玉焼きでくどくなった口に福神漬けを食べてリセットする。
まさに、完成された料理だ。
「それにしても、ミスカにも譲れないものがあったんだな。まあ、食べ物という点はどうしようもなく納得せざるを得ないが」
目玉焼きの白身を、皿に残ったソースに絡めてぱくり。
箸の持ち方もすっかり様になったハスターさんにそう言われると、恥ずかしいやら何やらで美澄香さんは頬を掻いて誤魔化すぐらいしか出来なかった。
「ミスカ。わたくしはもっとびーきゅうぐるめ というものをしりたいです! ミスカがあそこまでいかりくるほど てれびがつたえるよりおいしいものを、ミスカはしっているのでしょう? おしえてください! たべさせてください! こんなにたのしいことは、きっとこのさきないのですから!」
口の周りをソースでベトベトにしたヴルトゥームちゃんが期待に満ちた顔で美澄香さんに詰め寄る。
なんだか今日はいつになく積極的だと思いながら、美澄香さんは笑顔で答えた。
「はい。これからもどんどん美味しいものを作りますね」
その言葉に、ヴルトゥームちゃんは「やったぁ!」と声を上げ、バンザイと両手を振り上げた。
その瞬間。
ボンッ。という音と共に、ヴルトゥームちゃんの背中から薄桃色の巨大な花弁で形作られた蝶の羽が突如として生えたのだ。
いきなりの事に驚いたのは、美澄香さんだけでなくハスターさんも同じだったらしく、弟の変化に戸惑って硬直している。
だが、ヴルトゥームちゃんは自分の身に起こった事だからかそれはそれは落ち着いており、自分の羽を見てからぽんと手づつみを打った。
「なんだかきょうは おちつかないとおもったら こういうことだったんですね」
そうでしたかそうでしたか~。と自分自身に納得したヴルトゥームちゃんは、空になった皿を美澄香さんの前に差し出して、言った。
「あんしんしたらおなかがすきました! ミスカ、おかわりをおねがいします!」
そして満面の笑みを浮かべる彼は、相変わらず可愛いのであった。
──to be continued.
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