Track13.バケツ・シャッフル



 日が暮れるたび、この砂漠の一回りが時代に取り残されたことを強く感じる。野良猫達の縄張りは灯りもまばら、人影も一つまた一つと消え、ジャンクリーチャー達の足音に混じって、馬鹿者達の喧騒が酒場から小さく響くだけだ。風はなんだか湿っぽく、タンブルウィードも一休み。工場が吹き上げる蒸気の向こうのそのまた向こうで、不夜城じみた市街のネオンが蜃気楼のようにドーナツの中心を縁取っている。

 あの街は星よりも明るいのだ。自分の両肩をぎゅっと抱いてしまいたくなるような、心細い夜に限っては。だけど、電飾の色合いはどうにも冷えた感じがする。

「この弦、なに? ダダリオ?」紙袋でパッケージされたギターの弦を取り出しながら、ナオンは仰向けになったシドへ問う。「それともアーニー・ボール?」

【そんなものは絶滅危惧種だよ。〝フルメタル・ジャケット〟だ。フラットブロックの職人が作っている。ああおい馬鹿よせ、そんなにぐるぐる巻くな。一巻きでいい】

 持ち主どころかギターまで注文が多いときた。ナオンはチューニング・ペグの細い穴へ巻き弦を挿し込み、言われたとおり一周だけ巻きつけてペンチであまりを断ち切る。なんだかやけに硬い弦だ。これも合金製だろうか。

 今度は五弦だ。ぐるぐる。ぐるぐる。巻きつけている内、ナオンは自分の胃袋までぐるぐる唸るのを感じた。レッド・テラスでこしらえたタダ飯はとっくの昔に消化済みらしい。

「いつもはシュティードが張ってるの?」

【いつも。ふん。いつも、か。そうだ。以前はシュティードが張っていた】

「なのにどうして捨てられたの?」

【うるさいガキだな】

「いいじゃん、答えてよ」

 は、と吐き捨てて一つ眼を閉じるシド。やっぱりシュティードによく似ている。

【貴様のような小僧には分からん】

「あっ。またそうやって子供だと思って馬鹿にする。大人は皆そうだっ」

【面白い話でもないさ、煮崩れた夢の爪痕など。昔話は大体つまらないものだ】

「夢? 夢の話なの?」

 にひ、とナオンは笑う。

「じゃあ、僕の夢を教えたら話してくれる?」

【ふんっ。ほざけ。貴様のような子供の夢に興味などないわ】

「ロックンローラーになりたいの」

【それはもう聞いた】

「もう一つあるよ。母さんを探してる」

【それも聞いた】

「えぇ。そんなこと言ったって、夢を三つは無理だよ」

【二つも無理さ。一つでも充分すぎるぐらいだ】

「あっそうだまだあった。ロボットの操縦士パイロットでしょー、機械のお医者さんでしょー、それからねーえっとねー……」

【やれやれだ】

 溜息こそついたが、こいつはいいことだとシドは思う。夢がないよりはよほどいい。それが叶うか叶わないかは別にして。十二歳の子供まで適職診断シャングリラに頼るようになったらいよいよ世の中おしまいだ。

 夢を指折り数えるナオンの目はひどく明るい。右手だけでは足りないのか、今度は左手の指も折ってみせる。

 いい輝きだ。なり損ねた者達の瞳と違ってギラついていない。えもいわれぬ全能感が全てを成すと信じて疑わない、希望に満ちた少年の眼だ。

 そいつはヴィンテージに似ている。時と共に味が出るものなのだ。苦味か酸味かはここでは問わないが、とにかくシドにとってはそういうものだった。恐らくは、今のシュティードにとっても。

【クレイジー・ジョーに憧れたならやめておけ】

「なんで皆そんなこと言うのかなあ。なにか恨みでもあるの?」

【恨みもクソもあるか】

「だって変だよ。シドはクレイジー・ジョーのギターだったんでしょ? 自分の持ち主のことを悪く言うなんて。僕は好きだよ、クレイジー・ジョー」

【あんな野蛮で傲慢でガサツで歯の浮くようなリリックを書く奴がか?】

 ひどい言い草だ。巻き弦を張り終え、ナオンは三弦に手を伸ばす。

「だって、かっこいいじゃん。不屈って感じで」

【そんなものを武器に出来るのは若いうちだけだ】

 シドは自分の台詞に吐き気を覚えた。締まらないアドバイスだ。アドバイスと呼んでいいかも疑わしい。子供の夢をギター自ら否定するなど、なんと大人気ないことか。一周まわって幼さすら感じる。

 こんなことを言う大人にだけはなりたくなかった。誰だって、なりたくなかったのだ。

【いつまでも死人の影に囚われるな。奴はイザクト事変で死んだ。誰にもその姿を見せぬまま死んでいったんだ。そもそも奴はロック狩りの引き金を引いた張本人だぞ】

「そうなの?」

【……産業の機械化、嗜好品の取り締まり、および増加する一途の労働時間に反発を抱いた就業者達による、大規模なストライキ……通称、ネオ・ラッダイト運動。クレイジー・ジョーはそれを引き起こした諸悪の根源だよ。分かるか小僧。突き詰めればイザクト事変の元凶となったのは奴だ。奴が、このマキネシアを灰に変えた】

 砂漠を見渡してシドは続けた。

【奴がやっていたのは……ZACTザクトに言わせれば〝ロックンロールという名の思想犯罪〟だ。音楽でもって民衆に反抗や就業放棄を促し、規制されている嗜好品への欲求を駆り立て熱狂の渦へと叩き込んだ。やれ機械に仕事を任せるなだとか、そんな人生はロボットと同じだとか……とにかくナンセンスで下品な音楽でもってな……】

「詳しいんだね」

【当たり前だ。この世の誰より詳しいとも】

 なにせ当人のギターだったのだ。それもそうかとナオンは納得する。

【奴がブレさえしなければ、結果は違ったかもしれんがな】

「ブレ?」

 後期こうきだよ、とシド。

【奴には一つの噂が流れたのさ。いわく、CDの流通のためにZACTに……悪魔に魂を売ったとな……。イザクト事変直前、活動後期のクレイジー・ジョーの音楽が低評価なのはそのせいだ。真偽はどうあれ、そこにもはや反抗というテーマは存在しなかった。魂のあり方や正解を問うような歌詞になったのだ。そこには迷いしかなかった】

「そうなんだ。僕は後期も好きだけど。迷ってる方が人間らしいじゃない」

【悪趣味だな。いや、ロックを愛するような奴にセンスを期待するのが間違いか】

 ナオンは眉を潜めた。シドにしろシュティードにしろ、自分も根深くロックンロールに関わっているのに、どうしてこうもないがしろに言うのだろう。クソみたいなものだと言ってみたり、悪趣味だと言ってみたり。

【ともあれ、民衆のボルテージはそこで最高潮に達した。裏切られたような気分にでもなったのだろう。憤りの矛先はZACTへ……それからZACTに魂を売ったクレイジー・ジョーに向いた。ネオ・ラッダイト運動の始まりはそこだ。ストライキを巡るいざこざの渦中でイザクト事変が発生し、事態は市街周辺の一帯を灰に変えて収束したが……後に残ったのは、スクラップの砂漠だけだ】

「……」

【結果的に奴の音楽は何も残さなかった。どころか全てを消した。ネオ・ラッダイト運動の結果を受けて新・禁酒法は厳格化……それまでは規制や課税で済んでいた嗜好品も製造そのものが禁止された。なによりロックンロールだ。

 クレイジー・ジョーの例を槍玉に挙げ、ZACTは街からエレキギターを追放した。多くのギタリストが職を失い、掃き溜め落ちを余儀なくされ……ロックに類される騒々しい音楽は街から消えた。ロック狩りと称して行われた排斥はいせき運動では死者も出たほどだ。以後、全ての音楽にはZACTによる検閲がかかり、歪んだギターサウンドや思想犯罪の要素を含んだ物は市場への流通を許されない】

 シドの瞳がナオンに向く。

【分かるか小僧。ロックは死んだのだ】

「ふーん。それでさ、僕はクレイジー・ジョーみたいになりたいんだけどね」

 ひどい返しもあったものだ。馬の耳でももう少しちゃんと働くだろうに。シドは狼狽気味に言った。

【貴様、オレ様の話を聞いてたのか?】

「ごめん、あんまり興味ないから聞き流しちゃった。長いんだもん」

【このクソガキ……】

「死んだって誰が決めたの?」

【なに?】

 面食らうシド。ナオンは脂下やにさがって続ける。

「ロックが死んだ? 誰が決めたの? えらい人? 死体でも見た? 死亡届は? お墓はどこにあるの? 僕はまだ花も添えてないよ」

【茶化すな。別に誰が決めたという話ではない。事実としてそうなっている】

「じゃあ僕はロックンローラーになっちゃいけないの?」

【なってもどうしようもない】

 ナオンは口を噤む。言い返す気も起きなかった。ギター自らその存在価値を否定するとは。こんな馬鹿な話があるものか。

【今更なかったことには出来ないからな。過ぎたことはどうしようもないのだ。悪いことは言わん。やめておけ。一昔前ならまだしも、いまや掃き溜めでさえ疎まれる存在だぞ、ロックンローラーは。それもこれもクレイジー・ジョーのせいだ】

 はん、シドはそっぽを向く。

【歌詞に迷いなど交えなければ、少なくとも民衆の怒りの矛先が奴に向くことはなかった。まあ、その場合やつはストライキを先導していただろうから、どのみちイザクト事変が起きることに変わりはなかっただろうが……ロックンロール自体が憎まれる事態は避けられたかもしれない。伝説になり得たかもしれんということさ。反体制の指導者として、国家に反旗を翻したのち粛清で死亡……伝説的だね。

 そうなるハズだったんだ。だがそうはならなかった。時は前にしか進まん。旧時代の遺物なのだよ。ロックンロールも、オレ様も……そしてシュティードも】

 にゃあご。レモンオイルの香りに釣られた野良猫がやって来た。ナオンは交換を終えた弦にありったけのレモンオイルを吹き掛け、餌付けするように野良猫へくれてやる。大して鉄の味もしないだろうに、野良猫はがりがりと巻き弦を噛み始めた。

【奴も貴様と同じだ。ロックンローラーになると息巻いていた。クレイジー・ジョーの影を追っていたのさ。この世の誰よりも強く】

 だろうなとナオンは思った。

【そして飲まれた】

「飲まれた?」

【なり損なったということだ。掃き溜めの売れない歌うたいは、唯一のオーディエンスであった少年をロック狩りで失い、とうとう音楽を信じることをやめた】

 なんだか悲劇の香りがする。レモンオイルと錆びの臭いすら打ち消す、主張が強くてうざったい香りだ。

【ちょうど貴様のような子供だ。クソ生意気で、世間知らずで……ロックンローラーになるのが夢だと目を輝かせ、いつか時代を逆巻くと息巻いていた。シュティードと関わったばっかりに、その子供は夢を断たれたのだ。命と一緒にな】

「……」

【皮肉にもそれは……貴様の故郷、ブラストゲートでの話だよ】

 なんとも大層な悲劇だ。そんなのまるで、言い訳の為に用意されたみたいじゃないか。シドがそいつを無形文化財の話でもするみたいに高尚に言うものだから、ナオンは顔をしかめてみる。

【ロックンロールは奴を裏切った。奴だけじゃない。多くの人間を、クレイジー・ジョーを……そして、時を逆巻こうとその影を追った奴らをさえも】

 なんだ、やっぱり言われた通りだ。昔話ほどつまらないものはない。聞かなきゃよかった。こんな煮崩れた夢の爪跡に、一体どれほどの価値があるというのか。

 馬鹿馬鹿しい。明日を値踏みする理由に昨日を使うだなんて。幸運と無力さに打ちのめされた、女々しく冴えないクソガキみたいだ。

「それって裏切られたって言わなくない?」

【何故?】

「みんな、ただ信じるのをやめただけじゃん」

【知った風な口を利くな。貴様のような小僧には分からん】

 強い語気で押した後、シドは力なく呟いた。

【青い男だったのさ、誰もかれも……】

「シドはロックンロールを信じてないんだね」

 ぱちん。二弦が絶たれる。シドがナオンを睨みつけた。

【信じていたさ! ああ、信じていたとも……! 誰よりもだ! この世の誰よりロックンロールを信じていた! 誓ってそこに嘘はない……!】

「過去形なんだね」

【……そうだ。結局は過去の話だ】

「大人になるってそんなモンなの? なんだ、案外たいしたことないんだ」

【なんとでもほざいておけ。割り切ることは難しいものなのだ】

「ふうん」

 ナオンは我関せずという風に言った。

「割り算ばっかり上手くなるなんて嫌だな。僕、大人になりたくないや」

【……そう悪いことばかりでもないさ】

「そうなの?」

【なってみなければ得られない物だってある】

 語り残しを溜息に変え、シドは大きく吐き出す。

【喋りすぎたな。とにかくオレ様が捨てられたのはそういう理由だ】

「勝手な話だね」あえてナオンは言った。「自分で拾ったのに自分で捨てるなんて」

【同感だ少年。オレ様もそう思う。だが理解がないわけじゃない】

 スクラップの野良猫に眼をやるシド。

【あの男は傲慢でガサツだがな、いささか繊細が過ぎるのさ】

「……繊細? あれが? 嘘でしょ? そんなのオカルトだよ」

【いや、繊細と言うと少し違うか。自分の筋を通しすぎるがある】

「……」

【そのスタイルもクレイジー・ジョーに倣った結果だろうが……皮肉なものだ】

 妙な話だ。あれだけ罵り合っておいて、理解がないわけじゃないときた。だったらどうして衝突するのだろうか。ナオンにはますます分からない。

【不思議そうだな】

「え……だって」

【……正直に言おうか。オレ様は別に、捨てられたことを根に持っているわけではない。過ぎたことはどうしようもないし、今更謝られたところで何が変わるわけでもないだろう。オレ様はただ、奴が夢を捨てたことが許せないだけだ】

 苦々しげに眼を細めるシド。

【諦めの悪さだけが取り得の男だった。今となっちゃあのザマだ。クズなりに持っていた魂さえ捨てて、奴は本物のクズに成り下がった。馬鹿な男だ……】

「……」

【ふん。馬鹿なのはオレ様も同じさ。夢など見なければ良かった。シュティードと出会った時、ロックはまだ生きてるんじゃないかと、ひょっとしたらこの男は時代を逆巻くんじゃないかと──クレイジー・ジョーの後釜に座るんじゃないかと……一瞬でも思ったオレ様が馬鹿だったんだ。ああ、本当に馬鹿な話だ。とうの昔に死んだことぐらい、自分が一番よく知っていたのに。相棒なんて下らない響きに、こだわらなければ良かったんだ】

 E♭イーフラットにチューニングされる一弦。オクターブのハーモニクスがわんわんと泣き声のように波をうねらせ、そして次第にその波長を合わせる。

 そら見ろ、やっぱり機械も泣くんじゃないか。涙の有無など問題ではない。

【オレ様はもう、シュティードには必要ないのかもな】

 ばちん。ペンチが余りを断ち終えた。




  ◆




 明るみに乏しい夜の中、シュティードはなく砂を踏んだ。完全な見切り発車だ。差し詰めブレーキが壊れた武装機関車といったところか。大見得を切るのはいつものことだし、行くあてがないのもいつものことだった。

 そうとも。行くあてなどなかった。いつの日からか見失った。

 今日もまた、見失ったのだ。

「何の冗談だ」

 路地裏の一角、モンスター・ビアガーデンの残骸を前にシュティードは呟いた。もう何度も見た光景だったし、今更それに驚いたわけではないが──何故よりによって今日なのかと、そういう心持ちで彼は狼狽した。

 屋根がない。屋根というか、そもそも支柱がない。まばらに残った木材の先端はどれもささくれている。焦げ跡の大きさから見て銃撃戦が起きたことは想像に難くない。砂の上には割れた酒瓶と食器が転がっており、零れ落ちたであろう数多のバーボンもとっくに乾いてしまっている。

「おい待て……酒……俺の、俺の酒は……。なぁおい嘘だろ、なんとか言ってくれよモンスター・ビアガーデン……俺がキープしてたワイルドターキー・アメリカンハニーは……どこに……どこに行っちまったんだ……」

 酒だ。いつだって彼に足りないのは酒なのだ。ストレスに雁字搦めにされた日などは特に酒が足りない。

 さてどうしたものか。次の酒場までは少し距離がある。距離と言っても二〇分歩けば着く程度だが、彼にとっては看過できぬ問題だ。

 酒屋でつなぎを調達するか、いやいやフルマラソンの選手じゃあるまいし……そんな調子でシュティードが頭を回していると、ぶし、とキレのある音がした。

 蒸気だ。兵装ガジェットか。シュティードは咄嗟に身を捻る。飛来する影と凹む地面。重い一撃が砂と廃材を吹き上げた。

 ウィンチか、出たなこの野郎、今度こそ血祭りにしてやる……意気込んで右拳を握ったところでシュティードは動きを止めた。煙の奥でゆらりと立ち上がったのが、詐欺師じゃなくてゴリラだったものだから。

「やっぱり来たな、シュティード」

 ザイールはそう言って右義手のレバーを引く。兵装に仕込まれた圧縮蒸気放射機構をリロードし、まだ蒸気が後を引く掌の放出口をシュティードへ向けた。

 なんだ、ザイールか……気の抜けた様子でアーク・ロイヤルに火を点けるシュティード。動じぬ様子の彼に苛立ち、ザイールは再び地を蹴った。

「落ち着けって」

 加え煙草で身を反らすシュティード、空を切る鋼鉄の拳。煙と蒸気が入り混じり、バニラの香りと共に地平線を歪ませる。

「てめえこの野郎」拳を振るザイール。「どの面さげて来やがった!」

「これ以外に面は持ち合わせてねえよ。俺も仏じゃねえからな」

「ほぉーう上等だクソったれ。武装機関車サイダロドロモの骨組みになってくれるってのか?」

「人の話を聞かねえ奴だな」

「てめえが言うかよ!」

 蒸気の軌跡を回避。早とちりで殺されるなどたまったものではない。続けざまに右足を突き出し、シュティードは兵装を蹴り上げる。

「聞け。まぁ聞け。その件はジャンカーゴを潰したからチャラだぜ、艦長」

「なに?」目を見開くザイール。「お前が潰したのか?」

「他にやりそうな奴がいるか?」

「……いや、そんな馬鹿野郎はお前ぐらいだ」

 渋々といった様子で兵装を収めるザイール。肩口のパイプから吐き出された二筋の蒸気が怪物の鼻息を思わせた。

「まぁいい。過ぎたことだ。今更どうしようもねえ。だが同じ真似は二度とするなよ」

「了解だ艦長。善処はしてやる」

「善処じゃ困る。あと艦長と呼ぶな」

 で、と酒場の残骸を指すシュティード。

「なんだ、こいつは。また撃ち合いか。海からゴジラでもやって来たか」

「いつの時代だよ。ZACTだ。新・禁酒法の指定範囲を拡大だとよ」

「あぁ、そいつはもう知ってる。ウィンチがきたのか?」

「ウィンチ?」

「ZACTの囮捜査官だ。髪は薄紫。詐欺師みてえな頭の悪そうな面構え」

「生憎だが」ザイールは肩をすくめた。「メリーが全員ぶっ殺して黒焦げにした。髪の色なんか分かったもんじゃねえよ」

 ウィンチの仕業ではない──シュティードはそう確信する。敬意というわけではないが、あの食えない男がそう簡単に死ぬはずがない。向こうもそう思っていることだろう。

 まあ、店を壊したのがウィンチであるにしろないにしろ、このふざけたパーティの音頭を取ったのがあの男ならば、どちらにせよ叩きのめすことに変わりはない。たかが酒、されど酒だ。シュティードにはとって由々しき事態だった。

「なんだお前、やりあったのか」

「ハメられたんだよ。粒子管の回収を依頼したのがそのウィンチって野郎で……いや、そんなことはどうでもいい。問題は酒だ。酒を寄越せザイール」

「酒ぇ? 酒なんか持ってねえよ」

「アホかてめえは。何のために産まれてきたんだ」

「少なくともてめえに酒を奢る為じゃあねえな」

「このチンカス以下の役立たずが」

「無茶苦茶言うなよ……」

 ち、と思い切り舌打ちをかまし、真剣な面持ちでシュティードは続ける。

「ストレスで死にそうだ。バーボンが足りねえ。再開はいつ頃だ?」

「この壊れようじゃ早くて二週間後ってとこだな」

「二週間!? 二週間だと! 俺を殺す気か!」

「逆だろ普通」

「ふざけろ、死活問題だ! 今日の為に取っておいたXOエクストラオールドも、ウィンチとかいうクソったれのせいで床の染みになったんだ! もう四時間以上バーボンを飲んでない! 分かるかザイール、俺にとってバーボンってのはな、魂の一分一秒を争う……」

「いい加減にしろこのアル中野郎! 酒なんてなくても人間は生きていける! それよかメリーの心配の一つでもしたらどうなんだ!」

 がん、と看板を蹴っ飛ばすシュティード。

「掃き溜めの女が店一つ吹っ飛んだぐらいで死んでたまるか! いいから酒を寄越せ!」

「てめえの血は何色だ!」

「バーボンに決まってんだろが!」

「答えになってねーよ!」

「あぁー心配してるよメリーが心配だ! 心配すぎて何にも手につかねえしなんだかやる気も出てこねえ! 手が震える! だから酒だ! こういう時こそ酒が必要なんだ!」

「それはアルコール依存症って言うんだよ!」

「なんだっていい、酒を寄越せ! でないと次はてめえの工場を吹っ飛ばすぞ!」

「あぁくそ分かった、落ち着け。クソ、酔っ払いってのは本当にろくでもねえ」

「まだ酔ってねえ」

「知ってる。てめえがろくでもないのは生まれつきだ」

 素面でこれだというのだからたちが悪い。ザイールは明後日の方向、ぽつぽつと灯りが続く路地の方を指差す。

の方を開けるとよ。飲みたきゃそっちに行け」

「なんだよ、ビビらせやがって。最初からそう言え」

「お前に教えたら控えの方にまで厄介ごとが飛び火するだろうが」

「かもな。つくづくメリーには頭が上がらねえ」

 看板の残骸を手に取るシュティード。BEERの文字だけが残されている。改名か。いい心がけだ。そもそも最初から楽園ガーデンなどと名付けるべきではなかったのだ。天国を出禁になった連中がこぞって林檎を齧りに来るに決まっている。

「今日で何回目だ。二〇回ぐらいか?」

「半壊が二四、全壊は今日で六度目だ。そのうち半分はラズル・ダズルおまえらが持ち込んだ厄介ごとのせいだぞ」

「だから頭が上がらねえんだろが。俺ぁ滅多に人を尊敬したりはしねえが──」

「よく知ってる」

「メリーは素直に尊敬してる。あいつは不屈だ。転んでもただじゃ起きない」

「当然だ。掃き溜めの野郎はどいつもこいつも、諦めの悪さだけが取り得だからな」

 苦笑し、シュティードは看板を放り捨てた。

「シドの調子はどうだ」思い出したように問うザイール。「粒子管、切れてたろ」

「……お前ンとこのガキが直した」

 ノーザネッテルで働く子供はそう多くない。それも粒子管を直せるような際物は、ブロック中駆けずり回ってもただ一人だろう。ザイールはすぐに棺桶の少年の顔を浮かべた。

「ナオンのことか? なんであいつがお前にそんな。どういう風の吹き回しだ」

「桶屋が儲かったってだけだ」

「お前、まさか巻き込んだんじゃねえだろうな。勘弁しろよ、ウチの有望株だぞ」

「成り行きだ。それ以上でも以下でもねえ」

 それに、とシュティード。

「あのクソガキは技術屋なんかにゃ向いてねえよ。いずれやめる」

「あん? お前があいつの何を知ってるってんだ」

「好きで知ったんじゃない」

 答えになっていない答えだ。ザイールが知る限り、シュティードがこういう返しをする時は、大体厄介ごとに見舞われていると決まっていた。

 さてはロックンロールを巡って哲学の衝突でもかましたか……ザイールはそうあたりをつける。そして実際にその通りだった。こういう時は深く聞かないに限る。いや、こういう時でなかったとしても──この男にロックンロールの話題を振るのは禁物だ。地雷の周りを掘り下げたところで見合うリターンがあるわけでもない。

「で、シドはどうした。連れてねえのか」

 ザイールは無理矢理に話の舵を取った。艦長にしては荒々しい。

「ヒステリーの女ばりにご機嫌斜めだ」

「はん。そりゃ見ず知らずのクソ野郎にパクられりゃそうなる」

「違う」確かめるようにシュティードは言う。「俺が捨てたんだ」

 ザイールが訝しげな表情を作った。

「お前が? シドを? 馬鹿じゃねえのか。貴重な粒子兵装イザクトガジェットだぞ、それも第三世代。お前の首にかかってる八億ネーヴルの半分はあいつのおかげだろうが」

「半分じゃねえ。全部だ」

「どっちだって一緒だ。トライドールあっての請負人だろ」

 ザイールの言い分は正しい。シュティードもそれを理解していた。ラズル・ダズルが少人数構成なのもそのお陰だ。多対一の戦闘を可能にするだけのスペックを誇るトライドールがなければ、兵装持ちの集団相手に八億の値札は勝ち取れない。

「ブラストゲートの件か?」

 ザイールは問う。質問というよりは確認に近かった。

「そうだ」

「引きずるのは分かるが、もう随分前の話だ。なんで今になってまた」

「今になってじゃねえ。ずっとだよ。知ってんだろ、俺はこの数年間クズ同然だった」

「クズ同然というかお前はクズだしそれは元からだ」

「てめえこの野郎。輪をかけて、ってことだよ」

 回顧するように眼を細め、シュティードは灰を落として答える。

「夢を捨てた。シドを拾った時に誓った夢を……俺はあいつと一緒に捨てた」

「心中は察するが」ザイールは言った。「見限られて当然だな」

 正論も行き過ぎると頂けないものだ。シュティードは肩をすくめた。

「クソほどなじられたぜ。夢から逃げ続ける腰抜けのクズと手を組むぐらいなら──死んだ方がマシだとよ」

「あぁ。そりゃ同感だ。当然だろ、なんせそんな奴と手を組んだら、失敗した時に割り切れねえ。自分一人で失敗するのとはワケが違うんだ。他人に足を引っ張られてそのツケを自分が被るなんてのは……誰だってゴメンだね」

「同感だ、艦長」シュティードは失笑する。「俺だってそう言う」

「だから艦長と呼ぶな」

 ザイールはシュティードの顔を眺める。ニヒルな微笑みにいつものキレがない。どうにも肩が下がりがちだ。どうやら今回は相当にキテいるらしい。

 恐らくは、時代を逆巻かんとする稀有な少年の所為なのだろうが。

「なんだ、らしくもねえ。お前、他人の迷惑なんか一度も考えたことねえだろ」

「それとこれとは違うだろ。シドの件だけは話が別だ」

 はん、と茶化すように鼻で笑うザイール。

「〝フリップブラック〟で巻き戻してみるか?」

「……」

「なに、難しい話じゃねえ。臨界状態の粒子を衝突させれば粒子領域が開く。で、戻りたい年代で製造されたアルコールの粒子情報に従って……」

「そんなヨタ話は信じちゃいねえよ。過ぎたことはどうしようもねえし、時間は前にしか進まねえ。砂時計ひっくり返したって過去にゃ戻れねえんだ。んなこた今日びガキだって知ってる」

「だよな。分かってんならいいさ。その通りだ」

 煙たそうにするシュティード。してやったとばかりにザイールが腕を組んで頷く。

「過ぎたことだ。転んじまったモンはどうしようもない。重要なのは、次の一歩をどっちの足から踏み出すかだ」

「……」

「大事なのはいつだって〝これから〟なのさ。俺はそうしてきたがね」

「……」

「元気出せ、シュティード。ポジティブにいこうぜ!」

「ああクソ。工場まで木っ端微塵にされちまえば良かったんだ」

 いずれにせよ、とザイール。

「シドには謝っとけ。お前の〝これから〟に関わる。夢を追うにしろ、捨てるにしろ」

「駄目だ」シュティードはふてくされた様子で言った。「それはプライドが許さねえ」

「ガキかお前は。だったら他のギターを探せ」

「それはもっと駄目だ。あいつと誓ったんだ。あいつの音で叶えなくてどうする」

「じゃあ好きにしろ。どうせお前は人の話なんか聞かねえだろ」

 その通りだ。シュティードには返す言葉もない。返す気もなかった。

「いやなに、責めてるわけじゃねえ。というかお前が人の話を聞こうが聞くまいがどうでもいい。素直さなんてものはお前に求めるだけ間違いってもんだ。話を聞かないなら聞かないで結構。全てのケツをお前が拭くだけだ。だが、やるならとことんまでやれ」

「……」

「俺が知ってるシュティード=Jジェイ=アーノンクールは、そういう男だったがね」

 お前が俺を語るな、とは返さなかった。ザイールとはもう長い付き合いだ。彼に言われるのなら致し方あるまい。まったくどいつもこいつも掃き溜めの人間というのは、人がいやというほど自覚していることを、次から次へと責め立てて来る。

「……てめえに説教食らう日が来るとはな」

「説教じゃねえ。アドバイスだ」

「だったら尚更聞く意味はねえな」

「だろうよ。だからこっちも好き放題言ってんだ」

「勝手なモンだぜ」

「お互いに」

 ぴん、と吸殻を放り出し、シュティードはまた砂を踏んだ。

「邪魔したな」

「解決しそうか?」

「解決を期待したわけじゃねえ。とりあえず飲みながら考える」

「飲みながらって……二〇分もありゃ控えに着くだろ。そのぐらい我慢しろ」

「駄目だ。ことは一刻を争う。この際バーボンならなんでもいい」

「このクソアル中野郎が……」

 依存か。いや、もはや共存の粋だ。この男は酒と共存している。この時代では行き辛いことこの上あるまい。ザイールは思い出したように声をかけた。

「バンシー・チャーチとロズウェルは摘発されたらしいぞ。残ってんのはチェリー・ポーターだけだ。ターキーは売ってねえが、カティーサークぐらいは……」

「チェリー・ポーター?」

 シュティードが振り返る。

「オリオンベルトか? あそこは路地挟んで三店舗続けざまに並んでるハズだろ。なんでチェリー・ポーターだけ摘発されてねえんだ?」

「んなこと俺が知るかよ。見逃したんじゃねえのか。あそこは地下にあるからな」

「見逃すわけねえだろ。ビンゴゲームやってんじゃねえんだぜ」

「好みの酒でも賄賂にしたんじゃねえの」

「ZACTに賄賂が通じるかよ。ジョークすら通じねえんだぞ」

 頭の中で地図と酒場を照会するシュティード。どうにも頭に引っかかる。入り口から順番にZACTが摘発してきたのなら、今頃はモンスター・ビアガーデンに至るまで全ての店舗が空き家になっているはずだ。

 一見客を断るようにカモフラージュしてある店は多い。チェリー・ポーターもその一つだ。見逃したのだろうか。しかし、それなら同じく地下に店を構えたロズウェルも摘発の手を逃れていなければならない。

 〝週刊・掃き溜めを歩く〟が刊行された覚えはない。需要もあるまい。それなら奴らはそんな隠れたの情報を、一体どこで仕入れたというのか。

「他に摘発されたのは?」

「知っての通りモンスター・ビアガーデンだな」

「んなこた分かってる。他にねえのか。そもそも奴らはどういうルートで摘発してる?」

「花火の一発目が始まったのが午前十一時だ。Dブロックの一番手前、ピクシーの店が摘発された。次にライラムの露店シカゴ・クルーズ。後どこだったか……ウィンブルドンの煙草屋だろ、レッド・テラスだろ、それから他には……」

「待て、待て待て。イーグル・フライ・フリーは? あれも入り口近くだろ」

「さぁな。特にガサ入れの話は聞いてねえ。なんだよ、なんか問題あんのか? ターキーなら控えにもあるだろ」

 暫し黙考するシュティード。なんだか線が上手く繋がらない。ああ畜生。こんな時こそ酒が必要だというのに。

「仕入れ元は?」

「なに? 仕入れ元?」

「酒だ。酒の仕入れ元。そいつらはどこから仕入れてる? マンソンのカルテルか? それともオリエンタル・シラネームベリー? 個人の闇商人ボルサネリスタ?」

「マンソンはバンシー・チャーチ。シラネームベリーはロズウェルだ。シカゴ・クルーズとレッド・テラスは個人だったはず。名前までは知らねえ」

「チェリー・ポーターは?」

「ブランドン系列だよ」

「イーグル・フライ・フリーは?」

「同じくブランドン系列だ」

 聞き覚えのある名前だ。どうやら当たりらしい。酒に関してシュティードの嗅覚に外れはなかった。

「……最低だな」

「んん。そう言や妙だな。なんでブランドン系列だけ摘発されてねえんだ。親玉がZACTに賄賂でも渡したか」

「もうちょっと複雑な話だ」

「あん? というか、お前がそんなこと知ってどうすんだ」

 どうするも何もあったものか。決まっている。

 二度とピアノを弾けなくしてやるのだ。

「つくづくラッキーマンだな、捜査官」

「なにがだ?」

「なんでもねえ」

 いつものようにそう言って、シュティードは勇み足で砂を踏んだ。

「一にも二にも酒なのさ」

 急げや野良猫、バーボンの元へ。



  ◆




「請負人の逮捕か殺害────そいつが私の清算でね」

 闇によく映える妖しげな女、アイヴィーは種明かしのように言った。夜がこの女を飾り立てているのか、それともこの女が夜を引き立てているのか分かったものではない。

「冗談きついだろ。私、電脳サイバー犯罪の部署だぜ。こんなインテリの美人に、文明から取り残された野蛮人みたいな男を逮捕しろときた。いやまあ? ハニートラップで私の右に出る女なんかいないけど? 女はみんな産まれつき女優だし?」

『ポルノがいいとこでありマスなあ』

「しばくぞポンコツ」

『だってそうでショウ。請負人を逮捕出来ていないということは、あの仏頂面にハニートラップは通じなかったということだ。違いマスか』

「……まぁ、そうだけど。そうだけどさぁ……違うだろ。仕方ないじゃん。あれは、酒と煙草とロックンロールにしか興味がない奴なんだよ」

『なるほど。そのザマでは清算など夢のまた夢でありマスな』

 数奇なことだとバッカスは思った。罰点清算に生きる人間がこれほどまでに寄り集まるとは。きっとなにか、磁力のようなもので惹かれ合っているに違いない。ロマンチックだなどとはとても言えないが。

『ミス・アイヴィー。ZACTの一員としてあなたに頼みがある』

「聞くだけ聞いてやる。言ってみ」

『悪魔のギターを渡して頂きたい』

 バッカスは自分の判断で切り込んだ。喧嘩っ早いウィンチがいれば小言を挟むだろうが、そこは現場監督を放棄した者の落ち度だ。請負人がいないチャンスを逃す手はない。

『穏便に済ませまショウ。請負人の逮捕があなたの任務だと言った。これは我々にとってもあなたにとっても大きなチャンスだ。違いマスか?』

「はぁん。なに勘違いしちゃってんのかな、アンドロイドくん」

『バッカスだ。バッカス=カンバーバッチ』

「名前なんかどうだっていい」

 アイヴィーは長い足を組みなおした。

「一つ私の話をしよう。新・禁酒法によって制限されるものは?」

『……アルコール、煙草、賭博、過度な暴力シーンを含む映画やゲーム、反社会的な創作物全般、ロックを例とした騒音に類される音楽、その他犯罪や堕落を想起させ社会的秩序を著しく乱すもの……でありマスか』

「あと一つは?」

『ポルノでありマスか?』

「そう。それが私の仕事だ」

『……仕事?』

 ポルノスターだろうか。どうにも中身が見えてこない。なんだかウィンチの話でも聞いているみたいだとバッカスは思った。

「私の仕事は囮捜査官だ」

 ただし、と続けるアイヴィー。

「サイバー犯罪専門のな。SNSに露出度の高い自撮り画像をアップロードして、画像をダウンロードした馬鹿をリストにして本部にチクるのさ」

 趣味じゃないんだ、仕事なんだぜ、と念を押すアイヴィー。なんと非道な職業か。逮捕される方もたまったものではない。

「後はまあ、掲示板やホームページの巡回だな。新・禁酒法に該当するものをウェブ上で取り締まる。書き込みなんかもそうだ。アルコール売りますとか、煙草あげますとか、そういう取引に乗ってきた馬鹿をしょっぴくんだよ」

『……地味デスな』

「そのとーり。そんな仕事はどこでだって出来るのさ。自撮りの背景が市街になるか掃き溜めになるかの違いだ。わざわざここを離れる理由がない。よって却下だ」

『……しかし、罰点はどうするのデス』

 鼻で笑い、アイヴィーはバッカスの単眼を指で弾く。

「ウィンチは気に入らねえが、私も奴と……まぁたぶん同じ考え方だよ。罰点なんざただの数字だ。どうだっていい。一回死んじまったんだぜ、もう別人も同然だ。昔話の清算の為に生きるなんてアホらしくてやってらんねーし」

 なにより、とアイヴィーは力強く言った。

「市街じゃ煙草が吸えねえだろ」

『はァ?』

「これは死活問題だ。全席禁煙の市街に戻るなんて冗談じゃない。私に死ねってのか」

『……そんな馬鹿な理由で掃き溜めに留まるのデスか?』

「馬鹿な理由だと!」アイヴィーは憤る。「これは死活問題だ! いいか、私から煙草を奪うってのはな、物書きからペンを取り上げるようなものなんだぞ! ロックンローラーがギターを失うようなものなんだ! 生活できなくなっちゃうだろが!」

 そうは言っても喫煙が生業なわけではないだろうに。バッカスは呆れる。

「んまぁ、そういうわけだから諦めな。私は掃き溜めを離れるつもりなんか……少なくとも今のところはないし、ましてシュティードを逮捕させるつもりなんか更々ねえよ」

『請負人に肩入れするというのデスか。何を馬鹿な。犯罪幇助ほうじょに他ならない』

「市街じゃないから関係ありまっせーん。ラズル・ダズルは密輸とかしてまっせーん」

『……』

「つぅか、肩入れとかじゃねえって。あいつは私が逮捕すると決めてる。それだけだ。獲物を横取りされるのは、野良猫的に頂けないね。分かるか、敵を欺くにはまず味方から。ラズル・ダズルに加担するのも捜査の一環てワケ」

『建前だ、そんなもの。あなたは国家警察ZACTの一員だ。首輪がないとでもお思いか』

「首輪? 勘違いすんなよ。飼い主は私が選ぶ。いつだって勝つ方の味方なのさ。クビになったらなったで構わねえよ。自由にやって構わないって言うから囮捜査官になったんだぜ。今更そいつを手放せなんてごめんだね」

 ほくそ笑むアイヴィー。食えない女だ。まったく全てが度し難い。掃き溜めの──掃き溜め寄りの人間というのは、どいつもこいつも。

「つーかお前、そもそも罰点清算してどうすんだよ。清算するのはまあいいさ、問題はその後だ。自殺の罰点持ちが元の職場に戻れるわきゃねえし、チャラにしたところで人間に戻れるとは限らないぜ。ウィンチはただの囮捜査官だし、そんな権限は持ってない。どころか、お前の魂をそのボディに移植したのがウィンチの独断だったら、あいつはその件でも罰点食らうんだぞ。清算なんて夢のまた夢だね」

『……』

「キーラ=ヒングリーの件からも分かるだろ。これは要するにあいつの自己満足の問題で、お前はその自己満足を達成する為に体よく利用されてるだけだ。あいつは罰点の事なんか真面目に考えちゃいない。そんなところにはこだわってねえのさ」

『そんなことは重々承知していマスよ』

 先に痺れを切らしたのはアイヴィーの方だった。掃き溜めの女の例に漏れず彼女もまた短気らしい。自動式拳銃オートマチックの銃口が、バッカスの単眼モノアイに押し当てられる。

「私がご丁寧に提案してるとでも思ってんのか? 生憎、私はお前と違って同業者に仲間意識なんか覚えたりしねえんだよ」

『……さっき親近感を覚えたと』

「そうだ。だが同情はしない。ウィンチに関わる情報を全部吐け。でもって今回の件から手を引け。でないとお前をここで本物のスクラップにしてノーザネッテルに捨ててやる」

 軽口は脅迫に一転した。バッカスは押し黙る。ついに分水嶺のご登場らしい。

 すなわちそれは彼にとって──機械であるか、人であるかの。

『はん。黙って解体バラせばいいものを。あなたも大概なお人よしだ』

「勘違いすんな。てめえなんぞは絞り損ねたケチャップの余りだ」

 アイヴィーの言い分は頭から尻まで正論づくめだった。百歩譲って清算できても元の職場に戻れるわけはないし、人間に戻れる保障もない。ウィンチが自己満足の為に動いているのも今更だ。

 そうとも。バッカス=カンバーバッチがウィンチ=ディーゼルに肩入れする理由などどこにもないのだ。勝手に機械にされて、勝手に連れてこられただけだ。それ以上でも以下でもない。今なら誰も見ていないし、売ってしまえば後腐れなくおさらば出来るだろう。

 いい考えだ。合理的ではある。

 あるが──そいつはどうにも気に入らない。

『あなたもつくづく分かっていないようだ、ミス・アイヴィー』

「あん?」

『フェア・トレードだ。本官も一つ昔話をしよう』

 バッカスはテーブルに肘を突くようにして、砂の上で両の指を組む。

『本官がなぜ自分のことを〝本官〟と呼ぶか分かりマスか?』

「キャラ付けに失敗した気持ち悪いオタクだから」

『失礼極まりない野郎でありマス……』

 警察デスよ、とバッカス。

『警察官になりたかったのデス』

 だったらサムライ志望の人間はみんな語尾に〝ござる〟をつけるのだろうか。アイヴィーはたまらず失笑を漏らす。

「正義の味方に憧れた? その割にゃ躊躇ためらいなくブッ放してくれたじゃねえか」

『逆デスよ。地獄に叩き落したい奴らがいたから、本官は警察を目指したのでありマス』

 殊勝な理由もあったものだ。意識したのかしていないのか、バッカスの声色には自嘲のニュアンスが紛れ込んでいた。

「……でもお前、音楽作ってたんだろ」

『ええ。適職診断シャングリラはご存知でショウ。適性検査で弾かれマシた』

「当たり前だろ。人をぶっ殺したくて警察官を目指すような奴は弾かれて当然だ」

『そんなことは重要ではない。私が言いたいのは、なにも望んでゲーム音楽の作家などになったわけではないということデス』

 その点に関してはアイヴィーも同じだった。鼻の下を伸ばした男を自撮りで吊り上げる囮捜査官なんて、誰が好き好んでなるものか。

『本官は一度死んだ。他人に言われるがまま生きてきたバッカス=カンバーバッチは、ビルの屋上から飛び降りて死んだのデス。分かりマスか、ミス・アイヴィー。本官は第二の人生を獲得した。ここからは誰の言いなりにもならない。他人の意志は介在しない。ただ本官の意志があるのみデス。そして本官にそれを気付かせたのはミスター・ウィンチだ』

 掃き溜めの神に告げ口でもされたか。随分とこちら寄りなことを言う奴だ。アイヴィーはまた笑い飛ばした。

「感謝? 恩義か? それとも忠誠? くだらねえな。奴の理由が自己満足でもか。てめえはつくづく犬の方がお似合いらしいな」

『そんなことは関係がないし、そんな下らない理由ではない。あなたにも分かるハズだ。我々のようなこだわりを持たぬのらくら者が、何にき動かされるのか』

「てめえと一緒にするんじゃねえよ」

『あなたも本官も職は違えど市街の歯車だ。それも自発的に回るんじゃない、組み込まれたシステムの中で流されるがままに回る。だったら──それが組織であろうと個人であろうと、最初に自分を回した歯車にならうのは当然のことだ。違いマスか』

 なんとなくアイヴィーは理解した。およそ自分がシュティードを逮捕しない理由と同じに違いない。そいつはきっと職務や規律の外で拾った、中にいる者ゆえの愚かさだ。

 早い話が、魅入られたのだ。

「諦めのわりい奴だな。ウィンチは逃げた。お前は捨てられたんだよ。インスタントカメラみてえにな。どう考えたってトライドール持ちのシュティードに勝つのは不可能だ。奴の任務は失敗に終わった。もうお前が肩入れする理由はないぜ」

『肩入れなどではない。本官は彼について行くと決めた。それだけだ』

 そら見ろ、見事な軌跡でブーメランが返ってきた。やはり語りすぎはよくないものだ。アイヴィーは顔をしかめる。

『ミスター・ウィンチに二言はない。やると言ったことは必ずやる。誰にもこうべを垂れはしない。それがウィンチだ。ミスター・ウィンチという男だ』

「……」

『ここで彼を裏切ったら本官は誰でもなくなってしまう。今の本官は彼の自己満足の為に生まれたようなものデスから。今の本官はZACTの職員であり、ウィンチ=ディーゼルは本官の上司だ。裏切ることはできない。本官が、本官にとって本官である為に』

 カウンセラーも店仕舞いだ。アイヴィーは拳銃のセーフティを外した。

「辞世の句を詠みな。気の利いた奴かましてみろよ」

『結構だ、捜査官。撃つなら撃て。本官は職務をまっとうする』

「あばよポンコツ」

 アイヴィーの指が引き金にかかる。




「このクソ猫がぁ!」

 ベビーシッターにうんざりしている男がここにももう一人。千鳥足で歩くジーナを背後に携え、噛み付いてくる野良猫を時折蹴り飛ばしながら、ウィンチ=ディーゼルは薄暗い路地へ歩を進めた。

「気持ち悪い……」ジーナが呟いた。「きもぢわるいよぉ……」

 彼女の足取りは覚束ない。声にもなんだか覇気がない。吐き気は喉元まで来ているのだろうが。なんだか顔も青ざめているし、首も微妙に据わっていない。

 これは一体何の冗談だ。標的の一味とざけだと。社会の規範となるべく秩序の元に旗を掲げる、名誉ある国家警察ZACTの一員が──いくら酒の為に生まれたアンドロイドと言えど──泥酔状態の小娘を連れて掃き溜め行脚あんぎゃとは。いよいよ世の中おしまいだ。

「……最低だ」

 ウィンチは毒づく。彼の方はだいぶ頭が冴えてきた。分解機構が調子を取り戻したのだ。自分より一歩先を行った酔っ払いがいると、酔いも醒めるというものだ。酒飲みは大体そういう風に出来ている。

「アホかぁてめえは。自分で勝手に飲んだんだろうが」

「死ぬ……かみさま助けて……死ぬ……」

「しっかり歩け。請負人の行き着けまでは案内してもらうぞ」

「うぅん……」艶っぽく喘いで言うジーナ。「引くヒット……」

「この酔っ払いが……」

「苦しい……産まれる……産まれるよぉ……」

 ラマーズ法で呼吸するジーナ。問題は上から出るか下から出るかだった。どちらから出たにせよ固形物ではないし、出来ればご遠慮願いたいところだ。

 酩酊状態だ。今なら殺せるか、いやもっといい使い道がある──ウィンチは粒子通信を立ち上げ、バッカスの帯域へと信号を送った。

 コール。コール。応答なし。接続先から反応がありません。出ろ。出ろ。出ろ! 三、四、五、六……七回目のコールでようやく回線が繋がった。

「俺だ。生きてるかぁ、バッカス」

『いやぁ、半死半生ってところだ』

「あぁ、こっちも半死半生ってとこ……」ウィンチは眉を潜めた。「ろ……?」

 バッカスの声じゃない。濃紺のドレスの女だ。

 I.Vアイヴィーとかいう、煮ても焼いても食えそうにない女。

「てめえ、女……」

『調子はどうだい、囮捜査官ウィンチ=ディーゼル。アンドロイドでも仲間の安否を気にかけたりはするんだな。すぐにキーラちゃんの元に送ってやるよ』

 調べられた。ウィンチの回路に不快感をシミュレートした粒子が巡る。

『安心しろ、まだ解体しちゃいない。通話を切ったらすぐに壊すけどな』

 冗長が過ぎる。逆探知か。あの全壊した隠れ家にまともな機材が残っているとは思いがたいが──いや、奴の粒子兵装は未知数だ。やりかねない。

 構うまい。かえって好都合だ。交渉にしろ勝負にしろ、余裕を飾り通した者が勝つ。

「手間を省くぜ、女。俺はスマートにやりたいんだ」

『なに?』

「八番路地の酒場に向かってる。名前は〝ウォンデン・ハブ〟」

『……メリーの控え? 勘弁しろよ。そっちまで摘発しようってのか』

「てめえのお友達を預かってる」

『なに!?』驚嘆の声。ウィンチがほくそ笑んだ。『てめえ、まさかジーナを……!』

 あまりの早とちりに苦笑すら浮かべるウィンチ。アイヴィーの心配などどこ吹く風で、ひっく、とジーナがしゃっくりをかました。

「あぁーそうとも。大層お疲れの様子だぜ。随分と衰弱してる。このまま放っといたら取り返しのつかねえ事になっちまうかもなぁ」

『このクソ野郎が』

 なんとも脅迫じみた文言だが嘘は何一つ言っていない。預かっているのは事実だし、みるみる青ざめていくジーナの顔を見る限り、放っておいてたら取り返しがつかなくなるというのも事実だった。

「あ、ちょ、待って……」ジーナが口元を押さえた。「……」

「あぁ!? 馬鹿よせやめろ、今いいとこなんだ、吐くならそっちのすみで……」

『てめえジーナに手ぇ出してねえだろうな』

「当たり前だ。アンドロイドは女の裸でおっ立てたりしねえよ」

 ウィンチは飄々ひょうひょうと言ってのける。これも事実だ。それにジーナは自分のペースで飲んで勝手に自滅したのだから、彼が責められる道理はない。

「取引だ。悪魔のギターとバッカスを持って来い。あぁ、それと、トレーラーにあった鉄の箱もだ。分かるか女、団体様でご来店だよ。ウィン・ウィンといこうじゃねえか」

 スピーカーの向こうから、がん、と廃材を蹴る音が聞こえた。どうやら怒りも天辺てっぺんらしい。アイヴィーの声がますます冷えたものに変わる。

『……ジーナは無事なんだろうな』

「保障はできねえな」

『声を聞かせろ』

「先にバッカスを出せ」

『通信が成立してるのが何よりの証拠だろうが!』

「はぁん。それもそうか」

 ウィンチはジーナの方を振り返る。

「おい海賊。お仲間だ。てめえと話がしたいって──」

「うぶ」ジーナのダムが決壊した。「えろえろえろえろえろえろ」

「ファック……あぁおい嘘だろ」

『なんだ今の音。てめえ、まさか自白剤打ったんじゃねえだろうな!』

 汚い自白もあったものだ。こんな締まらない脅迫電話があるか。酒がある種の自白剤であることに間違いはないが──いや、冗談は後だ。ウィンチは引き笑いを浮かべながら、酩酊状態でしゃがみ込んだジーナへとジー・ウォッチを宛がう。

「あ、アイヴィー……」

『ジーナ? おい、大丈夫か? ジーナ、なんとか言え!』

「助けて……」ゲロまみれのジーナは言った。「苦しい……死んぢゃう……」

 これも嘘ではなかった。

『ウィンチてめぇ、やりやがったな……! 殺すぞ! 絶対殺してやる! 私の相棒にツバつけといてタダで済むと思うなよ!』

「……ツバっつーかゲロまみれなんだが……」

 厄介ごとが勝手に膨らむ。この頭痛は酒の所為だけではあるまい。ウィンチはいよいよ頭を抱えた。やっぱり酒なんてこの世にはない方がいいのだ。

「……とにかくウォンデン・ハブにギターとバッカス、それと棺桶を持って来い。いいな。でないとお友達の無事は保障しねえぜ」

 うわ言をぼやくジーナを横目にウィンチは続けた。

「既に無事とは言えねえがな……」

 アイヴィーはしかとその台詞を受け取った。それはもう額面通りの意味で。




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