Track09.WILD TURKEY


 ラズル・ダズルは隠れ家をいくつか持つが、そのほとんどが隠れ家とは名ばかりのただの家屋だ。潰れた酒場跡や工場跡を利用し、壁一面を廃品で覆っただけの鉄の箱。普通は投棄された廃品の山に見せかけるものなのだが、請負人一行は山にする努力を怠ったものだから、誰が見ても人の住処だと分かってしまう。

 もっとも、分かったところで八億の根城に手出しする者はそうそういないが。

 レストレンジアの隅、砂漠の中にひっそりと佇む酒場跡の隠れ家──ここがラズル・ダズルの代表的な拠点だ。大体のいざこざはここを通じて行われる。まかり間違って家が蜂の巣にされたりしない限りは。

 さて、その〝蜂の巣〟事案が差し迫った夕暮れ刻、隠れ家は極めて平穏だった。嵐の前のなんとやらか。ぱしゃり、ぱしゃり、またぱしゃりと、ジー・ウォッチのカメラ機能だけが繰り返しシャッター音を奏でている。

「ちがう」

 オーセンティック・バー然とした隠れ家の中、足の長いカウンターチェアに腰掛けたまま、アイヴィーはまた長い足を組み直す。卓上にはカメラ機能がオンになったジー・ウォッチ。かれこれ二〇分はこのざまだ。人工知能もまさか自撮りに使われるとは思うまい。

 タイマーをセットして、足を組んで、撮影して、確認して、なんだかなあと首を捻ってみて、再びタイマーをセットする。この繰り返しだ。彼女の自撮じどりにかける情熱は、そこらの承認欲求お化けとはレベルが違った。

「ちがーう!」アイヴィーは駄々っ子のように叫ぶ。「もっとギリギリを……」

「……なにしてんだ」

 ジー・ウォッチを天高く突き上げたまま、アイヴィーは扉の方を振り返る。ジーナだ。アイシクル八ミリグラムのカートンを右手の袋にぶら下げている。どうやらおつかいは成功したようだった。

「なにって」アイヴィーはまたタイマーをセットする。「自撮り」

「……」

「なんだその顔は」

「こんな人生絶対やだナ……」

「うるせー!」

 ぱしゃり。レンズの瞬きの後、またアイヴィーはジー・ウォッチを手に取る。ご満悦だ。今度は上手く撮れたらしい。

 自撮りと言っても顔を映すわけではない。基本的に被写体は身体の一部だけだ。ペディキュアを塗った爪先であったり、あるいは酒瓶で隠した乳房であったり。

「レパートリーが尽きてきたな」アイヴィーは言った。「もう出すものがない」

「いいじゃん、尻の穴でもなんでも出しちゃえば。これが私のブラストゲートだーって」

「前と後ろはアウトだろ。さすがの私でも摘発されるぞ」

「今日は何撮ったんだ」

三角痴態バミューダトライアングル

「またパンチラ?」ジーナが呆れた。「もう十回ぐらい上げてるじゃん」

「なめんなよ。私のパンチラはいまだに五〇〇〇個以上のグッドをもらうんだぞ」

 誇らしげに言うアイヴィー。SNS上の星がいったい何になるというのか。電子マネーに換金できるわけでもないし。ジーナはまたそっぽを向いて呟く。

「やっすい女……」

「おい。おい、やめろ。これでも私は指名率二位だったんだぞ」

「そんなんだから二位なんだろ……」

「んぐ……」言葉に詰まるアイヴィー。「でっ、でもSNSのフォロワーは私の方が」

 外から蒸気の排出音が聞こえた。ジーナがいち早く耳を揺らす。

「誰かきた」

「シュティードだろ。どっかでトレーラーでもパクったんじゃねーの」

「お前ほんと危機感ないナ……」

 それはいつものことだ。どばん、と勢いよく扉が開くなり、アイヴィーは激しい剣幕でシュティードを睨みつけた。

「おせーよ馬鹿! 連絡ぐらいしろ! 荷物一つ引き渡すのにいつまでかかっ……」

 アイヴィーは言葉を失う。ジーナもあんぐりと口をあけた。

 なにせシュティードの両手には、なんとも珍妙な荷物が引っ提げられていたものだから。

「囮捜査だ。してやられた」

 愕然とする金貨と銀貨を意にも介さぬ様子で、シュティードは真っ先にそう言った。

 左手には鰐革わにがわのハードケース。これはいい。二人にとっても見覚えのあるものだったし、中身が爆弾というわけでもない。

「離せぇー!」

 問題はこっちだ。小脇に抱えられながらじたばた暴れる小柄な少年。誰だこいつは。アイヴィーはジーナを見る。ジーナもアイヴィーを見返した。なるほどどちらも隠し子には覚えがないらしい。また二人は少年に視線を戻した。

 少年であることには百歩譲ろう。その無垢な上半身が一糸も纏っていないのはどういう理屈だ。アイヴィーはまたジーナを見る。ジーナは少年の乳首を見ていた。やはり返事は期待できそうにない。

 悲しきかな、男の端くれでありながらナオンの見てくれは──剥き身なのが下半身だったなら判別がついたかもしれないが──彼女らの目には少女にしか映らなかった。

 それも、だ。

「ばっ……ばばばばばば……」ジーナが大声を上げた。「売春だぁあああああ」

「違うわぁ!」

「ついにやりやがったか」今度はアイヴィーが吐き捨てる。「ブタ箱でも達者でな」

「いい加減にしろ、こいつは男だ!」

「あぁん!?」

 アイヴィーがさっと立ち上がり、後ろ手に縛られたまま床に放り出されたナオンへずかずかと歩み寄る。

「どう見ても女だろうが。ローリエのとこの新人か? 何分コースだか知らねーが──」

 悪態をつきながらしゃがんで鼻先がぶつかるほどに顔を近付け、ナオンの股間を鷲掴みにするアイヴィー。未体験の感覚に少年は頓狂な声を上げ、アイヴィーは覚えのある手元の感触に仰天した。

「マジかよ……」「揉むなぁ!」「尊い……」

 ナオンが蠢く彼女の手から逃れる。寸前だ。混ぜろと言わんばかりにジーナが立ち上がった矢先、シュティードが足をひっかけて転ばせた。

「いい加減にしろこのアホ共、人の話は最後まで聞け!」

 鼻っ面をさすりながら立ち上がるジーナ。アイヴィーは困惑するナオンに大きく舌打ちをかまし、ついでに新品のアイシクルに火をつけ、それからようやくシュティードに軽蔑の眼差しを向けた。

「いやぁすみませんねえお楽しみ中のところ」

「違うっつってんだろ」

「安心しろ。お前が少年趣味のどうしようもねえ変態野郎だったことはこの際いい」

「殺すぞクソアマ、何一つ合ってねえンだよ」

 冷えたアイヴィーの目線がナオンへと移る。

「誰なんだ、このガキ。マキネシアにコウノトリはいねえぞ。私が子供嫌いなの知ってんだろーがよ。つーか、てめえも子供は嫌いだろ」

 ばつが悪そうに逸れたシュティードの目線が肯定する。アイヴィーの煙草だけがじりじりとくゆる。ちら、とナオンが見上げた彼女の瞳は爆弾に似ていた。

【まあ待てアイヴィー】ケースの中から言うシド。【その小僧はオレ様の恩人だ】

「シド?」アイヴィーが仰天した。「直ったのか?」

 ジーナがケースを開ける。親しみのあるV字の一つ眼を見るなり、彼女はシドのネックを掴んでぶんぶんと振り回した。

「シドだぁー! ひっさしぶりだナー!」

【回すな触れるな喜ぶな! オレ様は今ご機嫌斜めなんだ!】

 シュティードを睨むシド。シュティードも応じて睨み返す。

「……お前、どこで見つけたんだ?」

 アイヴィーがシュティードに問う。

「……ノーザネッテルのジャンクヤードだ。ハードケースごと埋もれてやがった」

【ふん。情を誘おうったって無駄だぞ】声を尖らせるシド。【貴様がオレ様を捨てたという事実はなくならんのだ。今更なんだ、のこのこと!】

 ぷい、とシドがそっぽを向く。子供みたいだとナオンは思った。人のことを言えた義理ではないが。

「こいつ、粒子管切れてたろ」アイヴィーが言った。「どうやって起こしたんだ」

「俺じゃねえ」ナオンを親指で指すシュティード。「このガキが」

「なわけあるか。シドは声紋認証だぞ。お前の声じゃなきゃ起動できない」

「俺が知るかよ。だからムカついてんだろうが」

 声紋認証。はて、それは粒子兵装イザクトガジェットに使う言葉ではなかったか──首を傾げるナオンの眼前で、アイヴィーがジー・ウォッチのシャッターを切った。

「撮らないでよ!」

 漂う陰鬱な煙草の香りがどうにも眼に染みる。紫がかった渦巻き模様の瞳が、値踏みするようにナオンを覗きこんだ。

「シュティードに巻き込まれたってワケか。クソガキ、名前は」

「……クソガキじゃないし……。ナオン。ただのナオン」

「ハッ、ナオン。なんだその女みてえな名前は」

 嘲るアイヴィー。嫌いな女だ、好きにはなれない──ナオンはそう思った。

「マニッシュ・ボーイって感じだな。とても男にゃ見えねえ」

「……そっちこそ、アイム・レディって言葉遣いじゃないけど」

 キレた返しだ。シドが小さく笑った。

「ヒュー、言うねえおチビちゃん」アイヴィーが笑い声を零す。だが目はまるで笑っていない。「自分の立場わかってんのかな」

 立場もクソもあったものか。ナオンは構わずアイヴィーを睨みつける。今にも噛み付きそうな半裸の少年を鼻で笑い、アイヴィーは気だるげに立ち上がった。

「で? なんでここに連れてきたんだ? ウチはいつから託児所になった? まさか同情したわけじゃねえだろ? 身寄りのないガキなんかスクラップフィールドには腐るほどいる。説明してもらおうか、ロックンローラーさんよぉ」

 シュティードが顔をしかめる。どうにも例の単語と相性が良くないようだ。よくやるものだとナオンは思った。キレた八億を冗談半分で嘲るなど正気の沙汰ではない。

 それはつまり、この女も正気ではないということなのだろうが。

「俺をロックンローラー呼ばわりすんなと何度言わせりゃ分かるんだ」

「そのだっせえ逃げ癖が治るまでだよ、ジミヘンくずれ」

「てめぇクソアマ言うに事欠いて……」

 ドスを利かせて睨み合う二人。どちらも完全にキレている。いよいよ同居人から死体が出る覚悟を決めたか、ジーナはバーカウンターの影に隠れて炭酸水を口にする。剣呑な空気に冷や汗を浮かべるナオンを手招きして呼び寄せ、共に影から見守った。

「やあやあよろしく。まあ仲良くやろうぜ、少年。ラブアンドピースの精神が大事だからナ」くしゃ、とナオンの髪を撫でて彼女は言う。「ああいうのはよくない」

「よろしく。僕、ナオン。ただのナオン。お姉さんは?」

「私はジーナ。こっちのギターがシド。歩くミステリーって感じかナ」

 言って、ナオンの口元に炭酸水を宛がうジーナ。煙草臭い金髪の女と違って、こっちは妙にとっつきやすそうだ。早くもアイヴィーの株は急落する。

「……」ナオンは問うた。「あっちのお姉さんは?」

「あっちはアイヴィー。歩くヒステリーって感じだナ」

「わかる」

 詰め寄り、超至近距離で睨み合うシュティードとアイヴィー。彼女が先手を取り、すぱ、と煙をシュティードへ吹きかけた。

「……おう、なんだよ。なんか私が間違ったこと言ってるか? こんな抜けてそうなガキ連れてきて、隠れ家の場所が割れたらテメー責任取れんのか? なんとか言ってみろよ、ロックンローラーさんよぉ! 私はヤボ用で忙しいんだけどなぁ!」

 一瞬、伸びる腕。彼女の頭を鷲づかみにし、シュティードが思い切り力を込めた。

「んぎゃあー!」

「大ッ体こうなったのはテメェのせいだろうがァ!」

「やめろァ!」

「テメーがZACTザクトのアホンダラに引っかからなきゃ今頃世はこともなしだったんだよ! なぁーにがヤボ用だ。どうせ性懲りもなくSNSに自撮りでも上げてたんだろが! どうだ、働かずに吸う煙草は美味いか! てめえの煙草代は蛇口捻ったら出てくるってのか!」

「いっだいだいだだだだ! ラズル・ダズルの仕事はちゃんとしてんだろぉ!」

「嘘つけ! てめえこの間、仕事してるフリして一日中ずっとマインスイーパやってたじゃねえか! 俺ぁ知ってんだぞ!」

「オンラインゲームですぅー! つーかなんで知ってんだよ、この変態! セクハラ! だぁー出る、出るってマジこれ脳みそ出る! 離せ、分かったからとりあえず離せぇ!」

 尚も攻め立てるシュティードと叫び続けるアイヴィー。ジーナが仲裁に入ろうとしたところで、アイヴィーが蹴り出した右足がシュティードをぶっ飛ばした。

「だぁクソ頭いてえ! てめえ、いま何世紀だと思ってやがんだ! 仕事仕事って、毎回毎回情報収集してやってんのは誰だと思ってんだ? 文句あんなら自分でやれ! 今日びインターネッツがありゃ誰でも出来るだろうが!」

「はぁあん! インターネッツだぁ!」大げさに鼻で笑うシュティード。「世間知らずの根暗とクソガキしかいねえインターネッツでか!」

「なめんな! 三〇、四〇の奴だっているっつーの!」

「そんな年齢にもなって掲示板で鬱憤晴らしてるような人間にまともな奴なんかいるわけねーだろうが! お前を筆頭にな! 何の参考にもならねえよ!」

「なんだとコノヤロー。おいジーナぁ、お前もなんとか言ってやれぇ!」

 矛先を変えた事でシュティードとアイヴィーが──肩で息をしながらも──一旦落ち着く。沈黙の中、カウンターからひょこりと顔を出してジーナは言った。

「二十五で自撮りは結構やばいぞ!」

「殺すぞぁ!」

「まぁまぁ」

 ジーナがナオンの拘束を解き、頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。

「シドを直してくれたんでしょ? お礼にご飯の一つぐらい奢ってあげようではないかね。ラブアンドピースの精神だよ。仲良くしようよ」

 ラブアンドピース。またそれか。アイヴィーは露骨に顔をしかめた。

「なぁにがラブアンドピースだ。お花畑が背骨の先まで続いてやがる」

「そう怒んなよぅ。ヤニが切れたか」

「ヤニじゃねえ。ただキレてんだよ」

「更年期障害だナ」

「てめぇマジで殺すぞ」

 無言のまま睨み合う女二人。居心地の悪い緊張感の中、やがてジーナが腰元の回転式拳銃を二挺抜く。負けじとアイヴィーも自動拳銃を抜いた。

 そして、お互いの頭へと銃口を向ける。

「わぁー! ちょっとやめてよ! ねぇ! 僕、出てくから! ていうかそもそも好きで来たんじゃないし!」

 もう命のやり取りはゴメンだ。ナオンは二人の間に割って入る。命がいくつあっても足りないし、止めるには聊か身長も足りない。それがまた、自分が子供であることをナオンに強く実感させた。

「ねぇってば!」

【おい、小僧】シドが厳かな声で言った。【しゃがめ】

「……なんで?」

【いいからしゃがめ】

「なに? なんなの? まだなんかあるの? もう勘弁してよ! なんなの!」

 シュティードがカウンターから瓶をかっぱらう。ワイルドターキーのX.Oエクストラ・オールドだ。レッド・テラスで見たレシートにあったものだろう。そののち彼はカウンターに背を預け、箸休めとばかりにすとんと座り込んで言った。

「フィーバー・タイムだ」

「え?」

 ぽん、とコルクが抜ける小気味良い音。

 それはちょうどフォー・カウントの最後の一拍だった。

 銃声が轟く。一つや二つどころの騒ぎではない。弾け飛ぶガラスと木片の中、ジーナとアイヴィーが同時に後ろを向き、背中合わせに外へと発砲した。

 水色の光弾。鉛じゃない。粒子銃だ。四方から撃たれている。四人か五人、あるいはそれ以上。まるで雨だ。いや──やはり雹と呼んだほうが近い。

 ウィンチだ。シュティードは即座に悟った。

「ネジ巻き野郎の執念に乾杯」

 ターキーを喉元へ流し込むシュティード。さあ、どうだ。その一杯は格別だろう。本日のコースの食前酒となるか、はたまた末期の水となるか。

「嘘でしょー!」目を瞑りながら叫ぶナオン。「なんでこうなるのぉー!」

【ハッハァー! そうだ、この感じだ! 相変わらずだなDブロック!】

 飛び交う銃弾の中、ジーナは混乱するナオンの頭を押さえて伏せさせ、共にカウンター下へ転がり込む。死角に隠れた四人は家具と食器が粉々に破壊されていくのを見つめる他なかった。傘を持たずに嵐に挑むようなものだ。

「言った傍からこれだよ!」アイヴィーが悪態をついた。「おいシュティード! 隠れ家割れてんじゃねえかボケェ!」

「俺の所為じゃねッつの知るかクソアマァ!」

「サボってんじゃねえ、お前も撃て!」

「弾がねえ」

「このタマなし野郎!」

「誰がタマなしだ!」

 床を滑ってくるローダー。中折れ式の長銃身、バントライン・スペシャルに弾丸をリロードし、シュティードは八つ当たりのように発砲する。実際にそれは八つ当たりだった。

「クソったれ、最低だ、人生最低の日だ! 国民の休日なんかクソ食らえ! 俺が一体何をしたってんだ! どうだジーナ、まだラブアンドピースはお前の中で笑ってるかぁ!」

「いやぁー、どうかナ! メイク中だから顔は見せらんないってさ!」

 時折顔を出しつつ発砲するジーナ。隣のナオンは耳を劈く銃声とシドの笑い声に辟易しながら蹲り、飛散するガラスと木片を浴びていた。

「もうやだァー! 最悪! 最ッ悪! 今日ほんと最悪!」

【最高だ、ビバ・マキネシア! ようこそ少年! 馬鹿騒ぎのプロ集団、ラズル・ダズルへ! ハッハッハッハッハァ!】

 ギターは豪快に笑う。さすがに機械の身体というところか、のんきなものだ。

 直撃こそしないが、顔を出せば即死。どうにも嵐が止む気配は無い。どうしたものかと四人がうんざりし始めた時、銃弾の嵐はバーカウンターの上部へ。

「おいおい」「わぁー!」「マジかよ!」

 嗜好品が保存されている棚がぶち抜かれ、ナオン以外の三人が往々に悲鳴を上げる。

 粉砕されていく瓶と容赦なく飛散するアルコール、打ち抜かれていく紙幣、吹き飛ぶ煙草とトランプの切れ端。色とりどりの破片と液体、それから葉っぱと紙クズが部屋を豪快に彩った。いよいよ家政婦が必要だ。やらしくないほうの家政婦が。

「わ……私の……」ジーナが叫んだ。「私のオキニのトランプがぁー!」

「アイシクルがぁああああああ!」今度はアイヴィーだ。「うわぁあああああああ!」

 親でも殺されたように叫ぶ二人。いよいよナオンの理解は追いつかない。なんだこいつら、馬鹿なのか。この状況でトランプだの煙草だの。命が一番大事だろうに。

「まったく節操のねえやつらだ」シュティードがキザったらしく言う。「んなモンあとで買い直せば済む話だろ。恥を知れ。いい大人がたかだか嗜好品の一つや二つで」

 ばりん。光弾がターキーの瓶を叩き割った。

「俺のターキーがァああああああああああああああああああああ」

 シュティードは今日一番の絶叫を見せた。手元に残ったのは破片だけだ。焦げ茶色の中身がガラスの先端を伝って滴り、芳醇な香りを振り撒きながら床板の溝を渡ってゆく。

「タッ……ターキー……やめろ、行くな……俺は……俺は今日の為にお前を……」

 言わずもがな、シュティードにとってワイルドターキーは燃料だ。文字通りその心臓を動かす燃料なのだ。心の支えを失った心中たるや計り知れない。唖然とした表情のまま、彼の瞳から光が消えた。

 銃声がやみ、訪れた無音。全員が神経を尖らせナオンが生唾を飲む。間近の銃声で音像がぼやけたままの耳で、ナオンはその声をしかと聴いた。

『聞こえてるかぁ請負人。どうせ生きてるだろ? ミスター・ウィンチ様のご到着だ! ギターを持って表に出て来い。でねえと次は木っ端微塵にするぜぇ』

 そらきた、軽薄な面が浮かぶようだ。相変わらず人を逆撫でするのがお家芸らしい。

 シュティードは項垂れたまま動かない。ぜんまいが切れたみたいにじっとしている。五秒ほど経った頃、最後の警告と思しき光弾が床板を撃ち抜いた。

【……オレ様が狙いか?】シドが訝しむ。【おいシュティード。貴様、一体……】

「ようシド」

 シュティードは綺麗な表情で告げた。

「空が……綺麗だな」

【は?】 

「ああ……キレちまったよ……完全にキレちまった……ちまったぜ、俺は……」

【お、おい……】

 シュティードはひとしきり呪詛のように呟いた後、シドのネックを掴むなり颯爽と立ち上がった。いつにも増してキレた動きだ。瞳が爛々と輝いている。

 押されたのだ。押してはならないスイッチが。

「──────野郎、ブッ殺してやる」

 巻き舌交じりで吐き捨てるシュティード。八億の脳味噌はついに沸騰した。




  ◆




 砂を踏み、シュティードは眼を右往左往させる。

 正面にはウィンチ。その隣には見知らぬアンドロイド、バッカス=カンバーバッチが控えている。おまけとばかり、ご他聞に漏れず白スーツの職員が五人。みな例外なく仲裁者アービトレイター持ちだ。

【……ZACTか】シドが呟いた。【貴様、オレ様が眠っている間に何をやらかした?】

「説明は後だ」

【うーむ。気分はグレゴール・ザムザか】

 あれだけ殺してまだ出てくるのか。まるで蟻だ。蟻の帝国だ。うんざりした様子のシュティードに笑みを向け、ウィンチがまたけらけらと笑う。

「さすが八億。酒場跡か。随分いいとこ住んでんじゃねーの」

「たった今滅茶苦茶にされた。チャイムの鳴らし方も知らねえどっかの馬鹿野郎にな」

 シュティードは睨みを利かせた。いやどうだろう、普段の表情かもしれない。目つきが悪いのは生まれつきだ。バッカスが鋼鉄の右足を踏み出し、ウィンチの一歩前に出た。

『初めマシて。八億ネーヴルの賞金首、シュティード=J=アーノンクール』

「でもってさよならだ。失せろクソったれ」

『礼儀のなってねえ奴でありマス。本官にはバッカスという列記とした名が』

「知るか。機械の名前なんざどうだっていい。ンなことより俺の家をぶっ壊した落とし前はどうつけてくれんだ?」

「このゴミ山のことか?」ウィンチがバッカスの肩に手を置いて続ける。「安心しろよ、ブロックごと新調してやる。お前の懸賞金でな」

「脳味噌と違って舌は回るらしいな。サインが欲しいならそう言え」

「口の減らねえコメディアンだな」

「口減らしがおたくの仕事だろ?」

 シュティードは意地悪げに言う。彼もまた脳味噌と違って舌は回るらしい。もっとも、目玉はまるで笑っていないが。

 ウィンチが不愉快そうに口角を下げた。

「よく聞け請負人。俺ぁ囮捜査官だ。秩序あるZACTの職員なんだよ。お前とは違う。煙草は吸わねえし酒もやめた。金なんて持っててもしょうがねえし、てめえの首にかかってる八億なんぞに興味はねえ。俺が欲しいのはただ一つ」

 立てた人差し指をシドへと向けるウィンチ。

「てめえが持ってるだ」

 悪魔のギター。傑作だ。シュティードはシドと共に失笑した。

「クロスロード伝説でも信じてるってのか?」

「俺はブルースマンじゃねえ」掌を晒すウィンチ。「ギター弾くように見えるか?」

「マンドリンがいいとこだな」

「俺はそいつの正体を知ってる」

 弛んでいた弦がピンと張るようにして、シュティードはその目を尖らせる。声こそ出さないがシドもその一つ眼を歪めた。

「ただのギターじゃねえ。クレイジー・ジョーが使ってた物だ。粒子生命体の力を借りて、内部地球の粒子領域から直接イザクト粒子を引き出す眉唾物……いわゆる〝第三世代〟……データベースに記録されてねえ、完全にブラックボックスの粒子兵装。そうだろ?」

 署名品シグネイチャーではない、当人のものだったのだ。ナオンは生唾を飲む。おまけに粒子兵装ときた。ロマンどころの騒ぎではない。

「粒子領域? アホかてめえは。ギターはギターだ。それ以上でも以下でもねえ」

「頑なだねぇ。どちらにしろギターも取り締まり指定対象だ。押収させてもらう」

「ふざけてんのか? ZACTが許しても俺が許さねえな」

「お前の許可なんざ必要ねえんだよ。ZACTの許可もだ」

 ウィンチはネクタイを外す。矮小ではあるが彼なりの意思表示なのだろう。駒ではないとでも言いたげだった。

「俺が許す。このミスター・ウィンチ様が、このミスター・ウィンチ様に、許すんだ」

「またそれかよ。前世はオウムか」

「いや。ただの人殺しだ。だから殺すことに躊躇はねえ」

 ウィンチが右手を挙げる。それを合図に職員達が一斉に仲裁者アービトレイターを構えた。五門の死の穴が例外なくシュティードを歯牙にかける。

 向けられた銃身はどれも小口径のままだ。合理的な判断といえた。この距離で件の巨砲をぶっ放せば同士討ちは免れまい。

 だからこそ、やり辛いのだが。

「知ってるぜぇ請負人、ビビってる奴ほど強がる。大人しく俺とデートするってんなら、てめえが死んだあと壁の修繕費ぐらいは出してやってもいい。ウィン・ウィンだろ?」

「デート? ジャンクヤードで廃油が呑み放題ってか? ウケたぜ、傑作だ」

「……桶屋が儲かるわけだぜぇ」一瞬だった。「あばよ請負人」

 先手は譲らない。手を捻りながらシュティードが銃を抜く。ジーナとアイヴィーが立ち上がる。風よりも速い瞬きの速度。砂漠に響いたのは一発の銃声。

 そののち五人の職員が力なく倒れた。

「なに?」度肝を抜かれるウィンチ。「おせぇよ」シュティードが笑った。

 違う、一発じゃない。一人二発ずつ、自動式オートマチックのアイヴィーが一発。計五発。

 早撃ちクイックドローだ。なるほどラズル・ダズルの怒りの前では銃を抜くことすら許されないらしい。

 面食らった様子のウィンチを一瞥し、ここぞとばかりにシュティードが駆けた。応じてバッカスが彼に向かう。加勢しようとしたウィンチの足を女二人が阻んだ。

「まぁ待てよ捜査官」ほくそ笑むアイヴィー。「折角だ、遊んでいけよ。こんな美人が相手してやろうってんだぜ」

「掃き溜めのキャッチはタチが悪ぃなあ」

「先に私をのはお前だ」

「んあぁ、なんだ。あれ、お前の口座だったのかぁ。失礼、レディー」

「手ぇ出すなよジーナ」アイヴィーが頬を歪める。「こいつに借りを返す」

「ラブアンドピースだぞ」ぼやきながらも銃を収めるジーナ。「頑張れアイヴィー」

 おどけるウィンチ。傍らではシュティードとバッカスが競り合っている。アイヴィーは銀色の機械があつらええられたフィンガーレスグローブをはめた。

「電子マネーでしめて六〇〇万ネーヴル。きっちり頭数揃えて返してもらおうか」

「えらくたけえな。同伴するなら考えるぜ」

「同伴? アホか、ウチにそういうオプションはねえよ!」

「ウチにはあるんだよ、警察だからな!」

 駆動音。ウィンチの両脚が蒸気を吹いた。

蒸気兵装スチームガジェット!?」来る。アイヴィーは左に飛んだ。「チッ」

 少し遅れた初動が、ウィンチの爪先が濃紺のドレスの裾を裂くに至らせる。こういう時には少しだけ煙草をやめようかと思うが、どうせ今に限っての話だ。身を翻し、ウィンチの第二撃をかわす。三つ、四つ。まだ対応できる速度だ。インテリにしては筋がいい。

 今更煙草をやめたところで肺が真っ白になるわけでもない。それは罰点の清算に似ている。汚れたという事実は消えないのだ。

「ドレス代も追加だ!」

 右足を蹴り出す。ウィンチの方が速い。空を切るヒールと襲い来る右拳。鋼鉄の軟骨が髪先を掠めた。視界の隅に鉄塊。バッカスが投げたものだ。シュティードが割って入りそれを蹴り出す。

 どうだ、やれるか。誰に言ってんだ──二人は瞳だけで意志を確認し、そして各々の獲物へと再び地を蹴った。コミニュケーションを舐めきった者同士らしい意思疎通だ。

 アイヴィーは乱戦の最中、胸元から取り出したIDメモリ──市街在住者の証明である市民権をグローブの端子へと差し込み、掲示板を怒鳴りつけるのと同じような声色で叫ぶ。

「イザクトレーションッ!」

 彼女の宣言と共にIDメモリが勢いよく霧散し、銀色が紫へと変色していく。イザクト粒子が合金を分解しているのだ。途方もなきミクロのレベルまで。続くは女性の声。

『"I.Z.A." authrized. Three,two,one...complete.』

 電子辞書を読み上げるようなつまらない口調だ。まだ市街のアナウンサーの方が感情の篭った声をしていた。

 そして、再構成。

 彼女の手袋についた文字盤へと吸い込まれるように渦巻く紫色の粒子──五指に沿って迸ったそれは大きく宙へと伸び、鋭利な爪を形成する。その一つ一つが剃刀のように薄く研ぎ澄まされた。濃紺を纏った細身なアイヴィーの肢体に、中々どうしてその鋭利さが花を添えている。

「チェック────略奪者ブリガンテ!」

『"Brigante" check,ready.』

 爪の輪郭に纏わり付いた紫色のイザクト粒子が弾け飛ぶ。間髪空けずに距離を詰め、アイヴィーはウィンチの懐へ潜った。ピアニストじみた繊細な指使いが、死の剃刀を纏ってウィンチの髪先を掠める。

「おいおい、粒子兵装かよ! 反則だろぉ!」

「先に使ったのはてめえらだろ!」

「バッカス!」

 噴出す蒸気。ウィンチが空へと跳ぶ。応じてバッカスが足元の仲裁者を宙へと蹴り、見事にウィンチの手元へ収めた。ザイールの仕事を白紙に戻した粒子兵装だ。さぁどうだ、もしやこの兵器ならアイヴィーの肺も白紙に戻せるかもしれない。

 いや、そいつは無理な相談か。

「イザクトレーション!」

『"I.Z.A." authrized. Three,two,one...complete.』

 同じく女の声。水色が弾ける。ウィンチは叫んだ。

「チェック、仲裁者アービトレイター!」『"Arbitrator" check,ready.』

 降り注ぐ水色の光弾。紫電の爪が雨粒を裂く。

「調子こいてんじゃ」右腕を振りかぶるアイヴィー。「ねえッ!」

 矢のごとく飛んだ三本の爪。リロードは間に合わない。とらえた。囮捜査官ここに死す。ほくそ笑んだアイヴィーを見てウィンチがさらにほくそ笑む。

 粒子兵装を捨てるウィンチ。同じく彼も右腕を振りかぶり、その鋼鉄の拳で粒子の爪を粉砕した。こればかりはアンドロイドにのみ成せる業だ。花弁のように破片が散る。

「は!?」アイヴィーが驚嘆する。「サイボーグ……!?」

「そんな半端者と一緒にすんじゃねえよ!」

 噴出す蒸気。空中で加速したウィンチの脚が軌跡を描いて地を叩く。派手に舞い上がった砂煙。ウィンチの影にアイヴィーも負けじと爪を突き出した。

「……すごい」

 蚊帳の外のナオンが手に汗を握る。何もかもが自分の知らない世界だ。蒸気兵装にしろ粒子兵装にしろ、ここまで使いこなせる人間はそうそういまい。それとも自分が知らないだけで、これこそを掃き溜めと呼ぶのだろうか。ここから先のブロックはどこもこうなのだろうか。これが日常なのだろうか。爆弾を投げ合うように軽口を叩きながら命をやり取りする、こんなふざけた光景が。

 だったら今自分がここにいるのは────心底ツイていたからに違いない。そこに自分の力量や裁量は微塵も関与せず、ただただ偶然に鉄火場を避け、幸運にもDブロックに辿りついただけなのだ。これが奇跡でなければこの世のどこに奇跡があるというのか。

 クソガキ。甘ちゃん。お人好し。そんな言葉がナオンの中をぐるぐる回る。腹立たしいがその通りらしい。どうやら自分が啜ってきたのは温い泥濘の上澄みだけだったようだ。

 ナオンは押し黙る。なんだか不安でぎゅっと手を握る。夢が遠のいた気がした。

 ああ、そうだ。ここまではいい。問題はいつだってこれからだ。

 夢がある。母を探すしロックンローラーにもなる。そう決めた。だから歩まねばならぬ。これから歩んでゆかなくてはならないのだ。荒くれ者達が跋扈する掃き溜めを、頼りない身体たった一つで。

 子猫。自分はまるで子猫だ。

 奴らは掃き溜めの野良猫で、こちらは乳離れもままならない子猫。

 違うのだ。携えた牙の鋭さも、打ち上げた鋼鉄のしたたかさも。

「……」

 鍔競つばぜ干戈かんか。火花は絶えず。

 切った張ったの火事場の外れ、十二の瞳はうれわしく────


 

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