Track03.ウィン・ウィン・ウィンチ




   ●



 ハロー、マキネシアDブロック。僕の名はナオン。今日は最低の日だよ。だからあんまり乗り気じゃないんだ。備忘録って、忘れちゃいけない事をメモしておく為の物だから、忘れたいことはわざわざ書かなくてもいいんだよね。

 でも一応書いておくよ。きっと僕の人生の中でどれか一つでも歯車が欠けちゃったら、そこに僕はいないだろうから。

 突然だけど一つ問いたい。空から人が降ってきたら、君はそいつをどんな奴だと思う?

 天使? それとも女の子? あるいは女の子の天使? 欲張りだね。でもそれでいいと思うよ。僕だって本当はそう思いたかったんだ。でも違った。そこは割り切るよ。

 降ってきたのは男だったんだ。縮れ毛で、褐色で、黒いシャツを着てて、赤いネクタイをはめてる。トレーラーの天井に穴を開けて降ってきたかと思えば、ソファの上に我が物顔で座ってるようなとんでもない奴なんだ。

 おまけに口が悪いんだよね。それだけじゃない。暴力は振るうし、乱暴だし、下品だし、がさつだし……きっと僕が女の子でもそう言ったと思う。そう、クズだよ。正にクズ。空からクズが降ってきたんだ。クズでも女の子ならまだ良かったんだけど。

 ひどい話なんだよ。艦長さん達に追われてるから、さっさと車を回せってさ。僕をタクシーの運転手かなにかと勘違いしてるよね。どうかな、あんまり関係ないのかも。


 シンキング・タイムだよ。しっかり考えてね、ミスター・ノーバディー。

 君には夢がある? なければまあ、なんでもいいよ。とにかく、自分のやりたいことやなりたいものを一つ思い浮かべてみて。消防士? エンジニア? それとも警察? 世界征服もしてみせる? なんだっていいんだ。何になりたいかは問題じゃない。問題は、それがどれだけ困難な事かってことなんだ。

 僕には夢があるよ。今のところは二つ。これからもっと増えるかもしれないし、もしかしたら減っちゃうかもしれない。どっちも叶えるのが難しい夢だから。

 一つはロックンローラーになること。こっちはよくなじられるから、もう慣れっこだよ。別に慣れたくはないけど。僕はなれると思ってるのにね。

 もう一つは母さんを見つけること。みんな言うんだよね、掃き溜めで生き別れたんなら生き残ってる筈はないって。でも、そんなのわからないじゃん。僕は母さんが死んだところを見たわけじゃないんだよ。ううん、きっと死んだところを見たって母さんを探してしまうと思う。僕はとっても弱いから。

 君は虚勢を張る方? 僕はよく張るよ。この世の誰より弱いから、誰より強くあろうとしちゃうんだ。きっと、強く見える人は皆そうなんだ。僕はそう思ってる。強がってるように見えるあのクズも、もしかしたらそんな人間なのかもしれない。

 そうか。だからメモしておかなくちゃいけないって思ったのかな。わかんないや。だからってあんな横暴が許されるわけじゃないしね。

 話が逸れちゃったね。元に戻そう。とにかく僕には夢があるんだ。そして、それはどっちも当分叶いそうにない。勝算はほとんどないんだ。

 それでも諦めたくはないんだ。僕が女の子でもそう言ったと思う。猫や蜘蛛だったとしてもきっとそう言った。クレイジー・ジョーも言ってたしね、大事なのは七転び八起きの精神だって。実際に不屈であるかどうかは問題じゃなくて、不屈であろうとすることこそが一番大事なんだって。同感だよ。僕もそう思ってる。人生は一度しかないんだから、精一杯生きなきゃ。

 だからこそ許せないんだ。ロックはクソだなんてなじったあの男が、ダッシュボードに足を乗せてえらそうに煙草を吸うあのクズが、なんだかいっつも気だるげなのが。

 僕はあいつが嫌いだ。少なくとも今は。いつか、時間が解決してくれるのかな。でも、どれだけ時間が経ったとしても、あいつにだけは負けたくない気がするんだ。それがどんな勝負であったとしても、あるいは勝負でなかったとしても。




 ハロー、マキネシアDブロック。僕の名はナオン。負けず嫌いなお年頃。

 今日も今日とて回る世界をどうぞよろしく。




   ●




 暴君と呼ばれる者達にとっては、暴君であることそれ自体が美学なのだ。だからといっていついかなる時もそれが許されるわけではないが。

 しかしながら、この男にはどうやら関係ないらしい。ウィンチと同じく、この横暴な男もまた誰にも許しを乞わぬ、自身で自身を定める類の面倒な人間だった。

「ワイルドターキー八年。シングルのロックだ。氷は二つ」

 蒸気式の義手をこさえた男、モノクルとシルクハットを身に付けた女……とにもかくにも雑多な掃き溜めの人間で賑わうレッド・テラスの席に着くやいなや、シュティードはそう告げた。メニューの確認すら手間らしい。ナオンも苦笑したものだが若いウェイターの呆れ顔には及ばなかった。

「すみませんが」ウェイターは面食らったように返した。「蒸留酒は扱ってませんよ」

「能無しは雇ってるのに? 信じられねえ。人生最低の日だ」

 ふざけろクソボケそれはこっちの台詞だ……反射的に言いかけウェイターは口を噤む。

「ちっ。んじゃコースのAエー。一人分だ。あとこいつにバゲットを」

「バゲット取り消し」ナオンがすかさず口を挟んだ。「僕もコースのAで」

「てめえクソガキ何様のつもりだ?」

「運転手様ですけど」

 にやつくナオン。シュティードが狼狽気味にメニューを放り出す。とんでもねえ客もいたものだと思いながら、ウェイターは出来るだけ何食わぬ風を装った。サービス業とはそういうものなのだ。

「コースのメインはどうされますか? 肉料理と魚料理が……」

「どっちでもいい。酒がねえなら何食ったって一緒だ」

「ワインならありますけど……」

「ワイン? アホかてめえは。俺が葡萄畑で生まれたように見えるか?」

「……とにかく肉か魚か決めて下さいよ。あとで文句言われても困るんで……」

 お客様は神様とはよく言ったものだ。まだ神様の方がマシな態度に違いない。ナオンがたまらずウェイターに同情する。

「お前のオススメはどっちだ?」シュティードが問うた。「肉か? 魚か?」

「魚ですかねえ。イズカラグア産ですから」

「ああ、あそこは海が綺麗だからな。肉で頼む。ミディアムだぞ」

「……」

「ウェルダンがおすすめか?」

「……ミディアムがいいと思いますよ」

「ウェルダンに変更だ」

「ご注文どうも、クソったれ……」

 せめてもの反抗をかまし、ウェイターはメニューを下げる。生憎ナオンは聖人君子とやらの顔を見たことがないが、恐らくは彼のような人間なのだろう。

 当のシュティードは素知らぬ顔で煙草に火をつける。隙あらば酒と煙草だ。ろくでなしが服を着て歩くとこうなるといういい見本だった。

 にゃあ、と鳴き声がした。足元だ。スクラップの野良猫がシュティードの足元に寄り付き、がりがりとスーツに爪を立てている。シュティードはうざくらしそうに革靴を宛がい、野良猫をナオンの方へ追いやった。

「……いつもこうなの?」

 ナオンは野良猫を撫でながら問う。

「なにが」

「……だから、お酒がなくて八つ当たりするの?」

「んなわけあるか」呆れ気味に言うシュティード。「いつもは酒がある」

 なんだか質問と答えが噛み合っていない気がする。これ以上問うてもらちが空きそうにないのでナオンは口を閉じた。やがてシュティードが溜息をつきはじめる。

「お前がメリーウィドウ級の美女だったら酒の一つや二つ我慢するがな」

 もはやただの愚痴だった。大人になり損ねたような奴だとナオンは思う。

「はあ。冗談じゃねえ。なんで俺がこんなクソガキと……」

「ふざけないでよ。文句言いたいのはこっちなんだけど」

「ここの会計誰持ちだか分かってんのか?」

「自分で言ったんでしょ。ていうかこれでも全然足りないよ。トレーラーの天井、後でちゃんと直してもらうから。保証書つくるから。血判だから!」

「ふざけろ!」詰め寄るシュティード。「なんで俺が見ず知らずのガキの……」

「その見ず知らずのガキの家を壊したのはシュティードでしょ」

「災難だったと思って諦めろ。ザイールならそうする」

「でも艦長さん追いかけてきたじゃん」

「そりゃあいつが俺のファンだからだ」

「じゃあ僕も今日からアンタのファンだからサインちょうだい。保証書に」

「このクソガキ、テメーの返り血で血判押してやろうか」

 駄目だよ、と頬杖をつくナオン。

「自分で壊したものは自分で直さなくちゃ」

 経験則、信念、美学……いずれにせよその類だ。掃き溜めで生きる者がその生涯で見出した、生きざまを決める黄金律。年端のわりにはゆずれないもののひとつを持ち合わせているらしい。シュティードはそれを悟り、そして一笑に付した。

「アホか。機械は機械だ。買い換えた方が早い」

「機械にだって魂はあるんだよ。さっきの冷蔵庫だって、直せばまだ使えたもん」

「ぬかせ。機械に魂があってたまるか」

 最悪だ、とシュティード。

「それもこれもアイヴィーが車を出さねえから……」

「アイヴィー?」

「なんでもねえ」

 沈黙が胃を締め付ける。ぎりぎり、ぎりぎりと万力のように。ナオンは気晴らしにナプキンを折り畳んでみたりするが、四つ折りにしたあたりで早くも飽きてしまう。

『──第二世代型粒子兵装の安定供給を図り、ZACT本部は昨日──』

 結局ナオンは天井からぶら下がっているテレビに目線を落ち着かせた。市街のニュースに興味はないし、原稿を読み上げている女性キャスターも好みではないが、仏頂面の暴君を眺めているよりは遥かにマシだ。

『──国民の休日を明日に控えました。これにより、輸送車両の通行が前倒しとなる他、粒子モノレール中央線の一部ダイヤに変更が生じます。大幅な混雑が予想されますので、お出かけの際は──』

「あっ。これ艦長さんが言ってた奴だ。前倒しのせいで納期が早まったって」

「安心しろ。あいつの仕事はもう白紙に戻った」

「そうなの?」

「ロケットランチャーで木っ端微塵だ」

 ぷかぷかと煙の輪を作りながら、悪びれるでもなく言うシュティード。

「俺を追ってたどっかの馬鹿が打ち込みやがったのさ。天災って奴だ」

「人災じゃん」

「仕事に予想外はつきものだ。見越して進めなかった奴が悪い」

「よくわかってんじゃん」

「……テメーとことんいい根性してるな、後で吠え面かくなよ」

 互いに苛立ちが止まらない。口が減らないのはお互い様だ。出会いは奇跡などとはよく言うが、彼らの邂逅は奇跡の中でも相当にタチが悪い部類だった。

「働き者だよね、市街の人達って」画面を指して言うナオン。「平均労働時間は十四時間だって」

 け、とシュティードが悪態をつく。

「馬鹿お前、これだからガキは。誰が好きで朝から晩まで働くモンかよ。先進治療権があるから仕方なくみんな働いてるだけだ。働かなくていいなら誰も働かねえよ。有難がるのは働き蟻ぐらいだっつーの。市街だけだ、そんなのは」

 先進治療権。ナオンはその言葉に聞き覚えがあった。勤労や善行といった社会への貢献によって貯めた市民点が、ある一定のラインを超えてはじめて与えられる権利だ。粒子を応用したレーザー治療や、壊疽した部位の機械化などがその恩恵に該当する。

 こと特筆すべきは擬似的な〝生まれ変わり〟だろう。人体に眠る二十一グラムの粒子、つまりは魂を吸い出し、IDメモリに保存されている遺伝情報から誕生したクローンにそいつを移すのだ。まるでハード・ディスクの中のフォルダーを移行するように。

 人間はもはやただのデータの集合体だ。人類はきわめてミクロなハード・ディスクであるイザクト粒子、またその可逆圧縮を可能とするガンドレオン合金によって、食べ損ねた朝食を出掛けに引っ掴むような気軽さで魂を操る術を獲得した。

 粒子内部の情報から生体そっくりな金属を生成することも可能だろう。粒子と合金の親和性に焦点を当てれば、機械にだって魂を移せるに違いない。

 現に件の都市粒子化現象、イザクト事変では〝魂の剥離はくり憑着ひょうちゃく〟なる現象が事実として存在した。膨大な粒子データの衝突によって開かれた、内部地球アルザルに通じる粒子領域の扉の奥──つまりは〝向こう側〟に引きずられ、そして持っていかれ損ねた魂が、そこら中のスクラップに憑着したのだ。

 にゃあ、と足元の野良猫が鳴く。そう、ちょうどこいつらのようなジャンクリーチャーはそうして生まれたのだ。生身の猫に宿っていた二十一グラムの粒子は向こう側に持っていかれ損ね、粒子情報から生成されたスクラップの体に張り付いた。

 猫などはまだいい。最悪なのは人間の魂が機械に憑着したケースだ。粒子情報の混線で一部分だけ持っていかれた者などは特に悲惨だ。

 ナオンは旅の道中でそういう〝ジャンク人間〟を何人も見てきた。肘から先がドリルであったり、足だけがバネだったり、ひどいものでは股間が蓄音機になっていたり。

 野良猫がナオンの足に擦り寄る。難儀なものだとナオンは思った。目覚めたら機械の体にされているのだ。これほど理不尽なことはない。

 しかし誰が悪いわけでもない。しいて言うならイザクト事変の引き金を引いた人間だろうが──そんなものはナオンの与り知らぬところだ。過ぎたことはどうしようもない。割り切るしかないのだ。

「僕それ知ってる」野良猫を撫でながらナオンは言った。「フローフシでしょ」

「なんでそうなる」

「だってそうじゃん。ポイントさえ貯まってれば、若い体に乗り換えられるんでしょ」

「理屈ではな。だが誰にも実証はできねえ」

「?」

 考えてもみろ、とシュティードは言う。まるで興味はないがウェイターを待つにはちょうどいい話題だった。こと、話題が正確性に欠けるあたりが。

「クローンに魂を移すんだぞ。ってことは、一度人体から無理やり魂を引き剥がさなきゃならねえってことだ。その最中に不具合が起きでもしてみろ。魂はオシャカだ。その場合、メモリに同期されたバックアップを用いて復元される」

「……?」

「そいつは本当に自分なのか、って話さ」

 馬鹿げた話だ。もちろんナオンは〝否〟と答えるつもりだった。体も心もただ一つだけで、どちらも自分の物なのだ。

 ナオンはあまり〝先進治療権〟に……というか〝不老不死〟に興味を惹かれなかった。言葉ではうまく言えそうにない。けれどなんだか味気ない感じがする。ラッキー・ライドのストックが切れた日みたいに気だるげなのだ。

 不老不死。ちぐはぐな耳障りだ。終わらない旅ではなく、ただ終わらせていないだけの旅の渦中にいるような。

 ナオンはシュティードの顔を見る。どことなく不愉快そうだ。常にそうだが殊更ひどく見える。この男も同じ心持ちのようだった。なんとも不本意なことながら。

「粒子を用いた空間移動の実験があったろ。クイーン・エストリエ号の奴」

「はいはい、僕それ知ってる。一九四三年の奴でしょ」

「それは一回目だ。エルドリッジの駆逐艦だろ。はじめて粒子領域が開いた日だ。〝剥離と憑着〟が確認されて、イザクト粒子の存在が提唱された」

「馬鹿にしないでよ、知ってるってば」

「なめんなクソガキ。お前よりは俺の方が絶対詳しいね」

 ぴくりとナオンの血管が揺れる。負けず嫌いの幼さが心臓を叩いた。

「シンキング・タイム!」ナオンが右手を上げる。「内部地球アルザルが発見されたのはいつで」「一九四七年二月一九日」割って入るシュティード。

「当時の海軍少将リチャード=バードが……」

「ですがぁー!」負けじとナオンは続けた。「内部地球を撮影した動画である」「〝グレート・ゲート〟シリーズは全部で七本。昔の動画サイトにアップロードされてる。入り口は霊峰、密林、砂漠、それから南極と北極の……」

「でっ、ですがぁー!」どこまでも諦めの悪いナオンは言った。「ですがぁー……」

「どうした、終わりか」

 シュティードがいやらしく笑う。ガキをあしらうなどお手の物だと言いたげだった。

 齢十二の頭は早くもネタ切れだ。苦し紛れに目を逸らしてナオンは続ける。

「……僕の好物はなんでしょう……」

「〝質問〟だ」

「くっ……」

 黒星一つだ。ナオンは苦汁を飲んでテーブルに顔を叩きつけた。

 こういう気の抜けたやり取りも悪くないと、シュティードはほんの少しだけそう思う。たまになら。本当に、たまになら。

「エルドリッジに話を戻すぞ。当時は誰も信じなかったらしい。当然だ。全長一〇〇メートル級の戦艦が三〇〇キロも離れた土地に瞬間移動するわけがねえ。おまけに船ン中は黒焦げで、鉄と合体してる奴がいるやら発狂してる奴がいるやら……それこそ噂話ゴシップさ」

「そりゃそうだよ。僕だって信じないもん。ていうかいまだに半信半疑だし」

「んじゃその野良猫はどう説明するんだ」

「それは……」にゃあと鳴く野良猫。ナオンは口を尖らせる。「わかんないけど……」

「とにかく〝剥離と憑着〟は確かに存在するんだ。だがそこに確実性はねえ。一度目のエルドリッジを踏まえたにも関わらず、二度目のクイーン・エストリエも同じ結果に終わってんだ。絶対安全だなんてZACTは謳ってやがるが、あんなのは嘘っぱちさ。記憶がブッ飛ぶかもしれねえし、頭のどっかがイカれちまうかもしれねえ」

「あんたみたいに?」

「しばくぞクソガキ」

 ふしゃ、とシュティードに牙を剥く野良猫。ナオンがその喉を掻いてやると、プルガトリウム鉱石の青い瞳を細めて甘い声を漏らし始めた。

 野良猫を指してシュティードは続ける。

「イザクト事変がいい例じゃねえか。お前、旅してきたんだろ」

「……だからなに?」

「ジャンク人間の一人や二人見たことあるはずだ。サイボーグじゃねえぞ。ああなっちまうかもしれねえってことさ。目覚めたら機械の体だった、なんて……俺ぁゴメンだね」

 そこにはナオンも同感だ。股間が蓄音機になるのはいただけない。

 なーう。野良猫がテーブルに飛び移り、ぴょんと跳んだかと思うとシュティードの胸元に噛み付く。ポケットの中の〝フリップブラック〟の香りに釣られたようだ。

「ンだクソぁ! うぜぇなこの猫畜生が!」

「やめてよ、かわいそうだよ!」

「機械にかわいそうもクソもあるか! 俺ぁロックンロールとクソガキと野良猫がこの世で一等嫌いなんだよ! このクソ猫が、次噛み付いたらスクラップにしてやるぞ!」

 にゃう。わかっているのかいないのか、スクラップボディの野良猫が返事をする。シュティードは胸ポケットの粒子管を取り出し、その安否を確かめた。幸いにもガラスに傷はない。

「なにそれ」ナオンが問うた。「凄い色。粒子管?」

「仕事で引き渡すモンだ。お前にゃ関係ねえ」

「そう、それだよ。仕事。仕事って何してるの?」

「ベビーシッターだよ、クソガキ」

 シュティードは嫌みったらしく答えた。馴れ合いはここまでだ。甘味は十二分に味わった。浸りすぎると馬鹿を見る。この掃き溜めでは特にそうだ。別に誰が定めたわけでもないが、お人よしほど馬鹿を見る仕組みになっているのだ。これほど完璧なシステムもあるまい。

「お喋りは終わりだ。黙ってニュースでも見てろ」

「……ファックオフ」

「殺すぞクソガキ」

 勝手な奴だとナオンは思った。自分の喋りたいことをべらべらと喋っては一方的に話を終わらせてくる。ターン制のゲームにこらえ性がないタイプなのだろう。やっぱりこの男はコミニュケーションを舐め切っている。

 手持ち無沙汰のナオンは、仕方なしにニュースに目を向けた。市街の特集だ。墓場のように高層ビルが連なる景観の中、中空には青白いチューブ状のケーブルが張り巡らされている。粒子モノレールの線路だろう。

 流線型の筐体の中にはスーツを纏った人間がすし詰めだ。画面越しでも居心地の悪さが伝わってくる。働き者も考え物らしい。ザイールのところで見た〝働かざる者達〟も中々にひどい面構えだったが、また違った意味でひどい顔だ。生気が感じられない。干からびた檸檬のような乾いた瞳だ。

 なにより異様なのはジー・ウォッチの存在だ。座っている者も、立っている者も、スーツを着ている者もそうでない者も、誰もが利き腕にはめた汎用デバイスと睨めっこを続けている。目を凝らし、会話もなく、まるで取り付かれたように。

 仕方のないことだ。彼らの生活はそれに支配されている。それがあっての生活がスタンダードになったのだ。その点はナオンも理解している。利便性は掃き溜めの廃品携帯ジャンク・フォンより遥かに高いだろう。何が悪いというわけでもない。

 しかし異様だ。そのイメージばかりは拭えない。プレス工場で量産されるマネキンを見ているようだった。同じ服。同じ瞳。同じ仕草。吊り革は手錠。ネクタイは首輪。それは現代の奴隷船。ああ、奴らは機械か。それともまるで。

「……囚人みたい」

 ぼそりと呟くナオン。シュティードの目が反射的に彼の方を見る。視線はぶつかったがそれだけだ。小さく鼻で笑い、また瞳を机に戻し、シュティードは黙り込む。

 ほどなくして先刻のウェイターがやってきた。手元にはグラスが一つだけ。コースの前菜にしては頼りない。

「あの……」

 店員はおずおずと口を開いた。ウイスキーだ。一瞬シュティードの目が輝くが、香りが鼻をつくやいなや再び表情が曇る。お目当ての物ではなかったらしい。

「……蒸留酒はないんじゃなかったのか?」

「……ね。あちらのお客様からですよ」

 角にワイシャツの男が一人。こちらに背を向ける形で座っている。

 〝合図〟だ。受け渡しは常にスムーズに行われなければならない。シュティードは粒子管をポケットに仕舞い込み、心底だるそうに立ち上がった。

「……ヤボ用だ。ちょっと待ってろ。逃げたら殺すぞ」

「だからお金ないって言ってるでしょ」

 ナオンは当てつけ気味に舌を出す。そうしてシュティードが席を立つなり、出会い頭から気になっていたもの──シュティードの足元に置かれていた長方形の箱に目を向けた。

 ハードケースだ。指先で軽く叩いてみると、堅牢な鋼の感触がした。

 野良猫がケースに噛み付く。ジャンクリーチャーの性質から察するに、やはり彼奴ら好みの金属らしい。表面はワニ革と思しき素材でコーティングされており、ところどころ剥げている。

 はて。サイズと言い、鍵の形といい、これはどう見てもギターを入れる為のものだ。

 それもどことなく──見覚えがある。

「……はっ」

 思い過ごしだ。ナオンは気の迷いを笑い飛ばし、また野良猫を膝元に置いた。

 イザクト事変以降、新・禁酒法の一端である〝ロック狩り〟によってギターの数は激減した。見たところヴィンテージとしての価値は充分なものだから、どうせこれも〝仕事〟とやらで受け渡すものだろう。〝ロックは嫌いだ〟と彼自身が口にしたではないか。

 あんなクズがロックンローラーであっていいわけがない。マキネシアの神が許そうともナオンが許しはしない。あんな人間では駄目だ。高潔で、美学を持ち、信念の元に生き、何者にも屈さぬ反抗心を持っていなければならないのだ。そう、ちょうど七転び八起きという言葉を体言したような存在でなくてはならないのだ。

 青い少年ナオンにとって、ロックンローラーとはそういう生き物だ。そしてそれは彼にとって、もっとも強固な〝ゆずれない〟部分だった。



 

 男は客席に背を向ける形で座っていた。いい位置だ。およそどの席からも死角になる。シュティードは我関せずという顔で白シャツの男──ウィンチ=ディーゼルに近付いた。

「飲んでくれたか?」ウィンチはそつなく言った。「代金は俺持ちだぜぇ」

「バーボン以外は飲まねえ。そう決めてる。時と場合によるがな」

「はぁん。噂どおり偏屈なヤローだ」

 シュティードはどっかと空席に座る。ウィンチが頬杖をついた。

「回収感謝するぜ、八億ネーヴル。正にウィン・ウィンの取引ってわけだ」

「はん。粒子管の代償にしちゃ随分報酬が安上がりだと思うが」

「それがおたくの仕事だろ。文句ならゼロの数を決めた仲間に言ってくれ」

 それもそうだとシュティードは笑う。いくら高価な粒子管を持ったところでラズル・ダズルに密売のツテはないのだ。そもそもそういう集団でもない。一つの割り切りだ。

 シュティードが胸ポケットから粒子管を取り出す。待ってましたとばかりにウィンチが身を乗り出した。

「はぁん。腕は確からしい」

「手短に済ませろ。後ろの席にZACTがいる」

「気付いてるよ。安心しなぁ、あそこからじゃ見えねえ。一〇秒くれ」

 ウィンチは白々しくそう言って、粒子管の中の色を覗く。視界を検知用のグリーンスクリーンに切り替え、グラフで表示された粒子濃度に舌打ちした。

 示された色は紫がかった黒。濃度四〇パーセントだ。六〇パーセント級であるフリップブラックには少し届かない。

「話が違う。濃度が足りねえぞ」

「そういうモンだ。ワイルドターキーを混ぜろ」

「混ぜろだと? 酒と粒子を?」

「そうだ。濃度が跳ね上がる。それではじめて六〇パーセント級だ」

「はぁ?」ウィンチは眉を吊り上げた。「どういう理屈だ」

「今のターキーは製造元も出荷元もブラストゲートだ。まだイザクト事変の粒子汚染が解け切ってねえ。だからだろ」

「……はぁん。それで〝時を巻き戻す酒〟か」

 もっともらしい言い草にウィンチは舌を巻いた。

「で、その七面鳥は?」

「なんで俺がてめえに酒を奢らなきゃいけねえんだ。自分で買え。Dブロックならその辺の酒場で手に入る」

「酒は随分前にやめたんだがなぁ」

「いいから報酬を」

 急くなよ、とジー・ウォッチを弄るウィンチ。そののちホログラムの画面を二、三度タッチする。五秒と経たない内にシュティードが痺れを切らした。

「俺がいつマインスイーパをやれと言った?」

 傑作だ。ウィンチは失笑した。

「時代はオンライン・ゲームだぜ。電子マネーさ。十分後には振り込まれる」

「電子マネー? クソが。ここは掃き溜めだぞ、現金はどうした」

「お前なぁ、アナログ世代のジジイかよ。札束の受け渡しなんざハイリスクなだけでナンセンスだ。換金のツテぐらいあるだろ。仕事ができる奴は、こういう時に備えて市街の闇口座の一つぐらい作っとくモンだぜぇ」

 なるほど、軽薄に見えるがやり手ではあるらしい──シュティードはそう思う。思ってみただけだった。だからどうだというわけではない。そのまま先刻と同じように、どこか気だるげに立ち上がる。

「形のないものは信用しねえ主義だ」

 魂とかな、とシュティード。その言い草にウィンチの眉が揺れる。

「形のないものねえ」ウィンチは問うた。「金は魂より重いか?」

「好きにとらえろ。ともかく次からは現金にしな」

「次なんてねーよ」

 ウィンチはわざとらしく笑ってみせた。言葉に嘘はない。次などないのだ。

 目当てのものは手に入ったということか。それともこれから手に入るのか。

 シュティードが元の席に着く。ウィンチはジー・ウォッチに向けて小声で呟いた。

「……ウィンチだ。プレゼントは回収した。見えてるな」

 客席に紛れたZACTの職員達が耳元に手をやる。サングラスのつるテンプルから聞こえたウィンチのダミ声が作戦開始の合図だった。

『ちょうどこちらに背を向けてます』職員の一人が答える。『取り押さえますか?』

「待て。回収対象パッケージはどこだ?」

『机の下にあります。今ちょうど奴の足元に』

 これまた厄介な位置だ。ウィンチは舌打ちした。はたして足元をすくわれることになるのはどちらか。

「まだ荒立てるな。手順通りに逮捕しろ。銃は構えとけよ」

『隣の子供はどうします』

「はぁ? 子供? どこ見てんだお前、子連れの賞金首なんざいるわけねえだろ」

『いえ、しかし実際に……』

 ウィンチは半信半疑でジー・ウォッチを弄る。カメラ機能をオンに切り替え、気取られぬよう何気ない仕草に交えてシュティードの席を確認した。

 子供。確かに子供だ。波のようなプラチナブロンドの髪。首元には常磐色の襤褸ぼろ切れ。サイズの合わないゴーグルが提げられていて、子供らしく半袖にカーゴパンツときた。なんとも掃き溜めらしい格好だが、幼さと少女らしい顔つきも相まって、とてもこの無法地帯を生き抜けるとは思い難い。

「……わけがわからねえ。嫌な予感がするぜ。こりゃ桶屋おけやが儲かる風の吹き回しだ」

『? つまり?』

「厄介ごとの匂いがするってことさ」

 ウィンチの予感は的中していた。アンドロイドに勘があるかはさておき、そのあたりの嗅覚は鋭いらしい。実際に少年と青年は厄介ごとに見舞われている最中なのだ。

「奴は何か頼んだか?」

『コースを二人分』

「オーケー。メインが出てきたあたりで行け。それまでは安全だと思わせろ」

『了解』

「あー待て待て、全員なにか頼め。不自然だろ。俺の奢りでいい」

『奢り?』職員が面食らった様子で問い返す。『現金持ってるんですか?』

 ウィンチはけらけらと笑う。頭の中にダウンロードされたジョーク・マニュアルの見せどころだった。

「神様いわく、支払いするは我に在り、だ」

『……ディーゼル1ワン、チェック』

 呆れた様子で通話を切る職員。それきり応答はなかった。

「ジョークのわかんねえ奴らだなあ」

 機械ですらこれだと言うのに。ウィンチは不満げに溜息を吐いた。粒子が入り混じったアンドロイド特有の溜息を。



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