Rewind the time #8 -雨に歌えど-




 始まりが終わり、終わりが始まる。どちらも唐突だった。

 酒場の暗闇を照らし、水色の粒子をまとって弾ける鋼鉄。機材の残骸が手榴弾のごとく散らばる。壁が崩れ、ストロボが飛散し、煙と炎が酒場を包み、天井は折れたウエハースみたいに崩れ落ち、そして──そしてシオンは真っ赤に染まり。

「シオンッッッッ!」

 最前列の観客は即死だ。もつれ合い、押しのけ合い、我が身我が身と誰もが一番に出口を目指す。

 狂騒と悲鳴の中、どっと溢れた人ごみにもみくちゃにされながら、シュティードは無我夢中で駆けた。シドも慌てて彼に追いつく。

【何事だ、これは!】

「後にしろ!」

 どばん、と出口が開く音。矢継ぎ早に銃声と叫び声。

【……ZACTけいさつか……! まずいぞシュティード!】

 何事だ。知ったことか。どうだっていい。誰が何人死のうが問題じゃない。だがこいつだけは、こいつだけは、こいつだけは、シオンだけは。

「おいシオン。聞こえるか、聞こえてんだろ! おいコラクソガキ!」

 目玉をひん剥いて歩み寄るなり、シュティードは膝を折るように崩れた。

 黒煙の中、仰向けのシオンは横たわったまま動かない。腸から鋼鉄の先端が顔を覗かせている。即死か。どちらにせよ、どくどくと漏れ出している血液は致死量だ。

 いや、わからない。そんなことはまだわからない。そうであれと願う。てみなければわからない。診てみなければ……。 

【……直撃だ】と、シド。【ギターをかばったんだろう……】

 ギター。ギターだと。ギターをかばっただと。馬鹿かこいつは。

 いや。知ってたはずだ。こいつは馬鹿なんだって。

「……」

 現実味がない。ばつばつと途切れ途切れに、それでいて止むことなく響いてくる銃声。アルコールによって火の手が勢いを増してゆく。やがて、土嚢どのうみたいに転がった死体にも炎が移り、焼き場に似た香ばしい臭いが立ち込めた。

 時たま飛んでくる青白い光弾。粒子銃だ。一人残らず皆殺しか。老人も、青年も、子供さえ。

 なんともZACTらしい──己の古巣らしいやり方だ。

 飛び散る酒瓶の破片。バーボンが床板の継ぎ目を伝う。大鋸屑おがくずの上のギター……シオンが守った無傷のそれに手を伸ばし、シュティードは力なく引き寄せた。

【肝臓が破裂してる。大腿部からの出血もひどい。この歳じゃ三リットルも失えば……】

「言われなくても分かってる……!」

 どうする。どうすればいい。医療の知識は専門外だ。医者はいるのか? いたとしても生き残ってるのか? きっと町の住人は今頃鴨撃かもうちのまとにされてる。そもそも、ここから生きて逃げ出せるのか。

 十二歳だぞ。それが、こんな──こんなところで、こんな形で、おしまいだなんて。

 俺たちはまだ、始まってもいなかったのに。

「う……」シオンの指が小さく揺れた。「お……じさ……」

「シオン……?」

 生きている。生きている! 助かる! まだ望みはある!

 虚実はともかくシュティードはそう言い聞かせた。言い聞かせる他に手立てはない。

 いつだってそうだ。こんな時でさえ。それしか自分を奮い立たせる術を知らなかった。

 ただでさえ白いシオンの肌が、蝋みたいに青白い。額に脂汗あぶらあせ。髪はぐちゃぐちゃ。服も破けていて、頬もすすけていて、おまけにはらわたからは血がだだ漏れで──

 ──まるで、これから死のうって格好じゃないか。

「ごめんね、おじさん……」

 揺れる瞳。青ざめた唇に不似合いな口紅。掠れる声でシオンはぽつりと呟いた。

「僕、おじさんを……騙しちゃった」

「なに……?」

「知ってたんだ……おじさんが、誰だか……」

 か細い手を取るシュティード。ああ、馬鹿か、こいつは。何者でもないと言ったのに。

「でも……でもね……でもね、ぼく……ステージに……」

 少年の瞳が壇上へ逸れた。全壊したマーシャル・アンプには見る影もない。

「ステージに……立ちたかったんだ」

「……黙れ」

「それだけは……ほんとなんだよ……」

「黙れ! 黙れ、黙れ! 黙れバカヤロー! 遺言のつもりか! 説教ならあとでかましてやる。これ以上余計なこと喋りやがったら俺が殺すぞ! いくらジジイの町だからって医者ぐらい……」

「大丈夫だよ……市民権メモリ、には……同期が、とってあるし……」

 シオンは笑う。笑おうとする。だけどなんだか頬が引きつって上手に笑えない。

 歯を食い縛り、シュティードは床板を殴りつけた。

「……違うだろ……」

 シュティードは、シュティードは──もう、どうしていいか分からない。

 同期。パソコンの話か。命の話か。信念まで代わりが利くっていうのか。

 ふざけやがって。そんなわけがあるか。あってたまるか。

「そうじゃあねえだろ……! 命は一個だ、代わりは利かない……。人生は一度で、魂は一つしかねえんだよ……。お前の……お前の代わりなんかいないんだ、どこにも」

「……そっか……じゃあ僕、おしまいなのかな」

 答えない。答えられない。シュティードはただ俯く。

 首を振るのは簡単だ。縦だろうと横だろうと。だが彼自身、少年が生き残るとも、ここで死ぬとも信じられなかった。

 シオンは目をつむる。それから薄目を開けた。大きな瞳が台無しだ。わかっている。もう、うっすらとしか睫毛まつげを動かせないのだ。

「ねえ、おじさん……魂って、なんなんだろう……」

「……」

「なんだったのかな、クレイジー・ジョー……」

 シュティードのまぶたが、とびきり情けなく開いた。

 なんだ。本当に知ってたのか。知ってたのに。知ってたのなら、なんで、こんな。

「なりたかったな……」

 そっとシオンの指先が動き、いつものコードを形取る。

「おじさんみたいに、なりたかったんだ」

「……おい」

 それきりシオンは動かない。目は半開きでステージを眺め、指はE7#9イー・セブンス・シャープ・ナインスの形で固まったままだ。控えめに肩をゆすってみても、間の抜けた顔がぐらぐらと揺れるだけ。

 死んだ。

 あっけなく、簡単に、一瞬で、少年シオンは死んだ。


 なぜ。

 なぜ、ここまできて。ここまできたのに。


「……やめろ」

 膝を折ったまま、わなわなと震える唇で呟いて、シュティードは手を空へ伸ばす。

「持っていくな……俺は……」

 気が触れたのではない。離れた魂をかき集めようとしている。大気中では目に見えぬ、たった二十一グラムぽっちの、薄い薄いイザクト粒子を──人を人となす魂そのものを、マキネシアの空に奪われぬよう、必死で掴み取ろうとしているのだ。

「俺は……」うわごとのようにシュティードは続けた。「そいつと約束したんだ……」

【…………】

「頼む……これ以上、俺に……約束を破らせないでくれ……」

 両手が空を切る。そこにはなにもない。天井に空いた大穴の向こうに、砂漠の星がのぞいているだけだ。

 何を見下ろしていやがる。何が楽しくて見下していやがる。これから帰るんだろう、シオンは、そこへ。もっと輝いてやるとか、なにか……なにか、ないのか。お前に向かって歌った一人の歌うたいの魂を、お前は無言で持っていくのか。

 魂。魂とはなんだ。こんな、こんなにも軽く、目にも見えず、この手にすら掴めない姿なきものを──なんだって、俺たちは躍起になって求めていたんだ。

 死んだらおしまいだ。その先はない。それで、おしまいじゃないか。

「……決めるのは……神じゃないと言ったな、シド……」

【……言った】

「なら、誰が決める」

【……】

「猫が……」

 だらりと両腕を下ろし、シュティードは頭上を見上げた。

「箱の中の猫が生きるか死ぬか……俺が神なら……決められたのか」

 膝元に少年の亡骸。左手に彼の忘れ形見。心臓には──心臓には、大きな穴。

 なんだ。なにを喋ればいい。周りは焼け焦げていく死体だらけで、ジョークなんかかませる状況じゃない。ジョークをかます相手もいない。今は、とてもかませる気がしない。

 祈ればいいのか? それで救われるのか? 誰がどうやって? それならなぜ奪った? どうやったら救われた? それとも、最初から救いなどなかったのか。

 最初から。こんなことなら、最初から……。

「くっだらねぇ」

 銃声が収まる頃になって、ようやっとシュティードは口を開いた。

「……こいつ、馬鹿だぜ。なぁ、そう思うだろ、シド」

【……シュティード】

「はっは!」

 シュティードは笑う。高らかに笑う。砂漠の星への当てつけのように。

 駄目だ。もはやシドに出来ることは、ただ、床板の染みに目をそらすことだけだ。

「ギターを守って死んだだと! 天国で一生馬鹿にされ続けるつもりか! 馬鹿じゃねぇのか! いや、馬鹿だぜこいつは! 傑作だ! 今世紀最大のジョークだよ!」

【…………よせ】

「そりゃあ言ったさ! 言ったぜ! ロックンロールに死んでやるぐらいの覚悟でやれって! 俺がそう教えたんだ! だからって! だからってよ、本当に死んじまう奴があるか! はっはっは! なにも本当に死ぬこたねぇだろ!」

【シュティード……!】

 酒瓶を拾い上げ、ステージへと投げつけるシュティード。マーシャル・アンプの残骸にぶつかったそれが音を立て、焦げ茶色の中身と共に勢いよく散らばる。飛沫が火を纏い、またステージに炎が渦を巻いた。

「馬鹿じゃねえの」

 業火の中、砂漠の星へと狼煙のろしが立ち上る。だが、もうここに反撃はない。シュティードの声が震えているのが何よりの証拠だった。

「……こんなもののために、死んじまうなんて」

 シオンのギターに目を落とすシュティード。彫刻入りのストラトキャスター・タイプだ。豊かな倍音、それから粘りのある中域と、輪郭のはっきりした低域。まさに至高の一品と言える。これで奏でられたクォーター・チョーキングは、垂涎すいえんものの渋さで──

 ──ああ。なんで俺は、死んだ奴の演奏のことなんか考えてるんだ。

「こんなもののために……」

【……】

 シュティードは力強くギターのネックを握った。シドのものより少し細い。自分が握りこむには小さすぎる。これを弾くのは、あいつでなきゃ駄目なんだ。駄目だったんだ。

 もう、あの音はこの世の誰にも出せない。あいつの歌はあいつにしか歌えなかった。

 なにがロックンロールだ。馬鹿馬鹿しい。町おこしだと。浮かれやがって。

 大人のワガママでこいつを巻き込んだのは──他でもない自分の方じゃないか。人を殺した音楽をやっていて、そいつがこれからも人を殺していくだなんて、分かりきってたはずなのに。

 悲しくはない。悲しみなどない。泣きもしない。俺に涙はない。

 なら何故だ。どうしたJジェイ。お前はどうして固まっている。

 この喪失感はなんだ。何を失った。俺は今なにを失った。たかだか子供の一人が死んだぐらいで、どうしてこうも意識が宙ぶらりんなんだ。

 俺は────俺はなにを失った。

【……行こう、シュティード】

 炎を横目にシドは言う。極力淡白に言うよう努めた。それで精一杯だった。

【ここにいてもZACTが来るだけだ】

「もういい……。もう、いいだろ、シド」

 シュティードは立とうともしなかった。

「疲れちまったよ」




〝──明日もここで弾く?〟

〝──明日なんてない〟

〝──ボニーとクライド?〟

〝──銀行強盗に見えるか?〟

〝──ううん。役所のおじさんって感じ〟




「最初から……」シュティードは言った。「明日なんてなかったんだ」

 手近な酒瓶を拾う。ターキーだ。こんな時にラッキーだなんて、馬鹿にしていやがる。シュティードは中身を一気に飲み干し、脳味噌がグズつくのに任せた。

【……感傷はわかるが後にしろ。早く出ないと……】

 もういい。どうなろうが知ったことか。死ぬならそれでもいい。俺はもう疲れた。疲れることにも疲れたんだ。終わらない旅なんて世にはない。ただ終わらせていないだけだ。

 ここで終わりなら、もうそれでいい。これ以上はごめんだ。

 死ぬにはまだ足りない。どうせ死ぬなら酒で死にたい。ロックンロールなどではなく、裏切りを知らない愛すべき酒で。

 そうして二本目を拾い上げたところで、青白い光弾が瓶を叩き割った。


「────ブラボォーウ!」


 勢いよく飛んできた不愉快な声は、シュティードの脳味噌を一気に素面へ引き戻した。シドが振り返った先、海を割るように煙を裂いて、拍手と共に声の主が現れる。

 男だ。シュティードと同じぐらいの歳だろうか。白いスーツに青いネクタイ……人情を知らぬ畜生の証明を身にまとっている。背後には同じ姿の連中がずらりと整列。三〇人はいる。みな粒子銃持ちだ。

 そしてどいつもこいつも、返り血にまみれていやがる。

【……最悪だ……】

 微動だにせぬシュティードを尻目に、つかつかと歩を進める男。鼻から上が鋼鉄の仮面に覆われていて、いまいち表情が掴みにくい。

「心臓の鼓動……」

 にたにたと笑いながら、大げさな抑揚で男は続けた。

「それはあらゆる生物が最初に獲得した音楽……生まれる前から全ての命が知っている、この世で最も原始的なビート……。んあぁ、至上の美しさだな。汚らしい真空管アンプの減衰げんすいと違って、死へ向かう心臓の音には静謐せいひつなる美学を感じる! だんだん弱くディミヌエンド! 消えゆくようにマンカンド! これほどまでに人の心をふるわせるだなんて……」

 天にまします砂漠の星を仰ぎ、両手を大きく広げる男。

「やっぱり──音楽の力って素晴らしい!」

 駄目だ。やばい。頭のネジが外れたサイコ野郎だ……シドはそう直感する。

「んん、死んでしまったか」

 ごん、とシオンの頭を蹴りつける男。

「愚かな弟よ。安心しなさい。お兄ちゃんが後でちゃんと復活させてあげるか、らっ」

 ごつん。ごつん。ごつん。革靴の爪先が打つのにならい、支えをなくしたシオンの首が力なく揺れる。亡骸の目は虚ろに開かれたままだ。そこに色味はない。

 シュティードは何も言わない。言葉が浮かばなかった。表情なき鋼鉄の仮面──その瞳の奥に光り輝く粒子管の色を、じっと睨みつける。

「会うのは二度目だな、Jジェイ。わからないか。イザクト事変の時は私も換装変身イザクトレーションしていたから……。でもおかしいな、君は人の声を覚えるのが得意だと記憶していたが」

「……」

 赤子をあやすように男は言った。

「ジャンゴ=ジョアナ=ジャックローズだ。階級はないよ。私はZACTの影だから。君がそうだったように」

【……?】

 歪に上体をねじり、シュティードの顔を覗き込むジャンゴ。

「グズもここまでいくと芸術だな。他人の後始末をさだめに生まれた者らしく、大人しく体制側で歌っていれば良かったものを」

 シュティードは答えない。じっと炎を見ている。

 どう燃えればいいかを、確かめている。

「第三分社のバディから、スヘッツコーツに君が潜伏していると報告を受けた。いやいやまったくおかしな話だよ。シオンからは、ここにはもういないと聞いていたのに……」

「……」

「やっぱり子供にギターなんて持たせるものじゃあないなあ。悪い大人にたぶらかされてしまう。人を容易く変えうるのが音楽の力だが、使い方も考えものだよ」

 ジャンゴが首を傾ける。銃声が一発。シオンによく似た銀髪が僅かに散り、弾丸が壁にめり込んだ。

「君もそう思うだろう、ロジャー=ホーキンス」

 シュティードが振り向く。ロジャーは確かにそこにいた。いたが、喜ばしい状況ではない。三〇門近い銃口を向けられてなお、ロジャーは銃口を下げなかったし、シュティードを見ようともしなかった。

 わかっている。無傷で生きているということは、そういうことなのだろう。彼は彼で、彼の為に戦っただけに違いない。

「君は……」ジャンゴは背を向けたまま続ける。「馬鹿なのか。私の合図一つでスポンジばりの蜂の巣になるんだぞ」

「やれるもんならやってみやがれクソったれがぁ!」

 怒りに染まった赤ら顔。両の手を小刻みに震わせながら、ロジャーは語気を荒げた。

「話が違うぜ……! 歌うたいを売れば町は助けると言ったはずだ!」

「んあぁ、言ったような、言わなかったような……」

「ふざけるんじゃねえ! こんな……誰が望んだ? こんなこと……」

「嘘は言ってないだろう。町には手を出しちゃいない。町にはな」

 ジャンゴが指を弾く。ロジャーが引き金を引くより速く、光のつぶてが彼を粉みじんに消し飛ばした。四方に彼の破片が散って、ひしゃげた扉が真っ赤に染まる。

老齢としだな、ジジイ。あの世で棺桶でもあっためてろ」

 そう言って、ジャンゴはシュティードに向き直る。見下すのが趣味なのだ。そういう顔をしている。

 くそったれが。まったくだ。奴は老齢ジジイだった。放っておいてもそのうちくたばったんだ。なにも殺すことなんてなかった。

 どいつもこいつも、あっさり死んでいきやがって。どうせ売り飛ばすなら、大人しく家でラジオでも聴いてりゃ良かったんだ。

 シュティードはこみ上げてくるムカつきを押さえ込み、歯の隙間から小さく声を漏らす。

「……エサに使ったな、ロックンロールを」

「私の発案じゃないけどね。正直言って、君が乗るかどうかは運任せなところもあったし……どっちでも良かったんだ、別に。だが私は満足してるよ。音楽の力を確かめることができた」

 顎先を上げ、髪をかきあげるジャンゴ。

「市街に残った反体制の芽と、掃き溜めの不燃物をまとめて始末できる……。これはエコだよ、Jジェイ! 考えてもみたまえ、たかだか楽器の演奏ごときでこれだけの人間が一箇所に集まるんだ。素晴らしいだろう、音楽の力は」

「……」

「民衆を、国をすら揺るがす────神がこの世にもたらした、大いなる力だよ」

 ジョークじゃない。この男は本気でそう言っている。余計な微笑みがないぶん分かりやすい。そして、それだけにたちが悪い。暴くだけの上辺がないからだ。

 さて、とジャンゴは襟を正した。

「国家電脳戦略特区都市所属、ZACT中央本部戦線開拓部門四課、元・嗜好品取締執行官、シュティード=Jジェイ=アーノンクール。本日をもって、君は正式にZACTのリストから除名される」

「……とうにやめた」

「ノンノン。そうじゃあない。ZACTという組織に存在した事実すら抹消される、ということだ。君はここで死ぬ。イザクト事変の実行犯──八億ネーヴルの賞金首として」

 八億。また随分と強気な値段に出たものだ。いつもなら鼻で笑い飛ばしてやるところだが、あいにく今日のシュティードは虫の居所が悪い。そいつは火に油だ。

「……金が目当てか」

「馬鹿を言え。金というものはビスケットと同じだ。叩けば増えるし──アンドロイドはビスケットを食べない」

 ポケットを叩きながらせせら笑い、ジャンゴは続ける。

「君が尻拭いに失敗したからネオ・ラッダイト運動が起きたわけだし? 間接的とは言え君は戦犯だよ。そうだな。そこに殺人と、公務執行妨害と、公文書偽造と……まぁ、私の気分でいくつか足しておこう」

 どこまでも飄々ひょうひょうと彼は言った。ピザのトッピングかなにかと勘違いしていやがるのだ。シュティードの肩に手を置いて、ジャンゴは屈託なく笑う。

「安心してくれ、Jジェイ。君の後は私が継ぐ。意味は分かるな?」

「……」

「君はナンセンスだ。だから人生もうまくいかない。気の迷いはここらで終わりにしろ」

 シュティードの歯がきしる。徐々に強く、大きく、砕けんばかりに。

耄碌もうろくしたにも程があるぞ。全てがブラックボックスの第三世代……そのギターを砂漠の果てまで吹っ飛ばした裏切り者を、ZACTが放っておくわけないじゃないか。ちょっと頭を使えば馬鹿でも罠だと気づく。何がそこまで君の目を曇らせた?」

「黙れ」

「理想? 夢? 自分らしさ? 未来を掴めるとでも錯覚したか? それとも──魂とかいうおちゃらけた戯言たわごとに、舞い上がっちゃったのかな」

「黙れ……!」

「浮かれやがって」

 がいん。シュティードの拳が床板を打った。

「黙れッ!」

「ハッハァー黙りませぇーん! 魂! 二十一グラム! 人となりの全て! こいつは傑作だな。君にそんなもの見つけられるわけがないのに。そんなくッだらないことの為に死んでゆくんだぞ? 君も、シオンも、そこのジジイも。掃いて捨てるほどいた、ロックンローラーとかいうゴミ同然の連中も!」

「てめえ……」

「それで君は一体なにを掴んだんだろうな? ええ! イザクト事変じゃ飽き足らず、これだけのアホ共をたぶらかして! ハエ同然の無意味な人生を送らせて! 君は一体なにを手に入れたかったんだ! なにか手に入ったか! 釣り合うものだったか! これでもまだ夢を追うことが素晴らしいだなんてほざけるのかな!」

 老人、青年に、子供……ジャンゴは順番に死体を指す。いつだかシュティードを蔑みの目で眺めていた、あの少年もそこにいた。そこにあった。頬に涙の跡。胸に風穴。半身が焼け焦げている。

 最後に指をシオンへと戻して、ジャンゴは亡骸の頭をつつく。

「現実を見ろ、Jジェイ。世に終わらない旅などない。君の旅はここで終わりだ。君もこいつらも、結局何者にもなれやしない。どこにでもいる、夢に敗れたただの負け犬だ。もう馬鹿な真似はよせ。未来は君の手にはない。君の前に広がっているのは、ただ意味もなく果てがない、砂一面の景色だけだ」

 その言葉が、押してはならないシュティードの中のスイッチを押した。

「……なんて言った……?」

 ぎぎぎ、と玩具ブリキの人形みたいに首を上げ、シュティードは額に青筋を浮かべる。

「負け犬だと……? 未来はないだと。意味がないだと!」

「言ったね」

「俺はそうかもしれねえ……だけど……だけどこいつは違った……!」

 うんともすんとも言わないシオンを見て、シュティードは続ける。

「こいつは負け犬なんかじゃない……! 夢にやぶれてもいない! 未来も、意味も、こいつの人生には掃いて捨てるほど溢れてたんだぞ!」

「あそう」

「こいつだけじゃない……! ここに住んでる連中はみんな戦ってた! 厳格化で全てを失って、この掃き溜めに流れ着いて! それでも……」

「泣かせるね。売られた分際でよくそんなことがほざけるな。ラブアンドピースってやつか? 古臭い考え方だ」

「売るしかなかったからそうしたんだろうが……! そうさせたのはてめえらだろうが! それでも生きてたんだ! 他人のことなんか構ってられないぐらい切羽詰まった状況で……こいつらは生きてたんだぞ! この町を建て直すために!」

 はん、とジャンゴは鼻で笑う。

「だから死ぬんだよ。ロックンロール! 酒! 煙草! 馬鹿な話だな! 町おこしでもやってたつもりか? そんな遺物で何が変わるんだ? なにか変わったか? いつまでもだらしなく過去にすがりやがって」

 火のついた木片を拾い上げ、死体の山へと投げ込むジャンゴ。

「そんな連中は死んで当然だ」

【貴ッ様……!】シドが怒気を露わにする。【それが人間のやることか!】

「あのさぁ馬鹿なの? 私が人間だったとしてもやる事は一緒だよ。人か機械かなんてのは些細なことだ。大事なのは魂なんだろ、君達風に言えば」

 ジャンゴは──ジャンゴというアンドロイドは、悪びれもせずにそう言う。

「大体さぁ、君がロックンロールさえやってなきゃ、この町にさえ来なきゃ……私だってこんな面倒なことはしなくて済んだんだ」

「……」

「まさかロックンロールがこいつらを殺した、とか思ってないだろうな? Jジェイ。寝言ほざくのも大概にしろよ。こいつらは、君のせいで死んだんだ」

 シュティードが先に痺れを切らした。

 もういい。お喋りは終わりだ。こんな野郎とコミニュケーションなんて成り立つわけがない。

 どっちだろうとこいつは死ぬ。ここで殺す。シュティードはそう決めた。

 それが、どれほど意味のないことであっても──そう知っていても。

「……てめえが誰だかなんて知ったこっちゃねえし、興味もねえがな……」

だ。ジャンゴ=ジョアナ……」

「十二のガキもろとも吹っ飛ばしたんだぞ……ましてや、自分の弟なんだろ」

「形式上はな。アンドロイドに家族などいない。どこまでも独りだ」

 首を傾げるジャンゴ。鋼鉄の表情がいびつに吊りあがる。

「それがなんだ?」

「なんか言うことねえのかよ……?」

「悲しみなど時代遅れだぞ、Jジェイ。アナログ世代のジジイどもと私を一緒くたに語ってはくれるな」

 踏みつけられるシオンの亡骸。歯茎をむき出しにしてジャンゴは笑った。

「命なんて、いくらでも代わりが利くものなんだから」

「そうかい」

 激情だけが彼を突き動かした。それでさえ、なにもないよりはマシだと思える。

【おい。待て、待て!】

 ゆらり。シュティードは立ち上がる。その左手にシドを引っ掴んで。

「死んだらきっと考えが変わるぜ」

【駄目だ……! 駄目だシュティード! 貴様の粒子が……怒りの触れ幅が大きすぎる! この容量じゃオレ様の演算が追いつかない!】

 ほとばし猩猩緋色しょうじょうひいろの粒子。渦巻くドス黒い電流。

 ジャンゴは笑う。なんだこいつは。何がそんなにおかしいんだ。ふざけやがって。

 瞳に紅の歯車。心臓がいななく。だけど空っぽだ。悪魔がダミ声で語りかける。

 あの時と同じだ。この掃き溜めを生み出した時と。

 全てを。

 全てを砂粒に、灰に変えろと──

【よせシュティードッッ!】

「────イザクトレーション」

 じゃらりと響くE7#9イー・セブンス・シャープ・ナインス。このコードをシオンに捧げる。

 お前はきっと、送り返すだろうけど。










 ──忘我ぼうがさかいにいた。

 どこをどう動かしたかなんて覚えちゃあいない。ステージでギターを弾くのと同じだ。けれど、比べようもないぐらい最低の気分だった。

 殺して、殺して、殺しまくってやった。畜生どもの白いスーツが気に入らなくて、オセロでもするみたいに真っ黒に染めてやったのだ。

 気付いたらそこは血溜まりだった。あたり一面死体の山だ。どんなに忙しい火葬場でもこうはならない。建物は軒並み全壊で、老人達が築き上げた復興の象徴は、一つも残らず真っ平らな砂一面に戻っていた。

 あの世で奴らに半殺しにされるだろう。復興はまたゼロからやり直しだ。

 いや。もう、この町に住む者は誰もいないか。

【……シュティード】

「聞こえてる」

【……】

 満身創痍。意識は明瞭。左手にシド。右手にジャンゴの首から上。千切れたケーブルがばちばちと火花を散らしている。こんなもの、持って行ってどうしようと言うんだ。餞のつもりか。野良猫じゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい。

 どこだ。俺は今どこを歩いている。服はズタボロ。返り血まみれ。灰と煙と死の臭いだけが、この身体を引き寄せている。

 ステージへ。あの、陰惨なステージの方へ。死体を踏み越え、町の残骸を蹴り飛ばし、ただ、あそこへ──シオンの元へ。

『やってくれたな、Jジェイ。国民の血税をなんだと思ってるんだ。また造り直しだよ』

 首だけのジャンゴが、アルミがかった金属質な声で言う。町の話ではあるまい。

『意固地なのは知っていたが、ここまでだとは』

 シュティードは構わず酒場を……酒場だった場所を目指した。ジュリアス・バッド・アスのチープな電飾も、今となっては趣があったと感じる。

 馬鹿な話だ。壊れればなんだって価値があるものだ。死んでから分かったって、どうしようもないのに。

 扉だった外枠を蹴り破り、ロジャーの死体を踏み越える。シュティードはジャンゴの残骸、その頭髪部分を引っ掴み、物言わぬシオンの眼前へと叩きつけた。

「詫びろ」

『ブッサイクな寝顔だなあ』

 鋭い蹴りが一つ。ジャンゴの頭が焼け跡の上をごろごろと転がる。

『私を殺してどうするというんだ、Jジェイ。アンドロイドの命は無限だ。私を殺したところで次の私がやってくる。命には代わりがきくんだ。終わりはないぞ。君が死なない限り、こういうことが未来永劫続くんだ』

「知ったことか」

『思い上がるな、Jジェイ。君はもはや何者でもない。止める力はない。ZACTは強大だ。君が生きている限り、ロックンロールは死んでいないのと同じことだ。ZACTはそう認識する。だが、もはや今の君にロックンロールは歌えまい。

 そうなったら君はどうなる? ロックンローラーでも、Jジェイでもないまま、まさしく何者でもないまま、誰の為かも分からぬ孤独な戦いを、巻かれたゼンマイが止まるまで続けるんだ。それを宿命だと受け入れられるほど、君は自由じゃあるまい』

「……」

『そうしてまた、馬鹿な子供を殺すのか?』

 駆動音と共に左目を動かし、ジャンゴは静かな口調でさとす。

『なぁ、Jジェイ。諦めろ。私と共に来れば口利きしてやる。もう一度自分の胸に問いただしてみるがいい。今の君が何者で、かつて何者であって、未来の為に何者であるべきなのか』

 捻じ曲がった哀れみが、シュティードをこの上なく不愉快にさせた。

『今度は一人じゃない。我々は同士だ。もう君に孤独な戦いをさせたりはしない。共に、このマキネシアを手に入れようじゃないか────音楽の力で』

 たわ言だ。下水道で死に損なったゾンビと大差はない。どんなを振り撒いたところで、結局こいつも道連れが欲しいだけだ。そんなものを仲間だとは呼ばないし、シュティードには仲間など必要ない。ついさっき、必要なくなった。

「くだらねえ。俺は──」

 シュティードはそこまで口を開いて、続きが出てこないことに気がついた。

 誰だ。誰だ。誰なんだっけ。

 今は何者だ。かつて俺は何者だった。未来の俺はどうあればいい。

 違う。大事なのはどうなりたいかだ。そう信じていたはずだ。俺はそう生きてきた。生きてきたはずなのに。どうしてだ。どうして続きが出てこない。

 なあ、Jジェイ。お前は一体、何になりたかったんだろう。

「……俺は」シュティードは。「俺は……」

 破壊の爪痕に、ただひざまずく。傍らにはシド。それと、シオンのギター。ついでに、ガンマン崩れのジジイが残したバントライン・スペシャル。

『聞かせてくれ、Jジェイ。私にはわからない。わかってるのは、君が利口だということだけだ。よく考えて口にしろ。君は、何者だ? 何者であるべきだ?』

「……べきべきべきべきうるせえ野郎だ」

 未来を諦め、未来を捨てきれず、未来を望み、そうして未来を殺した。

 馬鹿馬鹿しい。くだらない。おしまいだ。ロックンローラーだなんて死んでも名乗れない。あの世でシオンが笑っていやがる。なり損ないは今に始まった話じゃない。

 さだめか。ただの結果か。それとも、ただの結果をさだめと呼ぶことで飲み下すのか。

 もう、どっちでもいいか。酒と一緒だ。飲んでしまえば何度だろうが変わらない。

「俺は……」

 ああそうだ。そうだとも。そう望んだのはお前達だ。お望み通りそうしてやる。

 何者でもない。

 俺は、ただの。

請負人うけおいにんだ」

 スペシャル・サンクス、ロジャー。左手が選んだのは銃だった。




   ◇




 夜明けと共にやってきた雨が、町をさ迷う死人達の魂を空へとさらっていった。誰にことわるでもなく、許しを乞うでもなく、それが自分達の仕事だとでも言うように。

 雨音が嫌いだ。陰気臭くて、じめじめしていて、ギターの音を掻き消すから。

 墓を立てた。シオンの墓を。ぬかるんだ砂の下に埋めて、ギターを突き立てただけの、ちっぽけな墓を立ててやった。名前を彫ったりはしない。ストラトキャスター・タイプのピックガードに記された彫刻だけが、シオンの名前を知っていればいい。

 シュティードに出来ることは、もうそれぐらいしかなかった。鎮魂歌に用はない。死んだ奴の為に歌ったってしょうがないのだ。

 そんなのはただの慰めだ。そして、慰めにも癒せない傷はある。

 焼け野と化したブラストゲートの外れ。高い、高い、崖の上を目指し、鋼鉄のふたりは静かに歩んだ。雨で体が錆びつくのを感じながら、ステージへの階段を上るように。

 眼下には鉄クズの山。雨傘みたいなパラボラの屋根の下、野良猫達が身体を濡らさぬよう身を寄せ合っている。

 あれは、かつての俺たちだ。

【……どこへゆく】

 重い足取りにつられて揺られながら、シドはぼそりと語りかけた。

【どこへゆくんだ、シュティード……】

 返事はない。よくあることだ。けれど、いつもより沈黙が重い。

【次は……どこへゆけばいいんだろうな……】

「……」

【なぁ、シュティード……】

 鋼鉄の崖、その淵の淵。がん、と廃材を踏みつけて、シュティードは雨の砂漠を一望する。希望は見えない。雨雲のはるか向こうには、十二角形のシャッターに囲まれた市街のシルエットが見えるだけ。錆びた鉄の臭いが鼻腔びこうを通り抜ける。

 幾度となく見たこの島の象徴──ZACTが築き上げた摩天楼まてんろうを、シュティードはぎらりと睥睨へいげいした。ロックンローラーとしてではなく、八億ネーヴルの賞金首として。

「お別れだ、シド」

 シドは答えなかった。

「とっくに終わってた」

 胸元から煙草を取り出すシュティード。いつものアークロイヤルに、いつものコリブリで火をつけ、そして最後の煙を吐き出す。

「終わらない旅なんてこの世にはない。そいつはただ、終わらせてないだけだ」

【……】

「おしまいなんだ、シド。今度こそ……。ロックンロールはもうやめだ」

【な……】

「こんなくだらないものに夢を見た、俺達が馬鹿だった」

 暗いシュティードの目は、風よりも冷え切っていた。

 ぐるぐる、ぐるぐると、シドの脳裏を砂漠の日々がよぎる。死に損ね、出会い、名付けられ、戦い、折れては戦い……その繰り返しの日々だ。

 あの日も雨だった。負ける時はいつも雨が降っていた。だから嫌いなんだ。体が機械かどうかなんて、些末さまつな問題だった。

【……ふざけるな】

 シドは小さく、しかし強張った声で口にした。

 言うべきではないとわかっている。けれど、今までだってそうしてきた。言うべきでないことこそ言ってきたのだ。だから最後までそうする。

 でなければ、本当にこれが最後になってしまいそうな気がしたのだ。

【やめるだと……? やめるだと! ここまできて! 打ちのめされて、立ち上がって、また打ちのめされて、それでも立ち上がった! 貴様は──オレ様達はそうしてきたじゃないか! それを……それを今更、そんな簡単な言葉で終わらせるつもりか!】

「そうだ」

【それこそ……それこそ貴様の自己満足だッッ! シオンは死んだ! オレ様達と関わったばかりに、あんな結末を迎えたんだぞ! ここでやめたらシオンの気持ちはどうなる! 誰がそれを継ぐんだ! 誰があいつを語り継いでやれるんだッ】

 張り裂けんばかりにシドは叫ぶ。雨粒すら彼の声に震えた。けれど、肝心のシュティードは見向きもしない。説法を聞き流すようにして、ぼうっと雨雲を眺めている。

【やめてどうする! 死ぬのか! 何者でもなくなって、なろうとすることすら諦めて! そうしてあの世へ行くか! どのツラ下げてシオンに会うつもりだ! 死んだあいつになんて言葉をかけてやればいい!】

「死人に言葉なんてかけるべきじゃない」

【……シオンなら、こんな結末は絶対に望まない……! あいつは貴様に魅せられてロックンローラーになったんだぞ! 追いかけていた奴がこんな形で音楽をやめるだなんて、そんな……そんなことがあってたまるか……!

 こんな終わり方じゃ、死んだシオンが報われないだろうが……!】

「どうでもいい」

 瞳が斜めがちに空の方を向いた。

「死人には……生きてる奴にすら……報いなんてない」

 そんなことはシドも身に染みてわかっている。だから、ますます苛立ちがつのる。

【貴様を信じたオレ様の気持ちはどうなる! オレ様だけじゃない! メリーやザイールは! アイヴィーは! ジーナは! ロジャーやオーガストは! シオンの気持ちはどうなる! 奴らだけじゃない! 貴様の歌を待っている、未来のロックの申し子達の気持ちはどうなるんだ!】

 ずんと肩が重くなった気がして、シュティードは少しだけ背を曲げた。

「……知ったことか。知ったことかよそんなもの。何が気持ちだ。何が魂だ。下らねえ。魂でコミニュケーションが成り立つか? ボトルメールに小説書いて流してる方がよっぽど現実的だぜ」

【貴様……!】

 ほうけたまなこのまま、雨雲に手を伸ばすシュティード。

「俺たちが一体何を掴んだ? 手に入れた物と失くした物を天秤はかりにかけてみろ。どっちが軽い? どっちが重い? 俺たちが今までやってきたことは、救えねえクソガキの未来を奪ってまでこだわり続けるようなことだったか。さんざん求めてた魂とやらに、十二歳のガキの命と同じ価値があったってのか」

【…………】

「俺たちは間違ってたんだ。希望に目がくらんだ。浮かれて、騙されて……その結果があのザマだ。なんとかなるかもしれないなんて、そう思っちまったばっかりに……」

 あいつは、と続けるシュティード。

「……シオンはまだ十二のクソガキだったんだ。やりたいことも、いきたい場所も、なりたいものも沢山あった。きっとどこへだって行けたし、何にだってなれた。

 そんな、世間知らずのどうしようもねえクソガキの骨を砂の下に埋めて……。そうしてロックンロールを蘇らせて、俺は一体誰の為に歌えばいい」

 馬鹿な話だ。誰かの為に歌ったことなど一度もなかったのに。

 たった一度。たった一度の〝砂漠の星〟をシオンに捧げたばっかりに──そして、その成れの果てとしてこうなってしまったばっかりに、シュティードは自分の音楽の在り方を見失ってしまった。

「死んじまったら未来もクソもない。どんなツラして、ステージに立てっていうんだ」

 ロックンロールは神様じゃない。たとい神であったところで神にも裏切りはある。音楽は誰かを救う為にあるわけじゃないのだ。

 そんなくたびれた考え、掘り起こす価値もないしかばねのようなものだったのに。

【……そんな言い草はやめろ……!】

「なにがだ」

【オレ様だってわかってるさ……! だけど、だけど……】

 潰れんばかりに瞳を歪め、シドは苦々しく口にする。

【ここでやめたら、シオンはまるで、言い訳の為に用意されたみたいじゃないか……】

 がつん。クズ鉄を打つ革靴のかかと。吸いかけのアークロイヤルが水溜りに落ちて、じゅっと音を立てた。

「死人を言い訳に使ってんのはお前の方だろうが……!」

 シドのケースの両端を引っ掴み、犬歯を剥き出しにして激昂するシュティード。砕けそうなほど食い縛られた歯の隙間から、押さえつけていた言葉が這い出ようとしていた。

 最後まで言うまいと決めていた言葉だ。彼にとっては今がその時だった。今度こそ。

 シュティードにその決意を固めさせるほどに、そびえた壁は厚く、高く、長く……無窮むきゅうにすら思えたのだ。

「お前に俺をののしる権利があるのか……!? 好き勝手やるだけやっておっんだお前が、一体どのツラ下げて俺に説教かますつもりだ!」

【……】

「気付いてないとでも思ってたか? 血反吐ぶちまける思いでお前を追いかけてた俺が、気付かないとでも思ったか! 見くびられたもんだな!」

 ばつが悪そうに目をそらすシド。何の話かは理解している。お互いに、感付いてはいたらしい。

 どの道いずれは暴かれることだ。ただ、最悪のタイミングでそうなっただけで。

【……わかっていたよ。貴様が〝後期こうき〟だということは】

 その言い草が気に入らなくて、シュティードはまた目を細める。

「あぁーそうだよ、! 俺がてめえのツケを払ってやった! 体制側にすり寄ったロックンローラーとしてな! てめえの下らねえ後釜あとがまに、ご丁寧にも座ってやったんだ!」

【……】

「てめえが死んだと噂が流れてから、ストライキは激化する一方だった……! 俺はそいつを押さえ込む為に、死人の代役なんてクソくだらねえ真似を続けてたんだぞ!」

 シュティードがぶちまけた洗いざらいは、おおむねシドの──クレイジー・ジョーの予想通りだった。

 シドが名も知らぬ〝エヴァー・グリーン〟なるアルバムに、覚えのないカントリー・バラード。そして、クレイジー・ジョーへの並々ならぬ執着。全てがシュティードの立場を物語っていた。

 この男は本気でなろうとしていた。実際になろうとして──なり損なったのだ。そして恐らくは、それゆえ街の一輪がざらめに噛み砕かれたに違いない。

 シュティードは語気も荒げに続けた。

「仕事だからだ……! それ以上でも以下でもねえ……! そいつが俺のさだめだった! 思想も、信条も、なにもかも丸っきり違う人間に成り代わるんだ! そいつがどれだけ馬鹿な話かわかるか! シカゴをるのとはわけが違う……!」

 シドは──クレイジー・ジョーは答えない。ただうつむく。

「言われるがままに曲を書いた……! お前という人間のエッセンスを噛み砕いて、俺はそいつを歌にした! 〝砂漠の星〟はその時生まれた曲だ……!」

【……だろうな】

「だってのに、どうだ! クレイジー・ジョー・フリークの連中ときたら! 曲の雰囲気が以前と変わっただ、ZACTに魂を売っただ、ブレやがっただ! 挙句の果てには、今の曲には魂がこもってないだとぬかしやがる!」

【……】

「その顛末がネオ・ラッダイト運動だぞ……! ドル箱いっぱい馬鹿げた話だぜ! どいつもこいつも死人の言うことにいちいち振り回されやがって! 魂なんて、形のないものに踊らされやがって! わかったようなことを薄っぺらにほざきやがって!

 ありもしないものを、馬鹿の一つ覚えみたいに有難がりやがってッッッ」

 蹴り飛ばされた廃材が放物線を描いて落下し、パラボラの雨傘を直撃する。にゃあご、と叫び声をあげて、野良猫達がしゃにむに散っていった。

「まだ俺に望むのか……! 何をだ! これ以上俺に何をさせるつもりだ! 他人の尻拭いをさせられて、失敗して、この掃き溜めを生み出した! 誰もそんなことは望んじゃいなかったんだ……! 散々民衆を煽り立てたてめえ以外はな!」

【違う! オレ様は……】

「なにが違うんだ、ネジ巻き野郎……!」

 シュティードがシドを引き寄せ、Vブイ字の一つ眼に思い切り頭突きをかます。

「てめえはテロリストだ……! ロックンロールを使って思想犯罪をやらかした! ストライキを起こして、聴衆をたぶらかして! そうしてZACTをぶっ壊すつもりだったんだろ! 悪魔みてえな野郎だよ、てめえは……! 後のことなんかどこ吹く風だ!」

【……それは】

「違うってんなら答えてみろ……! なんであんな曲ばかり書いたんだ……! 禁制品への欲求を煽り立てて、権力への反抗心を植えつけて! なにが伝説のロックンローラーだ、笑わせんじゃねえ! 結局てめえも、音楽を利用しただけの薄汚いクズヤローだ!」

【……】

「違うか! なんとか言え、クレイジー・ジョー……!」

 突き放されたシドが、がっくりと傾く。項垂れているのだ。

 シドの胸中に渦巻いた居心地の悪さは、とても言葉になど出来ない。どう言葉にすればいいかも忘れてしまった。こういう気持ちは、今までずっと音楽に託してきたから。

 どう伝えればいいのだろう。シドにはわからない。わからなくなってしまった。

 いつかは──いつかは言わなきゃいけないと、ずっと思っていたことだ。

 後ろめたさと一緒に生き返った。どんなに楽しい時間を過ごしても、死神が首筋に鎌をあてがっていたのだ。そいつから逃れる術を、シドは音楽以外に知らない。

【……飲まれたんだ】

 激しくなる雨足と反対に、シドはぽつぽつと語り始めた。

【最初は……最初は、この島でロックンロールを繁栄させるつもりだった。本当だ。だがいつからか……自分の音楽が、世の中に響いたと確信した瞬間から……それだけでは満足できなくなった。

 何もかもが足りなかったんだ……金も、女も、名声も、腕前も……そう思っていたんだ。だから、だからオレ様は……このいわくつきのギターに手を出した。クロスロード伝説の悪魔が宿った、この、ギターに……】

 自らの体に眼を落とし、シドは失笑する。

【……声がしたんだ。悪魔の声が。夢の中で、カセットテープを再生すると、とても自分じゃ生み出せないような音楽が流れてきて……。そいつは、オレ様の目を眩ませるには充分すぎるほどの輝きだった。

 その頃からだ。普通のリリックじゃ満足できなくなったのは。反抗をテーマに歌い、そして人々がそれに感化されることに、オレ様はこの上ない喜びを感じるようになった。心が満たされるんだ、フィッシュアンドチップスを腹いっぱい食べたときのように……。

 心臓の奥に出来たもう一つの胃袋が、反抗心を求めていた。そしてその捻じ曲がった食欲も、炊き付けた民衆のボルテージも……気づいたときには、オレ様の手には負えないものになってしまっていたんだ……】

「……」

【それが正解だと、そうあるべきだと……そう信じて疑わなかった】

 盲目だったのさ、とシド。

【……夢に囚われすぎた。夢中にいれば人の視界は狭まる。片目が見えなくなる。ここじゃない、まだ足りない、もっとやれるはずだ……いつの間にかそう信じ切って引き際を見失う。そして多くの物を失う。

 オレ様は、実際に失ったんだ。右目も、友も、家族も、未来も、命も……】

 残された一つ眼をゆっくりと開き、彼はシュティードと目を合わせた。

【まるで、悪魔に魂を売り渡したみたいだった】

 二十一グラム。またそれか。シュティードの下顎に力が込められる。

【……いや、きっとオレ様は、本当に売り渡したんだ……。そうして今度は、自分が悪魔になってしまったんだな】

「……」

【……すまなかった、シュティード】

 犬も食わない言い草だ。シュティードはどうしていいかわからなくて、また手近な廃材を蹴りつける。

「そんな自己満足が聞きたかったわけじゃねえ」

【……なら……なら、オレ様にどうしろというんだ!】

 卑怯な言葉だ。シュティードはそう思った。プライドの壁を越え、自分を恥じて、抱えた罪悪感の解決を、傷つけた相手に委ねるだなんて。

【たしかにオレ様のあやまちだ。けど、今更、どうしようもないじゃないか……! オレ様の時代には先進治療権なんてなかったんだ。死んで生き返るだなんて誰も思わない……!

 こうなると知っていたら……人生に二周目があるなんて知っていたら、オレ様は……】

「……」

【オレ様だって、もっと……】

 もっと……と、呪いのようにシドは繰り返す。ついに続きは出てこなかった。

 ああ、そうだとも。今更どうしようもない。猿でもわかる。だから卑怯な言葉だと罵るのだ。でなければ、このわだかまりはどこへ放してやればいいんだ。

 シュティードだって、そういう行き場のない気持ちを処分する方法は、音楽以外に知らないのだ。

【……どうしようもないから、貴様と旅をしたんじゃないか……。ロックンロールを絶滅に追いやったオレ様が、この身体で出来ることと言えば、それぐらいしかないじゃないか……。他に……他に、つぐなう手段が見つからなかったんだ……】

 と、シュティードの中でゼンマイが切れた。両腕がまたシドに掴みかかる。相手が生身の人間なら絞め殺しているところだ。

「償いだと? そいつが本音か! 俺たちの旅を! 戦いを! お前はそんなくだらない名前で呼ぶつもりか! 今までのことは全部、お前の自己満足の為に仕方なくやってきたことだってのか!」

【違うッ!】シドは叫んだ。【確かに償いのつもりではあったが、それだけの為にここまで来たわけじゃあない! 本当だ……!】

「だったらどうして最初に正体を明かさなかった……!」

【……それは……それを言うなら、貴様だって言わなかったじゃないか! なにも! なにひとつ! オレ様がクレイジー・ジョーだと気付いていたなら、なぜ自分がその後釜だと明かさなかった!】

「語るに落ちるぜ……! 決まってんだろ、そんなもんは……」

 押し黙る二人。雨音だけが彼らの顛末てんまつを見守った。 

 言う必要などないと思っていた。お互いにそうだ。何者だろうがどうだって良かったのだ。過去など知らなくとも共鳴していると──そういうフィーリングが、そこにあると信じていた。

「……」【……】

 最初から。

 最初から、どちらともが何もかもを包み隠さず打ち明けていたら──きっと、お互いに責め合うようなことはしなかっただろう。

 だが、遅すぎた。もはや今となっては……。

「最初から、こうしておくべきだったんだ」

 ケースを引っ掴み、歯を食いしばり、それすら躊躇ためらいがちに左腕を振りかぶり、男は、その男は、ロックンローラーは、シュティードは──

「あばよ、シド」

【待……】

 ──相棒を、捨てた。





     ●





 ハロー、マキネシアDブロック。オレ様の名はシド。楽しいお話はこれでおしまいだ。鋼鉄の二人を取り巻く時の流れというものは、およそその日の雲間に集約されていたのだと思う。

 その日、野良猫達は食いはぐれて、雨雲と一緒に死んだのさ。

 知っていたよ。きっと、鋼鉄のふたりは似た者同士だった。

 どちらも音楽を救おうとしていて、そして、誰よりも救われたかったんだ。


 突然だが一つ問いたい。過ちを犯したことはあるか? そう、貴様だ。貴様に聞いてる。一度目を閉じろ。十秒くれてやる。

 十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。そこまでだ。

 どうだ? なにか思い当たったか? あまりいい気分はしない? それとも、そんなこともあったなと笑い飛ばせる? 後者なら順風満帆だ。きっと貴様の人生は、これからも上手くいく。だが前者の奴は気をつけろ。きっとオレ様と同じ道を辿る。

 マキネシアの神いわく、人が犯した過ちというものは──無数に区切られた時間の流れというゲームの盤上に遍在へんざいする、一回休みのマスのようなものだという。

 本当にそうか? 休みは一度で済むのだろうか? 一度しくじってしまえば取り返しがつかなくなる……そういう過ちだってこの世には存在する。なにも言い訳するわけじゃないが、誰しもそういう過ちを犯す可能性の下に生きているはずだ。機械じゃあるまいし、生まれながらに完璧な人間などいない。

 では、その過ちを許すのは誰だ? 誰もが過ちを犯すのに、許す権利は神しか持っていないのだろうか? それが正しいのなら、神が犯した過ちは誰が許す? 

 いや、詭弁はよそう。たとえ誰かから許されたところで、自分自身が許せなければ、そいつはずっと過ちと共に生きていくことになるんだ。逆に自分が許したところで、誰かに許してもらえなければ、それもまた……。

 



 シンキング・タイムだ。頭を回せよ、ミスター・ノーバディー。

 貴様にとって大事な何かを、他ならぬ貴様が無茶苦茶にした。誰もが貴様を恨み、貴様ですら貴様を恨み……そうして出来上がった禍根かこん坩堝るつぼの中で、今この瞬間を生き続けている。

 貴様ならどうする? 自分で自分を許せるか? よしんば自分が許したところで、次は誰に許しを乞えばいい? その戦いはいつまで続く? それは本当に償いと呼べるのか? 世に許される罪などあるのだろうか?

 そしてそうなった時、プライドの壁を越え、自分を恥じて、抱えた罪悪感の解決を傷つけた相手に委ねられるか? そいつは本当に正解か?

 時の流れが神だというなら、そいつが許してくれるのか?

 猫が……箱の中の猫が生きているか死んでいるか、決めるのは誰だ?

 オレ様にはわからない。わからないのさ、いつだって。

 だから今も戦っている。そして、まだ戦っていたい。それを戦いと呼ぶのか、償いと呼ぶのかはわからない。

 終われないんだ、本当は。こんな形で終わりたくはないんだ。たとえそれが、終わらせていなかっただけの旅だとしても。

 だけどあいつはどうだろう。オレ様を許してくれるだろうか。頑固だからな。

 エゴイストの自覚は充分に持っている。許されなくてもいいんだ、本当は。この世の誰もに憎まれ続けようと、ロックンロールが──オレ様がけがしてしまった音楽が、もう一度息を吹き返してくれるなら、オレ様はそれでいいんだ。

 だけど、あいつにだけは。シュティードにだけは……。





 ハロー、マキネシアDブロック。オレ様の名はシド。音楽を殺した永久戦犯。

 今日も今日とて回る世界をどうぞよろしく。

 願わくば、最後まで、ともに。







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