Track12.eXamine Your Zipper




   ○




 ハロー、マキネシアDブロック。私の名はI.Vアイヴィー。煙草とネットが大の親友。

 一つ言い訳させてくれ。自撮りは別に趣味じゃない。本当に仕事なんだ。まあ、ちやほやされて悪い気はしないけどね。どうせ仕事をするなら楽しいに越したことはない。

 語りすぎるのはよくないよな。だから本題にいこう。何だって、暴きすぎは美しくないものさ。秘密が女を飾るんじゃない。女が秘密を飾るんだ。今朝の朝食がアボカドと林檎だけだった、なんて下らない秘密でも、パーティーに着ていくドレスぐらいにはなる。


 シンキング・タイムだ。頭を回せよミスター・ノーバディー。

 男という生き物について一つ分からないことがある。ああいや、お前の周りの男がどうかは知らないから──そう、とりわけ掃き溜めに住む男について、と言い直そう。

 奴らにはこだわりがある。それも病的な奴だ。美学だとか、信念だとか、口にするほど陳腐になっていくものさ。私にはあれがどうにも分からない。いや、理解がないわけじゃない。ただ共感できないってだけの話さ。

 類推するに、奴らにとってあれはアイデンティティの一つなんだ。だから病的なまでにこだわる。自分の鋳型いがたを歪めたくないんだろう。

 どうだい、ミスター・ノーバディー。お前は自分が何者でもないことに恐怖したことはあるか?

 私? 私はないね。悩むだけ無駄さ。そんな大層なことじゃないだろ。だって、自分のの在り方なんてものは考え方一つでどうにでもなっちまうものなんだから。

 そうとも。死んで機械になった人間だって、考え方一つでどちらにでも転ぶに決まってる。そうあるべきだ。きっとジーナもそう言う。過去に囚われるなんて馬鹿らしいね。

 生憎、私達はドライなんだ。

 いついかなる時も全てにおいて、男よりは女の方が乾いてるものなのさ。




 ハロー、マキネシアDブロック。私の名はI.Vアイヴィー。潤い肌に乾いた心。

 今日も今日とて回る世界をどうぞよろしく。




   ◇




 それはちょうどシュティードがトレーラーを置き忘れた時分……請負人一行の隠れ家が〝蜂の巣〟事案によって全壊する少し前のことだった。

「そういやお前、今いくつなんだ」

 キルレシオ・ドライヴの残り火から引っ張り出したフリップブラックの残骸を弄りながら、ウィンチは飄々と砂を踏む。バッカスもその後ろを行きながら答えた。

『生後三時間デス』

「洒落の利いた奴だ。まあいい」

 バッカスにジョークを言ったつもりはなかった。人と機械の狭間を問うた際の答えから察するに、ウィンチはそうとうに年季の入ったアンドロイドに違いない。彼の歩んできた道のりからすれば、生後三時間の自分など──それこそ少年ボーイだ。

 ふとウィンチが後ろを振り返る。屹立するは白い壁。市街を囲む隔壁シャッターだ。なんだか棺桶みたいだなとバッカスが思ったところで、ウィンチが口を開いた。

「新・禁酒法の厳格化はマキネシアを二つに隔てた。即ちクリーンな部分とダーティな部分にだ。差し詰めあのシャッターん中は、浄化槽ってワケだよ」

 路傍の酒瓶に目を落としてウィンチは続ける。

「なぜ新・禁酒法が厳格化されたか分かるか?」

『ネオ・ラッダイト運動の所為でショウ。産業の機械化、嗜好品の規制、増え続ける平均労働時間に反発を覚えた市民が武器を取り、ZACTザクトに対して暴動を起こしマシた』

「そうだ。なぜ奴らは暴動を起こしたと思う?」

『……なぜもなにも……述べた通りでありマス』

「だよな。じゃあ聞き方を変えよう。何が奴らをストライキに駆り立てた?」

 バッカスは答えに詰まった。先述した以上の答えは彼の中にはない。この男が求めているのはそれ以上の何かなのだ。しばらく黙っているとウィンチが肩をすくめて続けた。

だ」

『は?』

 ウィンチはバッカスの言葉を待たない。最初からこの話がしたかったのだろう。こういうところだけはどうも回りくどい。もったいぶった話し方をする癖に、いまいち要領を得ない言葉で本質を飾り立てがちだ。

 あるいはそれが、このアンドロイドが放つカリスマじみた雰囲気の正体なのだろうが。

「一人の歌うたいが大衆を洗脳しちまったのさ。エレキギターの歪んだ音でもってな。だからロックンロールは課税対象になり、そしてついには禁止された」

『……』

 クレイジー・ジョーさ、とウィンチ。

「誰かに飼われて生きるなんて馬鹿らしい、ネクタイは奴隷の首輪だ、一度しかない人生を自由に生きろ、酒と煙草はスパイスみたいなもの……呆れるぐらい馬鹿なリリックだ。ま、ロックなんて言やぁ聞こえはマイルドだが……やってることはただの思想犯罪だよ。社会に悪影響を及ぼす創作物が回収されるなんてのは、別に珍しい話でもねえ」

 馬鹿な話だとバッカスは思った。戦時中でもないし敵国の思想というわけでもあるまい。彼が察するところ、社会への悪影響などはただの建前に違いない。たまたまそれを嫌う人間がいて、たまたまそいつが権力を持っていた。それだけの話だ。

 そこに民意などは関係ないのだ。いや、必要なデータの一つではあるだろうが結果を左右する材料にはならない。求められているのはそれを制定した成れの果てなのだから。

 国家電脳戦略特区都市──その名前からも伺えるように、この街こそが一つの〝高貴な実験〟の塊なのだ。粒子技術の開発、産業の機械化、紙幣の総電子マネー化にポイント制……はては国民の遺伝情報をメモリに閉じ込めて管理するという暴挙に及ぶまで、全てはそれがこの世で最もニュートラルな状態になる時代……来たるべき新時代、技術的特異点シンギュラリティの果てにある電脳中心社会への備えに過ぎない。

 そして、その時代はとうに産声をあげている。

 重要なのはデータだ。因果を知ることが出来ればそれでいい。そこに出来上がったものがクラッカー片手に楽しめるユートピアであろうが、シリコンの仮面越しに眺めるディストピアであろうが問題はなかった。この街に生きる者にとってはともかくとして。

 いいか、とウィンチは続けた。

「つまるところ奴の音楽は、労働者階級に労働者であることの是非を問わせ、そして実際にそれを揺るがした。奴の言葉にこうある。〝シンギュラリティを超えた先にお前の仕事は存在するか?〟とな。分かるか? 機械に仕事を取られるなって言ってんのさ。あー、つまり奴は、なんだ……ただ働くだけじゃ機械と同じだと、そう言いてえんだろう。だから機械に仕事を取られると思ったアホどもが、アンドロイド相手に暴動を起こした。大昔のラッダイト運動と同じさ」

『……腹の立つ奴でありマス。ただ働くことがどれだけ難しいか』

「同感だ。どう考えてもまともに働いたことがねえ奴の発想だよ。だが、どういうわけかそいつの支持者は多かった。妙な話だろ、誰も姿を見たことがねえのにだぜぇ」

 それは、とウィンチ。

「ある種の宗教だった」

『……自分はロックには縁のない人間デスからわかりませんが……そんなに歌が上手かったのデスか?』

「そんなことは関係ねえのさ。歌や演奏が上手いかどうかなんてのは関係ねえんだ。カリスマ性だけがものを言う。人をひきつける……そのなにかが問題なんだ。そしてそいつは言葉じゃ説明できねえ。言葉にした時点で説得力を失っちまう」

 だろうなとバッカスは思った。ウィンチの姿がそう思わせた。

「いいかバッカス。これから俺たちが相手にするのはそいつだ」

『……クレイジー・ジョーは死んだのでは?』

「ああ、言い方が悪かったな。奴は死んだ。訂正しよう。俺たちが相手にするのは、奴の魂を買い取った悪魔だ。マキネシアを灰に変えた元凶だよ」

 今度は悪魔か。とうとう来るところまで来たなとバッカスは思う。

「ロバート・ジョンソンを知ってるか?」また答えを待たずにウィンチは続けた。「かつてのブルースマンだ。ギターを弾いてた。あんまりその腕がすげえってんで、悪魔と契約して演奏の技術を手に入れたとか言われてた奴だ」

『なるほど。で、クレイジー・ジョーも悪魔と契約をしていたと?』

「ニコロ・パガニーニ、フランツ・リスト、ジュゼッペ・タルティーニ……別にギタリストじゃなかろうが、音楽家ってのは得てしてそうだ。悪魔に魂を売る」

『クジラなみの尾ひれでありマスなあ』

「そうさ。誰も真面目に信じちゃいねえ。なんせ悪魔なんてモンは存在しないと思ってたんだからな。だが今は違う。悪魔の存在は証明された」

『悪魔の証明デスか。笑えない。とんだ学者もいたものだ』

「学者じゃねえ。一九四七年のエルドリッジ号事件が証明した。金属を分解するイザクト粒子の存在、そいつに記録されたデータがこの世の万物をそれたらしめてること、剥離と憑着、そしてなにより地球内亞空間アルザルと、そこに通じる粒子領域の存在をな」

 眉唾だ。にわかには信じがたいがバッカスはひとまず納得しておく。粒子技術が市街の礎となっているのは事実だし──なにより信じなければ自身の説明がつかない。

「内部地球アルザルに生息する粒子生命体……つまり魂だけの存在。俺たちはそいつらを悪魔と呼んでた。大昔からだ。呼び名が変わっただけの話だよ」

『そんなものはオカルトだ』

「そうさ。俺たちはそのオカルトを追ってる。カルトじみたオカルト野郎をな」

 もうバッカスは話の半分も真面目に聞いていなかった。なにせ興味がないのだ。全てはウィンチの自己満足のためだった。これほど辛いことはない。こんなにぐだぐだと話すなら、資料をインストールしてくれれば良かったのに。

 それとも、なまの会話に対してこだわりがあるのだろうか。どこまでもアンドロイドらしくない男だ。自分よりよほど人間らしいとバッカスは思う。

 いや、というよりは──人間になりたくて真似をしている──そんな印象だ。

「俺が何を言いてえか分かるか、バッカス」

『いえ全然』

「てめえ、少しは頭を使え」

『その回りくどい言い方はなんとかならないのデスか』

「性分だ。諦めろ」

 詐欺師じみた面にはお似合いとも言えるが、はてアンドロイドが性分を語るとは随分と大層なことではないか。バッカスは仕方なく続きを促した。

「はん。まぁ、魂を売ったかどうかは……つーか悪魔が魂を取るのかどうかも知らねえが、ともかくクレイジー・ジョーは悪魔と契約したんだ。引き換えに人を熱狂させるカリスマ性を得て、ネオ・ラッダイト運動を煽動した。こいつが俺の見立てだ」

『……』

「そしてクレイジー・ジョーの死後、奴が持ってたギターは砂漠を彷徨い、よりによって八億の賞金首の元に流れ着いたってわけだ」

 ウィンチはジー・ウォッチの傷跡に視線を落とす。勝ち誇った八億の面構えが目に浮かぶようだった。

奇跡が愛した男ラッキーマン

『はい?』

「奴には才がある。伝説を再現する才能が」

『……才?』

「カリスマの資質と強運を持ち合わせてる。最悪の致死併用リーサルコンビネーションだ。そのうえクソを足してお釣りがくるほどの負けず嫌い。反骨精神の塊なのさ。そいつがなによりやばい。反抗心こそがロックンロールの本質だからだ。奴が本気でクレイジー・ジョーの後を追えば……ネオ・ラッダイト運動がもう一度起きるのは時間の問題だぜぇ」

 時間の問題。なんとも簡単に言ったものだ。バッカスは呆れた。時は前にしか進まないのだ。そんなことは今日びガキだって知っている。

『ロックは死んだでありマス。ここから時代を逆巻くことなど出来はしない。それに──イザクト事変直前、つまり活動後期のクレイジー・ジョーは評判が良くなかったと聞いていマス。歌詞から反抗心が消えたとか。一度ブレたアーティストなんて聴衆は……』

「お前はどうもカリスマってモンを理解してねえようだな」

 ウィンチがジー・ウォッチを操作する。バッカスの視界にギザついた波形が二つ並んだ。オーディオデータだ。表示された周波数特性がぴたりと一致していた。

『……これは?』

「上がクレイジー・ジョーの声紋。下がさっき録った請負人の声紋だ」

『…………』

「いや、全く同じなわけじゃねえ。だが含まれてる倍音成分が似通ってる。ほとんど同じと言っていいレベルでな。そしてクレイジー・ジョーは一度も姿を見せてねえ。まだ俺に説明させる気か? そろそろ飽きたろ?」

 死んだロックンローラー。姿を見たものは誰もいない。八億の値札にぶら下がったジェイの文字。バッカスは答えを出した。演算に頼るまでもなかった。



『クレイジー・ジョーの正体が請負人だと?』



「お前の好物は〝質問〟か」ウィンチは続けた。「残念だがハズレだ。それはありえねえ。一〇〇パーセントな。賭けてもいい。請負人はクレイジー・ジョーじゃねえ」

『何故言い切れるのデス?』

「思うところがある」

 お喋りにしては珍しく、ウィンチはそれ以上掘り下げない。

「いいか。たとえ中身は違うとしても──一度死んだ伝説のロックンローラーが蘇る。それも新・禁酒法が厳格化された今になってだ。酒場を営業してた奴、煙草を作ってた奴、あるいはロックンローラー……みんな失業した。機械に仕事を取られちまった奴も、以前より増えた。それだけじゃねえ。更生プログラムに疑問を持ってる奴も多い」

 バッカスは否定しない。どれもこれも覚えがあったからだ。酒場を摘発されて失業した母親、人工知能の台頭による作曲家の需要減、そして自殺の挙句に機械となった大馬鹿者。まったく、心当たりが多すぎていやになる。

「イザクト事変以降、ZACTは敵を作り過ぎた。そしてその敵の殆どは掃き溜めに落ちたんだぞ。法律が機能しねえ掃き溜めにだ。そんなところに反抗心で旗を取る思想犯が現れてみろ。ジャンクヤード・ストライキだぜ。市街はおしまいだ」

『……』

「だから潰す。奴が伝説のわだちを追いかける前に」

 散々好き勝手に喋り倒し、満足したとばかりにウィンチは肩をすくめた。

「過ぎたことはどうしようもねえ。大事なのは過ちを繰り返さねえことだ。そうだろ?」

 つまりは起こり得るテロを未然に防ぐということだろうか。いよいよもって正義の味方みたいなことを言うものだ。

 そんなわけがあるかとバッカスは心中で一蹴した。このアンドロイドが求めているのはそんな陳腐なものではない。全てはただの言い訳だ。それがもっともらしく聞こえるのが、なんとも恐ろしいところだが。

『それがあなたの建前でありマスか?』

 とうとうバッカスは切り込んだ。そろそろ聞き手にも飽きた頃だ。ウィンチの眉が揺れたが気にはしない。意見しろと言ったのは彼自身なのだから。

『社会の未来を憂うタチには見えねえでありマスが』

「……はん。まあな。俺が気にしてんのは、いつだって俺の未来だけだよ」

 いや、とウィンチは小さく呟いた。

「過去かもな」

 路地を抜けると酒場が目に入った。さて初陣かとバッカスは身構えたが、ウィンチは一瞥しただけで素通りする。しばし黙したまま歩き、今度は大通りへ。看板には〝ランパート・ストリート〟の文字。廃品屋の軒先に小振りなテレビが展示されており、抑揚のないアナウンサーの声が国民の休日を謳っていた。

 明日はせっかくの休日だというのに、まるで有り難味のない表情だ。画面の中のアナウンサーとウィンチの表情を見比べて、バッカスはそう思う。

「命日なのさ、明日は」

 ウィンチが唐突に言った。

『……誰のデス? アンドロイドに家族はいないでショウ』

「相棒だ」

 目を細めてウィンチは続けた。

「俺が殺した」

 バッカスは絶句する。先刻のどんなお喋りよりも、その短い一言の方が印象的だった。

 なにも殺したことに驚いたわけではない。ウィンチの傲岸不遜ぶりを見れば、殺人の一つや二つ機械的にやってのけるだろうと想像はつく。クリーンな心など期待したつもりは毛頭ない。

 ただ、ウィンチがウィンチ=ディーゼルというアンドロイドが、あまりに思いつめたような──それこそ人間みたいな表情で言うものだから、衝撃を受けたのだ。

『……聞くのもはばかられマスが……何故です?』

「やっぱりてめえの好物は質問らしい。何故もなにもねえよ」

 ウィンチは溜息をついてみせた。なんだかわざとらしい。見ろよ、人間ならこうするだろ……そんな感じだった。

「酔っ払って、殺したのさ」

 アンドロイドはそう言った。酒の為に生まれたはずなのに。




   ◆




 うなう。スクラップの野良猫が気だるげに鳴いて、がっちゃと机の上に跳んだ。

 軽薄な男というのは酔えば大体エックス・ワイ・ズィーなる状態に陥る。酒にか雰囲気にかはさておき、ズボンも口元も締まりが悪くなるものなのだ。

 ああクソ、言ったよ、言ったかもしれねえ──飲酒によってパフォーマンスが低下した脳味噌の中、スライドショーのように入れ替わり立ち替わり再生される記録を眺めながら、ウィンチはぼうっと思った。

 記憶のパネルがウィンチの中をぐるぐるとめぐる。あれでもない、これでもねえな、好みじゃない、チェンジ……そういう具合にして彼は次々とページをめくった。どれも魅力的に見えるがパネルにマジックはつきものだ。それは何もマキネシアに限った話ではない。

 はて。これはたしか──走馬灯という名前ではなかったか。

「……クソったれ……」

 吐き捨て、ウィンチはバッカスへの吐露を悔いた。

 そうだ。自ら手放した。いや、手放したというよりは──知らぬ間に離れていったのだ。角砂糖が水晶のざらめとなって指の隙間を零れ落ちるように。

 酔っ払って殺した。キーラ=ヒングリーをこの手で殺した。それだけだ。言い訳はしない。そんなものに価値はないし趣味じゃない。過ぎたことはどうしようもないのだ。後の問題はそれにどうけじめをつけるかだけだった。

 全く愚か極まりない。やはり酒などのこの世にはない方がいいのだ。酒飲みなんてのは酔っ払って人を殺しちまうようなクズばっかりだ。

 ウィンチは強くそう自戒し、クズと馬鹿者の筆頭株主としてショット・グラスを口に運んだ。見ろ、酒飲みなんてのはやはり馬鹿ばかりだ。救いようがない。

 こと彼の場合──機械であるにも関わらず、まったく学習していないあたりが。

「二十一ちょうど」チクタクがカードを放り出して言った。「そろそろ敗北を知りたい。二十一戦五勝十六敗……それがあなたの戦績ですよ、ミスター・ウィンチ」

「まだだ……」

「延長を?」

「分かりきったこと聞くんじゃねえ!」

 荒々しくショットグラスを掴むウィンチ。十六杯目のジャック・ダニエルを飲み干し、彼はりもせずに二十二戦目の火蓋を切った。

 まったく二十一というのは得がたい数字だ。ゲームであるにしろないにしろ。

 酒。また酒だ。こんな馬鹿な話があるか。こいつのせいで全てを失ったというのに。

 分解機構は既に悲鳴を上げている。演算が覚束おぼつかない。走馬灯まで巡ってくるあたり、ますます人間と大差ないではないか。普段なら失笑してやるところだが、もうウィンチのコンピュータには失笑をかますだけの物理メモリ容量が存在しなかった。

 なにせ分解したアルコール情報は事細かに記録されるのだ。蟻が群がるようにハードディスクを食い潰してゆく。そのうえリアルタイムで分解機構をドライブさせるものだから、脳味噌の処理が追いつかない。

 飲み過ぎれば処理落ちが起きて記憶が飛ぶ。ハードディスクが満タンだと、アルコール情報の代わりに他のデータが失われるのだ。こんなところまで人間を真似しなくてもいいのにとウィンチは思う。あるいは人間がコンピュータに近いのだろうか。

 ジーナがひっく、とまたしゃっくりをする。なんだか頬が赤い。ほろ酔いは既に通り越しているようだった。

「おっさんはあれだナ。ギャンブルしちゃいけないタイプだナ」

「うるせえ!」だん、と机を叩くウィンチ。「引きヒットだ!」

 引き当てるクイーン超過バストだ。またグラスが増える。ウィンチはひどくツイていた。

「クソったれがぁ!」

 もはやヤケだ。十七敗目の十七杯目がウィンチの食道を焼いた。

 シングルのショットグラス一杯あたりの容積はおよそ三〇ミリリットル。つまり今のところ摂取量は五一〇ミリリットル。なに、スタンダードなボトルの三分の二程度しか呑んでいないのだ。さしたる問題ではない。この焦げ茶色のバーボンの度数が四〇度で、そのうえストレートでさえなかったなら。

 俺は機械。俺は機械だ。酒の為に産まれた機械。だから走馬灯なんてものはない。つまり俺は死なない。

 虚実はともかくウィンチはそう言い聞かせた。言い聞かせるほかに手立てはない。

「いい飲みっぷり、っく、だナ」

 しゃっくり交じりに言うジーナ。いよいよウィンチは狼狽した。何故この女は胸の谷間にロックアイスを挟んでいやがるのか。まったく酔っ払いというのはろくでもない。

「ふざけろてめえ後で絶対殺してやる。誰が好きでこんな……」

「もう一軒いこうぜおっさん。いい店知ってるよ」

「正気じゃねえ」ウィンチは頭を抱えた。「俺を殺す気か?」

「その店はシュティードの行きつけだぞ。きっと今日も来る」

「……」

「チクタッくん、おかいけーい」

 好機か。危機か。判断がつかない。もう知るか、どうにでもなれ……そんな具合でウィンチはカウンターに突っ伏す。演算速度パフォーマンスは落ちるところまで落ちていた。

「おいおっさん何してんだ」

 チクタクからレシートを受け取り、ウィンチの鼻先へ突きつけるジーナ。

「早く払えよ」

「てめえマジでブチ殺すぞ」

「何を言っとるんだね」ジーナは呆れた様子で続ける。「ショット・ブラック・ジャックはそういう勝負だぞ。ディーラーに勝ったらタダ酒が飲める。負けたらディーラーの分も支払う。そういうルールなのだ」

「そういうことは最初に言え馬鹿野郎。大体モヒートはてめえが頼んだんだろうが!」

 赤ら顔のジーナが眉を吊り上げ、悪戯に右手を拳銃へ伸ばす。

「はぁーんいいんですかーそんなこと言っちゃってー。その酔っ払った状態で私の早撃ちに勝てるとでも思ってるんですかぁー。ねぇねぇどうなの? 馬鹿なの? 知ってる? 私は可愛いからお金払わなくてもいいんだよ? レディーにお金を払わせるの? はぁー、そんなたかり金で酒を飲む女の腐ったような野郎だったなんてナー、残念だナぁー」

「このクソアマぁ……」

 キャッチのタチも悪ければ嬢までタチが悪いときた。正論で脅すあたりがまたなんとも腹立たしい。ウィンチは仕方なくジー・ウォッチを弄る。本当に、仕方なく。

「……電子マネーしかないぜぇ」

「構いませんよ」と、チクタク。「後で換金します。ツテがありますから」

「馬鹿じゃねえのかお前、ZACT相手にべらべらと。後でそっちも摘発して……」

 そこで言葉が止まった。一昔前のスマート・フォンのページを弾くようにして、数字の羅列がウィンチの視界を駆け上がる。

 電子マネーの口座だ。不正アクセスを示すアラートが絶えず点滅する。追ってウィルスが送り込まれてきた。

「ば……」

 細菌をデフォルメしたキャラクターがダミ声で笑う。見覚えのある姿だ。プロテクトを立ち上げるも効果はなし。残高はあれよあれよと減り続け、そしてとうとうゼロへ。ウィルスが悪戯っぽく中指を立て、画面に現れたジッパーの奥へ消えてゆく。

 ああ待て、まさか────あの女。

「……やられた」

「やられた?」

「他人事か!」ウィンチは怒鳴る。「てめえのお仲間だ、このイカレポンチが!」

「おぉ。なんだ、あいつただの引きこもりじゃなかったんだナ」

 最低だ。やっぱり酒なんてない方がいい。分解機構の優先度が高すぎたせいで対応が追いつかなかったのだ。ウィンチは後悔してみたが、そいつが先立たぬものであることはよく知っていた。

「……ツケもききますが、どうします?」

 事情を察したチクタクが問う。

 どうしますも何もあったものか。ウィンチの答えは決まっていた。

 支払いするは我には無し。せめてもの当てつけに、こう返してやるのだ。

でツケとけ」

 なう、と野良猫が鳴いたのち、ジーナがしゃっくりで返事をした。 




   ◆




『酔っ払って、殺したのさ』

 夕暮れの中空、投影された粒子ホログラムの映像が、ウィンチの台詞を最後に終わる。

 略奪者ブリガンテと言ったか、こいつは厄介だ──バッカスは直感した。

 バッカスの頭部に突き立てられた紫電の爪は、どうやら彼のボディを統括するメインコンピュータにアクセスしているらしい。それも不正に。イザクト粒子の持つ記憶容量を通して、ハードディスク内部のデータを再生しているというわけだ。

 記憶を吸い出されるというのはあまりいい気分ではない。勝手に覗き見られるだけならまだしも、自分の目の前で再生されるとは。

 しかも、吸い出した側の彼女はまるで興味を示さないときた。

「へっ。ざまあみろクソが! 見たかバカヤロー。てめえの給料全部私のお小遣いにしてやったから! 課金にじゃぶじゃぶ使うからー! サイバー界隈でアイヴィー様に勝とうなんて調子が良すぎんだよ。しねっ。しんじまえ。ついでに顔もネットに晒してやる」

『……』

「なめやがって。しねっ。おらおらおら。住所まで丸裸だぜミスター・ウィンチ。てめえの家にピザのデリバリー三〇軒ぶん送りつけてやる。無人機ドローンに玄関占拠されちまえっ」

 ジー・ウォッチを狂ったように叩きながら雑言ぞうごんを吐くアイヴィー。もう二〇分はこれだ。電子マネーを取り返しただけでは飽き足らないらしい。

 バッカスはといえば、上半身しかないうえに首から下が砂に埋められているものだから、ただただ残念な女の残念なサマを眺めるしかなかった。彼の方は飽き足りていた。もうお腹一杯だ。とうぶん美人は見たくない。とくに残念な美人は。

 なんというか、そう、陰湿の一言に尽きる。

『……あの』

「なんだ、今いいとこなんだ。黙ってろ。もうちょっとでウィンチをオンラインゲームのサポートセンターにしてやれる。どれ。これがあいつの電話番号だろ」

 ひどい話もあったものだ。並大抵ではないハッキングの腕を持っているようだが、使い道が嫌がらせでは腕のほうも立つ瀬がない。

『映像、終わりマシたけど……』

「だぁークソ弾かれたったわぁ! ジー・ウォッチじゃ無理があるか。くそっ。死ね。潰れちまえこんな会社。ガチャの確率操作してんの暴かれて死ねっ。知ってんだぞ!」

『……おねいさま』

「なんだ」

『映像、終わりマシたけど……』

「あぁそう」

 砂漠の夜は冷えるものだ。ただし、昼夜問わず蒸気を吐き続ける工場が立ち並ぶ掃き溜めにおいてはその限りではない。寝苦しいとまではいかないが風は生温いのだ。

 昼夜問わず煙を吐き続けるアイヴィーでも、煙草以外の物が欲しくなる時はある。今はシャワーがお望みだ。なんだか肌がベタつく。潤いとはまた違った感触だ。そのくせ髪は〝蜂の巣〟事案のせいでガサついているときた。

 こうなったらキッペンビルガー娼館しょうかんにシャワーでも借りに行くか、いやいや風呂は風呂だが風呂違いだ、なにより古巣に顔を出すのは避けたいし……。アイヴィーはそんな風に考えてから、スクラップと化したテレビに腰掛けた。

 解決すべき問題は山ほどある。シャワーよりも重要なものばかりだ。なに、手がかりはつかんだ。シャワーを浴びる瞬間はそう遠くない。

「ちっ。メモリが足んねえ。戦闘で使ってなけりゃ子供時代から覗いてやったのに」

『……陰湿でありマスなあ』

「なんだと?」

『なにも……』

 略奪者ブリガンテ認証解除リザクトレーションし、アイヴィーは砂の上にヒールを放り出す。どうやらバッカスが最も見たくない記憶はお目こぼしを受けたらしい。不幸中の幸いと言えた。

『人の記憶を勝手に覗くとは人間のなってねえ奴でありマス』

「人の家を勝手にブッ壊す奴よりは人間できてるつもりだが」

 霧散する紫電の爪。グローブから引き抜いたIDメモリをジー・ウォッチに挿し込み、アイヴィーはつらつらとホログラムを弄る。

「バッカス=カンバーバッチ。十八歳、男。自殺で罰点食らって更生プログラムで復活? ははあ、ウィンチが勝手に機械にしたってとこか。難儀なこったな。なにお前ゲームの制作会社にいたの? 私このオンラインゲームやってる。結構気に入ってるぜ」

「……」

「へえ。ZACTの面接落ちてんだ。よかったね。あんなクソブラック企業、落ちて正解だぜ」

 次から次へとうるさい女だ。口を開くほどに美が削がれていく。

『どうも……』

「なんだよ、つれねえな」

 手放しで喜べるはずもなかった。死んだら一生安泰あんたいだ、と言ったのはどの死人だったか。中々に的を射た言葉であるらしい。

 別段バッカスは優れた芸術家というわけではないが、これはなんとも複雑な気分だった。死後に評価された偉人はきっとこういう心持なのだろう。こっちはとうに死人なのだ、今更それがなんだと言ってやりたくなる。

 バッカスの狼狽を他所よそに、アイヴィーの顔つきが険しいものに変わった。どうやら尋問の時間のようだ。ジョークが介在する余地のない瞳がそう言っている。

「お前さぁ、あのガチャなんとかならねえのか」

『は?』違ったようだ。バッカスは面食らった。『ガチャ?』

「レアの出現率どうなってんだ。私もう二〇〇万ぐらい突っ込んでんだけど」

『にひゃ……』

「ホログラムも微妙に荒いしゲームバランスいまいちだし。あとメンテ多すぎ。もっとマシなプログラマー雇えって。サーバーも増設しろ。なんならやってやろうか」

 カスタマーサポートに叫ぶモンスター共のようだ。この女、見た目は傾城傾国けいせいけいこくといったところだが、中身はとんだ下手物げてものらしい。陰湿な上になんだか根暗だ。

『……そんな話がしたいのではないでショウ』

「なんだお前、いちユーザーの貴重な意見を。私は真面目に話してんだぞ」

『そんなものはサポートセンターに電話するでありマス』

「なんだよ冗談通じねえなあ」

 それはさておき、とアイヴィーはようやく本題へ入る。

「大体合点がてんはいったぜ。要するにウィンチは、アンドロイドの癖に殺人で罰点食らって、その清算の為にフリップブラックを追ってるってところだろ。テロがどうだの思想犯罪がどうだのはただの建前だ」

『どうでありまショウなあ』

「濃度六〇パーセント級の回収は十万ポイントの加点だぜ。シドにも積まれてる。だからシュティードを狙った。そうだな? でもって、私が察するに──」

 アイヴィーはバッカスに見えるようホログラムを反転させる。ウィンチの口座の入出金履歴だ。

「この〝キーラ=ヒングリー〟とかいう女……ZACTの職員だろ、こいつを殺しちまった。だから贖罪として遺族に金を送ってる。違うか?」

『黙秘しマス』

「はん。都合のいいところだけ機械面しやがって」

 なにも分かっていないなとバッカスは思った。

 違うのだ。ウィンチ=ディーゼルが求めているところは贖罪などではない。そんな女々しい理由であってなるものか。あまりに高尚が過ぎる。

 もっと低俗で、矮小で、どこまでも自己満足に溢れた理由なのだ。

「アンドロイドが死んだ女へのはなむけに粒子管ねぇ。ロマンチックなのは結構なことだがよ、そんなしみったれた男の自己満足オナニーで命を狙われる方はたまったモンじゃねえぜ」

『でショウな。付き合わされる方も正直たまったものではありまセンが』

「やめりゃいいじゃん。大体お前こっからどうすんだよ。もう逆転の目はねえぞ。諦めろって。ウィンチともども市街に帰れよ。あとガチャなんとかして」

『諦める? 冗談じゃない。仕事にそんな言い訳は通りまセンよ』

 それに、とバッカスは続ける。

『今あなたが調べた通りだ。本官は自殺の罰点を清算しなければならない』

「なんだかなぁ」アイヴィーは頬杖をついた。「親近感あるよ、お前」

『どういう意味デスか、おねいさま』

I.Vアイヴィーだ。私の名前はアイヴィー」 

 グローブの装甲を外すアイヴィー。鉛色の雑多な機械の奥に銀色の輝きがうかがえた。

 国家警察ZACTの象徴、白いカラスの紋章だ。

 そういうことか。バッカスは納得した。道理でコンピュータに強いわけだ。

「国家電脳戦略特区都市所属、ZACT電脳サイバー六課嗜好品取締執行官。I.Vアイヴィーだ」

『……エクスですか?』

今もノット・エクスだ」

『……』

「ミス・アイヴィーと呼べ。お前と同じさ、バッカス。自殺で罰点保持者マイナスホルダーになった。十万ポイント級だよ。私も清算の真っ最中だ。ただし、追ってるのは粒子管じゃない」

 アイヴィーは不敵に歯を覗かせた。

「請負人の逮捕か殺害────そいつが私の清算でね」




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