Track06.ツイてるヤツら
スクラップフィールドの辞書に過剰防衛という言葉は存在しない。言わずもがな重罪である殺人でさえ防衛の範疇に含まれるのだ。こと酒場を襲撃された場合などが該当する。
「今日の売り上げはチャラね」
髪をかき上げるなりヘイルメリーはそう吐き捨て、ひりひりと銃身が熱を帯びたままのショットガンを砂上へ放り出した。怒りはまだまだ収まらないが、憎き白スーツの蛮族は一人残らず皆殺しにしたのでこの辺りで妥協しておく。
雨に打たれたモンスター・ビアガーデンは酒場の体を成していなかった。怪物にかじられたように屋根が半分消し飛んでおり、床……床だったものの上には大鋸屑と硝子、それから食器の残骸が所狭しと散らばっている。
なに、建物はなんとでもなる。問題は酒だ。こればかりは一から集めなおさなくてはならない。掃き溜めの飲食店の悩みの種はいつだって酒なのだ。いくら闇業者とパイプがあると言えど元手がなくては話にならないし──元手を稼ぐのにも元手がいるのだ。金を稼ぐ為の金がない。ヘイルメリーの赤字は増えていくばかりだった。
にゃあご、にゃあごとスクラップの野良猫達が寄ってくる。砂一面にぶちまけられた蒸留酒の臭いにあてられたのだ。オアシスを求めるようにその一滴一滴を争い、頑強な金属の爪をしきりにぶつけあっていた。
「……あぁオイ。悲惨だ。完全に酔いが醒めたぜ」
カウンターだった場所からザイールが現れる。義手に弾痕が伺えた。もちろん体の方は無傷だ。伊達に掃き溜めで工場長を務めているわけではない。
「なんでこうなるわけ?」頬を引きつらせながら問うメリー。「ねえなんで?」
「お前が〝ブッ放せ〟と」
「店がなくなるまで撃てなんて言ってないわ。サイテー。サイッテーよ。いっつもこう。引き金から指を離すってことを知らないの? オナニー覚えたての猿じゃあるまいし」
「まぁそう怒るな。ほっといても修繕費はカンパでなんとかなる」
「問題はお酒よ。仕入れるのにいくらかかると思ってんのかしら」
ヘイルメリーは死体を蹴っ飛ばす。死人に鞭打つとはこのことだ。マゾかどうかは知る由もないが、生きていればまだ悦びになったものの。
「あぁクソいらいらする。更生プログラムで蘇生させてもっかい殺し直してやりたいわ」
エンジン音と共に巻き上がる砂埃。蒸気式のバイクを残骸の脇に駐め、海賊とも保安官ともつかぬ格好をした女が揚々とやってきた。
ジーナだ。竹箒の先に似た二つの銀髪が今日もよく揺れている。
「あいあーい。ジーナちゃんとうちゃー、く……」
なんだここは。爆心地か。惨状を見るなりジーナは呆れた。こういう時にはほんの少しだけラブアンドピースの精神を疑ってしまいたくなる。
「……ここはいつから遺体安置所になったのカナ?」
「エクセレントな質問ね」壊れた時計を放り出すメリー。「ついさっきよ」
「いい考えだナ。きっと儲かる」
ジーナは足元の死体を見やった。死体なのかは曖昧だったがとにかく見た。全部で四人分だ。どうやら掃き溜めの人間ではないらしい。相手が掃き溜めの人間だったら死者が四人で済むわけがない。
「……これは?」
「見れば分かるでしょ?
「ZACTは白いスーツ着てるんだぞ」
「白いスーツ着てたわ」
「そうか。今度からは黒焦げにする前に呼んでおくれよ」
黒焦げの酒場を見てジーナは続けた。
「そもそもなんでこうなったの?」
「摘発するって言われたのよ」
「それで?」
「撃ち殺したわ」
「擁護のしようがない」
ジーナが胸元からレコーダーを取り出す。小振りな歯車をきちきちと回したかと思うと小さく咳払いし、改まった様子で彼女は続けた。お仕事の時間だ。
「はい、それでは聴取を開始します。先に撃ったのは?」
「私よ」メリーが挙手する。「でも先に銃を向けたのは連中」
「相手が撃ってないならメリーの過失だナ」
「ショット五杯。タダでいいわ」
賄賂の一つだ。ジーナの眉がぴくりと揺れた。
「なるほど。発砲されかけたから撃ち返したということでいいですね?」
「異存なしよ、保安官」
「では正当防衛ということで」
ジーナはレコーダーを止めた。その聴取、時間にしてわずか二〇秒足らず。もはや聴取としての意味を成しているのかも分からない。
「相変わらずのガバガバっぷりだな……」呆れるザイール。「甘いにもほどがある」
「ふふん。甘さに定評のあるジーナ様だからな」
「褒めてねえぞ?」
「褒めてもいいぞ?」
「さっさと仕事に戻れクソ保安官」
「元・保安官ですぅー。しかも今日はもう終わりですぅー」
保安官の名を挙げろと言われれば満場一致でワイアット・アープの名が挙がるだろう。
だがDブロックでは彼女の名の方が先に挙がる。美人だからというわけではない。保安官らしからぬ大らかさを持ち合わせているからだ。いい加減とも言える。元海賊という奇妙な略歴がもたらしたものだろう。
もちろん彼女は現役の保安官ではない。でなければこんないい加減な真似が許されるものか。数多の賞金首を検挙し、生涯名誉保安官のライセンスを授与され、常に揉め事に介入できる権利を持っているのだ。言わばフリーの保安官というわけだ。
中々どうして彼女を呼び出す者は多い。掃き溜めの保安官はそのほとんどが名ばかりで、よほど大きな賞金首でも関わっていない限り、小さないざこざは見て見ぬふりをするからだ。酒場をぶっ壊されたとか、誰と誰が喧嘩しただとか、家の猫がいなくなっただとか、それらは全て小さないざこざの範疇に含まれる。
彼らが重い腰を上げるのは、掃き溜めの中で掃き溜めなりに保たれているバランスが崩れかねないと判断した時だけだ。人が二、三人死んだ程度で動いてはくれない。それが手配書A級クラスの賞金首なら、また話も変わってくるのだろうが。
自分の身は自分で守る。それがスクラップフィールドの原則だ。このたび酒場の店主はその黄金律に従った。それが掃き溜めの法律なのだ。市街の法律など知ったことではない。彼女らから言わせれば、役人達が不運にも死んだのは、郷に入って郷に従った結果なのだ。それ以上でも以下でもなかった。
「ほいじゃあ私は帰るからナ」バイクに跨るジーナ。「再開はいつごろになりそうだ?」
「当分は無理ね」メリーは答えた。「しばらくは控えの方を開けるわ」
控え──万が一の為の二号店だ。請負人が隠れ家をいくつも持つように、この街では酒場もそのスタンスを強いられる。万が一など起こらないに越したことはないのだが。
「そうか。じゃあシュティードにも伝えておくよ。近いうち行くって言ってたから」
「ツケがたまってるって言っておいて。そろそろ肝臓を売ってもらうことになるわよ」
「善処はするけどナ。じゃまた」
砂塵を巻き上げ走り去る蒸気式バイク。保安官ジーナはいつでも陽気なのだ。気ままに来ては気ままに去ってゆく。それが仕事であろうとなかろうと。面倒な人間が多いこの掃き溜めにおいてなお、彼女は開けっ広げな笑顔を絶やさない。
もっとも、それが癒しとなる時もあれば、陰りとなる時もあるのだが。
「……ああクソ、清清しいぜ。俺もあのぐらい頭空っぽにして生きてみたいモンだ」
ザイールは項垂れ、義手の隙間に潜り込んだ木片を取り除く。
「どうかしら」と、メリー。「ああ見えてちゃんと考えてるわよ、ジーナは」
「そりゃそう見えるだけだ」
「見えるだけでも大したものよ。あなたなんかまるでそうは見えないもの」
「なんだと! いいかメリー、俺がどれだけ艱難辛苦に舌を痛めてきたか……」
「あなたのはただネガティブなだけ」
口を噤むザイール。その通りだった。盛り上がった胸筋も上腕二等筋も、その肌色をひとたび剥げば中に詰まっているのは陰惨のいの字だ。どれだけ鍛えてもこればかりは治しようがない。なにせ時を選ばずしてやってくるものなのだから。
びびび、とザイールのポケットが震える。
「……ほらきた、悪いことは重なるモンだ」
〝ZACT第三分社輸送担当〟の文字がザイールの肌色を剥がしにかかる。コールを一度、二度と先延ばしにし、顔を背け、ようやくザイールは腹を括って通話ボタンを押した。
「……はい。ノーザネッテル工房、ザイールです。はい、はい。こりゃどうも。いえ、とんでもない。あーその…………実は、
ザイールはそこで言葉を飲み込む。続いてあんぐりと口を開けた。それはもう外れた顎が砂にめり込むほど大きく開けた。
「……
そんな馬鹿な話があるかとザイールは思った。武装機関車に負けずとも劣らない体躯の装甲車が何をどうしたら木っ端微塵になるというのか。ロケットランチャーでも撃ち込まれたのだろうか? どこかの馬鹿者が抱えた仕事のように?
そいつは──そいつはなんとも残念な、それでいて、願ってもない話だ。
「はい……はい。え? 納品を先延ばし? 二週間? いや、そいつは実にめでたい……あ、いや……仕方ない話ですなあ。いえいえなんの、お気になさらず。そういう事情なら仕方がないでしょう」
メリーの顔が徐々に曇っていった。そうとは知らずザイールは陽気に続ける。さっきと打って変わって……それこそ打って変わってしまった様子で。
「はい。はい……はい、いやいや! こちらは何も気にしておりません! そりゃもう何も! 謝る必要などどこにもないですとも! お互い大変ですなぁ! はっはっは! それではまた! 今後ともご贔屓に! 失礼します、どうも!」
なんたる僥倖。なんたる幸運! ツイてる! 俺はいつだってツイてるんだ! ザイールは通話を切るなり廃品電話を放り出し、モンスター・ビアガーデンの残骸をそれ見たことかとばかりに蹴りつけた。
「見たかクソヤローバカヤローめコンチクショウ、どうだ! どうだ聞いたかメリー! 俺の人生は終わっていなかったぁああああああああ」
「おめでとう」メリーは苦笑した。「私の人生の方が終わりそうよ」
メリーの言葉などどこ吹く風で跳ね回るザイール。ふざけた絵面だ。ゴリラが兎跳びに夢中ときた。彼女は足元のショットガンをちらりと見やり、まだ弾は残っていたか、この浮かれた野郎に一発ブチ込んで──などと考える。
沈んだ様子のメリー。その肩に手を置き、切り替えの早いザイールは続けた。
掃き溜め育ちの例に漏れず、畜生じみた飛び切りの笑顔で。
「なに、大丈夫さ。一回転んだぐらいじゃそうそう死なない。一度落ちるとこまで落ちてみるのも手だぜ。ただでさえスクラップフィールドは理不尽なところなんだ。災難だったと思って諦めるしかねえよ」
「…………」
現金な奴だ。メリーは苦笑すらうまく作れない。ゴリラの浮かれ顔とモンスター・ビアガーデンの残骸が交互に瞳の中をチラつく。最低の一日だ。どいつこいつも。
「元気出せよ、メリー。ポジティブにいこうぜ!」
「…………」
「……なんだ、その顔は」
「ジョッキがあったらブン殴ってるとこだわ」
店が潰れて良かった。ザイールは心底そう思う。
◆
『……なにごとでありマスか、これは……』
バッカス=カンバーバッチは──いや、バッカス=カンバーバッチだった者は現場に着くやいなや眉をひそめた。潜める眉はないので心中でそうした。
バッカスは市街生まれの市街育ちだ。掃き溜めに出た経験は一度だけ。それも幼い頃、自分の指の本数すら曖昧な時期……スクラップフィールドがまだその名を与えられる前、単に〝掃き溜め〟と呼ばれていた時代に一度だけだ。
イザクト事変でクズ鉄の砂漠となったからここはスクラップフィールドと名付けられた。知識としては知っている。されどその響きが示すところを実感したのはまさに今この瞬間が初めてだった。
鉄。鉄。鉄。巨大な輸送用ハイウェイの中ほど、鉄色の巨獣が炎を纏って轟々と鳴いている。純白だったと思しきパトリオットは見る影もなく真っ黒だ。ボルトにナットにチューブに鉄板、歯車にコンデンサに空っぽの粒子管……散らばった雑多なジャンクの数々が大惨事を容易に想像させる。市街の取り巻きがジー・ウォッチのカメラ機能をオンにして撮影会を始める様が見えるようだった。
まだここは道中だ。掃き溜めに繋がる道半ばに過ぎない。
ああ、けれど、これこそ──文字通りのスクラップフィールドではないか。
ここが地獄のハイウェイか。なるほど相当にハイな運転をかましたのだろうが。笑えない冗談だ。バッカスは失笑した。その正体が単なる感情の機敏をシミュレートした電気信号に過ぎないと分かっていながらも。
「チッ、くしょう、がぁ」
後部座席の扉が吹き飛ぶ。ひっくり返ったパトリオットからウィンチが這い出てきた。
「ヒューゥ。滅茶苦茶する野郎だな、おったまげたぜぇ」
仰向けに寝転がり、ウィンチはにべもなく言った。額の皮膚組織が剥げているが、その下の骨格は無事なままだ。左胸の循環粒子管にもダメージは見受けられない。呆れたものだ。死に損ないなのは彼も同じらしい。
『無事でありマシたか、ミスター・ウィンチ』
「おせえよ。ご覧の有様だ」
スクラップと化した左足を見せびらかすウィンチ。膝から先が失われている。千切れたチューブから液状化した赤い粒子が漏れ出ていた。
『……オウ。ほんとにアンドロイドだったのでありマスね』
「まだ疑ってたのか。どうせ嘘ならもっとスケールのでけえ嘘つくってモンだ」
バッカスはモニターを修理用の画面へと切り替える。この青さにも慣れてきた頃だ。背部にこさえたバックパックの装甲を展開し、その中からウィンチの脚部の
「ちゃんと持ってきたようだな。いいぜぇ、仕事の出来る奴は嫌いじゃねえ」
『大嘘つきもいたものでありマスな』バッカスは返す。『なにが〝話は通してある〟でありマスか。無許可での持ち出しなど見過ごせるかと散々怒鳴られたでありマス』
「はぁん。それで?」
『殴って黙らせマシた』
「エクセレントな回答だ」
胸部の循環粒子管のダイヤルを回し、ユニット全体への粒子の供給を一時停止。応じてウィンチの瞳が色を失う。脚部のソケットからチューブを取り外し、代替品と再結合。チューブを再接続、粒子の供給を開始……ピザを作るように単純な過程だ。ほどなくして粒子管が駆動し始め、粒子が充分に行き渡ると共にウィンチが息を吹き返した。
なんだ、こんなの、人間と変わらないじゃないか。血液がなくなってしまえば動かないし、バックアップを取っていなければデータが飛んでしまうかもしれない。痛みも感じて血も汗も流す、おまけにジョークも介するし失敗もするとなれば、アンドロイドである必要性がない。バッカスはそう思う。
「こんなの人間と同じだ、とか思ってんだろ?」
起きるなりウィンチは問うた。こういう機敏の汲み取りに関しては、よほどバッカスより人間らしい。
「そうとも。人間と同じさ。不便なモンだぜ。便利なことなんて一個もねえ。まあ、足は手軽に交換できるが、だからなんだ? 人間が普通に生きてて足を交換する機会が人生に何度ある? 今じゃそれさえ先進治療権で可能だろ」
『はん。だったらマスマスあなたがあなたである必要はないでありマスな。本官が本官である必要もない。人も機械も代わりがきく時代でありマスから』
「分かってねえな」
代えたばかりの右足を軸にウィンチは立ち上がる。
「お前にとって必要かどうかだ」
『?』
「誰の為に誰にとって誰であればいいか、だよ」
それに、とウィンチ。
「利点がないわけじゃねえ。まず第一に疲れない。不眠不休で活動できる。それに合理的だ。だから俺は酒と煙草を摘発する為に生まれたんだろ。やむなくって事情で酒場を経営してる奴らもいる。そいつらから職を、人生を奪うんだ。そこに必要なのは──それこそ機械的な割り切りなのさ。情けや容赦がねえ……それが機械の最大の利点だよ」
『でも感情をシミュレートしているではありまセンか』
「オフにしようと思えば出来るだろ。お前にもできるぜ」
馬鹿げた話だ。だったら最初から積まなければいいのにとバッカスは思う。
『はん。本官はゴメンでありマスな』
「奇遇だな。俺もゴメンだ」
バッカスはウィンチを見やる。感傷に浸る目だ。アンドロイドの体にそぐわないその色がどうにも不気味で仕方がない。
『あれは?』燃える巨獣を指して続けるバッカス。『ロボットですか?』
「アホか、レクセルバレーじゃねえんだぞ。
ウィンチは燃え盛る廃品輸送車両へと目をやる。余すところなく廃品同然だ。ジャンクを回収する車両がジャンクになったというのだから笑えない。
いずれは自分もこうなるのだろうか。機械らしい末路ではある。出来ればその時だけは感情のシミュレートをオフにしたいものだ。ウィンチはまたニヒルに笑った。
「フリップブラックをやられた」
『やられた?』
「粒子に引火したんだよ。でなきゃジャンカーゴがぶっ飛ぶわけがねえ。冗談じゃねえぜ、ただでさえイザクト粒子は燃えやすいんだ。そこにアルコールなんか混ぜてみろ、火炎瓶投げてんのと同じだ」ウィンチは舌打ちをかます。「やっぱ酒なんざない方がいい」
『では仕事は打ち止めでありマスか?』
「打ち止め? 馬鹿。言ったろ、二つあるって。もう片方を追うだけだ」
罅割れたジー・ウォッチを放り捨てるウィンチ。文字盤に八億の笑みを幻視する。どこまでもつきまとう野郎だ。キザったらしいシニカルな微笑みが、どうにもウィンチの腸を加熱する。
「まあ……仕事じゃなかろうがあのヤローは叩き潰すがな」
『復讐でありマスか』
「そんな女々しいモンと一緒にすんな。ただ気に入らねえだけだ」
『エクセレント。シンプルでいい』
ウィンチはがしゃがしゃと足を動かす。久しく行使していない戦闘マニュアルをデータの墓場から掘り起こし、表示された橙色の軌跡──プログラムが弾き出した最適解だ──に倣って、その鋼色で空を一度、二度と切ってみせた。
「……しかしここまでとはな。様子見の酒場でヤバさを図ったのが間違いだった。どうやらDブロックってのは、思った通りヤバい場所らしい」
『それなんデスが』
「なんだ?」
『酒場の摘発に向かったグループが全滅したようデス』
「なるほど、訂正だ。思った以上にヤバい場所らしい」
ボディに異常はない。すこぶる快調だ。こういう時ばかりは機械の体に感謝する。ウィンチは同じく代替品のスーツを纏った。ジャケットは羽織らない。ネクタイはいらない。カフスなどクソ食らえ。
ここから先は、ウィンチ=ディーゼルという男の為にのみウィンチ=ディーゼルであるべきなのだ。
「酒場は後回しだな。先に奴らを始末する」
ウィンチがさっさと足を踏み出す。やる気は充分ということか。対してバッカスは気だるそうに機械の足を進めた。
『冗談じゃねえでありマス。明日は国民の休日だというのに』
「俺は公務員、お前は社会の奴隷。どっちにしろ休日なんざ関係ねーよ」
それもそうだとバッカスは納得する。疲れ知らずの体になったところでやる事は同じだ。それは即ち社会の歯車であるということ。一見すればチンケな部品に過ぎないが、社会をよりよく回す為になくてはならない大事な部品の一つであるということだ。
こればかりは掃き溜めの野良猫には務まらない。職務と規律を重んじる市街の人間にしか出来ないことだ。彼奴らは落ちるべくして掃き溜めに落ちたのだ。自由と無法の線引きを履き違えた馬鹿者達の末路に他ならない。
とすればそこに容赦はいらないのだろうか? バッカスは自分がなそうとしている仕事を理解している。酒場を摘発し、罰点を清算し、穢れなきZACTの職員として掃き溜めをクリーンな環境へと浄化するのだ。
それこそが、本来望んでいた自分のあるべき形でもあった。
どうだろう。そこに慈悲は必要ないのだろうか? 情状酌量などというのは簡単だが、その裁量を決められるほどバッカスにキャリアはない。
そう──たとえば自分の両親のように──厳格化を切欠に廃業し、掃き溜めで生活するしかなくなった者達をも〝自由と無法の線引きを履き違えた馬鹿者達〟と
機械が哀れみを切り捨てるのはもっともだろう。正しいもなにもない。そこはウィンチの言う通りだ。一つの利点でもある。しかし自分のような、人間の魂が機械に定着したなり損ないが彼らを断じるにあたっては、その情状酌量は介在すべきではないのか?
介在しなければそれこそ本当に、魂まで機械になってしまうのではないのか。
『……』
バッカスの中に一つの恐れが生まれる。彼はようやく自分が置かれている立場を理解した。要するに自分は今どっちつかずなのだ。人でもなく、機械でもない。人であって機械でもある。とにかく両方の狭間にいる。
どちらに転んでしまうのだろう。その
『……誰の為に誰にとって誰であればいいか』
「あん?」
『あなたはさっきそう言った』
ウィンチが歩みを止める。
『ミスター・ウィンチ。本官はどうすればいいでショウ?』
「なにがだ?」
『機械になるか、人間になるか』
ウィンチは沈黙する。してみただけだ。そののち小さく笑ってまた歩き出した。
「お前が決めろ」
『本官の上司はあなただ』
「ZACTは新入社員に容赦はしねえ」
だろうなとバッカスは思う。言わずもがなだった。
「違うと思ったら俺に意見しろ。正しいと思ったらそれを信じろ。とにかく自分の声に従え。周りの言うことは関係ねえ。関係ねえのさ、いつだって」
『……』
「尊いぜぇ。そいつは大事にしろ、バッカス。自分で選んで、自分で決めろ」
『……自分で……』
「俺はそうしてきた。アンドロイドだがな」
難儀な話だ。まだ結論は出そうにもない。だがウィンチ=ディーゼルというアンドロイドも、どうやらその道を辿ってきたらしい。
バッカスは苦笑したい。機械の体でも苦笑は出来るが、それはプログラムの問題だ。人の体で苦笑してやりたかった。おかしさでどうにかなってしまいそうだった。
なるほど自分が立たされているのは、こうなるか否か──機械でありながら人間としての在り方をとったウィンチのようになるかどうかの、分岐点というわけだ。言われたことだけやってろと言われ、そして実際にその通りにしてきて、ここにきて好きなようにやれときた。
傑作だ。なんと身勝手な。そいつはなんとも──結構なことだ。
『……了解でありマス、上司サマ』
「ウィンチだ。ミスター・ウィンチと呼べ」
バッカスは頭を切り替える。なに、急ぐことはない。国民の休日まで半日はある。難儀な命題だがデスマーチはお手の物だろう。ウィンチの影を踏むように彼は歩を進めた。
『ミスター・ウィンチ』
「なんだよ。またエクセレントな質問か?」
『何故そこまでこだわるのデス?』
バッカスは問うてやった。
『七人もの職員が死亡しマシた。別働隊を含めれば延べ十二名。これで済むわけがないでありマス。そうまでして何を追うのデス? ただ粒子管が欲しいだけじゃないでショウ』
「……」
『ひとまず一歩目だ。あなたに意見しよう。人をこき使うのなら仕事の中身ぐらいは教えて頂きたいでありマス』
一歩目にしてはキレがいい。それに正論だ。ウィンチは苦笑する。
「……エクセレントすぎるのも考えモンだな。いいぜ、教えてやる。俺たちが追ってるのは諸悪の根源さ。なに、言っちまえばただのギターだ」
『ギター?』
ウィンチは肩をすくめた。面白おかしくて仕方がないという風に、舞台俳優ばりのオーバーリアクションで。
「マキネシアを灰に変えた悪魔だよ」
それはそれは実際に、なんともおかしな話なのだ。
◆
時は夕刻三時に差し掛かる。されどマキネシアの陽はまだ沈まない。ジーナもまだ帰らない。もちろん煙草も届かない。最悪だ、いっそ定期販売に登録しておけばよかった……アイヴィーはお決まりとなった後悔と共にソファの下をまさぐる。
別に彼女はウィンチのように新・禁酒法の為に生まれた機械というわけではないが、煙草は彼女にとって燃料だ。切れればおしまいなのだ。
「あぁあぁあぁ……」
なんだか落ち着かない。心が忙しない。何をやっても手につかない。肋骨の内側が火事になっている。吸いたいという欲求だけが煙のようにこみ上げてくるのだ。言うまでもなく中毒だった。
「あったぁーっ!」
ソファの下から手付かずの煙草を一本引きずり出し、アイヴィーは揚々としてターボ・ライターで火をつける。恍惚の表情で煙を二、三度吐き出し、それからようやくパソコンの前へと居直った。
ぴぽ、とパソコンが返事をする。ウィルスの出所が知れたようだ。おまけに相手の口座まで丸裸ときた。まだ手は出さない。その気になれば全額奪えないこともないが、なにせ相手はZACTだ。慎重すぎるほどでちょうどいい。
「はん。見てろこの野郎、丸裸にしてやる。アイヴィー様を舐めてっとどうなるか……」
画面に数字の羅列が表示される。電子マネーの入出金履歴だ。
口座名義はウィンチ=ディーゼル。役職はZACT第三分社嗜好品取締執行官。なんともZACTらしく詳細情報はなし。垂れた目元がロードショーのコメディアンを思わせる。
なんだ、こんな軽薄そうな奴にしてやられたというのか。アイヴィーの苛々がまたぶり返す。廃品電話でシュティードにコールするが返事はない。どこかをほっつき歩いているか、くたばっているかのどっちかだろう。
「……楽でいいけどね」
つい、とアイヴィーは目を下げる。四〇〇万、二〇〇万、一五〇万、七〇万……画面のスクロールと共に流れていく入出金履歴に目を通し、ふとアイヴィーは手を止めた。
「んん?」
入金元は大体二つに絞られている。一つはZACT、もう一つは誰ともつかぬ輩の口座。給料と賄賂と言ったところか。
まあ、誰だろうがそこはいい。問題は送金先だ。入金された金額のほとんどが、たった一つの口座に丸ごと送られていた。只ごとではない。四〇〇万だの、二〇〇万だの、親元への仕送りにしては行き過ぎている。
味気ない水色で記されていたのは、キーラ=ヒングリーなる人物の名前。
「んんー?」
聞き覚えのある名だ。女だろうか。アイヴィーはニコチンで死滅寸前の脳細胞を働かせる。キーラ。キーラだ。たしか、そう、ZACTの職員ではなかったか。
はて。死滅寸前の脳細胞に間違いがなければ、確かこいつはとうの昔に──
「……はぁん。男ってのは馬鹿な生き物だなぁ」
囮捜査官、ウィンチ=ディーゼルの目的にあたりをつけるアイヴィー。そののち彼女は小さく笑って吸殻を灰皿へと捻じ込んだ。
「だから愛してやれるんだけど」
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