Rewind the time #7 -too young to...-




 汝ら、この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ──偉人の叙事詩にそうある。

 シュティードは、たかだか門の一つをくぐるぐらいのことで、いちいち持っているものを捨てたりはしない。預けるのもごめんだ。つまり、飛行機の搭乗ゲートはくぐれない。門をくぐる時に捨てるのは二日酔いを恐れる心だけだ。

 今日に限っては、そもそも捨てる必要がなかった。酒場に行くのに家から氷とアイスペールを持参する奴はそういない。

 要するに、希望の一切とやらは扉の向こうに用意されていたのだ。

「……タンゴでも踊るつもりか」

 人種と世代のサラダボウルを目にして、シュティードはそう漏らした。

 酒場〝ジュリアス・バッド・アス〟の仄暗いホールはまさに鮨詰すしづめ状態であった。右も左も人影でごった返していて、入り口からではステージの様子がちっともうかがえない。人の畑を掻き分けるようにして、やっとのことで進んでゆく。

 シュティードは、ひしめく来訪者達をざっと見渡した。

 中年層から老人が六割。一割は町の子供。残りの三割はまだ若々しい顔つきの青年達だが、ブラストゲートの住人ではあるまい。メイが他所から呼んだのだろう。

 およそ半数は近代的な私服で、残りの半分はコルセットだの真鍮だの革のベルトだの、蝶の飾りにシルクだの、とにかく悪趣味な──そういう時代が過ぎたからこそこう形容できる──空想近未来風。

 そのちぐはぐな様相はつまり、オーディエンスの半分が市街からやってきたことを意味している。飲み慣れぬ酒の味を占めたか、カウンターでになっている連中がいい例だ。

 大人と子供。過去と未来。時の流れがこの空間にかき集められている。

【……凄い数だな】シドの声が音の壁に埋もれた。【キャパを超えてる】

 この人いきれと騒音の中では、カクテルパーティー効果も頼りない。カウンターの向こうでは店主のジュリアスも大忙しだ。ビール、バーボン、ノン・アルコール、ビール、ビール、またビール……サーバーの勢いが追いついていない。

「……」

 シュティードは耳を凝らした。この町で過ごした月日の中、あれほど疎まれていたロックンロールという言葉が、あちらそちらからちらほらと聞こえる。

 ステージに鎮座しているマーシャル・アンプとキャビネット。ありあわせの鋼鉄で組まれたドラムスに、古びたのモニター、マイクスタンド。懐かしいつくりのダイナミック・マイクから伸びたケーブルが、暗幕の裏のコンソールに繋がっている。

 誰も──誰もそれを咎めない。顔をしかめたりしない。

 予定より少し押しているのだろうか、ステージは未だサウンド・チェックの途中だ。にも関わらず、次はなにが飛び出るかと語らいを交えながら、みなグラス片手に音を待っている。

 縮れ毛の男がステージに上り、ベース・アンプのサウンドをチェックし始めた。ぼん、とふくよかな輪郭の音が響いて、重い低域が腹の奥を揺らす。

 次はドラムスだ。体格のいい男がスネア・ドラムをチューニングし、金物を鳴らしてみて、軽くワンフレーズを通して叩きはじめる。

 ああ、これだ。次に何が起こるかわからない、この高揚感。

 これこそが、俺たちが待ち望んでいたもの。


 暗幕の袖からシオンが出てきて、ぎこちない動きでアンプの前に直立する。サウンド・チェックのはじまりだ。

 緊張に飲まれた彼の容態は、おおむねシュティードの予想通りだった。顔面蒼白、膝はがたがたで、トーン・ノブを回す指がおぼつかない。シールドをストラップに通すことも忘れているが、それどころではないらしい。

 まさに、ステージの魔物に取りつかれた姿だ。

「やればできる、やらねばできぬ、なにごとも……」

 呪いのように小さな声で、シオンはぶつぶつと繰り返す。なんだか目がうつろだ。

「僕はジミヘン、クラプトン……現代のジョニー・ビー・グッド……万事オッケー絶好調……ににんが三四のいんげん豆……ワチャゴナドゥーでジャンバッハネー……」

 勢いよく回されるアンプのボリューム・ノブ。スピーカーから鋭いハウリング音が響く。耳を塞ぎ、野次を飛ばす観客。慌ててシオンがギターのボリューム・ノブを絞った。

 ノブを回すシオン。ゲインの調整がうまくいかないようだ。なんだか輪郭がぼやけていて、音に芯が感じられない。

【……大丈夫か? あいつ】と、シド。【バンビみたいだぞ】

「ゾンビよりマシだ。あれでいい」

【何事も経験。手厳しいな】

「お前ほどじゃない」

 四苦八苦するシオンを眺めながら、シュティードはぼそりと呟く。

「……俺一人じゃこのステージは拝めなかった」

【……かもしれん】

「お前と会わなきゃ、俺はとっくにやめてたかもしれない。一度しか言わないぜ、シド。俺は……ロジャーにも、あのクソガキにも、Dブロックの未亡人にも、ヘビースモーカーのインテリ女にも、ネジが外れた海賊保安官にも……それから、お前にも……」

【ええい、言うな言うな。気持ち悪い】

 耳がこそばゆくなってきて、貴重な語録を遮るシド。

【その続きは、いつか貴様がステージに立った時に聞いてやる】

「おい、俺は……」

【未来の話だ。それも、仮定の。音楽は逃げない。いつ戻ってきてもいいんだ。音楽は、神様よりも物わかりがいい。ヨリを戻そうと詰め寄ったって文句を言わない】

「それはたちの悪い女と一緒だ」

【美人なら構わん】

 豪語するシド。やっぱり女を見る目がないやつだ。きっと前世も悪い女に引っかかって破滅したに違いない。

【オレ様達の旅はまだ終わっていない。これは、はじまりの一つだ。そうだろう? 死ぬにはまだ早い。ギグを見れば、きっとまたステージに立ちたくなる。そういうものだ。

 オーガストも言っていたろ。遅すぎることなどない。続けてきたことをやめるにしろ、新しいことを始めるにしろ、旅人はいつだってトゥー・ヤングなのさ】

「……」

【だからオレ様は、貴様と旅に出たんだ。出ようと思えたんだ、シュティード】

 ぎょん、とシオンがギターを鳴らす。オーバードライブ気味のサウンドがフロアに響き渡る。リフ・ワークを軽く一つ、二つ……歪みとイコライザを調整。

 やっとのことでサウンドを調整し終えて、シオンはお気に入りのフレーズの一つを奏でた。ユニゾン・チョーキングを交えて展開される、シュティードが教えたものの一つだ。

【ヒュウ】わざとらしく口笛を鳴らすシド。【いいぞいいぞ、かましてやれ】

「……」シュティードの頬が引きつった。「……あのヤロー」

 ふくよかな倍音、マイルドな中域と研ぎ澄まされた高域、それでいてミュート・ピッキングのニュアンスを損なわぬ明瞭な低音。

 やはりシオンの耳は良い。心地よいサウンドを引き出すことに長けている。それは感覚的なものだ。若さは時として、実際に雲を掴んでみせる。

「…………」

 熱を帯びる観客達。音と酒が互いに引き立てあう。指笛と声援。初陣の緊張と興奮が、シオンの表情をよけいに輝かせる。フロアはまるで振られたマラカスのようだ。

 ああ。本当なら俺も、あそこに──

「……はん」自嘲気味に鼻を鳴らすシュティード。「まあ確かに、やられっ放しってのは趣味じゃない」

【だから言ったろ? 今からでも遅くない】

「肝臓次第だな」

 そう言って、彼はカウンターへと歩を進める。肝臓と相談するためだ。なにも遊びに行くわけではない。これは仕方がないことなのだ。実に仕方ない。

 一〇分押しでサウンド・チェックが終わる。早くもカウンター周りはアルコールの香りで一杯だ。価格が安いのをいいことに、どいつもこいつも有り金を湯水のように使うわけである。オーガストの読みは大当たりだった。

 禿頭はげあたまの店主・ジュリアスはせわしなく動き回っていて、喉を休める暇もない。ロジャーの宿の手持ち無沙汰を見た後だと、忙しいぐらいがちょうどいいと思えてくる。

 まずは気つけに一杯──シュティードなりのサウンド・チェックだ。ジュリアスに半券を渡すと、いつものターキー、八年のシングルが差し出される。

「言っとくが」と、睨みを利かせるジュリアス。「俺はロックンロールなんか滅んじまえばいいと思ってる。相変わらずお前の事は嫌いだね」

「金の為か?」

「金の為さ。つまり、巡り巡って町の為だ」

 グラスを掴むシュティード。だがジュリアスは手を離さない。どころか負けじと力を込め、剛健な前腕に青筋を浮かべる。まるで綱引きだ。

 しばらく力の拮抗きっこうが続いたのち、シュティードの右手がグラスを握り砕いた。貴重なターキーが破片と共に落下し、カウンターに水溜りをつくる。

「オーガストいわく」と、シュティード。「根競こんくらべの時代は終わった」

「……」

「奪い合えばこうなる。砂時計をひっくり返したって、こいつは元には戻らない。あんたはどうする。グラスだってただじゃない。それでも続けるか?」

 いや、と破片を片付けながら返して、ジュリアスは新たに酒をぎ直す。

「酒は楽しく……」今度こそグラスが置かれた。「それがウチのモットーだ」

 いいスローガンだ、ぜひとも語って聞かせてやりたい──シュティードはそう思った。たとえば子守唄の代わりなどに。

「エルダー・ジュリー。そういやぁ、結局オーガストの奴は……」

 シュティードはそこで言葉を止めた。割って入った誰かの手が、グラスを引っ掴んでいったものだから。

「身の程知らずにもいい酒だな、歌うたい」

 いつの間に隣に来たのやら、メイ=カルーザはそう言って、横取りしたターキーを一思いに飲み干してしまう。

「おい、殺すぞ。人の酒を勝手に飲むな」

「違約金だ」メイはしれっと言ってのける。「安く済んだと思え。この嘘つきめ」

 言葉こそ冗談まじりだが、メイの目元に穏やかさはない。そら見たことかとシドが目をひしゃげた。

「嘘つき? 譜面のことか? クソガキから受け取っただろ?」

「トレバーがな。ついさっきだよ。子供に預けたなら最初からそう言え。おかげで余計な時間を使った」

「代えはない、あれ一組だけだ。後で返せと伝えておけよ」

「そんな話をしにきたんじゃない」

 テーブルに尻を乗せたまま、シュティードの耳元で呟くメイ。

「話が違うぞ、歌うたい。ステージに立つのは君だったはずだ」

「ロックンロールを聴かせるとは言ったが、俺が出るとは一言も言ってないぜ」

「駄目だ。君が歌え。私は君と契約したんだ」

「誰でもいいんだろ? お前はそう言った。つまりお互いの認識に齟齬そごがあったってことだ。違うか?」

「屁理屈だ、そんなもの」

「ちょっとは俺の耳を信用しろ」

「信用の問題じゃない。いや、信用の問題だが……なんだ、あれは。下の毛も生えてないような子供じゃないか。いくらなんでも若すぎる」

「だから選んだ」ステージを指すシュティード。「見てろ」

 ドラムスのフォー・カウント。ベースとギターが同時に入る。シオンの初陣ういじん──その前フリが始まった。

 緊張で指が震えているのが見える。それを補おうと前のめりになる。棒立ちなのは恥ずかしいし、かといってどこまで振り切っていいかも分からないし……。

 少年の初陣は勢い任せの演奏だった。パフォーマンスも何をしていいやらよくわからなくて、頭を振ってみたり、体をくねらせてみたり、しまいには肩足立ちで膝を曲げて、けんけんしながらリフを弾いてみたり。

「正気か」と、メイ。「鴨の踊りだ。確かに音はいいが、それはギターの問題であって、あの子供の腕がどうかとは……」

 歌声が喧騒を劈き、メイの言葉を遮る。ダイナミック・マイクを通じて演奏を引っ張ってゆくのは、幼く、とげもないシオンの声だ。

 場数を重ねたブルース・シンガーの声が鈍器なら、雛鳥の断末魔を思わせる少年の叫び声は剃刀かみそりだ。〝砂漠の星〟を歌う時とは打って変わって、目の粗いやすりが喉にかかっているみたいに聞こえる。

 未熟と言っていい。だが、懸命に歌い上げる様は魂を磨り減らしているようにも見え、それが曲のグルーヴを強引に作り上げている。

 余裕などはどこにもない。だから目を見張るし息を呑む。打ち込んできた情熱の全てが、シオンのステージに可能性の光を注いでいるのだ。そういう、紙一重のスリリングな演奏というものは──やはり、シュティードでは表しきれぬ表情だった。

 Bセクションで音出しは打ち止めだ。後は本番を待つのみ。ボリュームを落とし、シールドを引っこ抜き、暗幕の向こうへと消えるシオン。汗で前髪が額に張り付いている。

「あいつは伸びるぜ」喝采の中、シュティードは呟いた。「賭けてもいい」

「……」

「あいつはバカだしクソガキだが、だから良いんだ。あの勢いはガキにしか出せない。そして、ロックンロールにはそれが必要だ」

 要するに、と笑うシュティード。

「スクラップに出る幕はないってことさ。俺に出来るのは、ここでターキーを飲みながら、あいつの演奏を見ることだけだ」

 彼女は答えない。言葉をつむぐことを諦めたようにも見えた。ただじっとシュティードの瞳を覗きこむだけだ。もちろんシュティードも彼女の目を覗く。折れた方が負けだし、揚げ足を取られてもおしまいだ。

 ジュリアスが蛇口を捻るのと同時、ぱ、とメイが顔を離した。根競べはシュティードの勝ちだ。この割り切りの良さが彼女の利口さでもあるのだろう。勝ち目の薄い勝負には手を出さないタイプらしい。

「それもそうか。いや、いい。言葉のあやを取られた私の落ち度だ」

「なんだ。もっと粘るかと思ったぜ」

「言っても聞きそうにないからな。不服だが、全ては結果だ。だろう? 君が手塩にかけたと言うなら、あそこに立っているのは君の未来同然だ。君がそう言うならそれで構わないし、そうなんだろう」

 ただ──と、鋼鉄の右腕を抱いて続けるメイ。

「賭けてもいいと言ったな?」

「言ったが」

「博打というのは金持ちの遊びだ。だから、誰も責任を取っちゃくれないぞ」

「構わない。どこまで行けるかを確かめる。俺はその為にここに来た」

「ではそう祈るがいい。願うだけなら、タダだからな」

 言うだけ言って、メイは人ごみの奥に消える。空っぽのグラスと、いやに甘ったるい葉巻はまきの香りだけが残された。香水にしては趣味が悪い。

【クレイジー・ジョー・フリークか】と、シド。【鼻持ちならん女だ】

「ああいうのがタイプなんだろ、お前は」

 口ではそう茶化してみるが、シュティードだって不満がないわけじゃない。グラスが空く早さが物語っている。

 ビジネスライクな付き合いというものは、極力自分の人生に持ち込みたくないものだ。こと、音楽をやる上では。他人にお膳立てされた舞台に乗るというのは、それこそ彼の趣味ではない。お互いにとって、この辺りが落としどころなのだろう。

「覚えてるか、前に言った……」

【暴動に興味がない、まともなファンなら生き残ってるかも……か?】

「だからって奴がまともだとは言わねえが」

 三杯目はまだ頼まない。今度は煙草の時間だ。アーク・ロイヤルの煙を天井へと吐き出し、シーリング・ファンの残像を眺めるシュティード。

「自分の音楽を聞いてた奴が、新・禁酒法に喧嘩を売ろうとしてるだなんて……あの世のクレイジー・ジョーが知ったら、どんなツラになっちまうんだろうな」

【知ったことか】目を伏せ、シドは失笑した。【死人に口なし。顔もなし、さ】

「お前も少しは口数を減らすべきだ」

【男が上がってしょうがないな】

「これだよ……」




  ◇




 オーガストの仏頂面に休みはない。オフの日だろうが激務だろうが、彫像から取って貼り付けたようないかめしい顔は、滅多に目元を緩めないのだ。メリー・ウィドウ級の美人でもいれば、また話は違ったかもしれないが。

 スヘッツコーツの砂ばんだアスファルトを踏みながら、その自由なるジャズ・マン……すなわちオーガストは、炭酸水キニーネの瓶を片手にぶらりしゃらりと大通りを往く。そうして辿り着いた街灯の一つが、彼の今日のステージだ。

 オフの日はなにもしない。そう決めている。街灯の真下に投げ銭用のケースを広げ、ストラップを首から提げたら、人生唯一の相棒であるBbビー・フラットのトランペットでもって、ニュー・オリンズ由来の踊れるジャズをとどろかせるだけである。

 オーガストにとって、それは何かをしたうちには入らない。呼吸と同じことだ。

「……」

 ウッドベースとドラムス、それからバンジョーとクラリネットの音色……その響きを自分の演奏の背後に思い起こしながら、オーガストは〝麦畑〟の件を思い出していた。

 路地で奏でるミュージック・マン……彼もまた、シュティードと同じく自らの音楽を信じる者の一人であった。人がいようがいなかろうが、吹き続けることに変わりはない。

 年季で言えばオーガストは、二十七歳を自称するシュティードよりはずっと長くストリートでの演奏を続けている。挫折も苦悩も甘いも酸いも極めた人間だ。それだけに、楽器は違えど彼のスタンスを否定はしない。もちろん肯定もしない。あるがままにあればいい……彼の人生にとって全てはそういうものだった。音楽の成り行きさえもだ。

 だが、町だけは違う。

 Bブロックに流れ着いた時から、遡ればそれよりずっと前から、彼の音楽はストリートと共にあった。彼の音楽のルーツもそういうものだ。道往く人々を振り向かせ、暮らしの一部に食い込むことこそ彼の目指すところである。

 町がなくなれば自分のこれまでが消えてしまう。それはあかりが丸きり消えてしまった、常闇とこやみの夜とおんなじだ。自分の音楽は、陽の光と人々があってこそ生きてゆく。生きてゆける。自分が、そして、自分が続けてきた音楽は、そこでしか生きてゆけない。

 時の流れの中で、どれだけ自分の音楽が霞んでしまおうと構わない。その時は今より一際強く吹いてみせる。だが、町だけは。この町だけは……。

「……ちっ」

 オーガストは唐突に口を離す。やめだ。今日はどうにも音がにごっていやがる。音が一つの波であるなら、人の気持ちもまた波だ。陰鬱な気分の時には、音の方もそういう波に寄り添ってしまう。

 トランペットをケースに仕舞い込み、重い足取りで再び歩き出す。

 午後九時。そろそろギグが終わる頃だ。歌うたいは上手くやっただろうか。出番はたしか最後だったはずだ。今から急げば間に合うか……。

 ……いや、それもやめだ。どうせ店は騒がしいだろうし、とち狂ってセッションをしていないとも限らない。そもそも酒が余っているかどうかも曖昧だ。

 薄暗い十字路の角、ふとオーガストは足を止めた。街灯の下に誰かがいる。

 女。女だ。掃き溜めの夜を恐れぬ蒙昧もうまいさもることながら、この砂漠でコートとはどういう了見だ。

「ああ、そうだ。終わるまで誰も出すな。ああ。ああ、そうだよ。お前も出るな。なに? トイレが足りない? ゼファー、お前はそこに便所を増設しにきたのか? 酒瓶にでもしておけ」

 廃品電話ジャンク・フォンではない。時計だ。時計に向かって喋っていやがる。あれはなんだったか、市街の最新デバイス、ジー・ウォッチだ……水色の光がやけに眩しい。

 はて、市街上がりであろうか。それにしてはとんでもない口の汚さだ。いや待て、よくよく見ればあの女、ギグのビラを配りに来た──メイ=カルーザではないか。

「一人残らずだぞ」メイは続ける。「北はあらかた片付けた。残りはそう多く……」

「おい、あんた」

 たまらずオーガストが声をかける。気の迷いだ。気まぐれがてらに一杯引っ掛けて、あわよくば……そのぐらいのつもりだった。

 なぜって、オーガストもまた男だからである。

「……」オーガストの方を一瞥するメイ。「……少し待て」

 歩み寄るオーガスト。ははあ、この女、よくよく見れば中々の美人である。顔半分は機械だし、残った半分の顔も鉄仮面みたいに冷徹だが、それがまたどうにもミステリアスだ。早い話、オーガストのタイプだった。

 女。まさしくこれが鉄壁の男オーガストの、唯一の弱点である。

「なにか?」

 メイはにこりとも笑わない。それもまたよし。オーガストはこの程度では動じない。普段の寡黙さからは想像もつかぬフランクさで声をかける。

「あんたあれだろう、ビラを配りに来た。その節は世話になったな。ギグはどうした? もうオープンしてるぞ。行かないのか?」

「趣味じゃないんだ」

「そうかい。俺もギターの音ってのはどうも苦手さ。だから今日はオフだ。どうだ、暇ならどこかで一杯……そう、ジャズが流れるいい店が──」

 がいん。火花と硝煙。アスファルトに血がしたたった。

 オーガストはそれを目で追ってみて、出所が自分のはらわたであることに気付く。痛みはそれからやってきた。

「お……」目を見開くオーガスト。「おい、おい……いくら、なんでも……断り方ってもんが、ある……だ……」

 腹部を押さえ、オーガストは崩れ伏す。見下ろすメイの右手から煙。銃だ。それも内臓式。口径はそう大きくないが──だめだ。当たり所が悪すぎた。

 どこをやられた。大腸か。それとも肝臓? そいつは最悪だ。酒が飲めなくなっちまう。股間をブチ抜かれなかっただけマシってもの……言ってる場合か!

 回る。回る。オーガストの脳味噌がぐるぐると回る。なんだ、この女。そもそもなんで撃ちやがったんだ。ナンパしたからか? こいつの故郷じゃイタリア人は皆殺しか? 

 ちくしょうめ。やっぱり美人のケツなんか追いかけるもんじゃない。

「すまない」

 さらりと言ってのけるメイ。今更謝られたってどうしろというんだ。肩がぶつかったのとはわけが違う。

「言い方が悪かったな。音楽自体、趣味じゃないんだ」

「…………」

 ああ。

 ああ、そうか。ことか。

 やられた。オーガストは精一杯苦笑してやる。

「……よく……知ってたな……俺の中に、ジャズが流れてるって……」

「ほう。それがジャズの色か。覚えておこう。だから、もう少し見せてくれ」

 メイはそう言って、うつ伏せのオーガストの腹に銃口を押し当てる。

 くそ。ちくしょうが。奴の言った通りだ。自分の畑の土だけ踏んでりゃ良かったんだ。救おうと、救えると──救われると、思っちまったばっかりに。

 おしまいだ。俺も、この町も。

「……あんたは……」

 ごぼ、と排水溝みたいな音をたてて、オーガストの喉から血が逆流する。

「セッションには、向かねぇな……」

「何故?」

「覚える時間なんてねえ。ジャズは……いきなりやって来て、一発本番だぜ……」

「そうか」メイは吐き捨てた。「なら死ぬこととはジャズなんだな」

 一発。二発。三発目まで容赦なく撃ちこむ。火薬の香りと血の湖。尻尾を逆立てた鋼鉄の野良猫が、銃声のたびにおどおどと身をすくめた。

 オーガストが動かなくなったのを確認したのち、メイは気だるげに立ち上がり、ジー・ウォッチへ短く語りかけた。

「ショウ・ダウンだ。星まで吹っ飛ばせ」

 去り往く女。オーガストはそのケツを眺める。こんな形で眺めたかったわけじゃない。

 息遣いが揺れる。BPMテンポが定まらない。こんなリズム、本番でやったら退場ものだ。

「……才能のなさに……感謝する日が、来るとは……」

 力なくまさぐるは懐。手から滑り落ちる廃品電話。血まみれの右手でボタンをプッシュ。グルーヴの欠片もないクソみたいなコール音を耳に、ごろりと仰向けに。

 頭上に暗天。死ぬか。ここで終わりか。それもいいだろう。死ぬのが俺だけならば。

 あぁオイ、歌うたい。こいつは本当に──葬式をやる事になっちまうかもな。

 俺のか、あんたのか、それとも両方かは知らないが。




   ◇



 

 四回、五回、六回……奏者が入れ替わり立ち替わりステージへと上り、そのたびシュティードのツケがたまってゆく。聴衆たちは体を揺らし、酒をあおり、合間には薀蓄うんちくなどを語り合いながら、フロアを包むグルーヴに身を任せた。

 ターキーのボトルが一つ空く頃にはギグも大詰めで、あとはシオンの演奏を残すのみとなった。カウンターのレジスターからはネーヴル紙幣がはみ出ていて、これ以上は詰め込めそうにない。

 紙幣のいくつかは、多忙な店主ジュリアスに向けて奢られた分だ。働きながらタダ酒が飲める、おまけに店も儲かるとあっては、今日の店番を担当しなかったオーガストも、さぞや地団太を踏むであろう。

「どうしよう!」

 ぱたぱたと軽い足音を立てて、暗幕の裏からシオンが駆けてきた。落ち着かない様子で視線を右へ左へ、爪先もこつこつと床を打ち……高鳴る心臓の音が、シュティードの耳にまで届きそうである。

「どうしよう、どうしよう! ねえ、どうしよう! もう次だよ……。うまくできるかな。ピックを落としたらどうしよう。弦がいっぺんに全部切れちゃったら……」

「そんなことがほいほいあってたまるか」

 シュティードは素っ気無く答える。

「もう逃げられないぞ。男ならいさぎよく腹をくくれ」

「簡単に言わないでよ!」

「なら首でもくくるか?」

「なぁー! ほんっとおじさんと話してると調子狂う!」

 しゅしゅしゅ、とシオンが右フックを繰り出す。シュティードは上体だけでそれを避ける。本番前の肩ならしだ。こうしておけば体も少しは柔らかくなるだろう。

 右ストレートを受け止めて、「なにが怖い?」とシュティードは問うた。

「ミスすることか? それとも機材のトラブル?」

「……違うよ」シオンが細い腕を下ろす。「演奏すること自体が……」

 シオンは柔らかなてのひらをさらす。五指の先端が小刻みに震えていた。

「怖いんだ。足ががくがくして、手も震えて……喉もうまく動かないし……。魂だけが、お空の彼方に飛んでっちゃったみたいで……」

 鋼に毛が生えたような心臓を持つシュティードは、生まれてこのかた緊張という奴をまともに味わったことがない。遠い昔に置いてきた小さな感覚だ。だから、シオンの話を聞きながら、そいつをゆっくりと呼び起こしてみる。

「すぐに慣れる」

 その結果がこの一言だ。アドバイザーやカウンセラーには向いていない。

「酒と一緒だ。一度飲んだら、後は酔っ払うだけ……そこからは流れに任せればいい」

 呆れ返るシド。今に始まったことではないけれど、シオンもつんと口を尖らせる。

「もっとまともなのないの……? なにか、アドバイスとか、緊張しない方法とか……」

「強いて言うなら……」

 アルコールでグズついてきた脳味噌を、シュティードは精一杯ひねった。シオンが相手だからそうしてやれた。

「……集中することだ」

「それは当たり前じゃん」

「その当たり前が一番難しいんだよ」

 これにはシドも納得したのか、うんうんとケースごと頷いた。

「ギグが始まる前にはそういう空気がある。こればっかりは、自分でそこに立たなきゃわからない」

「空気……」

「それに没入する。演奏に関わる音以外はシャットアウトするんだ。酔っ払いが叫んでようが、カウンターでグラスが割れようがな」

「つまり」と、シオン。「めちゃくちゃ集中すればいいの?」

「さぁ。俺がそうしてるだけだ。上がり症なら下手に気にしない方がいい。しくじってもいいんだ。一度雰囲気に飲まれたら、出てくる音まで臆病になる」

 だから、とシュティード。

「ミスを恐れるな。死ぬ気でやるのさ。ロックンロールに死んでやる、ぐらいの勢いで。最初の内は、そういう勢いに乗っかった方がやりやすい。戦場のピアニストじゃないんだぜ。たかだか一音外したところで誰が死ぬわけでもない」

「……慣れたらコントロール出来るの? その、勢いってやつを……」

「いいや。駄目な時は駄目さ。時の流れと同じだ。だが、たとえコンディションが最悪だろうと、演奏からは逃げられない。どうせ逃げられないなら、思いっきりやればいい」

 ふ、とシオンは前髪を吹き上げた。シュティードがよくやる仕草だ。

「結局、人それぞれってことか……。おじさん、いっつもそれだよね」

「言ったろ。百人いれば百通りの演奏がある。ステージに臨む時の心構えもそうだ。だから、お前はお前のやり方でやれ。それが誰かの真似でもいい。だんだん分かってくる」

 よそはよそ、うちはうち──聞く耳持たずの英才教育だ。シオンもそれを理解しているものだから、彼の言葉は話半分に聞いておく。それでも律儀に守ってしまうのが、シオンという少年だが。

「おじさんも、誰かの真似から始めたの?」

「そうだ。何もかも真似事から始めた。俺の脳味噌なんてほとんどが人の受け売りみたいなモンだし……今でもそこを抜け出せてる気はしない」

 だが、とシオンを指すシュティード。

「お前はきっと誰かになれる」

「……なるもなにも」シオンは小首を傾げた。「僕は僕だよ」

「だろうな。だから言ったのさ」

 だからの意味もわからぬまま、シオンは曖昧に頷く。

「じゃあ僕は、おじさんの真似から始めることにするよ」

「別に真似しろってわけじゃあ……」

「ううん。いいんだ。今の僕には、それが合ってると思うから」

 指先の震えは止まらない。けれど、きっと止めてはいけないものだと少年は思う。少なくとも今は。飛び込んだ者にしか味わえない、生きてる証というやつなのだ。

 ぎゅっと拳を握って、シオンは顔を上げた。

「ありがとう、おじさん、シド」

「てめえ、何を勝手に終わった気分になってやがるんだ。そういうのは後にしろ」

「真面目に言ってるんだよ、僕は」

 喧騒が二人の意識を取り巻き、真ん中に大きな穴を空けたまま通り過ぎてゆく。そこに、シオンの言葉がすっぽりとはまった。

「わかってるよ、おじさん。時々厳しいことも言うし、口は汚いし、頭は悪いし、酒浸りのろくでなしだし、滅茶苦茶なことやったりするけど……それって、僕が真面目にギターをやるようにそうしてるんだよね。反面教師ってヤツでしょ」

【……んん?】一つ眼を吊り上げるシド。【そう……そうなのか……?】

「いや……」シュティードが頭を押さえる。「そういうつもりは……」

「またまたぁ。誤魔化さなくてもいいよ。僕はわかってるから」

「あのな、お前……」

「わかってるよ。安心して、おじさん!」

 少年はしたり顔だった。あんまり満足げに笑うものだから、シュティードは是正するのも馬鹿らしくなって、酒で言葉を流し込む。

 おじさんは、とシオンは続けた。

「僕にギターを教えてくれた。おじさんと出会わなかったら、きっとコントラバスもやめちゃって、今ごろ僕にはなんにもなくなってたと思うから」

「……はん」

 なんだか奥歯がぎくしゃくしてきて、シュティードは氷を噛み砕いた。

 なんにもなくなってたのはこっちの方だ。出会わなかったら、今頃は……。

「だから、ありがとう」

「なってねえぜ、マニッシュ・ボーイ」

 誤魔化すようにはにかんで、シュティードは左手を差し出した。

「握手は左からだ。かましてこい」







 じろりん、じろりん、じろじろりん。ちょうどシオンがステージに上る頃、その一報はジュリアス・バッド・アスの喧騒の中に小さく響いた。

 それはきっと、風の便りみたいなものだったんだろう。

「電話鳴ってっぞ」カウンターへ投げかけるシュティード。「奥さんかも」

「十四年も前に離婚した!」酒を注ぎながらジュリアスが叫ぶ。「代わりに出ろ!」

「美女からかも」

「そん時はすぐ俺に代われ!」

娼館しょうかんって線もある」

「それも代われ!」

「奥さんだったら?」

「くたばれと伝えろ!」

「わかった」と、電話に手を伸ばすシュティード。「ヨリを戻そうって伝えとく」

「やめろバカ! わかった、わかったよ、出ればいいんだろ!」

 ヤケ気味に板氷を砕いて、難儀なジュリアスが受話器を取る。

「酒は楽しく、それがモットー。ジュリアス・バッド・アスにお電話……」

 ぐにゃ、とジュリアスの眉が歪んだ。

「オーガスト? なんだ? 今日はオフだろ。安心しろ、酒は飛ぶように売れてるぜ。ほんとに羽が生えてるみてえだ。価格こそアレだが、数は……」

 オーガストの名が出た瞬間、シュティードの右眉が吊りあがる。やっぱり混ぜてくれという話だろうか。奴に限ってそれはないか。あれでも気にかけていたのだろうか?

「……無茶言うなよ、今更。お前だって同意しただろ。往生際が悪い。ざっと一二〇人は入っちまってる。今からなんて……おい、声がちいせえよ。もっとはっきり……」

 積み上げられていく空のグラス。そうこうする間にシオンがサウンド・チェックを追え、大きく息を吸って目をつぶり、精神を集中させる態勢に入った。

 客席の騒がしさもピークである。なにせ最後の演目だから、ここまで酒と共に聴いたとあっては、自然とおかわりの要求も増えるというものだ。

 回ってくるグラス、終わらぬ電話。受話器にじっと耳を押しつけたジュリアスは、なんだか焦っているような、苛立っているような表情だ。

「オーガストか?」

 見かねて問いかけるシュティード。押しつけ気味に受話器が渡される。

「そうだよ。やっぱり客を叩き出せって」

「あの野郎」

「どうにもナイーヴらしいぜ。声が小さくて聴き取れねえ」

「奥さんじゃなくて良かったな」

「てめぇ、次からツケは利かねえと思えよ!」

 じきシオンのステージだ。もう一分もない。泣き言をさっさと終わらせるべく受話器に耳を押し当て、シュティードはいつもの軽口を叩いた。

「ジャズに誓ったんじゃないのか、オーガスト。往生際が悪いぜ」

 二秒。

「オーガスト?」

 五秒。

 いつもの返事がない。

 いや、何事かを呟いてはいるが、やけに声が細い。こいつは一体どうしたことだ。これでは死にかけの蝿ではないか。

「おい。オーガスト。用がないなら切るぞ。トリが始まる」

『出ろ……』掠れた声がした。『出ろ、歌うたい……』

「出たら見に来るのか? よく聞けオーガスト。俺はこのギグには……」

『そうじゃない……店から出ろ……!』

「なに?」

 切羽詰まった様子だ。いつもの余裕がどこにもない。

 まさか。

 まさかこいつは、悪い報せか?

『罠だ』

 さ、とシュティードの頭の中が無音室になった。

 罠。罠だと。罠ってなんだ。縄と間違えたのか。首でも吊るつもりか。

 こいつは、ああ、こいつは、まさか。嘘だろ。そんな。そんなことって。

『ジャズはな……笑って、見送るんだ……本当なんだぜ……』

 乱回転する名もなきゼンマイ。シュティードの脳味噌をシネマがめぐる。

 罠。誰だ。メイか。何の為に。麦畑の件か。町を狙ったか。なら何故市街や他の町から人を集めた。わざわざロックンロールなんかを餌に。

 待て。ロックンロールだと。そいつを餌に使う理由があったのか。老人ばかりの町で若者をかき集めて何になる。そんなことをすれば未来もへったくれもない。この町だって、ロックンロールだって。

 未来を潰すのか。ロックンロールが狙いか。それとも酒か。粒子管か。シドか。俺か。それら全部か。だとしたらなんだ。だとしたら誰だ。可能性の欠片も残さずロックンロールを消し去り、酒の流通すら意のままにするつもりか。だとしたら誰だ。得するのは誰だ。一番得するのは、やぶをつついて出てくるのは──────






 ──────ZACTけいさつだ。






「エルダー・ジュリー!」あらん限りの声で叫ぶシュティード。「客をたたき出せ!」

「はぁん? 馬鹿言うな、もう始まるぜ!」

 落ちる照明と受話器。フロアを包む静寂。固唾を呑む聴衆を掻き分け、シュティードは一目散にステージへと泳いだ。

「どけ! そこをどけ! 邪魔だ!」

【……シュティード?】

 おいバカ、なんだこいつは、うるせえよ、台無しだ──そんな野次が上がる。始まりを目前に静まり返った酒場の中、シュティードの足音だけが乱暴に響いた。

【おい、シュティード。どうした。飲みすぎか?】

 カウンターに取り残されたシド。シュティードはなおもステージへと向かう。シオンはまるで気付いちゃいない。いい集中力だ。畜生、どうしてこんな時にまで。

 駄目だ。間に合わない。どう来る? 奴らはどう出る? 銃器で蜂の巣にするか。それともアンドロイドに任せるか。

 いや、どれも手間だ。自分がZACTだったなら、建物ごと吹き飛ばすに違いない。それこそ星の彼方まで。蜂の巣にするにしてもその後だ。

 観客に服を引っ張られながら、シュティードは辺りに目を凝らす。どこだ。どこかにあるはずだ。丸ごと吹き飛ばすなら粒子爆弾か。火薬の線も……いや! 奴らなら粒子爆弾だ。そうに決まっている。自分もそうしてきたんだから。

 照明。違う。客席。ない。カウンター。そこにもない。天井。これもはずれ。どこだ。隠すならどこだ。隠すなら。誰も触らない場所で、誰にも見つからず……。

 誰にも? 違う! 内部に誰かがいるハズだ! でなきゃここまで誰も気付かないなんて話があるものか。

 出演者の中の誰か。ということは機材の中だ! 全てのサウンド・チェックが終わった後で仕掛けられて、本番中には誰も熱心に確認しないような部分!

「どこだ……! どこだ! どこだッッ」

 アンプではない。弦の奏者が変わるたびに触れる。リスキーだ。コンソールも必ず触れる。マイクなど論外も論外。ならスピーカー。もしくはやはり照明の裏──

「──あ」

 中央に鎮座するバス・ドラムの中、詰められた布の影、その上部。ソケットほどの大きさのなにか。見える。シュティードには見える。酔っ払いの老眼どもには見えていない。

 細く、青く点滅する──粒子爆弾特有のイザクトリ偏光。側面に音感センサー。車両に積載されるものを小型化したもので、特定の周波数の音が閾値いきちを越えると炸裂するように出来ている。

 ああ、畜生。シオンの時だけリハがやけに長かったのは、ギターの波形を周波数分析器スペクトルアナライザに記録させるためか。なんて、なんてくだらない。

「離れろシオン!」

 静寂に怒号。少年は答えない。瞳を閉じて顔を伏せている。呼びかけても無駄だ。彼の意識はギグの先にある。とびきりイカしたパフォーマンスをやってのけるに違いない。

 このギグに、先があったなら。

「そこを降りろ! ステージを降りろッッッ!」

 かしのスティックで打ち鳴らされるフォー・カウント。シオンの耳にシュティードの声は届いちゃいない。当たり前だ。他ならぬ自分がそう教えた。

 輝きは青から赤へ。シオンが目を見開き、息を吸い込み、勢いよく手元のボリューム・ノブを回す。一拍目の表にシンバルとバスドラムが──よせ、よせ! よせ!

「シ────」

 炸裂のオープンE。閃光は瞬く間にステージを飲んだ。




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