Track10.SET ME FIRE



 戦闘プログラムが導き出す橙色の軌跡──〝最適解〟に従い、バッカスはシュティードとしのぎを削った。搭載されているシステムはアップデート済みだ。ウィンチに搭載されているものから二世代にわたる改良を重ねられている。そこに隙はない。

 左からギターでの一撃。手の甲で受け流し一歩踏み込む。初陣にしては上々だ。生憎とバッカスはインテリなものだから格闘の経験はないし、特別体を鍛えていたわけでもない。されど鋼の肉体とあらば話は別だった。

『しッ』

 突き出す右拳。シュティードがその一撃をシドのボディで受ける。背部から砲身を展開。発砲すると奴は距離を取る。ただちに追撃。砂煙に紛れてその背後を狙う。

 最適解はこのうえなく完璧に作動していた。機械に間違いはない。だからこそ最適解たり得るのだ。戦闘時という一瞬における人間の判断──そこから導き出される次の一手を幾百幾千とシミュレートし、そして瞬時に粒子回路へ出力する。さしずめ今のバッカスは修練を極めた格闘家だ。何者もその判断を上回ることは出来ない。

 出来ないはずなのだが。

「ふッ」

 シュティードが歩を詰める。そののち蹴撃しゅうげき。ここだ。橙の軌跡が一際強く輝いた。一撃決殺への最短ルートだった。

 背部の粒子ブースターを加速アクセル。水色の残光と共に身体を捻りヤツの頭上へ。橙の軌跡はしかと八億の脳味噌を捉えた。鋼鉄の拳だ。殺すまでいかずとも脳天を揺らせばそれで沈む。

【ふん!】

 シドがそのボディを突き上げる。シュティードより一歩反応が速い。想定外の一撃がバッカスの単眼モノアイを打つ。最適解は絶たれた。追撃を避けるべく大きく二歩後退。そこへシュティードが地を蹴って攻め込む。ぐんとシドを振りかぶり──

「おらクソァ!」

 ──バッカスの胴体へ重い一撃。胸部の損傷を示すアラートウィンドウがバッカスの視界の隅に映る。やむなく彼は距離を取り、そして一度体勢を整える。

 先刻からずっとこうだ。最適解は確かに導き出されているのに、肝心なところで決まらない。それはシュティードがマニュアルにない一手を繰り出すからでもあるし、彼の手元のシドが独断で動くからでもあった。

 解せない。バッカスは姿なき眉をひそめた。シュティードの行動はまだいい。なにせ八億の値札を首からぶら下げる猛者だ、型破りな一撃にもこなれているだろう。

 だが奴の手元のギターはどういうわけだ? たった今の頭上への一撃もそうだ。シュティードが突き上げたというよりは、彼の腕が引っ張られているようだった。どうにも奴らは相性がいいらしい。

 生きているとでも言うのか。機械に──魂が宿っているとでも?

『……』

 そんな馬鹿な話があってたまるか。機械に人間の魂が宿るとでも言うのか。

 冗談じゃない。そんな御伽噺おとぎばなしみたいな奴が、この世に二人もいてたまるものか。

『一つ聞きマスが』バッカスは問うた。『あなたは何故そんなことに?』

「はぁ? なにがだ」

『あなたに問うたのではない』

 ウィンチとアイヴィーの交戦を背にして、バッカスは鋼鉄の人差し指をシドへ向けた。

『そちらのギターに聞いたのデス』

【…………】

『魂が宿っている。そうでショウ』

「馬鹿げたことをぬかすな」シュティードが吐き捨てた。「機械に魂があるか」

『本官は元・人間だ』

 これにはシュティードも眉を揺らした。シドは黙したままバッカスを見据え、シュティードの手を離れてひとりでに宙へ浮かび上がる。

【いかにも】シドは続けた。【オレ様はただのギターではない。イザクト事変で人間の魂が憑着したヴィンテージ……いわゆる〝喋る遺産ゴシップ〟だ】

『ははぁ。〝剥離と憑着〟でありマスか。お互い難儀なことデス』

【そういう貴様は何者だ? 元・人間だと言ったな。なぜそんな体に?】

 ち、と小さな舌打ち。あいにく今、八億の脳味噌は今日一番で余裕がないのだ。業を煮やしたシュティードが地を蹴り、バッカスをスクラップの山へと蹴り飛ばした。

「くっちゃべってんじゃねー! テメーの身の上話なんざ誰も興味ねえんだよ!」

【まったく気の短い……】

 風圧と共に飛散する廃品。ジャンクの雨の中、バッカスが中空へと躍り出た。

『なるほど噂通りの野郎でありマス』

「そうかい」

『でもって噂以上のクソ野郎でありマス』

「だったらどうする?」

『エクセレントな質問だ』

 夕暮れの中、両手を広げるバッカス。

右翼展開マノ・デストラ

 機械が札束を数えるようにして、バッカスの背部の装甲がばらばらと勢いよく展開される。まるで翼だ。装甲はまず右へと広がり──

左翼展開マノ・シニストラ

 ──続いて左へ。そうしてバッカスは指揮棒タクトを構えるように両手を挙げる。左右に大きく伸びた翼状の装甲から、一斉に鉛色の砲身が起き上がった。

対広域掃射粒子砲イザクト・メトロガルド・キャリバー最広鶴翼形態ミット・バイデン・ヘンデン

「【なにィーッ!】」

 二人の声が重なる。小口径の粒子銃だ。左右併せて二四門、あるいは四八門……とにかく沢山。これはいよいよ避けられない。影で見ていたジーナの頬に冷や汗が伝う。

「アイヴィー!」ジーナが叫んだ。「退けぇ!」

 ウィンチの拳を避けるアイヴィー。一瞥した上空には天使よろしく翼を広げるアンドロイドの姿。羽根と思しき部分の全てが砲門だと分かるなりアイヴィーはぎょっとした。

『ミスター・ウィンチ!』

 応じたウィンチがアイヴィーの爪を弾き、頃合とばかりに蒸気兵装スチームガジェットの力を借りて大きく宙へ跳ぶ。

 間に合わない。アイヴィーは砂上を駆けてシュティードの元へ。彼女は割り切りのいい女なものだから、別に救いや解決を期待したわけではなかった。

 何故もなにもない。理由はおのずと計り知れる。語るほうが野暮というものだ。

 一際強く輝く砲身。シュティードは八億の脳味噌をぐるぐると回す。それはコンマ八秒の演算だった。さあどうする。遮蔽物はない。訪れるは粒子の雨。家は半壊。戻るには遅すぎる。どうする。このままではまさに棺桶に収まるハメになる。

 待て。棺桶。棺桶だと? そうだ、大口径を防いだあの棺桶。しかしトレーラーにとりに戻るわけにもいかない。二秒と経たずに蜂の巣だ。

 ならば。

「……恨みな、シド」

【なに?】

 シュティードがアイヴィーを抱き寄せ、庇う形でその身を捻る。

「ひぇっ……」突然の抱擁に彼女の口から素っ頓狂な声が漏れた。とびきり彼女らしくない声色で。「いいいいきなり何すんだ馬鹿ぁ!」「慣れっこだろ」「お前なぁ!」

 空中で笑うウィンチ。いい高度だ。左右は抑えた。過不足はない!

「撃てぇバッカスッッ!」

 閃光。放たれる光弾。シュティードがシドの背面を引っ掴み、弾幕の方へとかざす。

 そいつはそう、まさしくな回答だった。

【!? おいシュティードちょっと待て貴様ッ】

 迫る濃密な粒子の一群。シドの視界が水色に染まる。ああ嘘だろ、こんなのって。

【ばばばばばばバカよせやめろぉ! 貴様おいちょっと待てッまさかほんとに】

 そして直撃。矢継ぎ早に光弾が続く。舞い上がる砂塵と飛び散る廃品。ナオンもジーナも耳を塞いでただ伏せた。掃き溜め一面をひっくり返したような惨状だ。衝撃がシドの脳味噌をがんがんと揺らした。脳味噌があるかは知らないが。

【あばばばばばばばばばばばばばばばばばば】

「さすがガンドレオン合金」シドを盾に言うシュティード。【貴っ様ぁあああああ】

 ナオンの頭上を弾丸が掠める。隠れ家は完全にオシャカだ。吹き飛んだ屋根が砂に突き刺さり、そしてまた穴だらけにされた。煙と爆音で右も左も事の次第も分からない。飛散した破片だけがちくちくと肌を刺激する。何の破片だかは知らない。なんだろうと一緒だ。壊れてしまえばスクラップはスクラップなのだ。

 アイヴィーはシュティードに強くしがみつく。修羅場でさえなければロマンチックな絵だ。爆音と振動のせいで鼓動もなにも聞こえない。

 望まぬながらも一身に弾丸を受け止め続け、シドはやけくそとばかりに声を荒げた。

【許さんぞ! もう絶対に許さん! 貴様とは縁を切る! 金輪際オレ様の……】

 言葉を止めるシド。シュティードがポケットから三角形状の何かを取り出す。

【……】

 金属製のピックだった。とても戦場に出す価値のない、ギターを爪弾く為だけのものだ。弦に対してよほど斜めに当てたのだろうか、満遍なく磨り減って少し丸みを帯びた三つの角が、積んできた鍛錬の日々を思わせる。

 歪な二人を唯一つなぎとめる、破れた夢の爪痕だった。

「シド」シュティードは戦火の中で言った。「再結成って知ってるか?」

【…………貴様】

「文句は後にしろ」

 勝手なものだ。自分から捨てたくせに。

 自ら望んで手放して、それでも捨てられなかったくせに。

【……まったく】不機嫌そうに答えるシド。【変わったんだか、変わってないんだか……】

「なんだ? なんて言った? 聞こえねえ」

【なんでもない! 貸し一つだ。高くつくぞ!】

「参ったね! 生憎あいにく今は持ち合わせがねえんだ」

 ニヒルな微笑みをしたためて、シュティードはいつものように言った。

「請負人でツケとけ」




 バッカスの視界に超過駆動のアラートが表示され、砲身が弾丸を吐き出すのをやめた。

 一瞬と呼ぶにはあまりに長すぎた騒乱を終え、静まり返る砂漠の片隅。ウィンチがざっと砂上に降り立ち、眼前に立ち込めた茶色いの塊を見つめる。砂嵐でも通り過ぎたようだった。冷却を要する砲身を収め、バッカスも重い音を立ててその隣に立つ。

『流石に死んだでショウ』呟くバッカス。『安心して下さい。子供はちゃんと避けて』

「かまえろ」ウィンチは鋭い眼光のまま言った。「まだだ」

『は?』

 視界を拡大するバッカス。黒煙の奥にシルエットが一つ。シュティードだ。その両脚で毅然と立っている。

「……え?」

 ナオンも呟いた。いよいよ意味が分からなかった。

 何故だ? 何のつもりだ? 音楽で世界を変えようとでもいうつもりか?

 どうしてお前はこの戦火の中、首からギターを提げている?

【なまってないだろうな】

「鋼鉄はなまらねえ」

 確かめるように言葉を交わすシドとシュティード。煤けた指先が指板を押さえた。久しい感覚だがどうにもしっくり来る。意外と覚えているものらしい。どこまで行っても付きまとうものなのだ、諦め損ねた夢という奴は。

 シュティードは大きく息を吸い、そして吐き出し、ステージに立つようにしてざっと砂を踏む。そののち、撫でるような軟らかさで一度だけ弦を鳴らした。

 E7(#9)イー・セブン・シャープ・ナインス──伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリクスが愛用した和音──エレクトリック・ギターの代名詞とでも言うべき、どこか不気味な歪んだ和音が鉛の空を伝播でんぱする。


 煙の中、ナオンは確かに見た。

 時代を逆巻く音を奏でた、一人のロックンローラーを。


「イザクトレーション!」

 叫ぶシュティード。深緑色の瞳に紅色の歯車模様が浮かぶ。黒い輪郭を纏った赤い落雷と共にギグが幕を開けた。

「濃度六〇パーセント級……!」ウィンチがたじろぐ。「やっぱり積んでやがったか!」

 興奮がウィンチの回路を攻め立てる。まだだ。はやるな。焦れば足元をすくわれる。大丈夫、焦ってはいない。ウィンチはそう言い聞かせた。

 吹き荒れる突風。ほとばし猩猩緋しょうじょうひ色の閃光。落雷が絶えず吼えている。上空には暗雲。ちょうどフリップブラックのドス黒い紫に似た輝きが、入り口のようにぽっかりと口を開けていた。

 地獄の釜でも開いたのか。ウィンチは苦笑した。突風が髪をぐちゃぐちゃにする。

 ばたばたと揺れるシュティードのネクタイ。やがて、低い男の声。

『Voiceprint Check,Fretcode Check. All Clear. "I.Z.A."authrized.』

 赤い粒子となったシドが弾け飛び、砂塵を巻き上げながら螺旋を描いて空へと昇った。

『Five,four,three,two,one...complete.』

 シュティードを打つ落雷。臨界状態のイザクト粒子が彼を分解し、そして再構成する。そののち、一際強い一瞬の輝き。世界がシャッターを切ったようだった。

 粒子が波状に爆ぜる。追って風圧と衝撃波。廃品テレビの液晶が割れた。

 ナオンは我が目を疑う。晴れた煙の中にシュティードはいなかった。いや、いるにはいるのだが面影が窺えない。そこにいたのは一匹の怪物だ。鋼鉄の怪物が、真紅の雷電をその周囲に従えて佇んでいる。

「……なにあれ……」声を漏らすナオン。「悪魔みたい……」

 頭部は剥き身の頭蓋骨。鋼鉄にも見える。首元には真紅の襤褸切れ。蒸気兵装の残骸と思しき金属が体中に散見された。胸部には、肋骨を想起させる鋭角状の装甲とシドの瞳。

 湾曲した角のような禍々しいパーツが左肩を飾る。チューニング・ペグに似た六本の螺子が突き出ているあたり、どうもそいつはギターのヘッドを模したものらしい。肩口を通った六本の紅いが、そのドス黒い左腕の指先まで続いていた。

 悪魔みたい? 馬鹿を言え。こいつは悪魔そのものだ。

「チェック────反抗者トライドール」 

『"Trydoal" check,ready.』

 骸骨となったシュティードが拳を握る。応じ、赤電を纏った蒸気が背中のパイプから排出された。どうにも珍妙だ。粒子と蒸気を同時にその身に宿している。

「出やがったな、第三世代!」

 ウィンチが地を蹴る。戸惑いながらバッカスもそれに続いた。

 先手を切るバッカス。橙の軌跡に倣う。気付けば彼は上空にいた。

『!?』

 打ち上げられた──再度地に叩きつけられてからそう理解する。シュティードが左足を軸に旋廻。そのまま右拳がウィンチの顎先へ。「っとぁ!」回避するウィンチ。蒸気兵装による反撃の一蹴。しかし空を切る。

 攻め込ませてはならない。ウィンチはリスクを覚悟で主導権を握った。二撃。回避される。三撃。また回避。四撃、五撃を過ぎたあたりでシュティードがまた攻め込む。鋭利な爪がウィンチの皮膚組織を裂いた。

 ────勝てる。ウィンチは思った。慢心ではなく本当にそう確信した。なに、動きで遅れを取ることはない。そこには単純な一つのカラクリがあるのだ。

 換装変身型粒子兵装イザクトガジェット──いわゆる〝第三世代〟には、例外なくシドのような〝粒子生命体〟……魂だけの存在が内包されている。つまり、第三世代は例外なく喋る遺産ゴシップというわけだ。

 彼らの役割は言わば一つのインターフェースのようなもので、使用者と粒子兵装との間を取り持ち、その脳味噌から出力された脳波、あるいは金属から出力されたステータスを送受信しなければならない。

 ここに第三世代の弱点が存在する。それも唯一にして最大の。

 RTDTラウンド・トリップ・ディレイ・タイム──信号伝達遅延シグナルレイテンシーだ。脳波による別形態への換装命令、機体の破損状況、あるいはエンジンの駆動率……それらは戦況を左右する極めて重要なファクターであり、伝達は限りなくリアルタイムに近い速度で行われなくてはならない。

 ならないのだが、そいつは相当に困難なことなのだ。粒子生命体という擬似デバイスを接着剤に合金を装着している以上、遅延は絶対に避けられない。

 例えば入力遅延6.33msに対して出力遅延が6.71ms。1000msで一秒だから、そこにはおよそ0.013秒の遅延が存在することになる。従い、シームレスな動作を実現するためには-13.04msのドライバエラー補正を要するわけだ。

 微々たる数字だと思うだろう。概算すればほとんどゼロだと言っていい。だが、趨勢すうせいを決するのはこのコンマ以下の数字だ。トリガーを引いてから発砲までが0.013秒遅い銃で〝荒野の決闘〟をやれ、などと言われれば誰でも躊躇する。自身の裁量で0.013秒だけ早く身体を動かすなんて芸当ができようものか。

 ともあれ、この補正を彼ら粒子生命体がデバイスとして担当する。そこにゼロはない。理由は述べた通りだ。いくらゼロに近付いてもゼロにはならない。直接粒子回路で合金とやり取りするアンドロイドのようにはいかないのだ。

 遅延の値は扱われる粒子のサンプルレートで変動する。換装変身に必要な使用者の音声やエンジンの駆動率といったアナログ信号の、デジタル信号への変換──これは標本化サンプリングと呼ばれ──サンプルレートはこの〝標本化〟を単位時間あたりに何度行うかを表したものだ。音楽においても同じことが言える。

 サンプルレートが大きければ大きいほど粒子は高品質な物になるが、応じてその容量も膨大なものとなる。兵装の変形は言わずもがな、換装変身などはイザクト粒子の記憶容量ストレージをもってして初めて成せる業だ。

 192000IzGHzイザクトギガヘルツ──ウィンチはトライドールの入出力サンプルレートにそうあたりをつけた。膨大なデータだ。粒子濃度から考えれば妥当と言える。バッファ・サイズは1024サンプルといったところか。

 推察される入出力遅延値は11.6ms程度、つまり0.016秒。喋る遺産ゴシップの性質──元人間であるという点を考慮すれば、補正もそう大きくはかかるまい。なにせ脳味噌の回路で演算するのだ。およそ人工知能における補正の半分……8.3ms、つまり0.008秒。思考に粒子兵装が追いつくまでに存在する小数点以下三桁の間隙。

 この0.008秒に──ウィンチ=ディーゼルの勝機がある。

 バッカスがシュティードの背後へ。橙の軌跡が弾き出す右拳。ここだ。ウィンチも肘から蒸気を排出し、加速した右拳を悪魔へ突き出す。シュティードは両の掌でそれらを掴み、レッド・テラスでテーブルを放り投げたようにして彼らを中空へ追いやった。

 バッカスの砲身が冷却を終える。再びその装甲が展開された矢先、シュティードの指先から六本のがぐんと伸びた。蛇のように空をのたうちまわり、バッカスを射撃の体勢へ移らせまいとする。

『く……』

 やり辛い。まるで鞭だ。その一つ一つを操っているのは確かにシュティードだが、どうにも複雑が過ぎる。橙の軌跡が追いつかない。最適解が次から次へと絶たれてゆく。

 割り込むウィンチ。砕ける一本の血管。最適解の一つが開かれた。無数のターゲットサイトの対象を黒い悪魔に絞り込み、対広域掃射粒子砲イザクト・メトロガルド・キャリバーの火蓋を切る。

「チェンジ!」骸骨のシュティードは叫んだ。「高機動空戦強襲鉄鋼錨エグジュヴィアスタッド!」

『Conversion mode:EXUVIA STUD. Ready.』

 換装命令だ。そこには遅延もカウントもなかった。トライドールが応じて、シュティードの背から無数の鎖が花開く。中心にはと同じ赤い粒子線、ナイフに似た鋭い先端。

 赤と青の衝突。放たれる光弾の雨を鎖が貫いてゆく。十、二〇、三〇、四〇、もっと。粒子の炸裂こそ確認できるが鎖の勢いが衰える様子はない。

『面倒な……!』

 ガンドレオン合金だ。小口径では勝負にならないか──最適解ではなく自身の脳味噌でバッカスが考えた時、シュティードは粒子ブースターの後押しと共に跳躍。幾本か地に打ち込んだくさび安定装置スタビライザーに、戦闘機じみた捻りを交えて空を駆る。

『はァ!?』

 光の雨に突っ込むシュティード。バッカスは辟易した。なんて愚かな。

 待て。鎖の数が少ない。奴は進行ルートを阻む光弾だけを的確に炸裂させている。

 残りはどこだ。どこに潜んだ。バッカスの視界が真っ赤に染まる。

 ──アラート! 下だ!

「バッカスッ!」

 叫ぶウィンチ。砂中から鎖。動揺と共にバッカスの左翼が貫かれる。駄目だ、捨て置け。銃身を武装解除キャストオフ。バックパック破損。掃射停止ののち残存粒子をブースターへ割り振り高速戦闘ランナーズハイ。駄目だ出遅れた。拳が迫る。

 シュティードの肘から吹き出す粒子。加速! 加速だと! この期に及んで! 速度が足りない! アラートがうるさい! 今度はなんだ! 超過駆動だと!

 ──────!!

『ばッ』「あばよ」

 ごしゃ、と重い音。飛散する部品。千切れるチューブ。吹き出す粒子。反抗者トライドールの右腕がバッカスの腸に風穴を空け、上下真っ二つにその身を分けた。

『く……』

 バッカスの視界を埋めるホワイトノイズ。最適解が矢継ぎ早に姿を消した。新入社員にしてはよく健闘した方だろうと自分でも思う。続いて更に加速するシュティード。はい、じゃあ次はあなたの番……そんな風にウィンチへと矛先が向く。

 なるほど、悪魔のギターという名は伊達ではないらしい。遅延を感じさせない速さだ。バッカスは空中を落ちゆく。機動力を失ってはおしまいだ。黒星一つといったところか。

 まだだ。二つにはさせない。バッカスが鉄鋼錨スタッドの一本を引っ掴む。シュティードが地へと叩き落とされた。機は逃さない。ウィンチが砂上を滑る。

『ミスター・ウィンチッ!』「エクセレントだ!」

 蒸気の軌跡。シュティードも応じる。互いに繰り出した右拳が頑と音を立てて激突し、そして拮抗きっこうした。ぎちぎちと震える鋼鉄。二重螺旋の蒸気がウィンチの拳を後押しし、シュティードの周囲の砂が大きくへこむ。

 ウィンチが僅かに優勢だった。蒸気兵装での加速もさることながら、シュティードは充分な膂力りょりょくを発揮できる体勢にはない。なによりそう、この砂漠という足場では、地に押し付けられた方は必ず劣勢になると決まっているのだ。

「年貢の納め時だぜぇ、請負人!」

「さすが役人、税金にはうるせえな」シュティードは叫んだ。「チェンジ!」

 シュティードの右腕が粒子となって消える。〝分解〟だ。拮抗は突然に終わった。つっかえ棒を外したようにウィンチが砂へ突っ込み、トライドールの換装変身が解かれる。

 来る。プログラムより早く最適解を導き出すウィンチ。走りざまに足元の仲裁者アービトレイターを拾い上げ、緊急用の高速充填モードに機体を切り替える。

 先に叫んだのはシュティードだった。

対超長距離臨界粒子砲バキュロクリーゲル!」

『Conversion mode:Creegale loading...On your mark.』

 換装変身の解除と共に弾け飛んだ粒子が集まり、シュティードの身の丈の二倍ほどはあるか──戦車に積むようなサイズの巨大な砲身がその右手と同化する。対物ライフルじみた姿だ。巨大な粒子管状の器具の中、液状化した濃度六〇パーセント級のイザクト粒子が爛々と赤い輝きを放っている。

 凝縮されているのだ。巨大な一発の光弾へと。

 長距離砲。撃たせまいとするか。駄目だ。奇跡の0.008秒は未だその尻尾を見せない。回避する前に充填が終わる。避けたところで堂々巡りだ。ウィンチは腹を括った。

 どうするかだと? 馬鹿なことを聞くな。

 迎え撃つに決まってるだろうが。

『Emergency. Conversion mode:Devastater. On your mark.』

 長銃身を展開する仲裁者。『Get set.』輝く砲身を互いに構え──『Get ready.』

 ──そして二人は引き金を引いた。

『Fire.』

 螺旋を纏ってはしる二筋の閃光。一瞬の衝突の後、シュティードの長距離砲バキュロから放たれた赤黒い光線が均衡を容易く崩す。棒菓子の個包装ビニールを剥くようにして、蝕まれた仲裁者の青い光線がひしゃめくれた。

「く……」押されるウィンチ。「この野郎……! この野郎ッッ」

 威力じゃない。初速で押し負けた。0.008秒の間隙を突いたはずなのに。遅延などまるで感じられない。速すぎる。何がその間を埋めた。奴の勘か。ギターの手腕か。あるいはその両方が互いに作用し、奇跡にすら勝る連携を生み出したとでもいうのか。以心伝心? 魂のコミニュケーション? 下らない。なんて下らない!

 そんなふざけたの話が、最適解を超えたというのか!

「ちッッくしょうがぁあああああああ」

 あ、とウィンチの声が遠ざかり、そして粒子に飲まれて消える。片隅に停めてあったナオンのオンボロトレーラーに彼を叩きつけ、真紅の光線が一思いに爆散した。

 黒煙が立ち上る。放物線を描いて飛来したホイールが、ゆっくりと砂を踏みながらバッカスの眼前に転がった。三秒、五秒、八秒。待てどもウィンチの姿はない。

『馬鹿な……!』バッカスは叫んだ。『ミスター・ウィンチ!』

 返事はない。当然だ。死人は喋ったりしない。それは機械にしたって同じことだ。

『Rezactlation.』

 炎と煙。深い爪痕。認証解除とともに弾け飛ぶ紅と黒の粒子の中、シュティードは落ちてきたシドをキャッチし、一瞬のギグを締めくくった。




   ◆




 棺桶は死体を収めるものだ。従い、そいつに命を救われた者はそういない。

 どうやらウィンチ=ディーゼルというアンドロイドは、その数少ないラッキーマンの一人だったようだが。

「クソったれが……」

 ショート寸前の回路に舌打ちし、ウィンチは地を駆けた。行くあては知らない。奴らから距離を取れれば今はどこだろうと構わない。

 ウィンチは機械だが幸運を信じる。自力で事をなすことに対してこだわりはあるが、差し詰め幸運も自力の一つといった考え方だ。必然だろうが偶然だろうが、結果がよければそれでいい。奇跡と呼ぶならそれでも構うまい。少々過ぎた名ではあるが。

 トレーラーに叩きつけられ、炸裂を垣間見たあの一瞬、ウィンチが視界の隅に捉えたのはナオンの〝棺桶〟だった。仲裁者による大口径の一撃を防いだ鉄の箱──標的をしとめ損ねる切欠となった物に、今度はこちらが命を救われたというのだ。こんな皮肉があったものか。ジョークマニュアルにすら例がない。

 あの棺桶は間違いなくガンドレオン合金製だ。粒子兵装である可能性が高い。それも極めてグレーなものだろう。置き去りにしてきたバッカスに加え、また回収対象が増えたとウィンチは狼狽する。仕事は増えていくばかりだった。

 この手で掴まねばならないものが、増えていく一方なのだ。

「……」

 驕ったか? 慢心した? いや、見立てに間違いはなかった。

 焦りすぎたのだ。フリップブラックの輝きに囚われた。ただでさえ値札のない脳味噌が煮崩れたのだ、最適解もクソもあったものではない。

 輝き。希望。あるいは夢。素晴らしい。なんと残酷な響きか。

 時にいたいけに胸を打つが、魅入られすぎると目を焼かれるもの。

 路地裏の片隅、煉瓦の壁に背を預ける。にゃあ、とスクラップの野良猫が寄ってきて、ウィンチの右足をがりがりとかじり始めた。なに、猫に悪気はない。ただただジャンクリーチャーの性質に従い、本能のままに餌を齧っているだけなのだ。

「……よせよ。俺は負け犬だぜ」

 吐き捨て、野良猫を引っ掴んで放り出す。右足の装甲に傷跡だけが残された。

 齧られた程度でなんだ。腕をへし折られようが耳を千切られようが、上半身と下半身を胴体を真っ二つに引きちぎられようが死なないのだ。心臓さえ貫かれなければなんとでもなる。よしんば循環粒子管が切れたところで、そいつはただ電源が切れただけだ。

 そこに痛みはなく、余韻もない。それを死だなどと呼んではならない。死であってなどなるものか。魂が失われる尊い行為は、どこまでも悲劇的トラジックでなければならないのだ。

 ああ、いっそ死ねたら楽だったかもしれない。過ちに見合うだけの痛みを与えられ、まあ仕方ないかと諦観ていかんしながら眠れたならば。死んだらそれまでだと割り切ることが出来たのならば。生憎とウィンチはポンコツなもので、割り算は得意ではないのだ。

 どうしようもなく実感し、そして同時に呪ったりもする。自分が機械であることを。

「……まだだ」ウィンチは拳を握った。「まだ終われねえ」

 キーラ、キーラ。聞こえるか。

 俺はまだ影を追っている。お前が追ったその影を。

 自分の為かお前の為かは、今更分かったもんじゃないが。






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