Track11.ブラック・ジャックでよろしく


「見当たらねえ」

 呟き、トレーラーの廃品を蹴っ飛ばすシュティード。何度残骸をめくってみてもウィンチの軽薄な面構えは出てこない。逃した。八億の名折れだ。

 理屈には覚えがある。〝棺桶〟が盾になったのだろう。でなければ臨界粒子砲の一撃を受けて無事で済む筈がない。奴もまたツキ通しのラッキーマンだったのだ。

 シュティードはナオンに視線を移した。最低の一日だ。全くこのふざけたクソガキは、どこまでも厄介を運んでくる。

「これで天井の借りはチャラだ」シュティードは吐き捨てた。「ウィンチを逃した。てめえの所為だぞ」

「はぁ?」ナオンがむっとする。「僕が何したって言うのさ」

「〝棺桶〟が盾になったんだ。あれさえなきゃ奴は死んでた」

「トレーラーの方に吹っ飛ばしたのはそっちでしょ」

「まさかそんなラッキーが起こるとは思わねえだろ!」

「そっくり返すよその言葉!」

「あぁクソ、もういい。お互いツイてたってことだな。この話は終わりだ。畜生め」

 がん、とまた棺桶を蹴っ飛ばすシュティード。

「蹴らないでよ!」

「〝棺桶〟を置いて失せろ」

 そら出た。八億ネーヴルの本領発揮だ。そろそろナオンも慣れてくる頃だった。オセロの駒でもひっくり返したみたいにシュティードの顔が強張る。

【無駄だ、シュティード。そいつは小僧でなければ持てん】

 嗜めるように言うシド。

【イザクトレーションの第二プロセス……すなわち〝分解〟の状態を維持したまま持ち運んでいるのだろう。装甲の表面だけを残し、質量の殆どを粒子化する】

「あぁ? つまり?」

【軽くなるということだ】シドは答える。【あの小僧が持っている間だけな。諦めろ、そいつは指紋認証型だ。IDメモリも必要ない。オレ様が声紋で起動するのと同じだよ。その棺桶は、その小僧にしか扱えん】

「指紋認証? 知るか。だったら指ごと置いて失せろ。小指で勘弁してやる」

 非道も極まったりだ。ロックンローラーを目指す少年に指を捨て置けとは何事か。小指だとか親指だとかそういう問題ではない。

「……あげないよ。貸すことならできる。ただし、母さんを探して」

「誰に交渉かましてんだ? 俺をナメるのも大概にしろよ」

「ナメてんのはそっちでしょ! なんでもかんでも暴力で解決できると思わないで!」

「てめえこそ何でもかんでもワガママで解決できると思うなよ?」

 お前が言うなという表情をその場の全員が作った。シュティードただ一人を除いて。

「言ったハズだ。一〇〇万ネーヴル。ないしはバーボンを四三二〇ミリリットル。またはタール含有量が一六ミリグラム以上の煙草六カートン。あるいはそれらの組み合わせ!」

「だから、必ず払うって言ったじゃん……今は無理だけど……」

「前金もなしに仕事が請けられるか。いいか、これは一つの信用の話なんだ。俺は形のないものは信用しねえ。電子マネーにしたってそうだ。あんなモンを信用したばっかりに今回は馬鹿を見た。同じ轍を踏むのはごめんだね」

「おいおい待てよ」アイヴィーが口を挟む。「探すってなんだ。何の話だ」

「こいつは母親を探して旅してる」

 はぁん、と納得した様子で頷くアイヴィー。

「なるほどな。ガキは嫌いだが仕事とあっちゃ話は別だぜ。いいじゃん、受けてやれよ。大体、仕事選んでられる立場じゃねーだろっつうの」

 アイヴィーは廃屋となった隠れ家を指した。

「電子マネーはパクられた。金庫も札束も焚き火の種だ。これの修繕費はどうするんだ? え? 蛇口捻ったら出てくるってのか?」

「てめえこのクソアマ、そもそもお前がウィンチのクソ馬鹿野郎に引っかかるから」

「はぁーまたそうやって人の所為にする。そのクソ馬鹿野郎を仕留め損なってここまで連れてきたクソ馬鹿野郎はどこのクソ馬鹿野郎なんですかねぇ!」

【まーた始まった……】

 ぎゃいぎゃいと言い争う二人。もはやお家芸だ。野良猫でもこうしょっちゅう争いはしない。呆れた様子で溜息をつき、ジーナがナオンと目線を合わせた。

「お母さんを探してるのかね」

「……うん。ブラストゲートからここまで来たの」

「その顔じゃ見つかってないみたいだナ」

「…………」

「見つかるまで探すつもりだろ? 分かるぞ、みなまで言うな少年。次はEのフラットブロックだナ。ぐるーっと島を回っていくわけだ」

 そうだよ、と答えてやりたかったが、ナオンは口を開かなかった。どうにも唇が重いのだ。おいそれと首を縦には振れなかった。島を回るという部分に対しても、見つかるまでという部分に対しても。

「行けそうかね」

「……わかんない」ナオンは正直に答えた。「……ここに来るまではどこも平和だったから」

「君はどうやらおかしくなっているようだナ、少年。銃を持ったゴロツキがいるのはどこも同じだよ。平和とは言えない。スクラップフィールドに平和なんてないし──むしろ今日なんかは平和な方だよ」

 ナオンは耳を疑う。

「……平和? これが平和なの?」

「だってまだ誰も死んでないじゃん?」

 ジーナはけらけらと笑った。なぜ笑うのかナオンにはまだ分かりそうにない。

「昨日一緒にご飯食べてた友達だって、明日には土の下かもしれない。寝たらそのまま朝が来なくなるかもしれない。ここはそういう場所だぞ」

「……怖くないの」

「そりゃ怖いよ」ジーナは言った。「でもまあ死んだら死んだだし」

 ナオンは呆れた。いや、呆れとは少し違うがとにかく言葉が出てこなかった。

 割りきりがいいというべきだろうか。それともただ何も考えていないだけか。生に執着はないのか。野望は。夢は。死ぬまでに成し遂げたいことはないのだろうか。

 そんなのまるで、空っぽじゃないか。

「……それでいいの?」

「私はこれでいいのだ」ジーナは胸を張った。「空っぽの方がいっぱい詰め込めるからナ。頭でも財布でもそうだよ。だから私は宵越しのお金を持たない主義なのだ」

 ジーナはナオンに向き直って続ける。

「いいかね少年」

「はい」

「自分一人でなんでも解決しようとしてはいけないよ」

 見透かされていたようだ。なんだか気恥ずかしくなって、ナオンは目線を足元に逸らす。でないと、とジーナがシュティードを指した。

「あんな大人になってしまうぞ」

「ごめんこうむる」

「だろ。まあ安心しなさい。私はあいつらと違ってラブアンドピースがモットーなのだ。一人じゃ無理だと思ったらみんなの力を借りればいい」

 みんな。みんなとは誰だ。あいも変わらず怒り顔で罵り合う奴らのことだろうか。どちらがラブでどちらがピースだ。

「おねいさんが協力してあげよう」

 ジーナは自信あり気に言ったが、どうにもそいつがちぐはぐに思える。仲間割れの最中に〝協力〟などと言われてもピンとこない。

 ナオンは言い争う二人の方を見た。どちらも般若の様相だ。ラブもピースも留守らしい。クソアマ、クソったれ、クソ野郎、クソガキ……とにかくクソを孕んだ言葉で口汚く罵り合い、ついにはお互いの胸倉を掴む始末だった。

「あのー」ジーナがおずおずと手を挙げた。「提案なんスけど」

 二人が揃ってジーナを見た。お互いの胸倉を掴んだまま。

「棺桶を担保たんぽにしたらどうかね」

「お前な……」

 眉間を押さえるシュティード。ジーナが再びナオンを見る。

「いいかい少年。担保というシステムがあってだね」

「たんぽ?」

「そう。たんぽ。ゆたんぽでもたんぽぽでもちんぽでもないぞ」

「よーし口を閉じろジーナ」口を挟むアイヴィー。「人質みたいなもんだ」

 人質。あまりいい響きではない。機械も人質のうちに入るのだろうか。

「私らはお前を信用しちゃいない。だから人質を取る。お前が前金を用意し、そして成功したあかつきには成功報酬を支払うまで……私らはその人質……つまり棺桶を預かる。お前が支払えばそいつを返す。万が一お前が前金を支払わなければ、私らはその人質を殺す。保険ってことさ」

「……信用できないのはお互い様じゃん。そっちが棺桶を持ち逃げする可能性だってあるんだから」

「そこはお互いの歩み寄りって奴だ」

 歩み寄り。傑作だ。ナオンは失笑した。頬を差し出す為の歩み寄りか。今しがたまで殴り合っていた奴が言うと説得力も段違いというものだ。

【オレ様もその意見に賛成だな。その〝棺桶〟は手元に置いておいて損はない。他の連中の手に渡るより、こちらで抱え込んだ方がいいだろう】

 シドがふわりと浮き上がり、ナオンの傍に漂う。

【小僧の母親を探してやれ。でなければオレ様はここを去る】

「はん」鼻で笑うシュティード。「ガキに入れ込むたぁお前も耄碌もうろくしたな」

【ろくに整備もされていなかったものでな】

 当てつけのようにシドは続けた。

【忘れたか、シュティード。〝借りは返す〟がDブロックの流儀だぞ。そしてお前の信条でもあったはずだ。それに、ラズル・ダズルには専属の機械工メカニックがいない】

「ザイールがいるだろ」

【普通の機械なら奴への外注でもいいだろう。だが奴には粒子管を直す技術がない。蒸気スチームにしろ粒子イザクトにしろ、兵装ガジェットを扱う上でそれは致命的な問題だ。以前からオレ様は忠言していたハズだぞ。だのに貴様はまるで言うことを聞こうとしない】

 シドの言い分は正論だった。言葉にする必要すらなかった。なにより粒子管切れを起こしていたシドの存在がそれを証明しているのだから。

【貴様が群れを好まないのは分かる。八億の寝首をかかれるかもしれんからな、それは当然のことだろう。警戒するに越したことはない】

「それとこれとは関係ねえだろ」

【いいや、大いに関係する。いいかシュティード、自分一人でなんでも解決できると思うのはよせ。他人の力を上手く使うのも自分の力のうちだ。自分こそは一人で完結しきった存在だ、などと……そんな愚かな世迷言に囚われてくれるな】

 意に染まぬ様子で舌を噛むシュティード。

【今の貴様は見るに耐えん。人の言うことにも少しは耳を傾けろ】

「断る。芯がブレるだけだ。他人の言うことは関係ねえ。俺はそう決めてる」

【信念か? 美学か? それともそれが貴様なりのオリジナリティ? この世で唯一ただ一人のシュティード=J=アーノンクールであるために必要なものか? ふん、どれでも構うまい。いずれにせよそんなものは、ブレていないのとはまるで話が違う】

 言葉こそ強いが罵倒ではない。どこかさとすようなニュアンスだった。

【履き違えるなよ。そんなものはただ自分から抜け出せていないだけだ】

「……」

【いつまで囚われ続けるつもりだ。の件は仕方がなかった。貴様の所為では】

「もういい」シュティードは憮然として吐き捨てた。「好きにしろ」

 背を向けて歩き出すシュティード。やってられるか、もう知らねえ、どうにでもなれ……そんな投げやりな声色だ。ソファに甘んじた時の声に似ていた。またもや孤独ごっこの始まりだ。アイヴィーがシドのボディを小突いた。

「馬鹿、シド、いらねえこと言うんじゃねえよ。お前らが仲違なかたがいしてどうすんだ。ウィンチの野郎はまた来るぞ」

【知ったことか。もうオレ様は手伝わん。後はお前らでなんとかしろ】

「お前なぁ」アイヴィーが詰め寄る。「ダダこねてる場合か! 相手の狙いはお前でもあるんだぞ。しかも相当できる。万が一シュティードがパクられたら……」

【ラズル・ダズルが崩壊するか? 関係ないな。死んだ方がマシだ。夢から逃げ続ける腰抜けのクズと手を組むぐらいなら──ああ、本当に、死んだ方がマシだよ】

「同感だね」と、シュティード。「俺もてめえみたいな根性論まみれのスクラップと手を組むのはゴメンだ。どいつもこいつも説教くせえんだよ。カタは一人でつける」

【好きにしろ。後で泣きついても遅いぞ】

「泣きつくのはテメーだ」

 シドの目が地に逸れた。

【ギターに涙はない】

「俺にだってねえよ」

「おい、待てって」慌てて呼び止めるアイヴィー。「どこ行くつもりだよ」

「ウィンチを殺す」

「アテはあんのか?」

「これから探す」

 声色から表情が窺えない。完全にだ。こうなったら何を言っても鼓膜には響かない。アイヴィーはそれをよく知っているものだから、お手上げとばかりに肩をすくめた。

 やっぱりナオンには分からない。なにがあの男をここまで意固地にするのだろう。コミニュケーションをなめているとかそういう次元の話ではない。この世というシステムの真ん中に自分を据えたなら、あとの全ては歯車だとでも言いたげだ。右に回すも左に回すもあの男が決める。全てが自分の思い通りにならなければ気がすまないのだ。

 控えめに言って、あまりにも自我が強すぎる。魂の解放とでも言うべきなのだろうか。美徳も悪徳も知らぬまま意志を抑圧されて育った子供が、親元を離れてから好き放題やらかすようだった。

 そう、子供のようだ。人のことを言えた義理ではないがナオンはまさしくそう思った。我侭を知らずに大人になった子供が、感情の表し方もよく分からぬままに吼えている──シドの言葉を借りるなら、そんな、見るに耐えない印象だ。

「どうすんだ」ジーナが言った。「シュティード行っちゃったぞ」

「シュティードもそうだけど……問題はこいつだろ」

 答え、バッカスの残骸を指すアイヴィー。単眼の光は消えていない。上半身と下半身の接続が切れただけだ。待ってましたとばかりにバッカスは口を開いた。

『ようやく本官のターンでありマスか?』

「……猫の手も借りてえよ、畜生」

 苛立ちがアイヴィーの胸中で暴れた。当分煙草はやめられそうにない。



   ◆



 シドの姿を見ても分かるように、〝剥離はくり憑着ひょうちゃく〟は数多の魂を機械に貼り付けた。ジャンクリーチャー、喋る遺産ゴシップ……そしてジャンク人間といった者達は、みな例外なくイザクト事変という奇跡のとばっちりを食らったラッキーマンというわけだ。

 賭場〝ペイン・ランドリー〟を経営するジェントル・チクタクもその一人だった。そこに難しい経緯は何一つ存在しない。起きたら首から上が時計に挿げ替えられていた。それだけだ。股間が蓄音機になっていないだけマシというものだろう。

 ジェントル・チクタクは──生前は別の名前だったが──名の知れた賭博師であった。ブラック・ジャックでめっぽう負け知らずの男として有名だったのだが、ある日とんでもない大敗をきっしてしまい、実に四〇〇〇万ネーヴルあまりの大金を失うことになる。

 さしもの賭博師も元手がなければ稼ぎようがない。すっと思い立った彼は、大きなのっぽの古時計よろしく祖父から受け継いだヴィンテージ・ダイアルを、なんとも罰当たりなことに場末の質屋で換金しようとしたが──そこでイザクト事変に見舞われた。顛末てんまつはこれだけだ。粒子領域の向こう側へ持っていかれ損ねた賭博師の魂は中途半端に復元され、どういうわけだか頭だけが時計に挿げ替えられたというわけだ。

 祖父のお叱りにしてはいやに過激だ。いくら生活に困窮したからと言えど、自分の頭部がヴィンテージになってしまっては質屋に入れるわけにもいかない。中身が中身だ、およそ値段もつくまい。

 ともあれジェントル・チクタクはそうして誕生し、そして掃き溜めで自ら賭場を営むに至った。〝ペイン・ランドリー〟は彼の人生の象徴と言っても差し支えない。今日も賭場には恐れ知らずの愚かな勝負師達が集まるのだ。

 恐れ知らずは腐るほどいても、負け知らずはそうそういやしないが。

「……むむむむむ」

 カウンターチェアに腰かけ、うんうんと唸るジーナ。賭場に入りびたりの保安官もまた恐れ知らずであった。ちなみに敗北については他の誰よりよく知っている。

「さぁ、どうしますか」

 ジェントル・チクタクは煽るように言う。渋い男の声だ。格調高いストライプのスーツが生前の詐欺師じみたナリを想像させる。

 チクタクは一対一のゲームならそうそう負けない。なにせ顔面が時計ときた。ポーカーフェイスとしてこれ以上の手札はない。チクタク、チクタクと揺れ動く秒針は絶えず相手の思考に揺さぶりをかけ、緊張感を攻め立てるのだ。

「……むーん」

「二〇秒経ちました」

「ちょっとうるさい」

「これは失礼」

 この度の勝負はブラック・ジャックだ。ジーナが最も愛するゲームでもあった。

 用いるのはジョーカーを除いた五二枚のトランプだ。絵札は一〇としてカウント。エースは十一か一のどちらかを選択。最初に配られた二枚のうち一枚はお互いに表向き表示アップカード。プレイヤーはそこからディーラーの最終的な手札にあたりをつけ、二十一を超過バストしないようにカードを引いていく。もちろん途中で止めにステイすることも出来る。

 引き分けの場合は賭け金はそのまま。双方ともに超過バストした場合はディーラー側の勝利となる。従い、プレイヤーが何よりも避けるべきは超過バストだ。

 場はキング、七、八、三。チクタクは七に、ジーナは八に賭けた。

 チクタクの持ち札は表の七と最初の伏せホールのみ。ヒットせずにステイを選択。これはよくないやつだとジーナは思った。

 ディーラー側には本来一つの決まりごとがある。手持ちのカードの合計が十七を超えるまでは必ずカードを引かなければならないのだ。そして十七を超えれば、その時点で強制的にステイとなる。これがブラック・ジャックが〝プレイヤーとディーラーとの勝負〟であると言われる所以ゆえんなのだが、ここ、ペイン・ランドリーではルールの扱いが少し違う。

 即ちそこにディーラーという役割は存在せず、互いに対等なプレイヤーなのだ。

 掃き溜め流のブラック・ジャックは世にも恐ろしいことに、互いの手番を交互に回し、最終的に手札を同時にオープンする。

 本来ならプレイヤーの手番が終わり、それからディーラーがヒットかステイを選択する──つまり古来のカジノ式ブラック・ジャックが賭場のスタンダード・ルールなのだが、スリルに飢えたジーナがマキネシアンルールを考案したというわけだ。

 ジーナの伏せホールは八。つまり合計で十六。今はジーナの手番だ。ここで引くかどうかで勝負が決まる。五より大きい数字を引けばおしまいだ。健康的なギャンブルとは言えない。なにより相手の余裕がブラフの可能性もある。

 そう、なによりこれが厄介なのだ。スタンダード・ルールなら、ディーラーはたとえ自分の手札が十六だろうともう一枚ヒットしなければならないし、自滅するリスクも大いにあるのだが、マキネシアンルールでは引くも止めるもチクタクの意志で決定される。それはつまり最強の賭博師を相手にするということだ。

 まあ、だから面白いのだろうが。

「……むむむむむむー」

 生憎、ジーナはギャンブルに健康など求めてはいない。大事なのはスリルだ。確率論を超えた先にある勝利こそが脳味噌を唸らせる。シュティードにとって酒が、アイヴィーにとって煙草が燃料なら、ジーナにとってはギャンブルがもたらすスリルこそが燃料なのだ。

引くヒット!」

 ジーナは勝負に出た。チクタクがカードを配る。ちらとカードをめくってみて、ジーナは口元をにやりと歪めた。

「私はこれでいいよ」

「私も構いません」

「本当に?」ジーナはいやらしく笑った。「負けちゃうかもよ?」

「オープンといきましょう」

 チクタクに揺さぶりは通じない。生唾を飲む一瞬。互いに手札をオープン。

 チクタクが合計で十六。ジーナが合計で二十三。超過バストだ。トランプをひっくり返してジーナが叫んだ。

「うわぁああああ負けたああああああああ」

「行き過ぎた勝負は身を滅ぼします」

「くっそ……なんだよ、引き分けだったのかよ……ちくしょう……」

「これで八〇〇〇ネーヴルだ。続けますか?」

「ぬぬぬ……」ジーナは悔しげに拳を解いた。「……いいや。今日はもうお金ないし。また今度取り戻すよ」

「スタンダードに戻せばいいのに」

「駄目だ。あれじゃスリルが足りない」

 ペイン・ランドリーは必ずしも敗者から金を巻き上げるわけではない。チクタク自身の経験からそう決められた。賭場としてはあるまじきことだが、なに、どうせ趣味での経営だ。機械となった今では食い扶持ぶちに困るわけでもない。

 持ち点ストック制なのだ。負け分にしろ勝ち分にしろ、この店で算出された金額は全て持ち越すことが可能で、次回のゲームをその持ち点から始められる。今回の例で言えば、次回のジーナは八〇〇〇ネーヴルの負け分を清算するところからスタートするというわけだ。市街の罰点制度によく似ている。

「ところで仕事はいいんですか」

「いやーそれが面倒なことになっちゃってさぁ。聞いてよチクタっくん」

 バカルディ・ラムベースで作られたモヒートを飲みながら言うジーナ。口元にミントの葉が張り付いている。海賊らしいチョイスだった。

「囮捜査に引っかかっちゃったんだよ」

「囮捜査? ZACTザクトのですか?」

「そう。粒子管の奪還を依頼したのが囮捜査官だったの」

「それはそれは」チクタクは声だけで笑う。「相手も考えたものですね。まあ、ラズル・ダズルは嗜好品の密輸には手を出してませんから、粒子取締法で有無を言わさず逮捕するというのはいい手だ」

「ほんとそれナー。お陰で家が滅茶苦茶だよぉ」

「口にミントついてますよ」

「うそん」

 どばん、と扉が勢いよく開いた。ご新規一名様ご来店というわけだ。蹴り破らんとばかりの凄まじい音だったものだから、ジーナは口元にミントを貼り付けたまま振り返る。

 軽薄な面構えのアンドロイド、ウィンチ=ディーゼルがそこにいた。

「動くなよ。国家電脳戦略特区都市所属、ZACT第三分社粒子取締執行官、ウィンチだ。新・禁酒法厳格化に基づきこの賭場を摘発する」

 新手のジョークか。チクタクは固まる。きょとんとした後ジーナが呟いた。

「噂をすればなんとやら」

「おいコラ、無視してんじゃねえ」ウィンチとジーナの目が合った。「おっ……」

「おっ?」

「お前、請負人の!」

 反射的に蒸気兵装スチームガジェットを起動するウィンチ。ほろ酔いのジーナが先に銃を抜いた。追ってチクタクもショットガンを構える。伊達に掃き溜めに店を構えたわけではないのだ。

「……ち」

 ウィンチは腕を止めた。分が悪い。店主一人ならどうとでもなるだろうが、問題はこのカウガールとも海賊ともつかぬ格好のふざけた女だ。銃を抜くのが速すぎる。

 隠れ家を襲撃した時もそうだった。保安官の役職に恥じぬというべきか、この女の早撃ちクイックドローは常軌を逸している。機械の目でさえ追えないのだ。今だって、気まぐれで引き金を引かなかっただけに過ぎない。

「落ち着いてください」チクタクはこともなげに言った。「ZACTの方ですね」

「そうだ。ここを摘発しにきた。酒は全て押収する」

「摘発? 掃き溜めは新・禁酒法の指定領域外だ。それに私は密輸なんかには手を出していない」

「てめえの事情なんか知るか。指定領域は今日から拡大された。酒場も賭場も娼館も、全部摘発対象だよ」

「素晴らしい」チクタクは肩をすくめる。「掃き溜めのほとんどの店が消える」

 ウィンチはジーナに目を逸らした。左手でモヒートを口に運んでいる。撃つ気はないとでも言いたげだった。というより撃つまでもないのだ。銃を構える速さそのものが、既に脅しとして充分な効力を発揮している。

「やめろよおっさん。仲良くしようよ。ラブアンドピースだぞ」

 ひっ、と気の抜けたしゃっくりをかまし、そののちジーナは銃を下げた。

「シュティードならいないぞ。あんたを殺すって言ってどっか行っちゃった」

「そりゃいい。手間が省けるぜ。奴をここに呼べ」

「えぇ、やだよ。私もうお仕事終わったもん。おっさんもそろそろ仕事は終わりにしようじゃないかね。もう六時だぜ。ほれ、モヒート。一杯どうだね」

 ウィンチは呆れる他なかった。どうにも調子の狂う女だ。自分の家を吹っ飛ばした男に一杯どうだも何もあったものか。

 力づくで攻めるか否か、ウィンチはしばし考える。なにせこちらはアンドロイドだ。心臓を撃ち抜かれでもしない限り即死はない。

 散弾銃ショットガンは差し置く。恐れるのはジーナの早撃ちクイックドローだ。トリガーを引いて一発、親指で撃鉄を叩いてもう一発……いや、腕前から三発までは想定しておくべきか……いずれにせよ、全く同じ位置に複数の弾丸を叩き込むぐらい、この女なら軽くやってのけるだろう。

「……」

 ウィンチの指先が揺れる。それより早くジーナが引き金に手をかけた。駄目だ。やはり速さではこの女に勝てない。粒子回路でさえ遅すぎる。どうやらこれは最適解ではないらしい。

「失礼ですが」チクタクが口を挟んだ。「もう一度お名前を」

 閑話休題というところか。緊張を見抜いたのかもしれない。なんにせよ仕切り直しだ。ウィンチは兵装を格納して続けた。

「……ウィンチだ。ウィンチ=ディーゼル。ミスター・ウィンチと呼べ」

「ミスター・ウィンチですね。私はチクタクと言います」

「そういう顔してるぜぇ」

「摘発を受け入れましょう」

「なに?」ウィンチが呆気に取られる。「受け入れる?」

「そうです。ただし、あなたが勝てばの話だ」

 言って、チクタクはトランプの山札をシャッフルしだす。

「なんのつもりだ?」

「ギャンブルで決めようと言ってるんです。ここは賭場ですから」

「ふざけるんじゃねえ」

「ふざけてなどいない。私は大真面目だ」

 ブレるチクタクの手元。カードが空を切る。ウィンチの蒸気兵装の隙間にトランプが刺さった。ジョーカーだ。脳裏にぎるは八億の姿。

 ああ、こいつもまた──類の男か。

「ミスター・ウィンチ。あなた何か勘違いをしておられるようだ。ここは掃き溜めなんです。仕事は常に命がけだ。それを奪おうと言うのなら、あなたにもそれなりの覚悟を持って臨んで頂かなくてはならない」

 カウンターに表向きアップを四枚。そこで山札を置いてチクタクは続けた。

「ミスター・ウィンチ。私はブラック・ジャックを愛していましてね」

「……興味はねえが聞いてやる。何故だ?」

「二十一に近付くからだ」

 失笑するウィンチ。これにはジョークマニュアル持ちの彼も舌を巻いた。なんなら辞書に追加したいぐらいだ。

「我々の内に眠った二十一グラム……人となりの全て。ギャンブルをしていると自分の中で葛藤が行われる。いけるか、どうだ、ここはやめ時か、それとも攻めるか……そんな葛藤がね。分かりますか、スリルです。寝ぼけ眼でネクタイを締めてる朝になど絶対に聞こえないはずの音、心臓の鼓動が、聞こえるんですよ」

「頭は機械なのにか?」

だ。今となってはそこ以外に求めようがない」

 チクタクが胸に手を置く。

「カードを一枚めくるたび──自分の魂に近付く気がするんですよ」

「……」

 ウィンチは茶化さない。茶化してはならないと思った。境遇こそ違うしアンドロイドというわけでもないが、この男も求めているものは同じらしい。そこに共感がないわけではなかった。

 まったくもって、アンドロイドにはあるまじきことに。

「罰点を恐れますか? それとも敗北を恐れる? しかし何より恐ろしいのは──自分の魂を安く値踏みされたまま引き下がることだ。違いますか? ブラック・ジャックはただのギャンブルじゃない。自分の魂を確かめる為の、崇高な勝負なんです」

 馬鹿げた話だ。ギャンブルで摘発の是非を問うだと。それで摘発されたとしても、賭博師としては本望といったところか。

 ウィンチは値札のない脳味噌を回した。ブラック・ジャックのルールはインストールされているが、勝率を上げる為のプログラムは組まれていない。そもそもウィンチは禁酒法の為に産まれた機械であって、ジョークだのトランプだのの為に生まれたわけではないのだ。

 自分の土俵に引きずり込むのが強者であるためのコツだ。わざわざ相手の誘いに乗って馬鹿を見たりはしない。郷に入って郷に従えば、土地を知らぬ物が馬鹿を見る。

「なに、あなた方の本分は書類の整理だ」チクタクは煽り立てた。「賭博で負けたからと言ってあなたの魂に傷がつくわけではない。そうでしょう? 別に嫌なら帰って頂いても構いませんよ」

 ああ、そうだとも。その通りだ。相手の土俵で負けたところで黒星にはならない。酒と煙草を呑む為に産まれたウィンチにとって、戦い抜くべき戦場は賭場ではない。どうせ戦うなら酒で戦うべきなのだ。

 ウィンチは利口だ。その程度は理解している。理解しているとも。

 だが、利口であっても腰抜けではなかった。

「……なめられたモンだぜぇ」

 ウィンチ=ディーゼルはジーナの隣に腰掛ける。負けず嫌いのアンドロイドの心臓に火がついた。そののちウィンチは胸元のカフスを引き千切り、叩きつけるようにクイーンの絵札の元に賭けるベット

「俺をただのチンピラだと思うなよ、不思議の国のアリス野郎」

「素晴らしい。公務員には勿体無い逸材だ。そうでなくては」

 ウィンチは苦笑した。ああ、全く。自分でも心底そう思う。

「確認しておきましょう。私が負ければ摘発を受け入れる。逆に私が勝てば」

「分かってる、分かってるさ。嘘はつかねえ、約束を破る奴は嫌いだ。それが俺の美学だ。後でやっぱりなんて真似はしねえよ。ブラック・ジャックだったな」

「そうです。全部で十ゲーム。ただし、ただのブラック・ジャックではない」

「あぁ?」

 隣でジーナがにやついた。自然と酒を飲む手が進む。ギャンブルはプレイしても観戦しても楽しいのだ。ジーナにとってはスポーツ・ショウの観戦と同じだった。

 そうとも、こういう時に行われるのは一つの戦いだ。ただの賭博ではない。

 特にこの掃き溜めにおいては、この世で最も肝臓に悪いギャンブルなのだ。

「ショット・ブラック・ジャックです。勝敗はこれで決める」

 ロシアンルーレットの亜種だろうか。ウィンチの辞書にはない言葉だった。

「なんだよ。負けたら引き金引くってのか?」

「そうです。ただし使うのは銃じゃない」

 どか、と嫌な音がした。

 カウンターに鎮座するバーボンの瓶。続いて眼前に置かれるは二つのショットグラス。ウィンチの頬が自然と吊り上がった。それも極めて引き気味に。

 ああ待て、嘘だろ。

 ショットって──そっちのか。

引きヒットです」

引きヒットだ」

止めステイ

「……」手持ちは十六。心許ない。だが危うい。「……引くヒットだ」

 ウィンチが絵札を引き当てる。超過バストだ。なんともツイているらしい。手札を放り出すと同時、ジーナがショットグラスに並々とバーボンを注いだ。

「おい、おい、待てよ海賊女。入れすぎだ。正気か?」

「往生際が悪いナ、おっさん。これがDブロック流だぞ」

 黒いラベル。ジャック・ダニエルだ。こんなふざけたブラック・ジャックがあったものか。えぐみのきいたバーボンの香りを嗅ぎ、ウィンチは久しく起動していないアルコール分解機構を回転させた。

「……クソったれ」

 一思いに喉元へ。パイプの内側が焼け爛れるようだ。酒。酒だ。もう何年も口にしていない、ウィンチが産み出された理由の一つ。

 頭がぐらつく。分解が追いついていない。演算速度FLOPSががくりと低下した。なにせ酒を処理するアンドロイドにあるまじきことに、随分長いあいだ分解機構を使用していないのだ。肝臓は鋼鉄製だがウィンチは酒に弱い。

 前世代のボディはアルコールを分解し続けなければ駆動しないという欠点を抱えていたが、最新型のウィンチは酒を摂取しなくとも駆動が可能だ。一長一短と言える。必ずしも酒を飲む必要はないが、その代わり前世代ほど多量に分解することはできないというわけだ。

 利点だと思っていた。禁酒法厳格化時代にアルコール・エンジンを抱えるなど本末転倒もいいところだ。だから改良が施された。酒を飲む必要などあるべきではない。そう思っていたのだが──笑えない。郷に入って郷に従った結果がこのザマか。

 よもやそいつが、仇になる日が来ようとは。

「さぁ、ミスター・ウィンチ。あなたの土俵だ。勝負といこう。延長はいつでも受け付けます。ゲーム数の半分以上の勝ち星を得られなければ──本当に全ての酒を押収して頂くことになりますよ」

 肝臓でね、とチクタクは付け加えた。





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