Track08.(クズ+クソガキ×ギター)÷2=
ナオンにとって機械は生き物だ。穴開きにされたトレーラーであろうと、壊れかけの冷蔵庫であろうと、カーステレオだろうとラジオであろうと、機械にも魂は宿っているものだと思っている。
もちろんギターとて例外ではない。エレクトリック・ギターの複雑な仕組み……ピックアップで弦の振動を拾い、電気信号に変換して出力する……その一連のプロセスなどは、さしずめナオンにとって人体の仕組みに匹敵する神秘の領域だった。配置されているノブの役割、その難解さもさることながら、シングルコイルやハムバッカーといったピックアップの種類で出音に違いが現れるのも興味深い。
木材はアルダーかメイプルか、フロントで
ギターに限らず楽器というのは全てそうだ。弾けば弾くほど馴染んでいく。持ち主が楽器に、楽器が持ち主の方に近づいてゆくのだ。これを生き物と呼ばずしてなんと呼ぶのか。そこにあるのは魂の共振に他ならない。
ゆくのだが。
【ふざけるな! オレ様は絶対に入らん!】
喋るギターはそう言ってびょんびょんと宙を飛び、ナオンの奥の輝きを睨みつけた。他でもない棺桶から放たれている、
「どうして?」ナオンは首を傾げた。「直してあげるよ」
【クソガキ貴様、そいつがなんだか分かっているのか?】
「
【そういうことを言ってるんじゃない! とにかくオレ様は絶ッッ対に入らんっ】
ぷい、とギターはそっぽを向く。いやに頑なだった。
「……変なの。壊れてるんだから直した方がいいじゃん。マゾなの?」
呆れ顔でナオンが問う。ギターが大きく溜息をついた。
【貴様、オレ様が何か分からんのか?】
「ギターでしょ?」
【はっ、嘆かわしい……これだから最近の若い奴は。オレ様はただのギターではない】
「知ってるよ。見たら分かるもん」
ナオンはけらけらと笑った。
「クレイジー・ジョーの
【……そういう意味ではない】
ギターがぷかぷかと宙に浮く。フロント・ピックアップとリア・ピックアップの間に浮かび上がった目玉らしき模様が狼狽に閉じられた。
そんな風に溜息をつかれてもどうしろというのか。トランペットに見えるとでも答えれば満足なのだろうか。ギターはギターだ。どう見てもギターなのだ。このぶんではチューニングが終わるのはまだ先になりそうだ。ナオンはそう思う。
【オレ様は〝
「あっ、僕それ知ってる。〝剥離と憑着〟でしょ? イザクト事変で人間の魂が貼り付いちゃった機械のことだよね」
【そうだ、ヴィンテージだぞ! そんなもので直してみろ、ヴィンテージの持つ崇高なサウンドが失われるだろうが! 時が経つほど味が出るものも世の中には存在するんだ!】
喋るギターの言い分は正論だったが、あくまで木材が使われているギターでの話だ。
ギターは極めて繊細な楽器だ。湿気を含んで木材が膨張し、そして乾燥しては収縮してを繰り返し、そのふくよかななサウンドが作られる。もちろん、ネオ・ラッダイト運動以降、ギターに適した木材の流通はZACTによって厳しく制限されたものだから、単に当時のギターに使われていた木材が上質だったということもある。
とすれば、どうやら金属らしいこのギターには関係ないようにも思えるが。
「……直すって、ボディまで変えちゃうわけじゃないよ。壊れた塗装が直るだけだよ。ほら、あちこち欠けてるじゃん。そういうのを直すんだよ。音は変わんないよ、きっと」
ギターは一つ眼を歪める。
【……貴様、その棺桶の性質をまるで理解していないようだな】
「なにが?」
【ええい、もういい。貴様なんぞにはわからん】
若さをなじるようなその言い草は、どことなく請負人を彷彿とさせる。やがてギターはじろじろとナオンを観察しながら、彼の周りを飛び回り始めた。
【なんだクソガキ、女の癖にその貧相な胸は。ちゃんと飯食ってるのか?】
「ぼく男だよ」
【男!?】一つ眼が見開かれる。【男だと!? その顔で! けしからん! 有り得ん! ミステリーだ! イザクト事変以来最大の謎だ!】
喋るギターはミステリーの内に入らないの──そんな言葉が口をつきそうになる。
【男……男か……そうか……そうなんだな……そうか……うむ。なるほど、言われてみれば確かに膨らみが……なんてことだ……アリだな……】
ナオンは苦笑する。その他なかった。それも引き気味に。何がアリなのかは怖くて聞けなかった。なに、世の中には謎のままにしておいた方がいいこともあるだろう。ロマンになりうるかは別として。
【歳はいくつだ!】
「え……」ナオンは押され気味に答える。「じゅ、十二歳……」
【十二!? なんてことだ! どストライクど真ん中直行バンザイ空振り三振だ!】
ぐるぐると回転するギター。どうにも趣味が悪いらしい。仕切りなおしとばかりに咳払いし、彼は──彼だか彼女だかは知らないが──独特のハスキーな声で続けた。
【いや待て待て。小僧、そもそも貴様は一体何者なんだ】
いざ何者かと問われると困るものだ。ナオンは思う。今のところ自分は何者でもない。クレイジー・ジョーの言い草に倣えばミスター・ノーバディーなのだ。誰も名を知らぬ一介の技術屋に過ぎない。
なんと答えるのが正解なのだろう。技術屋? それとも旅人? はたまたロックンローラーを目指すドリーマー?
大差はないか。いずれにせよ中身は自分なのだ。ナオンは答える。
「僕はナオン。ただのナオン。ギターさんはなんて言うの」
【名前? よくぞ聞いてくれた……だが生憎、オレ様に名前はない。覚悟を決めた男には必要ないからだ。捨てたのさ、背負っていた薄暗い過去と一緒にな……そう、全ての道はローマへ通ずると言うが……ここマキネシアでは全ての道はロックンロールに通ずる……名もなき誰か、誰でもない誰かの人生すらな……】
「わかるよ」
【聞き流したな?】
ぴょんと浮き上がり、ナオンへと向き直るギター。
【シド。それがオレ様の名だ。ミドルネームはない】
なんだか妙にしっくりくる名前だ。前世はパンクの申し子だろうか? ナオンはシドに悪戯っぽい微笑を向ける。
「ヴィシャスから?」
【さぁな。いい名前だろう?】
「クールだね。破滅的」
【早死にする予定はないがな】
シドは苦笑する。口こそないが、そのニヒルな雰囲気がまた八億を思わせた。
【それで、何故オレ様はここにいるんだ。まさか貴様、盗んだんじゃあるまいな】
むっと顔をしかめるナオン。
「違うよ! あのクズが勝手に置いていったんだよ」
シドが〝へ〟の字を逆さにしたように一つ眼を尖らせる。疑っているのか、それともヤツならやりかねないというところか。
【……ふん。まぁいいわ。もうどうでもいい。自分を捨てた奴にいつまでも執着している方が馬鹿らしいというものだ】
そっぽを向くシド。V字の瞳が閉じられる。
「捨てたって……ちがうってば。忘れていったんだよ」
【そうじゃない。奴はオレ様を捨てたのだ。信じられるか、投げ捨てたんだぞ。お陰様でベルトコンベアにがっこんがっこん運ばれて、気付けばノーザネッテルの
聞き覚えのある名前だ。これまた何の因果か。よもや自分の仕事場に喋るギターが潜んでいたとは。ナオンは怪訝そうに片眉を吊り上げた。
「でも、僕と会った時は持ってたよ。だからここにあるんじゃん」
ナオンの言う通りだ。ノーザネッテル近辺で出くわした際、シュティードは既にシドを手にしていたし──シドの言い分を信じるなら、シュティードはわざわざレストレンジアから拾いに来たことになる。
おかしな話だとナオンは思った。自分で望んで捨てたのに、自分で拾いに来るなんて。
【……………………ふん。どうせただの気まぐれだ】
シドはボディの先端で廃材を蹴る。一丁前にやさぐれているらしい。
【……あんな根性なし、知ったことか】
哀れみ。諦め。落胆。失望。なんにせよ声色に良い意味は見受けられなかった。これまた厄介ごとの臭いがする。
あの大人気ない男のことだ、ギターの腕が上達しなくて投げ出したとか、せいぜいその程度の理由だろう──ナオンはなんとも浅はかながらそう当たりをつける。
「ふーん。まあいいや。これからよろしくね」
【待て。なんでそうなる?】
「えっ。だって僕が拾ったんだもん」
【はん。無茶苦茶な言い分だな、小僧。クズの素質があるぞ。ギターをやる奴なんてクズばかりだ、特にエレキギターをやる奴はな!】
ギターにクズ呼ばわりされたとあってはギタリストも立つ瀬が無いというものだ。ナオンは苦笑するしかなかった。
「ねえシド。僕の相棒になってよ」
【は?】シドがぐんと距離を詰める。【オレ様が? 貴様の? 相棒に?】
ナオンはそこにステージを空想する。再びドラム缶の山の上に立ち、聴衆に訴えかけるようにして両手を広げた。
「僕ね、ロックンローラーになりたいの。でもエレキギターを持ってないんだ。だから、僕の相棒になってよ」
【断る!】シドは即答した。【オレ様は金輪際誰の物にもならん!】
「なんで? あのクズには捨てられたんでしょ?」
【それとこれとは話が別だ! ならんったらならん!】
「でも、弾いてくれる人がいないとギターになった意味がないよ」
【はん! 貴様のようなヘタクソと手を組むぐらいなら犬のクソでも握った方がマシだ! なぁーにがロックンローラーになりたいだ! さてはクレイジー・ジョーに憧れたたちか! 死んだ人間の言うことにいつまでも振り回されよってからに!】
ますますシュティードのようだ。シドはご立腹の様子で続けた。
【貴様、クレイジー・ジョーが何をしたか知ってるのか? 奴のせいでロックは──】
「えい」ナオンがシドのネックを掴む。「つかまえた」
【離せぇーッ!】
逃げ出そうとするシド。ネックを掴んだままのナオンがずるずると引きずられる。これまた意地の張り合いだ。ロックンローラー志望のクソガキが、よりにもよってギターそのものにヘタクソと罵られて黙っていられるわけがなかった。
「暴れないでよ! ちょっとだけ! ちょっとだけ弾かせて! ね! もう一度ちゃんと聴いてよ! そしたら考えが変わるから! 変えてみせるから!」
【絶対ごめんだ! 誰かぁー! 犯されるぅーッ! 助けてくれぇーッ】
「大げさだなぁ、もう! ちょっと弾くだけだから!」
【それは〝先っぽだけだから!〟と一緒だ!】
「イントロだけだから!」
【ますます一緒だろが! いいか小僧、貴様のような初心者がオレ様を弾こうなど──】
ばしゃん、とバケツの水をぶちまけたような音がした。
鋭利な破片が廃墟に煌く。掃き溜め特有のイカれたご新規様がガラスを突き破ったようだ。またゴロツキの類か、今日はどうにも面倒が絶えない。ナオンは慌てて振り返る。
クソったれ。ゴロツキの方がマシだった。ナオンは顔一面に不快感を貼り付ける。
赤毛交じりの捩れた黒髪、浅黒い肌に暗いグレーのシャツ。緩められた赤いネクタイ。きわめつけに世の中をなめきったニヒルな瞳。
八億の暴君がギグの大トリを飾るようにして登場し、ナオンのステージ気分を憂鬱の底へと叩き落とした。
「つくづく縁があるな、クソガキ……」
ガラスの破片を踏み砕き、シュティードはゆらりと立ち上がる。
「……最ッ悪」
少年の右手にはギター、解き放たれた棺桶からは常磐色の粒子。シュティードは浮気現場でも目撃したような顔を作る。ナオンがやろうとしていたことを察するなり、間髪空けずにバントライン・スペシャルを構えて撃鉄を上げた。
「そのふざけた棺桶を閉じろ。ギターをこっちに返せ」
「注文の多いやつ……!」
「黙って返せぇッ!」シュティードは叫ぶ。ジョークが似合わぬ声色だった。「まかり間違って棺桶に入れてみろ、そん時ゃマジで頭ブチ抜いてやる……!」
只事ならぬ様相だ。そこには本物の暴君の
「ギターから手を離せ。そいつはてめえなんぞが触れていい代物じゃねえんだよ……!」
銃声の残響。火薬の香りと一筋の煙。ナオンは生唾を飲む。言葉では駄目だ。何を言っても二の句を継ぐ前に銃弾が飛んでくるだろう。次は足元では済まない。
──ズタ袋の中に銃がある。ナオンは意識を集中させた。走って三秒。遮蔽物はドラム缶が二本のみ。駆けるか? どうする? 賭けてみるか? しくじれば終わりだ。今度こそあのお人好しは引き金を引く。仏の顔も品切れする頃合だろう。
そうだ。ここは掃き溜めだ。なにも躊躇うことはない。抗わなければ食われて死ぬ。スクラップの野良猫でさえそうなのだ。
挑むか──風すら追いすがる
【よせ、小僧】シドが一つ眼と共に口を開いた。【大人しくオレ様を離せ】
見透かされていたらしい。シドがナオンの手を離れ、ふわりと宙を駆る。そうして中空に屹立したシドを見て、シュティードはゆっくりと銃を降ろした。
文字通り
「……………シド…………?」
久しく呼んでいない相棒の名を、シュティードは気の抜けた声で口にした。
時の流れが止まった気がする。一人と一本は見詰め合ったまま動かない。なんだか感動の再会風だ。どうやら介入の余地はないらしい……そう感じたナオンが右足を下げた瞬間【──このクソったれがァー!】シドが大声を上げた。【人をスクラップ置き場に棄てておいて今更どの面下げて来たんだ貴様はァ!】
感傷は一瞬だった。応じてシュティードも表情を元に戻し、声を荒げる。
「黙れこのポンコツギターが! せっかく回収しに来てやったのになんだその態度は!」
【貴様が棄てたんだから貴様が回収するのは当然だろうが! 前々からクズだとは思っていたが楽器のケアもおこたるほどのクズだったとはなぁ!】
「ギターの分際で偉そうな口利いてんじゃねえ! ああクソ最悪だ、てめえなんかスクラップにされちまえばよかったんだ! 大体しょっちゅうチューニング狂うわ弦は切れるわ、てめえにはギターとしてのプライドってモンがねえのか!」
【貴様の弾き方が荒いからそうなるんだろうが! あんなもの強姦同然だ!】
強姦されたらしいシドは思い切り詰め寄る。
【見ろ、この弦の錆を! もうどれだけ弾かれていないと思っている! 貴様がオレ様を捨ててどれだけ経った! ギターの名折れだ! 今更思い出したように相棒面だと? 虫唾が走るわ! ロックンローラーが聞いて呆れる!】
シュティードが苦い顔をする。彼にしては珍しくばつが悪そうに眼を逸らした。
【とっとと失せろ! オレ様はもう二度とお前の元には戻らん!】
「ガキみたいなこと言ってんじゃねえ、てめえを探しに出たせいで俺は散々な目に合ったんだ! ザイールのアホに追いかけられるわZACTと素手でやり合うわ、挙句の果てにはクソガキとイタ飯のコースだぞ! 今更手ぶらで帰れってのか!?」
【貴様の事情なんぞ知るか! とにかくオレ様は絶ッッ対に戻らんっ! 夢を投げ出したような奴に弾かせるほどオレ様の魂は安くない!】
意固地の衝突ここにあり。シドがふわりと浮き上がり、ナオンの隣で
【オレ様はこの小僧の物になったのだ。もうお前の物ではない!】
「えっ」首を傾げるナオン。「さっき誰の物にもならないって」
【空気を読めクソガキィ!】
それはこっちの台詞だとナオンは思う。シュティードの銃口が再び彼に向けられた。そら見ろ、こうなることぐらい考えなくても分かるだろうに。
「シドを渡せ」
「……」鼓動が荒くなる。沈黙ののちナオンは答えた。「……やだっ」
「なら死ね!」シュティードが引き金を引く。気の抜けた音。弾切れだ。「チッ」
地に放られるバントライン・スペシャル。シュティードが歩を進め、そのたびナオンが一歩引き下がった。
「渡すもんか! 冷蔵庫壊したり、ロックを馬鹿にしたり! 野蛮だし傲慢だし、人の話聞かないし! そんな奴には絶対渡さないもん! クズ! ドクズ!」
「
「やだやだやだやだ、絶対やだ! クレイジー・ジョーのシグネイチャーモデルだもん、あんたみたいな奴には絶対渡さない! どうせ渡すならもっと相応しい人に渡すっ」
「逃がすかッ」
素早く伸びたシュティードの手が少年の首元の布切れを引っ掴む。ほくそ笑んだのも束の間、結び目が解けてナオンが駆け出した。
「待てこらクソガキ!」
シュティードが追いかける。瓦礫の所為でいやに走りにくい。今度はシャツの裾を引っ掴むが、ナオンは服を脱ぎ捨ててまだ逃走を試みる。いたちごっこだ。野良猫が鼠を追い回しているようだった。
「あぁーもう来ないでよ!」「待てっつってんだろが!」
よもや少年が全裸になるまで続くのではないか──シドがそう危惧──あるいは期待しはじめた頃になって、漸くナオンが瓦礫に蹴躓いた。
好機だ。シュティードは半裸のナオンに駆け寄るやいなや、布切れで両腕を、シャツで両足を素早く縛り上げ、未成熟な少年の体を小脇に抱えて立ち上がった。
「ぃやー! 離せー!」
「二度手間かけさせやがって! 大人しくしてろクソガキ!」
「死ね変態!」
「てめえが逃げるからだろが!」
棺桶の扉を乱暴に閉じ直し、鎖で踏ん縛るシュティード。『Rezactlation.』と棺桶から女の声が響き、続いて苛立ちの矛先は宙に屹立するシドへと向けられた。暴君が猛然と肩で風を切る。
【貴様、そう簡単にオレ様を捕まえられると思っているのか? なめられたモンだな】
「あっ!」明後日の方向を指差すシュティード。「マーシャル一九六八!」
【なに!? これは久しぶりにセックスの予感──】
思わず振り返るシド。本能に忠実なようだ。人間時代もそうだったのだろうか。もちろんこのご時勢、マーシャルアンプなどそうそうお眼にかかれはしない。只のハッタリだ。シュティードが即座にシドを引っ掴み、ハードケースへと押し込んで鍵を閉めた。
【この卑怯者がぁー!】「離せぇー!」
「ええい、アホばっかりかこのブロックは!」
小脇には半裸のクソガキ、手元にはハードケース。どちらも拡声器ばりのやかましさときた。やいのやいのと叫び立てる一人と一本を抱えて砂漠を踏み、シュティードは死後二時間と経っていないトレーラー──その後部、ナオンの持ち家だった方へと彼らを放り投げる。寝ぼけ眼の宅配員が荷物を扱うような乱雑さだった。
万事解決、
「…………」
少年いわく一等大事な棺桶。生き別れの母親の置き土産の棺桶。貴重な貴重な〝機械を直す〟粒子兵装。どういう理屈かやたらに重い、トレーラーまで運ぶには人生三周ほどの難儀を要する鋼鉄の棺桶。
それはそう、恐らくは、シュティードでいうところのシドにあたるものだろう。
「────ンンンのクソッッッッたれがぁああああああああ」
脱兎のごとく駆け出し、シュティードは力の限り棺桶を押した。今日一日の鬱憤を全て晴らすように、半ばやけくそで押してみた。ほんの二、三歩程度の距離を動かすのにえらく難儀する。砂にめり込んでしょうがないのだ。一体どういう理屈であの小柄の少年がこれを背負っているのか、シュティードにはまるで検討がつかない。まさか旧時代の戦闘用アンドロイドというわけでもないだろう。
「んのおあああああああああああ」
シュティードは棺桶の鎖を握り、これまた力の限り引きずった。押して駄目なら引いてみろの精神だ。大体のことはそれで上手くいく。引く方が肝心なのだ。女にしろ、女にまつわることにしろ。低俗なジョークマニュアルは時として正しい。
「冗談じゃねえっ! 冗談じゃねえッッ! 本当にっっっ!」
ずるずる、ずるずる、ずるずるり。ようやっとのことで棺桶をトレーラーまで引っ張ると、今度はそいつを積む作業が待っている。シュティードはまた意地だけで鎖を引っ張り上げた。もう意地の他に手立てはなかった。てこの原理など完全に頭の外だ。
ずん、と音を立てて棺桶が横倒しになる。向きなど知るか。宅配ピザが入っているわけでもない。シュティードはやっとのことで運転席へ向かった。
傑作だ。今度はエンジンがかからない。はて鍵は左に捻るのだったか右に捻るのだったか。舌打ちがブルースのビートをいやに早く刻む。右へ左へと力任せに回しているうちに鍵が折れた。根元からだ。万歳三唱! トレーラーの人生ここに死す!
「あぁああもうあぁあああ! あぁああああああああああッッッ!」
裏声交じりで叫んで頭を抱えるシュティード。八億の脳味噌はパンク寸前だ。この発狂ぶりには後ろの一人と一匹も閉口した。
暴力。そうだ! 暴力だ! 困った時は暴力が全てを解決してくれる! シュティードは思い立つなり席を立ち、トレーラーの蒸気エンジンを滅茶苦茶に蹴り始めた。中々のキレっぷりだ。得点王も夢ではない。
「動け! 仕事の時間だ! 起きろ! おい起きろクソったれ! ファッキンクソッたれチクショーバカヤロー! 動けこのクソポンコツがァ!」
「ちょっとやめてよ!」ナオンが叫んだ。「かわいそうだよ!」
「黙れっ、黙れっ、黙れクソガキ! この程度も直せないでなにが技術屋だ! 粒子兵装で機械の修理なんざ
【ふっ】シドが失笑した。【
「面白くねーんだよちっともよぉ!」
エンジンが動く気配はない。もう二〇発はシュートを決めたのに。まるで死体蹴りだ。
「馬鹿馬鹿しい!」懲りずにエンジンを蹴り続けるシュティード。「金は叩けば増える! 機械は叩けば直る! 昔からそう、決まってんだ、よぉ!」
シュティードの祈りと陰湿な暴力の甲斐あってか、ポンコツトレーラーは息を吹き返した。勘弁してくださいよまだ働かせるんスか──そんな調子で、巨大なパイプから高らかに蒸気を吹き上げて。
「オーケーオーケーいいぜベイベー最高だ! やりゃあ出来んじゃねえか!」
シュティードはさっさと運転席に座る。この男にかかれば死んだ馬でも大穴たり得るようだ。腸の内も鎮まらぬまま、シュティードは乱暴にアクセルを踏んだ。
【出せぇー!】「降ろせぇー!」
「うるせえこの馬鹿野郎どもが!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ一人と一本。騒音だ。とても耐えられない。頭がどうにかなりそうだ。シュティードはカーステレオに手を伸ばす。苛立ち気味に二、三、四、五、六、七度と叩いてギア・レコードを回した後、ボリュームを目一杯上げた。割れんばかりだ。実際に音は割れていた。
クレイジー・ジョーの曲だ。聴きたくもない。汚らしいざらついたエレキギターの音がやけに鋭く耳を打つ。後ろの方から聞こえてくる罵倒とおおむね同じ耳ざわりだ。
心臓を咎めるその音が、どうにも耳に痛いのだ。
「最低だ! 最ッッ低の一日だ! 国民の休日! はぁん! 素晴らしいぜ! くたばれクソったれ! ビバ・マキネシアだ!」
船出の暴君号、吹き上がる蒸気。レストレンジアへ向け出発進行。
シュティードは
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます