Rewind the time #8 -雨に歌えど-
始まりが終わり、終わりが始まる。どちらも唐突だった。
酒場の暗闇を照らし、水色の粒子をまとって弾ける鋼鉄。機材の残骸が手榴弾のごとく散らばる。壁が崩れ、ストロボが飛散し、煙と炎が酒場を包み、天井は折れたウエハースみたいに崩れ落ち、そして──そしてシオンは真っ赤に染まり。
「シオンッッッッ!」
最前列の観客は即死だ。もつれ合い、押しのけ合い、我が身我が身と誰もがいの一番に出口を目指す。
狂騒と悲鳴の中、どっと溢れた人ごみにもみくちゃにされながら、シュティードは無我夢中で駆けた。シドも慌てて彼に追いつく。
【何事だ、これは!】
「後にしろ!」
どばん、と出口が開く音。矢継ぎ早に銃声と叫び声。
【……
何事だ。知ったことか。どうだっていい。誰が何人死のうが問題じゃない。だがこいつだけは、こいつだけは、こいつだけは、シオンだけは。
「おいシオン。聞こえるか、聞こえてんだろ! おいコラクソガキ!」
目玉をひん剥いて歩み寄るなり、シュティードは膝を折るように崩れた。
黒煙の中、仰向けのシオンは横たわったまま動かない。腸から鋼鉄の先端が顔を覗かせている。即死か。どちらにせよ、どくどくと漏れ出している血液は致死量だ。
いや、わからない。そんなことはまだわからない。そうであれと願う。
【……直撃だ】と、シド。【ギターをかばったんだろう……】
ギター。ギターだと。ギターをかばっただと。馬鹿かこいつは。
いや。知ってたはずだ。こいつは馬鹿なんだって。
「……」
現実味がない。ばつばつと途切れ途切れに、それでいて止むことなく響いてくる銃声。アルコールによって火の手が勢いを増してゆく。やがて、
時たま飛んでくる青白い光弾。粒子銃だ。一人残らず皆殺しか。老人も、青年も、子供さえ。
なんともZACTらしい──己の古巣らしいやり方だ。
飛び散る酒瓶の破片。バーボンが床板の継ぎ目を伝う。
【肝臓が破裂してる。大腿部からの出血もひどい。この歳じゃ三リットルも失えば……】
「言われなくても分かってる……!」
どうする。どうすればいい。医療の知識は専門外だ。医者はいるのか? いたとしても生き残ってるのか? きっと町の住人は今頃
十二歳だぞ。それが、こんな──こんなところで、こんな形で、おしまいだなんて。
俺たちはまだ、始まってもいなかったのに。
「う……」シオンの指が小さく揺れた。「お……じさ……」
「シオン……?」
生きている。生きている! 助かる! まだ望みはある!
虚実はともかくシュティードはそう言い聞かせた。言い聞かせる他に手立てはない。
いつだってそうだ。こんな時でさえ。それしか自分を奮い立たせる術を知らなかった。
ただでさえ白いシオンの肌が、蝋みたいに青白い。額に
──まるで、これから死のうって格好じゃないか。
「ごめんね、おじさん……」
揺れる瞳。青ざめた唇に不似合いな口紅。掠れる声でシオンはぽつりと呟いた。
「僕、おじさんを……騙しちゃった」
「なに……?」
「知ってたんだ……おじさんが、誰だか……」
か細い手を取るシュティード。ああ、馬鹿か、こいつは。何者でもないと言ったのに。
「でも……でもね……でもね、ぼく……ステージに……」
少年の瞳が壇上へ逸れた。全壊したマーシャル・アンプには見る影もない。
「ステージに……立ちたかったんだ」
「……黙れ」
「それだけは……ほんとなんだよ……」
「黙れ! 黙れ、黙れ! 黙れバカヤロー! 遺言のつもりか! 説教ならあとでかましてやる。これ以上余計なこと喋りやがったら俺が殺すぞ! いくらジジイの町だからって医者ぐらい……」
「大丈夫だよ……
シオンは笑う。笑おうとする。だけどなんだか頬が引きつって上手に笑えない。
歯を食い縛り、シュティードは床板を殴りつけた。
「……違うだろ……」
シュティードは、シュティードは──もう、どうしていいか分からない。
同期。パソコンの話か。命の話か。信念まで代わりが利くっていうのか。
ふざけやがって。そんなわけがあるか。あってたまるか。
「そうじゃあねえだろ……! 命は一個だ、代わりは利かない……。人生は一度で、魂は一つしかねえんだよ……。お前の……お前の代わりなんかいないんだ、どこにも」
「……そっか……じゃあ僕、おしまいなのかな」
答えない。答えられない。シュティードはただ俯く。
首を振るのは簡単だ。縦だろうと横だろうと。だが彼自身、少年が生き残るとも、ここで死ぬとも信じられなかった。
シオンは目を
「ねえ、おじさん……魂って、なんなんだろう……」
「……」
「なんだったのかな、クレイジー・ジョー……」
シュティードの
なんだ。本当に知ってたのか。知ってたのに。知ってたのなら、なんで、こんな。
「なりたかったな……」
そっとシオンの指先が動き、いつものコードを形取る。
「おじさんみたいに、なりたかったんだ」
「……おい」
それきりシオンは動かない。目は半開きでステージを眺め、指は
死んだ。
あっけなく、簡単に、一瞬で、少年シオンは死んだ。
なぜ。
なぜ、ここまできて。ここまできたのに。
「……やめろ」
膝を折ったまま、わなわなと震える唇で呟いて、シュティードは手を空へ伸ばす。
「持っていくな……俺は……」
気が触れたのではない。離れた魂をかき集めようとしている。大気中では目に見えぬ、たった二十一グラムぽっちの、薄い薄いイザクト粒子を──人を人となす魂そのものを、マキネシアの空に奪われぬよう、必死で掴み取ろうとしているのだ。
「俺は……」うわごとのようにシュティードは続けた。「そいつと約束したんだ……」
【…………】
「頼む……これ以上、俺に……約束を破らせないでくれ……」
両手が空を切る。そこにはなにもない。天井に空いた大穴の向こうに、砂漠の星がのぞいているだけだ。
何を見下ろしていやがる。何が楽しくて見下していやがる。これから帰るんだろう、シオンは、そこへ。もっと輝いてやるとか、なにか……なにか、ないのか。お前に向かって歌った一人の歌うたいの魂を、お前は無言で持っていくのか。
魂。魂とはなんだ。こんな、こんなにも軽く、目にも見えず、この手にすら掴めない姿なきものを──なんだって、俺たちは躍起になって求めていたんだ。
死んだらおしまいだ。その先はない。それで、おしまいじゃないか。
「……決めるのは……神じゃないと言ったな、シド……」
【……言った】
「なら、誰が決める」
【……】
「猫が……」
だらりと両腕を下ろし、シュティードは頭上を見上げた。
「箱の中の猫が生きるか死ぬか……俺が神なら……決められたのか」
膝元に少年の亡骸。左手に彼の忘れ形見。心臓には──心臓には、大きな穴。
なんだ。なにを喋ればいい。周りは焼け焦げていく死体だらけで、ジョークなんかかませる状況じゃない。ジョークをかます相手もいない。今は、とてもかませる気がしない。
祈ればいいのか? それで救われるのか? 誰がどうやって? それならなぜ奪った? どうやったら救われた? それとも、最初から救いなどなかったのか。
最初から。こんなことなら、最初から……。
「くっだらねぇ」
銃声が収まる頃になって、ようやっとシュティードは口を開いた。
「……こいつ、馬鹿だぜ。なぁ、そう思うだろ、シド」
【……シュティード】
「はっは!」
シュティードは笑う。高らかに笑う。砂漠の星への当てつけのように。
駄目だ。もはやシドに出来ることは、ただ、床板の染みに目をそらすことだけだ。
「ギターを守って死んだだと! 天国で一生馬鹿にされ続けるつもりか! 馬鹿じゃねぇのか! いや、馬鹿だぜこいつは! 傑作だ! 今世紀最大のジョークだよ!」
【…………よせ】
「そりゃあ言ったさ! 言ったぜ! ロックンロールに死んでやるぐらいの覚悟でやれって! 俺がそう教えたんだ! だからって! だからってよ、本当に死んじまう奴があるか! はっはっは! なにも本当に死ぬこたねぇだろ!」
【シュティード……!】
酒瓶を拾い上げ、ステージへと投げつけるシュティード。マーシャル・アンプの残骸にぶつかったそれが音を立て、焦げ茶色の中身と共に勢いよく散らばる。飛沫が火を纏い、またステージに炎が渦を巻いた。
「馬鹿じゃねえの」
業火の中、砂漠の星へと
「……こんなもののために、死んじまうなんて」
シオンのギターに目を落とすシュティード。彫刻入りのストラトキャスター・タイプだ。豊かな倍音、それから粘りのある中域と、輪郭のはっきりした低域。まさに至高の一品と言える。これで奏でられたクォーター・チョーキングは、
──ああ。なんで俺は、死んだ奴の演奏のことなんか考えてるんだ。
「こんなもののために……」
【……】
シュティードは力強くギターのネックを握った。シドのものより少し細い。自分が握りこむには小さすぎる。これを弾くのは、あいつでなきゃ駄目なんだ。駄目だったんだ。
もう、あの音はこの世の誰にも出せない。あいつの歌はあいつにしか歌えなかった。
なにがロックンロールだ。馬鹿馬鹿しい。町おこしだと。浮かれやがって。
大人のワガママでこいつを巻き込んだのは──他でもない自分の方じゃないか。人を殺した音楽をやっていて、そいつがこれからも人を殺していくだなんて、分かりきってたはずなのに。
悲しくはない。悲しみなどない。泣きもしない。俺に涙はない。
なら何故だ。どうした
この喪失感はなんだ。何を失った。俺は今なにを失った。たかだか子供の一人が死んだぐらいで、どうしてこうも意識が宙ぶらりんなんだ。
俺は────俺はなにを失った。
【……行こう、シュティード】
炎を横目にシドは言う。極力淡白に言うよう努めた。それで精一杯だった。
【ここにいてもZACTが来るだけだ】
「もういい……。もう、いいだろ、シド」
シュティードは立とうともしなかった。
「疲れちまったよ」
〝──明日もここで弾く?〟
〝──明日なんてない〟
〝──ボニーとクライド?〟
〝──銀行強盗に見えるか?〟
〝──ううん。役所のおじさんって感じ〟
「最初から……」シュティードは言った。「明日なんてなかったんだ」
手近な酒瓶を拾う。ターキーだ。こんな時にラッキーだなんて、馬鹿にしていやがる。シュティードは中身を一気に飲み干し、脳味噌がグズつくのに任せた。
【……感傷はわかるが後にしろ。早く出ないと……】
もういい。どうなろうが知ったことか。死ぬならそれでもいい。俺はもう疲れた。疲れることにも疲れたんだ。終わらない旅なんて世にはない。ただ終わらせていないだけだ。
ここで終わりなら、もうそれでいい。これ以上はごめんだ。
死ぬにはまだ足りない。どうせ死ぬなら酒で死にたい。ロックンロールなどではなく、裏切りを知らない愛すべき酒で。
そうして二本目を拾い上げたところで、青白い光弾が瓶を叩き割った。
「────ブラボォーウ!」
勢いよく飛んできた不愉快な声は、シュティードの脳味噌を一気に素面へ引き戻した。シドが振り返った先、海を割るように煙を裂いて、拍手と共に声の主が現れる。
男だ。シュティードと同じぐらいの歳だろうか。白いスーツに青いネクタイ……人情を知らぬ畜生の証明を身にまとっている。背後には同じ姿の連中がずらりと整列。三〇人はいる。みな粒子銃持ちだ。
そしてどいつもこいつも、返り血にまみれていやがる。
【……最悪だ……】
微動だにせぬシュティードを尻目に、つかつかと歩を進める男。鼻から上が鋼鉄の仮面に覆われていて、いまいち表情が掴みにくい。
「心臓の鼓動……」
にたにたと笑いながら、大げさな抑揚で男は続けた。
「それはあらゆる生物が最初に獲得した音楽……生まれる前から全ての命が知っている、この世で最も原始的なビート……。んあぁ、至上の美しさだな。汚らしい真空管アンプの
天にまします砂漠の星を仰ぎ、両手を大きく広げる男。
「やっぱり──音楽の力って素晴らしい!」
駄目だ。やばい。頭のネジが外れたサイコ野郎だ……シドはそう直感する。
「んん、死んでしまったか」
ごん、とシオンの頭を蹴りつける男。
「愚かな弟よ。安心しなさい。お兄ちゃんが後でちゃんと復活させてあげるか、らっ」
ごつん。ごつん。ごつん。革靴の爪先が打つのにならい、支えをなくしたシオンの首が力なく揺れる。亡骸の目は虚ろに開かれたままだ。そこに色味はない。
シュティードは何も言わない。言葉が浮かばなかった。表情なき鋼鉄の仮面──その瞳の奥に光り輝く粒子管の色を、じっと睨みつける。
「会うのは二度目だな、
「……」
「ジャンゴ」
赤子をあやすように男は言った。
「ジャンゴ=ジョアナ=ジャックローズだ。階級はないよ。私はZACTの影だから。君がそうだったように」
【……?】
歪に上体をねじり、シュティードの顔を覗き込むジャンゴ。
「グズもここまでいくと芸術だな。他人の後始末を請け負うさだめに生まれた者らしく、大人しく体制側で歌っていれば良かったものを」
シュティードは答えない。じっと炎を見ている。
どう燃えればいいかを、確かめている。
「第三分社のバディから、スヘッツコーツに君が潜伏していると報告を受けた。いやいやまったくおかしな話だよ。シオンからは、ここにはもういないと聞いていたのに……」
「……」
「やっぱり子供にギターなんて持たせるものじゃあないなあ。悪い大人にたぶらかされてしまう。人を容易く変えうるのが音楽の力だが、使い方も考えものだよ」
ジャンゴが首を傾ける。銃声が一発。シオンによく似た銀髪が僅かに散り、弾丸が壁にめり込んだ。
「君もそう思うだろう、ロジャー=ホーキンス」
シュティードが振り向く。ロジャーは確かにそこにいた。いたが、喜ばしい状況ではない。三〇門近い銃口を向けられてなお、ロジャーは銃口を下げなかったし、シュティードを見ようともしなかった。
わかっている。無傷で生きているということは、そういうことなのだろう。彼は彼で、彼の為に戦っただけに違いない。
「君は……」ジャンゴは背を向けたまま続ける。「馬鹿なのか。私の合図一つでスポンジばりの蜂の巣になるんだぞ」
「やれるもんならやってみやがれクソったれがぁ!」
怒りに染まった赤ら顔。両の手を小刻みに震わせながら、ロジャーは語気を荒げた。
「話が違うぜ……! 歌うたいを売れば町は助けると言ったはずだ!」
「んあぁ、言ったような、言わなかったような……」
「ふざけるんじゃねえ! こんな……誰が望んだ? こんなこと……」
「嘘は言ってないだろう。町には手を出しちゃいない。町にはな」
ジャンゴが指を弾く。ロジャーが引き金を引くより速く、光の
「
そう言って、ジャンゴはシュティードに向き直る。見下すのが趣味なのだ。そういう顔をしている。
くそったれが。まったくだ。奴は
どいつもこいつも、あっさり死んでいきやがって。どうせ売り飛ばすなら、大人しく家でラジオでも聴いてりゃ良かったんだ。
シュティードはこみ上げてくるムカつきを押さえ込み、歯の隙間から小さく声を漏らす。
「……エサに使ったな、ロックンロールを」
「私の発案じゃないけどね。正直言って、君が乗るかどうかは運任せなところもあったし……どっちでも良かったんだ、別に。だが私は満足してるよ。音楽の力を確かめることができた」
顎先を上げ、髪をかきあげるジャンゴ。
「市街に残った反体制の芽と、掃き溜めの不燃物をまとめて始末できる……。これはエコだよ、
「……」
「民衆を、国をすら揺るがす────神がこの世にもたらした、大いなる力だよ」
ジョークじゃない。この男は本気でそう言っている。余計な微笑みがないぶん分かりやすい。そして、それだけにたちが悪い。暴くだけの上辺がないからだ。
さて、とジャンゴは襟を正した。
「国家電脳戦略特区都市所属、ZACT中央本部戦線開拓部門四課、元・嗜好品取締執行官、シュティード=
「……とうにやめた」
「ノンノン。そうじゃあない。ZACTという組織に存在した事実すら抹消される、ということだ。君はここで死ぬ。イザクト事変の実行犯──八億ネーヴルの賞金首として」
八億。また随分と強気な値段に出たものだ。いつもなら鼻で笑い飛ばしてやるところだが、あいにく今日のシュティードは虫の居所が悪い。そいつは火に油だ。
「……金が目当てか」
「馬鹿を言え。金というものはビスケットと同じだ。叩けば増えるし──アンドロイドはビスケットを食べない」
ポケットを叩きながらせせら笑い、ジャンゴは続ける。
「君が尻拭いに失敗したからネオ・ラッダイト運動が起きたわけだし? 間接的とは言え君は戦犯だよ。そうだな。そこに殺人と、公務執行妨害と、公文書偽造と……まぁ、私の気分でいくつか足しておこう」
どこまでも
「安心してくれ、
「……」
「君はナンセンスだ。だから人生もうまくいかない。気の迷いはここらで終わりにしろ」
シュティードの歯が
「
「黙れ」
「理想? 夢? 自分らしさ? 未来を掴めるとでも錯覚したか? それとも──魂とかいうおちゃらけた
「黙れ……!」
「浮かれやがって」
がいん。シュティードの拳が床板を打った。
「黙れッ!」
「ハッハァー黙りませぇーん! 魂! 二十一グラム! 人となりの全て! こいつは傑作だな。君にそんなもの見つけられるわけがないのに。そんなくッだらないことの為に死んでゆくんだぞ? 君も、シオンも、そこのジジイも。掃いて捨てるほどいた、ロックンローラーとかいうゴミ同然の連中も!」
「てめえ……」
「それで君は一体なにを掴んだんだろうな? ええ! イザクト事変じゃ飽き足らず、これだけのアホ共をたぶらかして! ハエ同然の無意味な人生を送らせて! 君は一体なにを手に入れたかったんだ! なにか手に入ったか! 釣り合うものだったか! これでもまだ夢を追うことが素晴らしいだなんてほざけるのかな!」
老人、青年に、子供……ジャンゴは順番に死体を指す。いつだかシュティードを蔑みの目で眺めていた、あの少年もそこにいた。そこにあった。頬に涙の跡。胸に風穴。半身が焼け焦げている。
最後に指をシオンへと戻して、ジャンゴは亡骸の頭をつつく。
「現実を見ろ、
その言葉が、押してはならないシュティードの中のスイッチを押した。
「……なんて言った……?」
ぎぎぎ、と
「負け犬だと……? 未来はないだと。意味がないだと!」
「言ったね」
「俺はそうかもしれねえ……だけど……だけどこいつは違った……!」
うんともすんとも言わないシオンを見て、シュティードは続ける。
「こいつは負け犬なんかじゃない……! 夢に
「あそう」
「こいつだけじゃない……! ここに住んでる連中はみんな戦ってた! 厳格化で全てを失って、この掃き溜めに流れ着いて! それでも……」
「泣かせるね。売られた分際でよくそんなことがほざけるな。ラブアンドピースってやつか? 古臭い考え方だ」
「売るしかなかったからそうしたんだろうが……! そうさせたのはてめえらだろうが! それでも生きてたんだ! 他人のことなんか構ってられないぐらい切羽詰まった状況で……こいつらは生きてたんだぞ! この町を建て直すために!」
はん、とジャンゴは鼻で笑う。
「だから死ぬんだよ。ロックンロール! 酒! 煙草! 馬鹿な話だな! 町おこしでもやってたつもりか? そんな遺物で何が変わるんだ? なにか変わったか? いつまでもだらしなく過去にすがりやがって」
火のついた木片を拾い上げ、死体の山へと投げ込むジャンゴ。
「そんな連中は死んで当然だ」
【貴ッ様……!】シドが怒気を露わにする。【それが人間のやることか!】
「あのさぁ馬鹿なの? 私が人間だったとしてもやる事は一緒だよ。人か機械かなんてのは些細なことだ。大事なのは魂なんだろ、君達風に言えば」
ジャンゴは──ジャンゴというアンドロイドは、悪びれもせずにそう言う。
「大体さぁ、君がロックンロールさえやってなきゃ、この町にさえ来なきゃ……私だってこんな面倒なことはしなくて済んだんだ」
「……」
「まさかロックンロールがこいつらを殺した、とか思ってないだろうな?
シュティードが先に痺れを切らした。
もういい。お喋りは終わりだ。こんな野郎とコミニュケーションなんて成り立つわけがない。
どっちだろうとこいつは死ぬ。ここで殺す。シュティードはそう決めた。
それが、どれほど意味のないことであっても──そう知っていても。
「……てめえが誰だかなんて知ったこっちゃねえし、興味もねえがな……」
「ジャンゴだ。ジャンゴ=ジョアナ……」
「十二のガキもろとも吹っ飛ばしたんだぞ……ましてや、自分の弟なんだろ」
「形式上はな。アンドロイドに家族などいない。どこまでも独りだ」
首を傾げるジャンゴ。鋼鉄の表情が
「それがなんだ?」
「なんか言うことねえのかよ……?」
「悲しみなど時代遅れだぞ、
踏みつけられるシオンの亡骸。歯茎をむき出しにしてジャンゴは笑った。
「命なんて、いくらでも代わりが利くものなんだから」
「そうかい」
激情だけが彼を突き動かした。それでさえ、なにもないよりはマシだと思える。
【おい。待て、待て!】
ゆらり。シュティードは立ち上がる。その左手にシドを引っ掴んで。
「死んだらきっと考えが変わるぜ」
【駄目だ……! 駄目だシュティード! 貴様の粒子が……怒りの触れ幅が大きすぎる! この容量じゃオレ様の演算が追いつかない!】
ジャンゴは笑う。なんだこいつは。何がそんなにおかしいんだ。ふざけやがって。
瞳に紅の歯車。心臓が
あの時と同じだ。この掃き溜めを生み出した時と。
全てを。
全てを砂粒に、灰に変えろと──
【よせシュティードッッ!】
「────イザクトレーション」
じゃらりと響く
お前はきっと、送り返すだろうけど。
──
どこをどう動かしたかなんて覚えちゃあいない。ステージでギターを弾くのと同じだ。けれど、比べようもないぐらい最低の気分だった。
殺して、殺して、殺しまくってやった。畜生どもの白いスーツが気に入らなくて、オセロでもするみたいに真っ黒に染めてやったのだ。
気付いたらそこは血溜まりだった。あたり一面死体の山だ。どんなに忙しい火葬場でもこうはならない。建物は軒並み全壊で、老人達が築き上げた復興の象徴は、一つも残らず真っ平らな砂一面に戻っていた。
あの世で奴らに半殺しにされるだろう。復興はまたゼロからやり直しだ。
いや。もう、この町に住む者は誰もいないか。
【……シュティード】
「聞こえてる」
【……】
満身創痍。意識は明瞭。左手にシド。右手にジャンゴの首から上。千切れたケーブルがばちばちと火花を散らしている。こんなもの、持って行ってどうしようと言うんだ。餞のつもりか。野良猫じゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい。
どこだ。俺は今どこを歩いている。服はズタボロ。返り血まみれ。灰と煙と死の臭いだけが、この身体を引き寄せている。
ステージへ。あの、陰惨なステージの方へ。死体を踏み越え、町の残骸を蹴り飛ばし、ただ、あそこへ──シオンの元へ。
『やってくれたな、
首だけのジャンゴが、アルミがかった金属質な声で言う。町の話ではあるまい。
『意固地なのは知っていたが、ここまでだとは』
シュティードは構わず酒場を……酒場だった場所を目指した。ジュリアス・バッド・アスのチープな電飾も、今となっては趣があったと感じる。
馬鹿な話だ。壊れればなんだって価値があるものだ。死んでから分かったって、どうしようもないのに。
扉だった外枠を蹴り破り、ロジャーの死体を踏み越える。シュティードはジャンゴの残骸、その頭髪部分を引っ掴み、物言わぬシオンの眼前へと叩きつけた。
「詫びろ」
『ブッサイクな寝顔だなあ』
鋭い蹴りが一つ。ジャンゴの頭が焼け跡の上をごろごろと転がる。
『私を殺してどうするというんだ、
「知ったことか」
『思い上がるな、
そうなったら君はどうなる? ロックンローラーでも、
「……」
『そうしてまた、馬鹿な子供を殺すのか?』
駆動音と共に左目を動かし、ジャンゴは静かな口調で
『なぁ、
捻じ曲がった哀れみが、シュティードをこの上なく不愉快にさせた。
『今度は一人じゃない。我々は同士だ。もう君に孤独な戦いをさせたりはしない。共に、このマキネシアを手に入れようじゃないか────音楽の力で』
たわ言だ。下水道で死に損なったゾンビと大差はない。どんなおべんちゃらを振り撒いたところで、結局こいつも道連れが欲しいだけだ。そんなものを仲間だとは呼ばないし、シュティードには仲間など必要ない。ついさっき、必要なくなった。
「くだらねえ。俺は──」
シュティードはそこまで口を開いて、続きが出てこないことに気がついた。
誰だ。誰だ。誰なんだっけ。
今は何者だ。かつて俺は何者だった。未来の俺はどうあればいい。
違う。大事なのはどうなりたいかだ。そう信じていたはずだ。俺はそう生きてきた。生きてきたはずなのに。どうしてだ。どうして続きが出てこない。
なあ、
「……俺は」シュティードは。「俺は……」
破壊の爪痕に、ただ
『聞かせてくれ、
「……べきべきべきべきうるせえ野郎だ」
未来を諦め、未来を捨てきれず、未来を望み、そうして未来を殺した。
馬鹿馬鹿しい。くだらない。おしまいだ。ロックンローラーだなんて死んでも名乗れない。あの世でシオンが笑っていやがる。なり損ないは今に始まった話じゃない。
さだめか。ただの結果か。それとも、ただの結果をさだめと呼ぶことで飲み下すのか。
もう、どっちでもいいか。酒と一緒だ。飲んでしまえば何度だろうが変わらない。
「俺は……」
ああそうだ。そうだとも。そう望んだのはお前達だ。お望み通りそうしてやる。
何者でもない。
俺は、ただの。
「
スペシャル・サンクス、ロジャー。左手が選んだのは銃だった。
◇
夜明けと共にやってきた雨が、町をさ迷う死人達の魂を空へと
雨音が嫌いだ。陰気臭くて、じめじめしていて、ギターの音を掻き消すから。
墓を立てた。シオンの墓を。ぬかるんだ砂の下に埋めて、ギターを突き立てただけの、ちっぽけな墓を立ててやった。名前を彫ったりはしない。ストラトキャスター・タイプのピックガードに記された彫刻だけが、シオンの名前を知っていればいい。
シュティードに出来ることは、もうそれぐらいしかなかった。鎮魂歌に用はない。死んだ奴の為に歌ったってしょうがないのだ。
そんなのはただの慰めだ。そして、慰めにも癒せない傷はある。
焼け野と化したブラストゲートの外れ。高い、高い、崖の上を目指し、鋼鉄のふたりは静かに歩んだ。雨で体が錆びつくのを感じながら、ステージへの階段を上るように。
眼下には鉄クズの山。雨傘みたいなパラボラの屋根の下、野良猫達が身体を濡らさぬよう身を寄せ合っている。
あれは、かつての俺たちだ。
【……どこへゆく】
重い足取りにつられて揺られながら、シドはぼそりと語りかけた。
【どこへゆくんだ、シュティード……】
返事はない。よくあることだ。けれど、いつもより沈黙が重い。
【次は……どこへゆけばいいんだろうな……】
「……」
【なぁ、シュティード……】
鋼鉄の崖、その淵の淵。がん、と廃材を踏みつけて、シュティードは雨の砂漠を一望する。希望は見えない。雨雲のはるか向こうには、十二角形のシャッターに囲まれた市街のシルエットが見えるだけ。錆びた鉄の臭いが
幾度となく見たこの島の象徴──ZACTが築き上げた
「お別れだ、シド」
シドは答えなかった。
「とっくに終わってた」
胸元から煙草を取り出すシュティード。いつものアークロイヤルに、いつものコリブリで火をつけ、そして最後の煙を吐き出す。
「終わらない旅なんてこの世にはない。そいつはただ、終わらせてないだけだ」
【……】
「おしまいなんだ、シド。今度こそ……。ロックンロールはもうやめだ」
【な……】
「こんなくだらないものに夢を見た、俺達が馬鹿だった」
暗いシュティードの目は、風よりも冷え切っていた。
ぐるぐる、ぐるぐると、シドの脳裏を砂漠の日々がよぎる。死に損ね、出会い、名付けられ、戦い、折れては戦い……その繰り返しの日々だ。
あの日も雨だった。負ける時はいつも雨が降っていた。だから嫌いなんだ。体が機械かどうかなんて、
【……ふざけるな】
シドは小さく、しかし強張った声で口にした。
言うべきではないとわかっている。けれど、今までだってそうしてきた。言うべきでないことこそ言ってきたのだ。だから最後までそうする。
でなければ、本当にこれが最後になってしまいそうな気がしたのだ。
【やめるだと……? やめるだと! ここまできて! 打ちのめされて、立ち上がって、また打ちのめされて、それでも立ち上がった! 貴様は──オレ様達はそうしてきたじゃないか! それを……それを今更、そんな簡単な言葉で終わらせるつもりか!】
「そうだ」
【それこそ……それこそ貴様の自己満足だッッ! シオンは死んだ! オレ様達と関わったばかりに、あんな結末を迎えたんだぞ! ここでやめたらシオンの気持ちはどうなる! 誰がそれを継ぐんだ! 誰があいつを語り継いでやれるんだッ】
張り裂けんばかりにシドは叫ぶ。雨粒すら彼の声に震えた。けれど、肝心のシュティードは見向きもしない。説法を聞き流すようにして、ぼうっと雨雲を眺めている。
【やめてどうする! 死ぬのか! 何者でもなくなって、なろうとすることすら諦めて! そうしてあの世へ行くか! どのツラ下げてシオンに会うつもりだ! 死んだあいつになんて言葉をかけてやればいい!】
「死人に言葉なんてかけるべきじゃない」
【……シオンなら、こんな結末は絶対に望まない……! あいつは貴様に魅せられてロックンローラーになったんだぞ! 追いかけていた奴がこんな形で音楽をやめるだなんて、そんな……そんなことがあってたまるか……!
こんな終わり方じゃ、死んだシオンが報われないだろうが……!】
「どうでもいい」
瞳が斜めがちに空の方を向いた。
「死人には……生きてる奴にすら……報いなんてない」
そんなことはシドも身に染みてわかっている。だから、ますます苛立ちが
【貴様を信じたオレ様の気持ちはどうなる! オレ様だけじゃない! メリーやザイールは! アイヴィーは! ジーナは! ロジャーやオーガストは! シオンの気持ちはどうなる! 奴らだけじゃない! 貴様の歌を待っている、未来のロックの申し子達の気持ちはどうなるんだ!】
ずんと肩が重くなった気がして、シュティードは少しだけ背を曲げた。
「……知ったことか。知ったことかよそんなもの。何が気持ちだ。何が魂だ。下らねえ。魂でコミニュケーションが成り立つか? ボトルメールに小説書いて流してる方がよっぽど現実的だぜ」
【貴様……!】
「俺たちが一体何を掴んだ? 手に入れた物と失くした物を
【…………】
「俺たちは間違ってたんだ。希望に目が
あいつは、と続けるシュティード。
「……シオンはまだ十二のクソガキだったんだ。やりたいことも、いきたい場所も、なりたいものも沢山あった。きっとどこへだって行けたし、何にだってなれた。
そんな、世間知らずのどうしようもねえクソガキの骨を砂の下に埋めて……。そうしてロックンロールを蘇らせて、俺は一体誰の為に歌えばいい」
馬鹿な話だ。誰かの為に歌ったことなど一度もなかったのに。
たった一度。たった一度の〝砂漠の星〟をシオンに捧げたばっかりに──そして、その成れの果てとしてこうなってしまったばっかりに、シュティードは自分の音楽の在り方を見失ってしまった。
「死んじまったら未来もクソもない。どんなツラして、ステージに立てっていうんだ」
ロックンロールは神様じゃない。たとい神であったところで神にも裏切りはある。音楽は誰かを救う為にあるわけじゃないのだ。
そんなくたびれた考え、掘り起こす価値もない
【……そんな言い草はやめろ……!】
「なにがだ」
【オレ様だってわかってるさ……! だけど、だけど……】
潰れんばかりに瞳を歪め、シドは苦々しく口にする。
【ここでやめたら、シオンはまるで、言い訳の為に用意されたみたいじゃないか……】
がつん。クズ鉄を打つ革靴の
「死人を言い訳に使ってんのはお前の方だろうが……!」
シドのケースの両端を引っ掴み、犬歯を剥き出しにして激昂するシュティード。砕けそうなほど食い縛られた歯の隙間から、押さえつけていた言葉が這い出ようとしていた。
最後まで言うまいと決めていた言葉だ。彼にとっては今がその時だった。今度こそ。
シュティードにその決意を固めさせるほどに、
「お前に俺を
【……】
「気付いてないとでも思ってたか? 血反吐ぶちまける思いでお前を追いかけてた俺が、気付かないとでも思ったか! 見くびられたもんだな!」
ばつが悪そうに目をそらすシド。何の話かは理解している。お互いに、感付いてはいたらしい。
どの道いずれは暴かれることだ。ただ、最悪のタイミングでそうなっただけで。
【……わかっていたよ。貴様が〝
その言い草が気に入らなくて、シュティードはまた目を細める。
「あぁーそうだよ、クレイジー・ジョー! 俺がてめえのツケを払ってやった! 体制側にすり寄ったロックンローラーとしてな! てめえの下らねえ
【……】
「てめえが死んだと噂が流れてから、ストライキは激化する一方だった……! 俺はそいつを押さえ込む為に、死人の代役なんてクソくだらねえ真似を続けてたんだぞ!」
シュティードがぶちまけた洗いざらいは、おおむねシドの──クレイジー・ジョーの予想通りだった。
シドが名も知らぬ〝エヴァー・グリーン〟なるアルバムに、覚えのないカントリー・バラード。そして、クレイジー・ジョーへの並々ならぬ執着。全てがシュティードの立場を物語っていた。
この男は本気でなろうとしていた。実際になろうとして──なり損なったのだ。そして恐らくは、それゆえ街の一輪がざらめに噛み砕かれたに違いない。
シュティードは語気も荒げに続けた。
「仕事だからだ……! それ以上でも以下でもねえ……! そいつが俺のさだめだった! 思想も、信条も、なにもかも丸っきり違う人間に成り代わるんだ! そいつがどれだけ馬鹿な話かわかるか! シカゴを
シドは──クレイジー・ジョーは答えない。ただ
「言われるがままに曲を書いた……! お前という人間のエッセンスを噛み砕いて、俺はそいつを歌にした! 〝砂漠の星〟はその時生まれた曲だ……!」
【……だろうな】
「だってのに、どうだ! クレイジー・ジョー・フリークの連中ときたら! 曲の雰囲気が以前と変わっただ、ZACTに魂を売っただ、ブレやがっただ! 挙句の果てには、今の曲には魂がこもってないだとぬかしやがる!」
【……】
「その顛末がネオ・ラッダイト運動だぞ……! ドル箱いっぱい馬鹿げた話だぜ! どいつもこいつも死人の言うことにいちいち振り回されやがって! 魂なんて、形のないものに踊らされやがって! わかったようなことを薄っぺらにほざきやがって!
ありもしないものを、馬鹿の一つ覚えみたいに有難がりやがってッッッ」
蹴り飛ばされた廃材が放物線を描いて落下し、パラボラの雨傘を直撃する。にゃあご、と叫び声をあげて、野良猫達がしゃにむに散っていった。
「まだ俺に望むのか……! 何をだ! これ以上俺に何をさせるつもりだ! 他人の尻拭いをさせられて、失敗して、この掃き溜めを生み出した! 誰もそんなことは望んじゃいなかったんだ……! 散々民衆を煽り立てたてめえ以外はな!」
【違う! オレ様は……】
「なにが違うんだ、ネジ巻き野郎……!」
シュティードがシドを引き寄せ、
「てめえはテロリストだ……! ロックンロールを使って思想犯罪をやらかした! ストライキを起こして、聴衆を
【……それは】
「違うってんなら答えてみろ……! なんであんな曲ばかり書いたんだ……! 禁制品への欲求を煽り立てて、権力への反抗心を植えつけて! なにが伝説のロックンローラーだ、笑わせんじゃねえ! 結局てめえも、音楽を利用しただけの薄汚いクズヤローだ!」
【……】
「違うか! なんとか言え、クレイジー・ジョー……!」
突き放されたシドが、がっくりと傾く。項垂れているのだ。
シドの胸中に渦巻いた居心地の悪さは、とても言葉になど出来ない。どう言葉にすればいいかも忘れてしまった。こういう気持ちは、今までずっと音楽に託してきたから。
どう伝えればいいのだろう。シドにはわからない。わからなくなってしまった。
いつかは──いつかは言わなきゃいけないと、ずっと思っていたことだ。
後ろめたさと一緒に生き返った。どんなに楽しい時間を過ごしても、死神が首筋に鎌を
【……飲まれたんだ】
激しくなる雨足と反対に、シドはぽつぽつと語り始めた。
【最初は……最初は、この島でロックンロールを繁栄させるつもりだった。本当だ。だがいつからか……自分の音楽が、世の中に響いたと確信した瞬間から……それだけでは満足できなくなった。
何もかもが足りなかったんだ……金も、女も、名声も、腕前も……そう思っていたんだ。だから、だからオレ様は……このいわくつきのギターに手を出した。クロスロード伝説の悪魔が宿った、この、ギターに……】
自らの体に眼を落とし、シドは失笑する。
【……声がしたんだ。悪魔の声が。夢の中で、カセットテープを再生すると、とても自分じゃ生み出せないような音楽が流れてきて……。そいつは、オレ様の目を眩ませるには充分すぎるほどの輝きだった。
その頃からだ。普通のリリックじゃ満足できなくなったのは。反抗をテーマに歌い、そして人々がそれに感化されることに、オレ様はこの上ない喜びを感じるようになった。心が満たされるんだ、フィッシュアンドチップスを腹いっぱい食べたときのように……。
心臓の奥に出来たもう一つの胃袋が、反抗心を求めていた。そしてその捻じ曲がった食欲も、炊き付けた民衆のボルテージも……気づいたときには、オレ様の手には負えないものになってしまっていたんだ……】
「……」
【それが正解だと、そうあるべきだと……そう信じて疑わなかった】
盲目だったのさ、とシド。
【……夢に囚われすぎた。夢中にいれば人の視界は狭まる。片目が見えなくなる。ここじゃない、まだ足りない、もっとやれるはずだ……いつの間にかそう信じ切って引き際を見失う。そして多くの物を失う。
オレ様は、実際に失ったんだ。右目も、友も、家族も、未来も、命も……】
残された一つ眼をゆっくりと開き、彼はシュティードと目を合わせた。
【まるで、悪魔に魂を売り渡したみたいだった】
二十一グラム。またそれか。シュティードの下顎に力が込められる。
【……いや、きっとオレ様は、本当に売り渡したんだ……。そうして今度は、自分が悪魔になってしまったんだな】
「……」
【……すまなかった、シュティード】
犬も食わない言い草だ。シュティードはどうしていいかわからなくて、また手近な廃材を蹴りつける。
「そんな自己満足が聞きたかったわけじゃねえ」
【……なら……なら、オレ様にどうしろというんだ!】
卑怯な言葉だ。シュティードはそう思った。プライドの壁を越え、自分を恥じて、抱えた罪悪感の解決を、傷つけた相手に委ねるだなんて。
【たしかにオレ様の
こうなると知っていたら……人生に二周目があるなんて知っていたら、オレ様は……】
「……」
【オレ様だって、もっと……】
もっと……と、呪いのようにシドは繰り返す。ついに続きは出てこなかった。
ああ、そうだとも。今更どうしようもない。猿でもわかる。だから卑怯な言葉だと罵るのだ。でなければ、この
シュティードだって、そういう行き場のない気持ちを処分する方法は、音楽以外に知らないのだ。
【……どうしようもないから、貴様と旅をしたんじゃないか……。ロックンロールを絶滅に追いやったオレ様が、この身体で出来ることと言えば、それぐらいしかないじゃないか……。他に……他に、
ばつんと、シュティードの中でゼンマイが切れた。両腕がまたシドに掴みかかる。相手が生身の人間なら絞め殺しているところだ。
「償いだと? そいつが本音か! 俺たちの旅を! 戦いを! お前はそんなくだらない名前で呼ぶつもりか! 今までのことは全部、お前の自己満足の為に仕方なくやってきたことだってのか!」
【違うッ!】シドは叫んだ。【確かに償いのつもりではあったが、それだけの為にここまで来たわけじゃあない! 本当だ……!】
「だったらどうして最初に正体を明かさなかった……!」
【……それは……それを言うなら、貴様だって言わなかったじゃないか! なにも! なにひとつ! オレ様がクレイジー・ジョーだと気付いていたなら、なぜ自分がその後釜だと明かさなかった!】
「語るに落ちるぜ……! 決まってんだろ、そんなもんは……」
押し黙る二人。雨音だけが彼らの
言う必要などないと思っていた。お互いにそうだ。何者だろうがどうだって良かったのだ。過去など知らなくとも共鳴していると──そういうフィーリングが、そこにあると信じていた。
「……」【……】
最初から。
最初から、どちらともが何もかもを包み隠さず打ち明けていたら──きっと、お互いに責め合うようなことはしなかっただろう。
だが、遅すぎた。もはや今となっては……。
「最初から、こうしておくべきだったんだ」
ケースを引っ掴み、歯を食いしばり、それすら
「あばよ、シド」
【待……】
──相棒を、捨てた。
●
ハロー、マキネシアDブロック。オレ様の名はシド。楽しいお話はこれでおしまいだ。鋼鉄の二人を取り巻く時の流れというものは、およそその日の雲間に集約されていたのだと思う。
その日、野良猫達は食いはぐれて、雨雲と一緒に死んだのさ。
知っていたよ。きっと、鋼鉄のふたりは似た者同士だった。
どちらも音楽を救おうとしていて、そして、誰よりも救われたかったんだ。
突然だが一つ問いたい。過ちを犯したことはあるか? そう、貴様だ。貴様に聞いてる。一度目を閉じろ。十秒くれてやる。
十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。そこまでだ。
どうだ? なにか思い当たったか? あまりいい気分はしない? それとも、そんなこともあったなと笑い飛ばせる? 後者なら順風満帆だ。きっと貴様の人生は、これからも上手くいく。だが前者の奴は気をつけろ。きっとオレ様と同じ道を辿る。
マキネシアの神いわく、人が犯した過ちというものは──無数に区切られた時間の流れというゲームの盤上に
本当にそうか? 休みは一度で済むのだろうか? 一度しくじってしまえば取り返しがつかなくなる……そういう過ちだってこの世には存在する。なにも言い訳するわけじゃないが、誰しもそういう過ちを犯す可能性の下に生きているはずだ。機械じゃあるまいし、生まれながらに完璧な人間などいない。
では、その過ちを許すのは誰だ? 誰もが過ちを犯すのに、許す権利は神しか持っていないのだろうか? それが正しいのなら、神が犯した過ちは誰が許す?
いや、詭弁はよそう。たとえ誰かから許されたところで、自分自身が許せなければ、そいつはずっと過ちと共に生きていくことになるんだ。逆に自分が許したところで、誰かに許してもらえなければ、それもまた……。
シンキング・タイムだ。頭を回せよ、ミスター・ノーバディー。
貴様にとって大事な何かを、他ならぬ貴様が無茶苦茶にした。誰もが貴様を恨み、貴様ですら貴様を恨み……そうして出来上がった
貴様ならどうする? 自分で自分を許せるか? よしんば自分が許したところで、次は誰に許しを乞えばいい? その戦いはいつまで続く? それは本当に償いと呼べるのか? 世に許される罪などあるのだろうか?
そしてそうなった時、プライドの壁を越え、自分を恥じて、抱えた罪悪感の解決を傷つけた相手に委ねられるか? そいつは本当に正解か?
時の流れが神だというなら、そいつが許してくれるのか?
猫が……箱の中の猫が生きているか死んでいるか、決めるのは誰だ?
オレ様にはわからない。わからないのさ、いつだって。
だから今も戦っている。そして、まだ戦っていたい。それを戦いと呼ぶのか、償いと呼ぶのかはわからない。
終われないんだ、本当は。こんな形で終わりたくはないんだ。たとえそれが、終わらせていなかっただけの旅だとしても。
だけどあいつはどうだろう。オレ様を許してくれるだろうか。頑固だからな。
エゴイストの自覚は充分に持っている。許されなくてもいいんだ、本当は。この世の誰もに憎まれ続けようと、ロックンロールが──オレ様が
だけど、あいつにだけは。シュティードにだけは……。
ハロー、マキネシアDブロック。オレ様の名はシド。音楽を殺した永久戦犯。
今日も今日とて回る世界をどうぞよろしく。
願わくば、最後まで、ともに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます